ドニ・フェルナン・ピィ作 《平和の元后 契約の櫃 契約の虹》 ロレトの連祷に基づく聖母のメダイユ 大胆な造形による大型の作例 直径 25.3 mm フランス 1930 - 40年代


突出部分を除く直径 25.3 mm   最大の厚さ 4.5 mm

重量 9.5 g



 ロレトの連祷における聖母の称号、レーギーナ・パーキス(羅 REGINA PACIS 平和の元后)とフォエデリス・アルカ(羅 FŒDERIS ARCA 契約の櫃)を主題に、フランスの彫刻家ドニ・フェルナン・ピィ(Denis Fernand Py, 1887 - 1949)が制作した円形メダイユ。材質は真鍮で、イエローゴールドのめっきを施しています。本品は大きめの作品で、五百円硬貨と同じぐらいの直径、最大 4.5ミリメートルの厚みがあります。重量は五百円硬貨よりも大きい 9.5グラムで、手に取ると心地よい重みを感じます。





 一方の面には戴冠した聖母とその前に立つ幼子イエスを立体的な浮き彫りで表現しています。手のひらを前向きに、両腕を斜め下に伸ばした聖母は、地上の罪びとたちを差し招いています。聖母が広げた大きなマントは、執り成しを求める人々の隠れ場所となっています。

 救世主イエスは聖母の前に立ち、二本のオリーヴを掲げています。通常の聖画像に描かれる幼子イエスは、聖母の膝に乗っています。しかしながらイエスが聖母の膝に乗った場合、高く掲げたオリーヴが聖母の顔と重なって、空間処理上の不都合が生じます。本品浮き彫りにおいて、ドニ・フェルナン・ピィはイエスを聖母の前に立たせることによってこの不都合を解消するとともに、聖母の両腕を斜め下に、二本のオリーヴを斜め上にそれぞれ向けることにより、バランスが取れた空間を実現しています。しかしながら二本のオリーヴを持つイエスが聖母の前に立つ意匠には、空間処理の都合よりも重要な意味が籠められています。





 すなわち第一に、二本のオリーヴを持つイエスの姿は、十字架に架かるキリストを想起させます。

 「創世記」八章の記述によると、神の怒りで惹き起された洪水の豪雨が収まった後、ノアは最初に烏(からす)、次に鳩を箱舟から放ちますが、大地が水に被われていて降りる地面が無かったので、いずれもすぐに箱舟に戻ってきました。その七日後、ノアが二度目に鳩を放つと、鳩は夕方になって箱舟に戻りました。鳩は嘴(くちばし)にはオリーヴの葉を咥(くわ)えていたので、水が引き、地面が顔を出し始めたことがわかったのでした。ノアは箱舟から出て全燔祭を行い、神に感謝を捧げました。神はノアを祝福し、後述するように虹を契約の印とし給いました。




(上) アンティーク小聖画 「神の子羊イエズス・キリスト」 詩篇40篇 7, 8節 105 x 70 mm 多色刷り石版に金彩 フランス 1905年 当店の商品です。


 キリストは自らを神の子羊として犠牲に捧げることにより、世の罪を除き給いました。それゆえキリストはレデンプトル(羅 REDEMPTOR 受け戻し人、買い戻し人)、贖(あがな)い主と呼ばれます。キリストの受難により、神と人の間には平和が戻りました。ノアが神に捧げ、神の心を宥めた全燔祭の生贄は、受難し給うキリストの前表です。

 鳩が箱舟に運んできたオリーヴは、神との平和、和解、神の祝福を表します。本品浮き彫りにおいて十字架のように見える二本のオリーヴの形は、神との平和がキリストの受難によってもたらされたことを象徴しています。




(上) ノートル=ダム・ド・ラ・ドレシュ 癒しの聖母のカニヴェ Notre-Dame de la Drèche - "Salut des infirmes, priez pour nous." Maison Basset, numéro inconnu, 108 x 67 mm フランス 1859年 当店の商品です。


