フルール・ド・リス
fleur de lys


 フルール・ド・リスのフェーヴ フランス 1920年代 当店の商品


 三位一体の象徴、聖母の象徴、フランスの象徴等と見做されている「三枚の剣状の花弁(あるいは花被 註1)を束ねた意匠」は、フランス語でフルール・ド・リス(仏 fleur de lys)、すなわち百合(ゆり)の花と呼ばれています。しかしながらこの意匠は高度に様式化されており、当ウェブサイト内の解説ページ「百合のシンボリズム」でも論じたように、何の植物を模(かたど)ったものであるのか判然としません。

 フルール・ド・リスが何の植物であるか不明なのは、この意匠が非常に古い時代に起源を有するからです。本稿では西ヨーロッパ以外の文明圏、文化圏に遡るフルール・ド・リスの歴史を略述し、フルール・ド・リスが担う多様な象徴性を示します。


【西ヨーロッパ以外の文明圏、文化圏におけるフルール・ド・リス、あるいは類似の図像】

 このセクションではキリスト教以前の古代文明に見られる例を含めて、西ヨーロッパ以外の文明圏、文化圏におけるフルール・ド・リス及びこれに類似の植物文様、すなわち花弁が上方に向かって放射状に広がる花を側面から描写した意匠を取り上げます。なお古代文明に見られるフルール・ド・リスと類似の植物文様は、重要な象徴的意味を担う場合が多いことがわかります。

1. 古代エジプトにおけるハスの花

 古代エジプトの最初期には、互いに独立した多数の都市国家がエジプト文明を支えていましたが、やがてカイロよりも南のナイル川デルタ地帯を治める下エジプト王国と、アスワンからカイロまでのナイル川流域を治める上エジプト王国にまとまりました。下エジプト王国はパピルスの花を、上エジプト王国はハスの花を、それぞれ象徴としていました。パピルスとハスはいずれもナイルを代表する植物であり、紀元前3500年頃に上下エジプトが統一された後も、エジプト美術における重要なモティーフであり続けました。

 下の写真はテーベの書記ネブアモンまたはネブアメン (Nebamun)の墓室壁画の一部で、紀元前1350年頃に制作されたものです。この壁画は墓室から剥がされて、現在は大英博物館に収蔵されています。この壁画において、ネブアモンは妻ハトシェプスト (Hatshepsut)、幼い愛娘、愛猫を伴ってパピルスの舟に乗り、鳥を獲っています。舳先にいる赤色の鳥はエジプトガン (Alopochen aegyptiaca) で、アモン神の聖鳥であるゆえに狩りの対象になっていません。

 この壁画において、左側に描かれているのはパピルスの茂みです。ネブアモンが肩に掛け、また右側の妻が手にしているのがハスの花です。妻は何本ものハスを束にして持っていますが、花は手前から奥に一列に重なり合っていて、壁画にはいちばん手前の一輪のみが描かれています。この絵において、開花したハスの花は剣状の三枚の花弁が濃い色で描かれ、フルール・ド・リスに類似した意匠に様式化されています。





 下の写真はオーウェン・ジョーンズ (Owen Jones, 1809 - 1874) の「装飾の文法」("The Grammar of Ornament", 1856) にあるエジプトの柱頭です。この柱頭のハスはさらに様式化が進み、フルール・ド・リスにいっそう類似しています。





2. アッシリアのナツメヤシ様(よう)生命樹、及びその他の植物文

 紀元前 883年から 859年に在位したアッシリアの王アッシュールナシルパル2世 (Assurnasirpal II) は、紀元前 879年、現代のバグダッド北郊、カルフ (Kalhu) に新宮殿を造営しました。この遺跡からは見つかった多数の浮き彫りは「ニムロド・レリーフ」と名付けられ、大英博物館に収蔵されています。ニムロド (Nimrod) は「創世記」10章 8節から12節に言及されているアッシリアの王の名前です。

 下の写真は「ニムロド・レリーフ」のうちの一点で、中央に生命樹、生命樹の上に太陽神を彫っています。様式化された生命樹はナツメヤシをモデルにしているという説が有力ですが、その葉あるいはパルメットはフルール・ド・リスに類似しています。頂部に同様のパルメットを戴いた生命樹は、より古い時代の円筒印章にも確認できます。





