クロワ・ジャネットはフランスの伝統的なクロワ・ド・クゥ(仏 croix de cou 十字架型ペンダント)のひとつです。十八世紀及び十九世紀のフランスで、女性たちは思春期の頃にクロワ・ジャネットを購入し、その後長く身に着けました。本品は十九世紀中頃または後半にパリで制作されたクロワ・ジャネットで、二色の金によるドゥブレ・ドール(仏 doublé d'or 金張り)です。高さ五センチメートル、幅四センチメートルのサイズは、類品中最も大きな部類に属します。
本品をはじめ、クロワ・ジャネットの一般的特徴は次の通りです。これらの特徴は本品の型のクロワ・ジャネットに共通しており、例外は稀です。
第一に、ほとんどのクロワ・ジャネットは金属板を十字架型に打ち抜き、二枚を向き合うように鑞付け(ろうづけ 溶接)して、中空のペンダントとしています。そのため立体的であっても軽量で、日々愛用しても疲れません。
第二に、クロワ・ジャネットの上端はフルール・ド・リス(仏 fleur de lys 百合の花)を模(かたど)ります。フルール・ド・リスは三位一体の神による加護の象徴、聖母マリアによる加護の象徴であり、フランスの象徴でもあります。十字架交差部の意匠及び縦木と横木の意匠は、表裏の面で異なります。
第三に、クロワ・ジャネットの交差部には正方形が菱形状に配置され、花や幾何学模様、聖霊の鳩や聖母像、宗教的モノグラム等の装飾が、彫金やエマイユで表現されます。
第四に、縦木の下端近く及び横木の両端近くに楕円形の円盤があります。楕円形の内部には、細粒状の彫金を背景に簡略な唐草文が打ち出されています。
第五に、楕円形円盤の外側には球状の膨らみが付き、さらにそこから細い棒が突出します。球状の膨らみから細い棒が突出する様子は、女性が使う糸巻き棒の先端を連想させます。また一つの十字架に三つの球が付いているのは、福音書の中でキリストが三たび流し給うた涙を表すともいわれています。
本品の十字架交差部には、それぞれの面に正方形のエマイユ装飾板を鑞付けしています。装飾板は一辺五ミリメートルの銅製で、精巧なシャンルヴェ(仏 champlevé 七宝焼きの一種)を施しています。
一方の面の装飾板には、花色の不透明ガラスによるエマイユを背景に、聖母マリアの全身像があしらわれています。青は天上の色、智慧の色であるとともに聖母の色でもあり、とりわけ菫色に近づいた青はブリュ・マリアル(仏 bleu marial マリアの青)と呼ばれて聖母を象徴します。
この面の装飾板において聖母の背景を為す青紫は、通常のブリュ・マリアルに比べてかなり明るめの色調ですが、青は智慧の色であるゆえに、上智の座の聖母を象徴する色としてここに使用されています。このことは後述します。
ストラ(羅 STOLA 寛衣)をまとう聖母は、両腕を斜め下方に伸ばして広げ、地上の罪びとを招いています。両手の指先からは、聖母を通して下される神の愛と恩寵が、光となって地上に降り注いでいます。
聖母はストラの上から大きなマントを羽織っています。これは慈悲の聖母(伊 Madonna della Misericordia)のマントであり、罪びとを匿い執り成す母の愛を象徴しています。
(上) ヌエストラ=セニョラ・デ・グアダルペ(Nuestra Señora de Guadalupe, Cáceres)のメダイ 当店の商品です。
聖母の足元にある弧は、下弦の月を表します。弧の下部中央に下向きの突出があるために、弦月はブークラニオン(希 βουκράνιον 牛の頭骨)のようにも見えます。下弦の月を踏む聖母は、無原罪の御宿り(羅 INMACULATA CONCEPTIO)の伝統的図像表現です。
弦月の下部中央にある小さな突起は、プット(伊 putto 有翼の童子)として表されたケルブの顔です。本品のエマイユ装飾板はサイズが小さすぎるために、ケルブの顔を表現しきれず、単なる突起に見えています。