 通常の聖画像において、幼子イエスは聖母の左膝に乗っています。しかるに本品浮き彫りにおいて幼子は聖母の正面に立ち、二人の姿は重なっています。これは神の子羊イエスが神への執り成し手であること、それと同時に聖母も神とキリストへの執り成し手であることを示します。さらにキリストが贖い主(羅 REDEMPTOR)であること、それと同時に聖母も共贖者(羅 CORREDEMPTRIX)であることを示しています。





 第二に、ドニ・フェルナン・ピィはキリストの胸にオリーヴの大枝を抱かせ、キリストとオリーヴを一体化させることによって、生命樹としてのキリストを表現しています。

 ソルボンヌ大学の中世フランス文学者であるアルベール・ポーフィレ教授(Albert Édouard Auguste Pauphilet, 1884 - 1948)は、「ゴーティエ・マップが作者に擬せられる聖杯探求物語研究」("Études sur la Queste del saint graal attribuée à Gautier Map", Paris, 1949)の付録として、パリのビブリオテーク・ナシオナル・ド・フランス(フランス国立図書館)に収蔵されている「フランス語写本 No. 1036」を収録しています。この写本の物語では、人祖アダムの子のひとりであるセトが、死期が迫った父アダムの求めにより、救いをもたらす聖油を貰うためにエデンの園を訪れ、ケルビムと対話します。ケルビムはセトに「生命の樹」と思われる大木を見せます。生命の樹はの傍らにあって、泉から流れ出る水は四本の大河となり世界を潤していましたが、セトが目にした生命の樹は枯れたようになっていました。

 ポーフィレ教授が引用している「フランス語写本 No. 1036」から、一部を引用いたします。テクストは十三世紀のフランス語で、日本語訳は筆者(広川)によります。

    Seth le fist tout einsi com li angles li commanda,   セトはすべてのことを、天使に命じられた通りにした。
    et vit dedenz paradis tantes joies et tantes clartez que langue d'ome mortel ne le porroit dire ne conter les deliz ne les joies qui estoient em paradis, et de fruiz et de diverses mannieres de chanz et de douces voiz qui estoient plainnes de granz mélodies.   楽園で目にする歓びと美はたいそう大きく、死すべき人間の言葉では、楽園に見出される美しさや歓び、果実、さまざまな種類の歌、優美な調べに満ちた甘き歌声について語ることはできないほどであった。
    Car il i ot une fontainne dont iiii flunz sordoient, dont li nous sont tel. Li premiers est apelez Lyon ; li segonz Sison, li tierz a nom Tygris, li quarz Heufrates.   ここにひとつの泉があり、次に挙げる四つの川がそこから発していた。第一の川はリヨン、第二はシゾン、第三はティグリスという名で、第四はエウフラテスである。
    Cist iiii fluns donnent eve a tout le monde. Sor ceste fontainne avoit i grant arbre... [lac.]... tant qu'il li sovint des pas de son père et de sa mère que il avoit veus en la voie herbeuse.   これら四つの川は全世界に水を与えている。この泉の傍らに大いなる木を見て…[テクスト欠落]…セトは草の繁った道で見た父母(訳者註 アダムとエヴァ)の足跡を思い出した。
    Et il penssa bien [que] par cela raison que li pas estoient sans herbe, [par] celé raison meismes estoit li arbres sans fueille et sanz escorce.   父母の足跡に草が生えていなかったのと同じ理由で、木に葉と樹皮が無いのだと、セトは考えた。






 物語は更に続きます。この後のあらすじは次の通りです。


 セトが楽園を訪れたのは、死期が迫った父に与える救いの聖油を手に入れるためであったが、ケルビムは聖油の代わりに、「生命の木」の種を三粒、セトに与えた。セトはこの種を持ち帰り、間もなく亡くなった父の口に含ませて埋葬した。三粒の種からは三本の木が生えて、モーセとダヴィデのもとで数々の奇蹟を惹き起こす。ダヴィデ王の時代、三本の木は互いに癒着して、一本の大木になる。