 次に示す例は、「ニムロド・レリーフ」と同様、アッシュールナシルパル2世の西北宮殿から出土して大英博物館に収蔵されている高さ 10.2センチメートルの工芸品で、雌ライオンがヌビア人らしき黒人を襲う様子が表されています。背景にはパピルスと百合様(よう)の植物が表されています。アッシリアでなくフェニキアで制作された品物ですが、フルール・ド・リスに類似した植物文様がアッシリアにおいても知られていたことをはっきりと示す例といえます。





3. バビロニアのパルメット様(よう)ロゼッタ

 ダヴィデが統一したイスラエルは、その子ソロモンの死後南北に分裂しました。南のユダ王国は紀元前 597年に新バビロニア王国との戦いに敗れて、エルサレムの住民は数次に亘ってバビロニアに連行され、紀元前586年にはエルサレムと神殿も完全に破壊されました。この事件をバビロン捕囚といいます。バビロン捕囚は旧約時代の歴史のなかでもたいへん重大な出来事であり、「列王記」下、「エレミア書」、「ダニエル書」等に記録されています。

 このときユダ王国を滅ぼしたのは、新バビロニアの強力な王、ネブカドネザル2世 (Nebuchadnezzar II, c. BC 634 - 562) です。ネブカドネザル2世は王国の首都バビロンを整備し、大規模な宮殿を造営しました。下の写真はネブカドネザル2世宮殿「玉座の間」の正面部分(高さ 12.4メートル)で、現地で崩壊していたものをベルリンに運び、ペルガモン美術館に復元・展示されています。





 青い釉薬を掛けた煉瓦によるこの壁面には、おそらく聖なる樹と思われる四本の樹が立っていますが、白い花と青緑の咢(がく)状部分で構成される頂部は、パルメットあるいはフルール・ド・リスに類似します。ただしこの白い花は、やはりペルガモン美術館に復元展示されているイシュタル門(下の写真)においては、完全なロゼッタ(マーガレットのような円形の花)になっています。





 なお新バビロニア王国を滅ぼしたアケメネス朝ペルシア帝国においても、この聖樹とほぼ同一の意匠による樹木が、ダレイオス1世のペルセポリス宮殿に制作された朝貢行列の浮き彫り(紀元前 6世紀または5世紀)に見られます。


4. 旧約時代のユダヤにおける百合

 ユダヤ民族は長らくエジプトに暮らしたため、エジプト文化から強い影響を受けたと考えられます。既に見たように、エジプトで重要な象徴として用いられたハスの意匠も、エジプトに暮らすユダヤたちにとってなじみ深いものであったでしょう。「列王記」上 7章15節から22節には、名匠ヒラムが青銅で制作したソロモン神殿の二本の柱、ヤキンとボアズが記述されています。 7章22節によると、二本の柱の頂には「ゆりの花」が作られていました。エルサレム神殿はネブカドネザル2世の新パビロニア軍に破壊され、ヤキンとボアズの柱頭にあった「ゆりの花」も残っていませんが、エジプトのハス文、あるいはアッシュールナシルパル2世の西北宮殿から出土したフェニキアの工芸品に見られる百合文(既述)に似ていたのではないでしょうか。


5. ペルシアとアルメニアにおける百合

 ペルシアとその影響下にある文明圏、文化圏においても、百合文あるいはフルール・ド・リスは豊穣と権能を象徴する重要な意匠です。下の写真はオックスフォードのアシュモレアン美術館が収蔵する6世紀の絹織物断片で、フルール・ド・リスは早くも中世西ヨーロッパの意匠に近づいています。





 下の写真はキリキア・アルメニア王国の硬貨です。アルメニアはその歴史を通じて数々の強国に支配されましたが、ペルシアの支配を受けた時期も長く、ペルシア文明の強い影響を受けています。

 この硬貨において、中央で玉座に座すのはキリキア・アルメニア王国を統一して初代国王の座に就いたレヴォン1世 (Levon I, 1198 - 1219) です。国王は右手に十字架、左手にフルール・ド・リスを持っています。このフルール・ド・リスは国王の政治的権能に加えて、豊穣をもたらす祭司としての性格を表します。