聖母はロゴス(希 λόγος 智慧)であるイエスを膝に座らせるセーデース・サピエンティアエ(羅 SEDES SAPIENTIÆ 上智の座)であり、ネオカイサレアのグレゴリウスによって「まことのケルビムの座」と呼ばれました。それゆえ未だ受肉していないイエスを、イエスの玉座である無原罪の御宿り(聖母マリア)ともろともに、ケルブが支えています。
各種ビジュ(ジュエリー、アクセサリー)や懐中時計ケースなど、フランスのアンティーク品に使用される金は銅の含有率がやや高く、我が国の金に比べると赤味が強い傾向があります。本品十字架にはいずれの面にも凹凸が打ち出されていますが、凸部には赤味がかった金が、凹部には黄色味があった金が、それぞれ使用されています。
十字架の縦木と横木に打ち出されるパターンは、多くのクロワ・ジャネットにおいて、表裏で異なります。本品においても、交差部に無原罪の御宿りをあしらった面では、ミル打ちを模した点の連続が、縦木と横木を飾っています。これに対してもう一方の面には古典古代風のパターンが打ち出されています。
1738年にヘルクラネウム、1748年にポンペイが発掘されたのをきっかけに、十八世紀のフランスでは古典古代風の装飾意匠が流行し、第一帝政期の古典主義まで続きます。その一方で十九世紀初頭のロマン派は、中近東をテーマに数多くの作品を制作し、そこにはギリシアも含まれていました。フランス美術史において先行する時代の様式は、本品ペンダントのような装飾品にもその残響を遺しています。無原罪の御宿りの面に見られる直線的意匠も、この面と同様にギリシア的要素を有します。
クロワ・ジャネットに装飾パターンを打ち出すには、精巧な金型が必要です。以前当店で取り扱ったクロワ・ジャネットに、同一の彫金職人が型を制作した作例があり、パリのジュエリー工房サヴァール・エ・フィス(Savard et fils)の刻印がありました。本品にサヴァール・エ・フィスの刻印は見当たりませんが、意匠が同一であるゆえに、サヴァールが制作した品物であることがわかります。
(上) サヴァールのビジュ(仏 bijoux ジュエリーとアクセサリー)を掲載した 1907年頃の広告
サヴァール・エ・フィスを創業したジュエリー職人フランソワ・サヴァール(François Savard)は、1829年、真鍮またはブロンズの表面に金を張ったドゥブレ・ドール(仏
doublé d'or)を発明しました。フランソワ・サヴァールの発明は息子オーギュスト(Auguste Savard)に受け継がれ、1893年以降、フィクスまたはティトル・フィクス(TITRE
FIXE 「フィクス品位」の意)という商標で全盛期を迎えました。フィクスまたはティトル・フィクスは金が厚いために磨滅しにくく、変色も起こらない高品質のジュエリーで、十九世紀半ばから二十世紀前半のフランスにおいて人気を集めました。上の写真はパリのアクセサリー商
E. ブリエ(E. Boullier)が、ティトル・フィクスの商品を掲載した 1907年頃の広告です。
サヴァールの品物には、フィクスまたはティトル・フィクスの文字が刻印されているのをよく目にします。フィクスまたはティトル・フィクスは有名な商標でしたから、サヴァールが
1893年以降に作った品物であれば、フィクスの商標が例外なく刻印されているはずです。しかるに本品には、上部のフルール・ド・リスに "doublé
40" という金張りの刻印があるだけです。それゆえ本品の制作年代は 1829年から 1892年の間と考えられます。
この面の十字架交差部にも、正方形の装飾板が鑞付けされています。装飾板にはエム・アー(MA)と十字架を組み合わせたモノグラムが、紺色のエマイユ・シャンルヴェによって浮き出ています。エム・アーのイニシアルは、アウスピケ・マリアエ(羅
AUSPICE MARIÆ マリアの加護によりて、マリアの庇護の下に)、及びアヴェ・マリア(羅 AVE MARIA 大いに喜べ、マリアよ)を重層的に表します。アー(A)の頂部に十字架が立つ意匠は、不思議のメダイの裏面と類似します。