 ソロモンはこの聖なる木をエルサレム神殿の梁にしようと考えて製材したが、いざ使おうとすると長すぎたり短すぎたりしてうまくいかない。邪悪なユダヤ人たちはこの梁を川に渡して橋にし、罪深い人々の足で踏まれるようにした。

 あるときシバの女王がソロモンの知恵の言葉を聴きにエルサレムを訪れたが、道中の橋で聖なる梁に気付いた女王は、橋を使わず裸足になって川を渡った。女王は跪いて梁を礼拝し、「この木は尊き血によってふたたび緑になるであろう」と言った。

 梁はイエスの受難のときまで同じ場所に横たわっていた。ユダヤ人たちはこの梁から十字架を作り、イエスを磔(はりつけ)にした。




(上) Piero della Francesca, "Adorazione della Croce" (dettaglio), 1452 - 66, affresco, la cappella maggiore della basilica di San Francesco, Arezzo


 上に示した写真はピエロ・デッラ・フランチェスカ(Piero della Francesca, 1412/17 - 1492)によるフレスコ画連作「聖十字架の物語」("Le Storie della Vera Croce", 1452 - 66)のうち、「十字架の礼拝」の部分です。この作品において、ソロモンの宮殿に向かうシバの女王は、途中で聖なる梁を見つけ、跪いて礼拝しています。

 ポーフィレ教授が引用する上記の説話において、シバの女王は「救い主の尊き血により、十字架の材木がふたたび緑になるであろう」と言っています。これは「愛と赦しによって、生命の木がふたたび緑になるであろう」ということです。




(上) Sir Lawrence Alma-Tadema, "Venantius Fortunatus Reading his Poems to Radagonda", 1862; Dordrechts Museum, Dordrecht


 ガロ・ロマン期のラテン詩人フォルトゥーナートゥス(Venance Fortunat, Sacctus Venantius Honorius Clementianus Fortunatus, c. 530 - 609)は、トゥールから聖ラドゴンドのサント=クロワ修道院まで、聖遺物「真の十字架」が盛大な行列によって届けられた際に、よく知られている作品「王の御旗は進み」("Vexilla Regis Prodeunt")を作りました。この詩は十字架称讃の祝日に現在も歌われていますが、現行の聖歌は詞に変更が加えられています。下に示したのは聖フォルトゥーナートゥスによるオリジナルの詩で、原文は六世紀の後期ラテン語です。日本語訳は筆者(広川)によります。

    Vexilla regis prodeunt,
fulget crucis mysterium,
quo carne carnis conditor
suspensus est patibulo.
  王の御旗は進み
十字架の奥義は輝く。
人を造り給える御方、人となり、
この奥義にて十字架に架かりたまえリ。
     
    Confixa clavis viscera
tendens manus, vestigia
redemptionis gratia
hic inmolata est hostia.
  主の臓腑は釘にて裂かれたり。
主の両手両脚は伸びたり。
救いのために、
かくの如く主は木に架かり、犠牲となりたまえり。
     
    Quo vulneratus insuper
mucrone diro lanceae,
ut nos lavaret crimine,
manavit unda et sanguine.
  主は木の上で傷を負いたまえり。
恐ろしき槍の刃先にて。
我らを罪より洗い浄めんとて、
水と血を流したまえり。
     
    Impleta sunt quae concinit
David fideli carmine,
dicendo nationibus:
regnavit a ligno deus.
  成就したるは、真(まこと)の歌にて
ダヴィデが歌う事ども。
ダヴィデが国々の民に語る事ども。
すなわち、神、木より統べたまえりと。
     
    Arbor decora et fulgida,
ornata regis purpura,
electa, digno stipite
tam sancta membra tangere!
  美しき木よ。輝ける木よ。
王の紫に飾られたる木よ。
その木は選ばれて杭となり、
聖なる御手、御足が触るるに値したるなり。
     