6. ビザンティンにおけるフルール・ド・リス

 フルール・ド・リスはビザンティン美術にも現れます。下の写真はアラスの歴史家ルイ=フランソワ・アルバヴィル (Louis-François Harbaville, 1791 - 1866) 旧蔵のビザンティン工芸品「アルバヴィルのトリプティーク」(le triptyque d'Harbaville) で、現在はルーヴルのリシュリュー翼にあります。このトリプティーク(三幅対)は 940年から 960年頃に象牙で制作されたものです。中央の上半分には聖母と使徒ヨハネを伴うキリストを浮き彫りにしていますが、使徒たちを彫った下段との仕切りに、多数のフルール・ド・リスが彫られています。





 コンスタンティノポリス(イスタンブール)のアヤ・ソフィアは、ユスティニアヌス帝が 537年に建てた聖堂で、その名の通り神の「知恵」、すなわちキリストに捧げられています。アヤ・ソフィア南西入り口の半円蓋には、1000年頃に制作された上智の座の聖母のモザイク画があります。このモザイク画において、聖母子が座る玉座のひじ掛けには、最前部にフルール・ド・リスのフィニアルが付いています。また聖母子の左(向かって右)に立つコンスタンティヌス帝は都コンスタンティノポリスを、聖母子の右(向かって左)に立つユスティニアヌス帝はアヤ・ソフィアを、それぞれ聖母子に捧げていますが、両皇帝の礼装にもフルール・ド・リスがあしらわれています。下の写真はコンスタンティヌス帝が都を聖母子に捧げる様子です。





 下の写真は 1261年から 1282年までの間にテサロニキで発行された東ローマの貨幣です。左側の面に打刻されているのはテサロニキの殉教者聖デメトリオス (St. Demetrius Thessalonicensis, Ἅγιος Δημήτριος τῆς Θεσσαλονίκης, c. 270 - c. 306) です。5世紀以降、聖デメトリオスは奇跡により、テサロニキをスラヴ諸族の襲来から幾度も守ったとされ、軍事と結び付けて崇敬されるようになりました。この貨幣彫刻においても、聖デメトリオスは槍と楯を手にしています。

 右側の面に打刻されているのは、この貨幣が製作された当時の皇帝ミカエル8世パライオロゴスMichael VIII Palaiologos, 1225 - 1282) の上半身像です。ミカエル8世パライオロゴスはラテン帝国を滅ぼし、再興した東ローマ帝国の初代皇帝に即位しました。この貨幣彫刻において、ミカエル8世パライオロゴスは右手に大きなフルール・ド・リス、左手にラバルム(軍旗)を持っています。雄蕊(おしべ)を伸ばしたフルール・ド・リスは、フィレンツェ市章やフロリン貨のフルール・ド・リスに類似しています。




【メロヴィング朝、カロリング朝、カペー朝とフルール・ド・リス】

 フルール・ド・リスとフランス王権の結びつきはカペー朝において確立しました。ここではメロヴィング、カロリング、カペーの各王朝におけるフルール・ド・リスの使用を概観します。

・メロヴィング朝

 ヨーロッパのほぼ全域に勢力を拡大したフランク王国は、メロヴィング朝のクローヴィス1世 (Clovis 1er, c. 466 - 511) を初代国王とします。499年頃、クローヴィスは受洗してカトリックになりましたが、伝説によると、このとき天使がクローヴィスに命じて、三位一体の象徴であるフルール・ド・リスをその紋章とさせました。

 ヨーロッパにおいて紋章が使われ始めたのは12世紀であるゆえに、この伝説が後世の捏造であることは明らかです。しかしながらクローヴィスは 507年にローマ皇帝(東ローマ皇帝)アナスタシウス1世 (Anastasius I, 431 - 518) から帝国の執政官に任命されており、メロヴィング朝の宮廷が文物においてもビザンティン文明の影響を受けたであろうことは強く推察されます。ビザンティン宮廷におけると同様にフルール・ド・リスの意匠が使われていた可能性が高いのは、メロヴィング諸王の礼装のほか、王笏、王冠です。