(上) 日本趣味の切り紙による二面のカニヴェ 「神の母、おとめマリアの聖にして汚れなき御宿りは祝されよ」 ピウス六世による百日の免償 (ドプテ 図版番号不明) Bénie soit la sainte et immaculée conception, Dopter, numéro inconnu, 108 x 66 mm フランス 1860年代後半から 1870年代 当店の商品です。
モノグラムの下方に配された心臓はマリアの聖心です。心臓は愛の象徴であるゆえに、聖母の聖心は神と救い主に向かう愛を表します。また聖母は受胎告知の際に「お言葉通り、この身に成りますように」と答えて救いを受け容れたマリアは、キリスト者の鑑(かがみ 手本)であるゆえに、モノグラムの下の心臓は、本品クロワ・ジャネットを身に着ける女性の愛をも表しています。
この面の装飾板は、紺色のエマイユを白のエマイユで取り囲んでいます。交差部を彩る三色のうち、青と金は天空あるいは天国を、青と白の組み合わせは聖母マリアを象徴しています。
なお以前に当店で取り扱ったサヴァール製クロワ・ジャネットにも、白で紺を取り囲むエマイユ・シャンルヴェが使われていました。金を施したロープ状の彫金細工が装飾板を囲む意匠に関しても、以前扱ったサヴァールの製品は本品と共通しています。
本品の装飾板に採用されたエマイユ技法シャンルヴェ(仏 le champlevé)は、ビュラン(仏 burin 彫刻刀)を使って金蔵板に窪みを彫り、この窪みにフリット(色ガラスの粉)を入れて窯入れし、フリットが融けるまで窯で加熱します。フリットが融けた後、徐々に温度を下げ、ガラスを銀板の表面に固着させ、窯から取り出した後に研磨仕上げが行われます。
本品の小銅板においてフリットが入る窪みは、聖遺物箱のような大型のエマイユ・シャンルヴェ作品に比べてはるかに浅く、ガラスの厚みは数分の一ミリメートルしかありません。古い時代のクロワ・ジャネットは、時の経過に耐えきれずにエマイユが破損したものが多く見られます。しかしながら本品のエマイユには剥落が一切見られず、優れた技術で制作されていることがわかります。
本品の型のクロワ・ジャネットをサヴォワ特有の物のように言う人がいますが、それは事実ではありません。本品の型のクロワ・ジャネットはビジュ・レジオナル(仏 bijou régional)ではなく、フランス全域の女性に使用されたもので、近世から近代にかけてのフランス宝飾史を代表するビジュ(ジュエリー、装身具)といえます。
山がちのサヴォワには村ごとに異なる形のクロワ・ド・クゥ(十字架型ペンダント)が分布しています。しかるにクロワ・ジャネットという名称は、単に「聖ヨハネの日に贖うクロワ・ド・クゥ」という意味であって、特定の意匠を指してはいません。サヴォワ地方に分布する多様なクロワ・ド・クゥも、広義のクロワ・ジャネットに含めることができます。
フランス全土に普及したのは、本品と同様の意匠に基づくクロワ・ジャネットでした。その一方でサヴォワのクロワ・ド・クゥ、あるいはクロワ・ジャネットはフランスでも特によく知られており、クロワ・ジャネットといえば「サヴォワのもの」という連想が働きます。このような事情が背景となり、フランスのビジュ・レジオナルに詳しくない人たちの間で、本品と同様の意匠に基づくクロワ・ジャネットを、サヴォワのものとする誤解が生じたのでしょう。しかしながら事実はむしろこれと逆であったはずです。サヴォワの女性はサヴォワ特有のクロワ・ド・クゥ(クロワ・ジャネット)を身に着け、フランス全域に普及した意匠のクロワ・ド・クゥ(クロワ・ジャネット)は使わなかったと考えられます。
本品と同様の型のクロワ・ジャネットは、主にパリとニオールで制作されました。ニオール(Niort ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏ドゥー= セーヴル県)はフランス西部の都市です。既に述べたように、本品はパリのサヴァールによる作例です。