    Beata cuius brachiis
pretium pependit saeculi!
statera facta est corporis
praedam tulitque Tartari.
  幸いなる木よ。その腕木より
世の(罪の)代価が吊られし木よ。
その木は御体を挙ぐる支え(直訳:天秤)となりて
地獄にその取り分を渡さざりき。
     
    Fundis aroma cortice,
vincis sapore nectare,
iucunda fructu fertili
plaudis triumpho nobili.
  木よ。汝はその樹皮より芳香を放ち、
その甘美さは蜜にも勝るなり。
豊かに実りたるその果実は甘し。
汝は優れたる勝利を讃うるものなれば。
     
    Salve ara, salve victima
de passionis gloria,
qua vita mortem pertulit
et morte vitam reddidit.
  めでたし、祭壇よ。
めでたし、受難たる栄光の、奉献されたる犠牲よ。
この栄光にて、命は死を耐え忍び、
死によりて命を取り戻したり。


 この原詩において、フォルトゥーナートゥスは十字架を生命樹と同一視しています。





 第三に、ドニ・フェルナン・ピィは幼子にオリーヴを抱かせることにより、イエスが平和の君、すなわち、メシア(救い主、キリスト)に他ならないことを示しています。

 本品の浮き彫りは、レーギーナ・パーキス(羅 REGINA PACIS 平和の元后)の文字に囲まれています。レーギーナ・パーキスは聖母の称号のひとつであり、ロレトの連祷にも出てきます。聖母に与えられたこの称号は、そもそもイエス・キリストがレークス・パーキス(羅 REX PACIS 平和の王、平和の君)と呼ばれることによります。「イザヤ書」九章は「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」という言葉から始まり、五節と六節で次のように記します。

   5.     ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。
   6.    ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって、今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。





 上記引用箇所の第五節には「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた」とあります。みどりご(嬰児)が生まれたと言うのですから、この箇所が第一義的に述べているのは、肉体的誕生のことでしょう。しかしながら旧約聖書において、「生まれる」という表現は「王として即位する」ことを指す場合があります。例として「詩編」二編一節から九節を新共同訳によって示します。

   1.     なにゆえ、国々は騒ぎ立ち、人々はむなしく声をあげるのか。
   2.    なにゆえ、地上の王は構え、支配者は結束して、主に逆らい、主の油注がれた方に逆らうのか
   3.    「我らは、枷をはずし、縄を切って投げ捨てよう」と。
       
   4.     天を王座とする方は笑い、主は彼らを嘲り
   5.    憤って、恐怖に落とし、怒って、彼らに宣言される。
   6.    「聖なる山シオンで、わたしは自ら、王を即位させた。」
       
   7.     主の定められたところに従ってわたしは述べよう。主はわたしに告げられた。「お前はわたしの子、今日、わたしはお前を生んだ。
   8.    求めよ。わたしは国々をお前の嗣業とし、地の果てまで、お前の領土とする。
   9.    お前は鉄の杖で彼らを打ち、陶工が器を砕くように砕く。」


 「詩編」の引用箇所には「お前はわたしの子、今日、わたしはお前を生んだ」と記されていますが、これは嬰児の誕生ではなく、神が王を即位させ給うことを指しています。しかるに旧約聖書に登場する王たちに、「詩編」の諸属性を完備する聖王はひとりもいません。したがって「イザヤ書」九章五節に列挙された称号は、現実のユダヤ民族史には現れなかったメシア王(救い主、キリスト)を指していることがわかります。

 イエスがおよそ三十歳で受洗し給うた際、「詩編」二編七節後半にあるのと同様に、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(「マタイによる福音書」三章十七節 新共同訳)という言葉が天から響きました。平和の君をはじめ、「イザヤ書」九章五節に列挙された称号は、嬰児として生まれたメシア王イエスに当て嵌まります。本品メダイにおいて、ドニ・フェルナン・ピィは幼子にオリーヴを持たせることにより、イエスがレークス・パーキス(羅 REX PACIS 平和の君)すなわちメシアであることを表現しています。レーギーナ・パーキス(羅 REGINA PACIS 平和の元后)という聖母の称号自体、その子イエスがレークス・パーキス(平和の君、メシア)であることを前提としています。





