クロワ・ジャネット、クロワ・ド・ジャネット、クロワ・ア・ラ・ジャネット (ジャネット十字、聖ヨハネ十字)
croix Jeannette, croix de Jeannette, croix à la jeannette
(上) 小さなサイズのクロワ・ジャネット エマイユ・シャンルヴェによる十字架とフルール・ド・リス マリアの青を取り入れた美麗な作例 34.8 x 23.7 mm 当店の商品です。
クロワ・ジャネット(仏 croix Jeannette ジャネット十字)は十八世紀から十九世紀のフランスで流行したビジュ(ジュエリー)で、もともと「聖ヨハネの十字架」という意味です。すなわちジャネットはジャン(仏
Jean ヨハネス、ヨハネ)の女性形ですが、新しく奉公を始める若い女性が聖ヨハネの日に贈られ、あるいは初給与で購入する習慣であったことから、聖人の名を冠して呼ばれるようになりました(註1)。それゆえクロワ・ジャネットは、社会人への仲間入りを象徴するジュエリーでもあります。
昔のフランスの女性たちは、思春期の頃に購入したクロワ・ジャネットを、その後も長く身に着けました。それゆえクロワ・ジャネットは少女だけのものではなく、年齢を問わずに使うことができます。またキリスト教文化に基づきながらも、信心具ではなく装身具的性格が強いクロワ・ド・クゥ(仏 croix de cou 十字架型ペンダント)ですので、どなたにでもお使いいただけます。
【「クロワ・ジャネット」の形状と着用法】
縦木と横木の長さの比、及び配置に関して言えば、クロワ・ジャネットは西ヨーロッパにおいて典型的なラテン十字の一種です。クロワ・ジャネットの上端はフルール・ド・リス(仏 fleur de lys 百合の花)を模(かたど)ります。フルール・ド・リスは三位一体の神による加護の象徴、聖母マリアによる加護の象徴であり、フランスの象徴でもあります。縦木の下端近く及び横木の両端近くは楕円形の円盤形に広がり、その外側に球状の膨らみが付き、さらにそこから細い棒が突出して終わります。
球状の膨らみから細い棒が突出する様子は、女性が使う糸巻き棒の先端を連想させます。また一つの十字架に三つの球が付いているのは、福音書の中でキリストが三たび流し給うた涙(註2)を表すともいわれています。
三つの珠をキリストの涙とする解釈は、球に隣接する楕円形部分にアカンサスが見られることと符合します。
アカンサス(葉薊 はあざみ)は美しい形の葉が様式化されて古代ギリシア以来装飾に使われてきました。アカンサスは近代以降の植物分類学ではハアザミのことですが、古典ギリシア語アカンタス(希
ἀκάνθας )は「棘」、あるいは総称的に「棘のある植物」のことであり、この語は原罪を犯したアダムに対する神の言葉(「創世記」三章十七節から十九節)にも出てきます。したがってキリスト教的文脈において、アカンサスは装飾文であると同時に、キリストを十字架に付けた罪を象徴します。クロワ・ジャネットを磔刑のキリスト像に重ね合わせると、アカンサス文があしらわれた場所は、救い主の両手の釘孔、重ねた両足の釘孔、額に付いた茨の傷に一致していることに気付きます。
クロワ・ジャネットは、多くの場合、心臓(ハート)形のクラン(仏 coulant de sautoir ネックレス用のスライド式金具)と組み合わせ、チェーンまたは黒のリボンを通して用いられました。
1930年頃にブルターニュで撮影された写真
【クロワ・ジャネットの歴史と素材】
クロワ・ジャネットはもともと地方の若い女性が買い、その後長く身に着けたジュエリーで、金あるいは銀で制作されました。アンシアン・レジーム末期、上流階級に田園趣味が流行したときには、貴婦人たちが金製のクロワ・ジャネットを競って身に着けました。1789年に始まる革命期には金製ジュエリーがすべて供出され融かされましたので、クロワ・ジャネットも姿を消しましたが、総裁政府期(1795 - 1799年)には復活しています。
十九世紀にはブロンズ等従来から知られた合金に加え、マユショル(仏 maillechort ジャーマン・シルバー、アルパカ・シルバー)をはじめとする優れた新合金が開発されました。1889年のパリ万博でドゥブレ・ドール(仏 doublé d'or ゴールド・フィルド)の技術が発表されると、さまざまな合金に金を被せたジュエリーが多く作られるようになりました。もともとは銀製あるいはヴェルメイユ製であったクロワ・ジャネットも、後にはベース・メタルの合金に金を張ったものが多く作られました。
(下) クロワ・ジャネット.を身に着けたブルターニュの女性。1892年の油彩画。
Louis-Marie Le Leuxhe, "Joséphine Noël (1853 - 1934)", huile sur toile, 1892, L'écomusée de l'île de Groix, Île de Groix, Bretagne
クロワ・ジャネットはパリ及びニオール(Niort アキテーヌ=リムザン=ポワトゥー=シャラント地域圏ドゥー=セーヴル県)で大規模に制作され、フランス全土に広まりました。下に示したのはポワチエの画家ジャン=ジャック=バティスト・ブリュネ
(Jean-Jacques-Baptiste Brunet, 1848 - 1917) による油彩画「ポワトゥーの婚礼」(部分)で、右手前の老女がクロワ・ジャネットを身に着けています。この作品はニオールのドンジョン民族誌博物館に収蔵されています。
(下) Jean-Jacques-Baptiste Brunet, "la noce poitevine" (details), huile sur toile, musée ethnographique du Donjon, Niort
【「クロワ・ジャネット」という名称の由来】
クロワ・ジャネットの「ジャネット」は、サン・ジャン(St. Jean フランス語で「聖ヨハネ」)に由来します。
クリスマスのおよそ半年前、夏至にあたる六月二十四日はイエス・キリスト降誕の半年前に当たるゆえに、聖ヨハネの日、すなわち洗礼者ヨハネ(サン・ジャン St.