交差部のエマイユがどこで作られたかは未詳です。フランスの中心から少し南西寄りにあるリモージュ(Limoges ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏オート=ヴィエンヌ県)は最も有名なエマイユ産地ですが、スイスに近いサヴォワ地方のブール=カン=ブレス(Bourg-en-Bresse オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏アン県)も、エモー・ブレサン(仏
les émaux bressans)と呼ばれるエマイユを産します。エモー・ブレサンはひとつの作品に多くの色を使い、輝くように華美ですが、十九世紀のエモー・ブレサンには本品のように控え目な作例も見られます。
(上) リチャード・ダッド作 「パックと妖精たち」 直径 210 mm W. M. ・ライザーズによる細密インタリオ エングレーヴィングを多用した幻想的な名品 1864/1872年 Puck and the Fairies 直径 210 mm 当店の商品です。
ヨーロッパでは中世以来の慣習により、聖ヨハネの日が契約や身分変更の区切りの日となっています。奉公人と使用人の雇用契約もこの日に結ばれました。
ジャネットはジャン(仏 Jean ヨハネス、ヨハネ)の女性形です。クロワ(仏 une croix 十字架)は女性名詞で、ジャネットはこれを限定(修飾)する語ですから、クロワ・ジャネットとはもともと「聖ヨハネの十字架」という意味です。クロワ・ジャネットは新しく奉公を始める若い女性が聖ヨハネの日に贈られ、あるいは初給与で購入する習慣であったことから、聖人の名を冠して呼ばれるようになりました。それゆえクロワ・ジャネットは、社会人への仲間入りを象徴するジュエリーでもあります。
クロワ・ジャネットという品名についてさらに詳しく言うと、ジャンの女性形はジャンヌ(Jeanne)で、ジャネット(Jeannette)はジャンヌに縮小辞が付いた形です。クロワの性に合わせてジャンを女性形にするだけならば、クロワ・ジャンヌと言っても良かったはずですが、ジャンヌに縮小辞を付けてクロワ・ジャネットとしたのは、この十字架を購入するのが、未だ大人の女性とは言えない少女であったからでしょう。クロワ・ジャネットという呼び名は、若い少女が初めて購入するクロワ・ド・クゥに、如何にもふさわしく感じられます。
なお昔のフランスの女性たちは、思春期の頃に購入したクロワ・ジャネットを、その後も長く身に着けました。それゆえクロワ・ジャネットは少女だけのものではなく、年齢を問わずに使うことができます。またキリスト教文化に基づきながらも、信心具ではなく装身具的性格が強いクロワ・ド・クゥ(仏 croix de cou 十字架型ペンダント)ですので、無宗教の方を含め、どなたにでもお使いいただけます。
上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。
現代まで伝わるクロワ・ジャネットの大部分は大きく破損しています。本品のように表裏二枚の板を合わせて制作したクロワ・ジャネットは、仮に現代まで残っていたとしても、先端部分が折れて無くなったり、十字架本体が破断している場合が多いですが、本品はよほど大切にされてきたと見えて、欠損の無い完品です。このような状態のクロワ・ジャネットは非常に稀で、極めて入手困難です。
十九世紀のフランスで製作されたアンティークのクロワ・ジャネットは、そもそも入手が非常に難しい稀少品ですが、本品にはエマイユの剥落をはじめ、特筆すべき瑕疵はありません。同時代の類品は大きく破損しているものがほとんどであり、本品は驚くほど良好な保存状態であるといえます。繊細で清楚なエマイユに加え、重厚で美しい古色が醸(かも)す真正のアンティーク品ならではの味わいに、現代の複製品では決して再現できない趣(おもむき)があります。