 もう一方の面には、波間に揺蕩(たゆた)うノアの箱舟が浮き彫りにされています。地を覆う大量の水もようやく引きはじめ、ノアが放ったが陸地を探して飛び立っています。背景には一つの星に重ねて大きな虹が彫られています。浮き彫りを取り巻くように、ラテン語でフォエデリス・アルカ(羅 FŒDERIS ARCA 契約の櫃)と刻まれています。契約の櫃(ひつ)とはトーラー(律法)を収める箱のことですが、この語は聖母の称号のひとつであり、ロレトの連祷にも出てきます。

 契約の櫃の寸法と構造は、「出エジプト記」二十五章十節から二十二節に記述されています。二十五章十六節、及び四十章二十節によると、契約の櫃にはトーラーの石板が収納されていました。二十五章十八、十九節によると、櫃の上部すなわち贖いの座の両端には、一対のケルビムが取り付けられていました。同二十二節によると、神はケルビムの間、贖いの座の上からモーセに臨み、イスラエル民族に命じることをモーセに語り給いました。




(上) エドワード・ヘンリー・コーボウルド作 「姦淫を犯した女」 ヨハネ福音書に基づくアンティーク・エングレーヴィング 249 x 194 mm 1854年 当店の商品です。


 聖母が契約の櫃に譬えられる理由を述べると、その第一は、「イザヤ書」九章五節において「驚くべき指導者」と呼ばれるメシア(イエス・キリスト)が、トーラー(律法)そのものに譬えられ得るからです。イエスがトーラーであるならば、イエスを胎内に宿したマリアは契約の櫃であることになります。

 上の写真は 1854年に制作されたエングレーヴィングで、エドワード・ヘンリー・コーボウルド(Edward Henry Corbould, R.I., 1815 - 1905)の「姦淫を犯した女」に基づきます。写真は当店の商品ですが、大英博物館にも同じものが収蔵されています。この作品「姦淫を犯した女」において、エドワード・ヘンリー・コーボウルドは石盤を示すモーセを背景に描き、イエスの姿をこれと重ねています。「ヨハネによる福音書」八章二節から十一節、「姦淫を犯した女」のペリコペーにおいて、イエスはパリサイ人と律法学者によるトーラーの皮相的解釈を厳しく指弾し、女を赦し給いました。イエスをトーラーの石盤と重ねたコーボウルドの描写は、「驚くべき指導者」であるイエスのメシア性、イエスとトーラーの一体性を端的に図像化しています。





 聖母が契約の櫃に譬えられる第二の理由は、「ヘブライ人への手紙」九章四節に求めることができます。同所によると、契約の櫃にはマンナ(マナ)を入れた金の壺、芽を出したアロンの杖が収納されていました。マンナの壺が収納されていたという記述は、「出エジプト記」十六章三十三、三十四節に基づきます。マソラ本文「出エジプト記」に壺の材質は書かれていませんが、七十人訳では金の壺となっています。アロンの杖が芽吹いた出来事は「民数記」十七章十六節から二十六節に記録されています。「民数記」十七章二十五節によると、アロンの杖は契約の櫃に収納されたのではなく、櫃の前に置かれています。

 荒れ地をさまようイスラエル人たちが食べ物を求めたとき、神は天からマンナを降らせ給いました。このマンナは、メシアの前表に他なりません。救いを求める罪人たちのために、神はメシアを降誕させ給うたのです。したがってメシアを胎内に宿した点に関しても、マリアは契約の櫃に比することができます。