・カロリング朝

 カロリング朝のカール大帝 (Charlemagne, 742 - 814) の王冠には、四つのフルール・ド・リスが付いていたと伝えられます。下の写真はカール大帝の孫にあたる西フランク王国初代国王、シャルル2世禿頭王 (Charles II le Chauve, 823 - 877) を描いた9世紀の写本ミニアチュ-ルの一部です。シャルル2世はフルール・ド・リスの付いた玉座に座っており、王冠も類似の意匠に飾られています。





 フルール・ド・リスはカロリング王権の象徴として機能していたように思えます。カロリング朝西フランク王国の王ロテール (Lothaire, 941 - 986) は、フルール・ド・リスを打刻した貨幣を初めて発行しています。ただしこの時代にフルール・ド・リスを使用したのは西フランクに限らず、現在のイギリス、ドイツ、北イタリアなど広い範囲の王室で、フルール・ド・リスの使用が見られます。


・カペー朝

 フルール・ド・リスが王室の重要な印となるのは、カペー朝の時代です。カペー朝においてフルール・ド・リスが重視されるようになったのは、シュジェ、及びクレルヴォーの聖ベルナールの影響と考えられています。

 シュジェ (Suger, 1081 - 1151) はサン=ドニ修道院長となり、最初のゴシック建築であるサン=ドニ聖堂を建設した人物です。シュジェはカペー朝第5代国王ルイ6世 (Louis VI le Gros, 1081 - 1137) と同い年で、10歳のときからの親友でした。ルイ6世とその子ルイ7世 (Louis VII le Jeune, 1120 - 1180) に仕え、ルイ7世が十字軍で不在であった間は摂政も務めました。

 クレルヴォーの聖ベルナール (St. Bernard de Clairvaux, 1090/91 - 1153) はシトー会の改革者であり、当時の西ヨーロッパで最も影響力のある宗教人でした。アベラールとの論争に勝ったことや、ヴェズレーで第一回十字軍を勧説したことによっても知られています。

 いずれも聖母崇敬に熱心であったシュジェとベルナールは、カペー家を聖母の庇護の下に置くべく王室の聖母崇敬を推し進め、これに伴って聖母の象徴である百合文、すなわちフルール・ド・リスも多用されるようになりました。下の写真はルイ6世の印璽(印影)です。王はフルール・ド・リスの王冠を被り、左手にフルール・ド・リスの王笏を持っています。右手にもフルール・ド・リス形装飾品を持っており、こちらはエジプトのハスに似ています。





 下の写真はルイ7世の印璽(印影)です。王はフルール・ド・リスの王冠を被り、左手にフルール・ド・リスの王笏を、右手にはハスに似たフルール・ド・リス形装飾品を持っています。





 下の写真はルイ7世の子フィリップ2世 (Philippe II dit Philippe Auguste, 1165 - 1223) の印璽(印影)です。王はフルール・ド・リスの付いた王冠を被り、右手にフルール・ド・リスを、左手にフルール・ド・リスの王笏を持っています。





 ルイ9世 (Louis IX dit St. Louis, 1214 - 1270) はすべての王子の紋章にフルール・ド・リスを導入しましたが、青地にフルール・ド・リスを散りばめた図柄は、国王自身の紋章と第一王子(王太子)の紋章のみに使われることと定めました。当初、紋章には多数のフルール・ド・リスが散りばめられましたが、シャルル5世 (Charles V dit le Sage, 1338 - 1380) の時代になって、紋章のフルール・ド・リスは三つになりました。




(上) 左が国王の紋章、右が第一王子(王太子)の紋章。



【フルール・ド・リスが象徴するもの】

 フルール・ド・リスは古代以来の歴史のなかでさまざまな意味を賦与されてきました。


・三つの徳、三位一体、フランスに対する神の庇護

 ルイ9世の時代、フルール・ド・リスの三枚の花弁は三つの徳、すなわち「信仰」「智慧」「騎士道」を表すとされました。ギョーム・ド・ナンジ (Guillaume de Nangis, + 1300) は「ルイ9世伝」(Gesta Ludovici IX) において次のように述べています。テキストはアンリ・ドラシュ師 (Msgr. Henri Delassus, 1836 - 1921) の「家族の精神」("l'Esprit familial, dans la maison, dans la cité et dans l'État") に引用されているもので、13世紀のフランス語で書かれています。和訳は筆者(広川)によります。