Jean)の誕生日とされます(註3)。ヨーロッパでは中世以来の慣習により、聖ヨハネの日が契約や身分変更の区切りの日となっています。奉公人と使用人の雇用契約もこの日に結ばれました。
(下) 聖ヨハネの日(ミッド・サマー・デイ)の前夜には、ケルトの妖精たちが活躍しました。リチャード・ダッド作 「パックと妖精たち」 直径 210
mm W. M. ・ライザーズによる細密インタリオ エングレーヴィングを多用した幻想的な名品 1864/1872年 当店の商品です。
クロワ・ジャネットは、ブルターニュではクロワ・ド・フィラージュ(仏 croix de filage 糸紡ぎの十字架)とも呼ばれています。昔、糸紡ぎは女性の仕事の代表であり、十字架の先端近くにある球形の飾りが糸紡ぎ棒を模(かたど)り、あるいは連想させることから、この名称が由来すると思われます。
【付記 ― サヴォワにおけるクロワ・ジャネットの分布】
サヴォワ(Savoie)はフランス南東部にあって、スイスとイタリアに接します。今日の行政区分でいえばオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏のうちオート=サヴォワ県(Haute-Savoie)及びサヴォワ県(Savoie)に相当しますが、本稿に言うサヴォワはこれら二県を合わせた歴史的地方名としてのサヴォワです。
サヴォワ地方の谷は急峻な高山によって別の谷と隔てられているため、女性が身に着けるジュエリーは、町や村ごとに独自の意匠を発達させました。クロワ・ド・クゥに関しても、サヴォワの地域ごとに意匠が大きく異なります。小さな面積にかかわらず、変化に富んだビジュ(ジュエリー)を有するサヴォワは、ブルターニュやプロヴァンスと並んで、ビジュ・レジオノの研究者、愛好者、蒐集家たちが最も注目する地方です。フランスの高名な民俗学者アルノルド・ファン・ジュネップ(Arnold van Gennep,
1873 - 1957)によると、サヴォワ地方の伝統的ビジュには、十字架だけでも十四の変種が存在します。
クロワ・ジャネットはサヴォワ地方に起源を有するわけではありません。また既に見てきたように、フランスの女性たちはどの地方でもクロワ・ジャネットを着用しました。それゆえサヴォワ地方の女性が他の地方の女性よりもクロワ・ジャネットを愛好したわけでもありません。それにも関わらず、フランスの伝統的ビジュ(ジュエリー)について十分な知識を持たない人が、クロワ・ジャネットを「クロワ・サヴォワヤルド」(仏 une croix savoyarde サヴォワの十字架)と呼ぶ場合がしばしば見受けられます。これはおそらく、サヴォワのビジュ・レジオノが蒐集家の間でよく知られているゆえに、現代のものと違った見慣れない形状の十字架を、すべてサヴォワのビジュ・レジオノと誤解するためでしょう。
ここで筆者(広川)が言うのは、サヴォワの女性がクロワ・ジャネットを着用しなかったということではありません。サヴォワの女性は、サヴォワ独特の伝統的ビジュ(ジュエリー)に加えて、クロワ・ジャネットも愛用しました。しかしながらサヴォワ地方におけるクロワ・ジャネットの分布には偏りがあり、専らサヴォワ南部の二つの谷すなわちラ・モーリエンヌ(la
Maurienne)とラ・タランテーズ(la Tarantaise)で使用されます。フランス全土で愛用されたクロワ・ジャネットであっても、サヴォワ全域で同様に着用されたわけではないところに、村ごとに異なるビジュが発達した地域性が表れています。
註1 クロワ・ジャネットのジャネットを、少女を代表する名前と捉えて、クロワ・ド・ジャネット(仏 croix de Jeannette ジャネットの十字架)、クロワ・ア・ラ・ジャネット(仏
croix à la Jeannette/jeannette ジャネット風十字架)という呼び方も見られます。
註2 福音書の記録によると、イエス・キリストは、エルサレムに入城し給う前、ラザロを復活させ給う前、受難の前夜にゲツセマネの園で祈り給うた際の三度、涙を流しておられます。
註3 「ルカによる福音書」1章26節から38節には、次のように書かれています。
六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。
天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」
マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
引用箇所冒頭の「六か月目に」とは、エリサベトが後に洗礼者ヨハネとなる男の子を身ごもってから六か月目に、という意味です。すなわちイエス・キリストは洗礼者ヨハネよりも六か月あとに生まれたことになります。
ところでエリサベトの懐妊に関しても、マリアへの受胎告知に関しても、何月頃のことであったのか、季節がいつであったのか、福音書には記述がありません。イエス・キリストの生誕以前の出来事に関しては、「ヤコブ原福音書」(PROTOEVANGELIUM IACOBI) という新約外典がよく知られており、主に美術の分野で図像表現の典拠として重視されます。しかしながら受胎告知の時期、季節については、ヤコブ原福音書にも記述がありません。
このようなわけで洗礼者ヨハネもイエス・キリストも本当の誕生日は不明なのですが、教会暦では便宜上クリスマスをイエスの誕生日としています。したがって洗礼者ヨハネの誕生日はクリスマスから六か月遡った六月二十四日ということになります。
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