 アロンの杖の故事は、「民数記」十七章十六節から二十六節に記録されています。この時イスラエル十二部族及びレビ人を代表して十三本の杖が集められ、契約の櫃の前に置かれました。次の日にモーセが見ると、アロンの名を記したレビの杖だけが芽吹き、蕾を付け、花を咲かせ、アーモンドの実を結んでいました。これはアロンとその氏族であるレビ人だけが祭司職に就き得るとの神意が、奇瑞によって示されたのだと解せます。ここで思い出されるのは「ヤコブ原福音書」八章三節から九章三節にある記事です。すなわちマリアの結婚相手を決める際、イスラエル中の寡夫の杖が集められましたが、同書九章一節によるとヨセフの杖からが出てきて、ヨセフの頭に留まりました。杖から鳩が出ること自体が超自然的な奇瑞ですし、鳩がヨセフの頭に降(くだ)ったとの記述は、イエスがヨハネから洗礼を受け給うた際に、鳩の姿の聖霊が降った故事を思い起こさせます。正典福音書によるとマリアは聖霊によって身ごもったゆえに、また「ヤコブ原福音書」によるとヨセフが浄配たるべきことが杖の奇跡で示されたゆえに、アロンの杖もまたマリアと関連付けることができます。


 聖母が契約の櫃に譬えられる第三の理由は、イエスが智恵あるいはロゴスであり、聖母がその座であることに求められます。契約の櫃の上部には、地上における神の座として、一対のケルビムが取り付けられていました。しかるに幼子イエスを膝に乗せる上智の座の聖母は、まことのケルビムの座と呼ばれます。したがってこの意味においても、聖母は契約の櫃に比することができるのです。




(上)  Piero della Francesca, "Madonna della Misericordia", 1444 - 1464, olio e tempera su tavola, 273 x 330 cm, Il Museo Civico di Sansepolcro


 本品メダイユはこの面の主題としてフォエデリス・アルカ(契約の櫃)の文字を刻みつつ、図像としてはノアの箱舟を浮き彫りにしており、一見したところ、文字て提示された主題と図像(浮き彫り)の主題の間に齟齬があるように思えます。しかしながら、フォエデリス・アルカの第一義は「契約の櫃」ですが、ラテン語アルカ(箱)は「箱舟」をも意味します。それゆえフォエデリス・アルカ(契約の櫃)とノアの箱舟は「アルカ」という言葉が共通しています。本品メダイユのこの面では、聖母を契約の櫃に譬えるとともに、ノアの箱舟にも譬えているのです。

 「創世記」七章二、三節によると、神はノアに対して、すべての清い動物をすべて七つがいずつ、全ての清くない動物を一つがいずつ、空の鳥を七つがいずつ、箱舟に載せるように命じ給いました。清くないとされた動物たちも含めて、全ての動物を神の怒りの洪水から救う箱舟は、すべての罪びとをマントの下に匿うマドンナ・デッラ・ミゼリコルディア(伊 Madonna della Misericordia 慈悲の聖母)に比することができます。

 上の写真はピエロ・デッラ・フランチェスカによる「マドンナ・デッラ・ミゼリコルディア」で、聖母のマントには死刑執行人も匿われています。「マドンナ・デッラ・ミゼリコルディア」は、画家がボルゴ・サンセポルクロのミゼリコルディア信心会から 1444年頃に注文を受け、1464年までに制作した多翼祭壇画の中央パネルに描かれています。ボルゴ・サンセポルクロ(Borgo Sansepolcro 現サンセポルクロ Sansepolcro)はアペニン山中、トスカナ州アレッツォ県にある町で、ピエロ・デッラ・フランチェスカの出身地です。




(上) モニク・リウ画 「嵐に遭うとき、海の星を見てマリアに祈れ」 聖ベルナールによるおとめなる御母への讃美 宣教の祈りの小聖画 109 x 69 mm フランス 1930年代頃 当店の商品です。