     Puisque Notre Père Jhésus-Christ veut espécialement sur tous autres royaumes, enluminer le royaume de France de Foy, de Sapience et de Chevalerie, li Roys de France accoustumèrent en leurs armes à porter la fleur de liz paincte par trois fueillées (feuilles), ainsi come se ils deissent à tout le monde: Foi, Sapience et Chevalerie sont, par la provision et par la grâce de Dieu, plus habondamment dans nostre royaume que en ces aultres.  われらの御父イエズス・キリストは、他の諸王国にも増して特別に、信仰と智慧と騎士道によってフランスを照らすことを望み給う。フランスの諸王は三枚の花弁を有するフルール・ド・リスを紋章に描く習わしであるが、これは信仰と智と騎士道が、神の摂理と恩寵により、他の国々よりもわれらの王国において豊かに存するということを、すべての人に知らしむるためである。
    Les deux fueillées qui sont oeles signifient Sapience et Chevalerie qui gardent et défendent la tierce fueillée qui est au milieu de elles, plus longue et plus haute, par laquelle Foy est entendue et segneufiée, car elle est et doibt estre gouvernée par Sapience et deffendue par Chevalerie.   両翼の二枚の花弁は智慧と騎士道で、その間にあって最も長く、最も高いところまで伸びる三枚目の花弁を守っている。三枚目の花弁が表し、指し示すのは、信仰である。信仰の在り様(よう)は、智慧によって導かれ、騎士道によって守られているし、またそうあるべきだからである。
    Tant comme ces trois grâces de Dieu seront fermement et ordénement joinctes ensemble au royaume de France, li royaume sera fort et ferme, et se il avient, que elles soient ostées et desseurées, le royaume cherra en désolaction et en destruiement   神より来(きた)るこれら三つの恩寵(恩寵による徳)がフランス王国にしっかりと正しく結びつく限り、王国は強く、揺るぐことが無い。[しかしながら]もしもフランスがこれらの恩寵(徳)を嫌がり手放すならば、王国は荒廃と破滅のうちに倒れることになる。


 フルール・ド・リスは、もともとフランス国王の紋章に多数散りばめられていましたが、シャルル5世は国王の紋章のフルール・ド・リスを三つに減らしました。この三つのフルール・ド・リスは三位一体に結び付けられ、神がフランス王室を庇護し給う象徴であると考えられるようになりました。

 下に引用するのはパリ西郊リメ(Limay イール=ド=フランス地域圏イヴリーヌ県)にセレスティン会修道院を創設するにあたり、1375年にシャルル5世の名前で出された勅許の一部です。この勅令は、国王の紋章に描かれる三つのフルール・ド・リスが三位一体を表すとし、三つの位格の特性、すなわち父なる神の義、子なる神の智慧(註2)、聖霊の愛(註3)を、フランス王が有する三つの徳、すなわち「武の力」「文の智慧」「慈悲」にそれぞれ対応させています。和訳は筆者(広川)によります。


    trois pour exprimer la Trinité, afin que, à la façon où le Père, le Verbe et l’Esprit des trois fleurs préfigurent mystérieusement un signe unique ; et à la manière où le soleil de la divinité illumine du haut de l’empyrée le monde entier, ainsi les trois fleurs d’or, placées sur un champ céleste ou d’azur resplendissent plus glorieusement sur toute la terre et éblouissent d’une clarté vive,  [国王の紋章に描かれるフルール・ド・リスの数が]三つであるのは、三位一体を表すためである。三つの花で表される父と御言葉と聖霊が、神秘的な仕方で無二の印(訳注 フランス王の紋章)の予兆となり給う如くに、また神が太陽のごとくに至高天の高みから全世界を照らし給う如くに、天の只中あるいは青の只中に配されたる金色の三つの花は、全地の上にこの上なき栄光を以て輝き、活ける光をまばゆく放つ。
    et afin que le sens du signe s’adapte correctement aux personnes de la Trinité, la puissance des armes, la science des lettres et la clémence des princes correspondent très parfaitement au groupe des trois lis par lesquels le royaume de France a brillé aujourd’hui et conserve en cela les marques de la Trinité.   この印(訳注 フランス王の紋章)が表す意味は、三位一体の三つの位格にまさしく当てはまる。すなわち諸王の武の力、文の智慧、慈悲は、一つの紋に集まる三つの百合に完全に呼応するのである。フランス王国はこの三つの百合によって今日際立つのであるが、三つの百合には三位一体の刻印が保持されているのである。
    Telle est l’excellence et le prestige du roi envers lequel l’indivisible Trinité manifeste une si grande volonté qu’elle a accepté de lui consacrer sa propre image et de ce fait, le royaume n’est soumis à l’autorité d’aucun prince sur terre et semble s’être placé sous sa protection propre et privilégiée.   不可分の三位一体は、かくも大いなる御心をフランス王に向けて表し給うのであるが、王の資質と名声はかくも優れたるゆえに、三位一体なる神は自らの似像を王の紋に与うるを良しとし給うた(註4)。このことゆえに、フランス王国は地上のいかなる君主の権威にも服さず、神ご自身による特別な庇護の下(もと)に置かれていると思われるのである。


