フランスの各地域に固有のジュエリー
bijoux régionaux et nationaux français
(上) クロワ・ジャネット 二色のドゥブレ・ドールによる作例 38.8 x 26.9 mm 当店の商品です。
フランスの各地域に固有のジュエリーは、単数形で「ビジュ・レジオナル」(仏 bijou régional)、複数形で「ビジュ・レジオノ」(bijoux
régionaux)といいます。「ビジュ・レジオノ」は十九世紀の前半に発展したものです。
【「ビジュ・レジオノ」の歴史】
紀元前 1300年頃のガリアでは、エジプトをはじめ他の文明圏に劣らない金銀細工が既に行われていました。古代ガリアの金銀製品が現代まで伝わっていないのは、ローマによって略奪されたからです。ガロ=ロマン期以降、中世、近世に至るまで、フランスに住む一般の人々が、ジュエリーをはじめとする金製品を所有することはありませんでした。フランス革命後しばらく続いた混乱期には、金製品の所有は死に値する罪とされました。
(上) ルイ・オスカル・ロティ作 「鉄路は結ぶ」 パリ・リヨン・地中海鉄道のプラケット 59.2 x 44.8 mm 1901年 当店の販売済み商品。
フランスでは 1814年に王政が復古し、社会が安定しました。またこの頃以降、イギリスから産業革命が伝わりました。このような状況を背景に、経済発展の恩恵を享受したパリ、ノルマンディー、アルザス、プロヴァンスでは、それぞれの地域に固有の意匠に基づくジュエリーが発展しました。
地域によって経済格差があるにしても、それがジュエリーの普及率という量的格差に結びついただけでなく、地方ごとに異なる意匠のジュエリーが発展した理由は、フランス国内の各地方を効率的に結ぶ交通手段が未だ発展していなかったことが挙げられます。十九世紀前半におけるフランスの各地方は、明治維新以前の我が国と同様に、文化的には異なる国々のような状態でした。男女の衣装も、食べ物も、言葉も大きく違っていたのです。このように地方色豊かな文化のひとつとして発展したのが、「ビジュ・レジオノ」(bijoux
régionaux 地域固有のジュエリー)です。
しかしながら 1840年代以降、鉄道網が全国的に整備されるようになると、よそから来た人々に好奇の目で見られることを嫌う人々は、民族衣装を日常的に着用することを止めてしまい、地域固有のジュエリーも廃れてゆきます。一方、先進地域に遅れ、鉄道網による文化的均質化が進行して以降にようやく豊かになった地方では、「ビジュ・レジオノ」が発展する時間的余裕がありませんでした。このような地域では、「ビジュ・レジオノ」の代わりに、パリで作られたクロワ・ジャネットが普及しました。
【現代にも愛用される「ビジュ・レジオノ」】
(上) 1920年代のノルマンディーで新しく制作された「サン・テスプリ」 43 x 33 mm 当店の商品です。
「ビジュ・レジオノ」の一部は、民族衣装が着用されなくなった後も愛用され続けました。ブーローニュ=シュル=メールの女性は、伝統的なイアリングは着用しなくなりましたが、指輪は日常的に使い続けています。ブレス(Bresse スイスとの国境よりも少し西の地方)やリモージュ(Limoges リムザン地域圏オート=ヴィエンヌ県)では伝統的なエマイユ(七宝)細工が、オーリヤック(Aurillac オーヴェルニュ地域圏カンタル県)ではサン・テスプリ(下向きの鳩を模ったペンダント)が、いまも使い続けられています。
またクロワ・カマルゲーズ(croix
camarguaises カマルグ十字)は 1924年に考案されたもので、年代的には新しいですが、やはり「ビジュ・レジオノ」のひとつといえます。
伝統的要素を採り入れつつ、現代の女性にとって使い易いサイズと意匠にしたビジュ・レジオノが、新たに制作される場合もあります。上の写真に写っているサン・テスプリは、そのような作例のひとつです。
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