 箱舟の向こうには一つの星が輝いています。一面の水の上に輝く星は、マリス・ステーッラ(羅 MARIS STELLA 海の星)なるマリアに他なりません。

 聖母の名マリアは、ヘブル語ではマリアムまたはミリアムといいます。ミラノのアンブロシウス(Ambrosius, 340 - 397)、ヒッポのアウグスティヌス(Augustinus Hipponensis, 354 - 430)、大グレゴリウス(Gregorius Magnus, 540 - 604)と並び、四大ラテン教父のひとりとされるストリドンのヒエロニムス((Hieronymus Stridonensis, c. 340 - 420)は、マリアム、ミリアムという名前をマル(ヘブル語で「星」の意)とヤム(ヘブル語で「海」の意)に分解し、「海の星」がこの名前の原意であると考えました。マリアム、ミリアムの原意は諸説あり、現在でも不明です。ヒエロニムスによる語源的解釈は実証的言語学による厳密な検証に耐えるものではありませんが、カトリックでは「海の星」が聖母マリアの呼称のひとつとして定着しています。

 クレルヴォーの聖ベルナール(Bernard de Clairvaux, 1090 - 1153)は、「デー・ラウディブス・ウィルギニス・マトリス」 ("DE LAUDIBUS VIRGINIS MATRIS. HOMILIAE QUATUOR" 「おとめ(処女)にして母なる御方への称讃について 四つの説教」)の「第二説教」十七節において、イエスを産んでも処女であり続けるマリアを「自身の明るさを減ずることなく光を放ち続ける星」にたとえ、マリアは「ヤコブから出る星」(「民数記」二十四章十七節)である、と述べています。さらに光は精神を照らして熱し、諸徳を保護するとともに悪徳を融かすゆえに、海の星という称号は聖母にこの上なくふさわしいとも述べています。





 星はメシアの象徴でもあります。「民数記」二十二章から二十四章には、預言者バラムがイスラエル民族を祝福した出来事が記録されています。預言者バラム(Balaam)は、イスラエル民族を呪うために、モアブ人の王バラクに招聘されたのですが、バラクに依頼された呪詛の言葉の代わりに、主なる神の示し給う内容を預言して、モアブ人の敵であるイスラエル民族を祝福しました。二十四章十七節から十九節を、新共同訳で引用します。

     わたしには彼が見える。しかし、今はいない。彼を仰いでいる。しかし、間近にではない。ひとつの星がヤコブから進み出る。ひとつの笏がイスラエルから立ち上がり、モアブのこめかみを打ち砕き、シェトのすべての子らの頭の頂を砕く。
     エドムはその継ぐべき地となり、敵対するセイルは継ぐべき地となり、イスラエルは力を示す。
     ヤコブから支配する者が出て、残ったものを町から絶やす。


 ここでバラムが「ひとつの星がヤコブから進み出る」と語るのは、直接的にはモアブとエドムを征服したダヴィデを指します。しかしながらこの預言は、ダヴィデの子孫からメシアが出ることをも語っていると考えられています。

 ミディアン人と思われる預言者バラムの場合もそうですが、星はイスラエル民族においてよりも、むしろ周辺の諸民族において、王を象徴しました。預言者イザヤは「イザヤ書」十三章及び十四章においてバビロニアに関する預言を語っていますが、同十四章十二節において、バビロンの王を「明けの明星、曙の子」と呼んでいます。イザヤはユダ王国の貴族階級出身と考えられており、イスラエル民族に属しますが、東方的な表現によって、バビロニアの王に関する預言を記録したのでしょう。「イザヤ書」十四章十二節から十四節を、新共同訳で引用します。

     ああ、お前は天から落ちた。明けの明星、曙の子よ。お前は地に投げ落とされた。もろもろの国を倒した者よ。
     かつて、お前は心に思った。「わたしは天に上り、王座を神の星よりも高く据え、神々の集う北の果ての山に座し、
     雲の頂に登って、いと高き者のようになろう」と。


 「マタイによる福音書」二章二節によると、イエスがベツレヘムでお生まれになったとき、明るく輝く星の出現を認めた東方のマギは、「ユダヤ人の王がお生まれになった」と考えました。星の出現に関する彼らの解釈は、このような東方の伝統に拠ります。