・聖母マリア、聖母による庇護

 白百合は「純粋さ」「罪の無さ」「純潔」「処女性」を象徴するゆえに、永遠の処女である聖母マリアを象徴します。それゆえマリアの図像はしばしば百合を伴いますが、盛期中世に制作された聖母マリアの図像には、百合の花の代わりにフルール・ド・リスを使用した例が多くみられます。

 下の写真はシャルル4世の妃ジャンヌ・デヴルー (Jeanne d'Évreux, 1310 - 1371) がサン・ドニ修道院に寄進したヴェルメイユの聖母子像「ジャンヌ・デヴルーの聖母子」(高さ68センチメートル)で、現在はルーヴル美術館に収蔵されています。この像において聖母はエマイユを施したフルール・ド・リスの笏を手にしています。フルール・ド・リスの頂部に三つの小球を伴う意匠は、ルイ6世の印璽(既出)に共通します。雄蕊を伸ばしている点では、フィレンツェのフルール・ド・リスに類似しています。





 都市や組合の紋章にあしらわれたフルール・ド・リスは、それゆえ、聖母による庇護を表します。下の写真はパリ大学の紋章を浮き彫りにしたメダイユで、中央上段で幼子を膝に乗せた「セーデース・サピエンティアエ」(智慧の座の聖母)は、フルール・ド・リスの笏を手にしています。このメダイユには他にも四つのフルール・ド・リスが刻まれています。






註1 百合の六枚の花弁のうち、前の三枚が内花冠すなわち真正の花弁で、後ろの三枚は外花冠すなわち萼(がく)である。内花冠(花弁)と外花冠(萼)を合わせて花被という。しかしながら本稿は植物学の論文ではないので、フルール・ド・リスに見られる三枚の花弁状部分を、単に「花弁」と呼ぶこととする。

註2 「ヨハネによる福音書」一章において、キリストはロゴス(λόγος ギリシア語で「言葉」「理法」の意)と表現されている。また「箴言」八章から九章のキリスト教的解釈に従えば、キリストは同所において智慧そのものとされている。

註3 聖霊なる神が愛に結び付けられるのは「ローマ人への手紙」五章五節による。アウグスティヌスは「デー・トリニターテ」において、聖霊は父と子の間に生まれる愛であると論じている。

 ちなみにこの勅許からは、三位一体の三つの位格とフルール・ド・リスの三枚の花弁をどのように対応させて考えていたのか不明だが、真ん中の花弁に子なる神(キリスト)を、両側の花弁に父なる神と聖霊なる神を当てはめるのが妥当であろう。なぜなら「義」は罪びとを赦さずあくまでも責任を追及するのに対し、「愛」は罪びとを赦すからである。義と愛は本来先鋭に対立するが、義なる神が世を愛してキリストを世に遣わされたことにより、キリストが十字架上に受難するという最も考え難い方法で救世が成し遂げられた(「ヨハネによる福音書」三章十七節)。それゆえ子なる神キリストは義と愛の仲介者と位置付けることができる。

註4 直訳「三位一体は自らのイマージュ(イマゴー、似姿、似像)を王に分かち与えることを許容した。」 フランス王国の歴代諸王の武の力、文の智慧、慈悲は、三位一体の三つの位格が端的に表す三つの特性(義・智・愛)と合致するゆえに、三位一体の神は、自らの似姿(すなわちフルール・ド・リス)を、王の紋章として下賜した、との意。



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