 箱舟からは一羽の鳩が飛び立っています。鳩は「創世記」八章六節から十二節に登場します。当該箇所を新共同訳により引用します。

   6.     四十日たって、ノアは自分が造った箱舟の窓を開き、
   7.    烏(からす)を放した。烏は飛び立ったが、地上の水が乾くのを待って、出たり入ったりした。
   8.     ノアは鳩を彼のもとから放して、地の面から水がひいたかどうかを確かめようとした。
   9.    しかし、鳩は止まる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰って来た。水がまだ全地の面を覆っていたからである。ノアは手を差し伸べて鳩を捕らえ、箱舟の自分のもとに戻した。
   10.     更に七日待って、彼は再び鳩を箱舟から放した。
   11.    鳩は夕方になってノアのもとに帰って来た。見よ、鳩はくちばしにオリーブの葉をくわえていた。ノアは水が地上からひいたことを知った。
   12.    彼は更に七日待って、鳩を放した。鳩はもはやノアのもとに帰って来なかった。


 オリーヴが希望の象徴、神との和解であることに関連して、この故事については既に述べましたが、オリーヴを咥えて箱舟に戻り、また乾いた土地を見付けて旅立ったも、オリーヴと同様に希望の象徴、神との和解の象徴です。受胎告知の際、マリアは「お言葉通り、この身に成りますように」と答えて救いを受け容れました。それゆえに、希望の象徴であり神との和解の象徴でもある鳩は、聖母マリアの隠喩でもあります。





 ノアの箱舟の背景には大きな虹がかかっており、フォエデリス・アルカの文字は虹に沿うように刻まれています。本品においてフォエデリス・アルカの語は、契約の虹をも含意しています。

 フランス語における歴史的音韻変化の特徴は、子音を口蓋化させることです。たとえばフィリア(羅 FILIA 娘)がフィーユ(仏 fille)、グラキア(羅 GLACIA 氷)がグラツィア(glatsja *)を経てグラース(仏 glace)、オクルス(羅 OCULUS 目)がオクルス(oclus *)を経てウユ(仏 œil)など。とりわけよく知られているのが、ク[k] 及び グ[g] が口蓋化して、それぞれシュ[∫]、ジュ[ʒ] となる現象です。七世紀から八世紀にかけて、ノルマノ・ピカルディ語及び南部フランス語を除く地域のフランス語は、ア[a] の直前にあるク[k]、グ[g] を、一語の例外も無くすべて口蓋化しました。その結果、ラテン語アルカ(羅 ARCA 箱)は、フランス語ではアルシュ(仏 arche 箱、櫃、箱舟)となっています。


 ところでラテン語にはアルカ(羅 ARCA 箱)とは別に、アルクス(羅 ARCUS, ŪS, m 弓、アーチ、虹)という単語があります。アルカ(箱)の語源は動詞アルケオー(羅 ARCEO 収納する、保護する)です。いっぽうアルクスの原意は「曲がった物」で、印欧基語まで遡れば、ギリシア語オーレネー(希 ὠλένη 肘)、英語エルボウ(英 elbow 肘)と同根であると考えられます。要するにアルカとアルクスは全く別系統の語です。

 しかしながら卑俗なラテン語においては、名詞の性の誤りや曲用の混乱など、言葉の乱れがしばしば起こります。アルカ(箱)は第一変化の女性名詞、アルクス(虹)は第四変化の男性名詞ですが、これら二語が混同されて後者は前者に同化され、箱と虹を表すフランス語は、いずれもアルシュ(仏 arche, f.)になりました。





 フランス語特有のこのような事情により、アルシュ・ダリャンス(仏 l'arche d'alliance 契約の櫃)というフランス語は、そのまま「契約の虹」という意味にもなります。「創世記」九章には、洪水が収まった後に箱舟から出てきたノアたちを、神が祝福し給うたと記されています。神はノアたちに祝福と警告を与えた後、次のように告げ給いました。「創世記」九章八節から十七節を、新共同訳によって引用いたします。

   8.     神はノアと彼の息子たちに言われた。
   9.    「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。
   10.    あなたたちと共にいるすべての生き物、またあなたたちと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣など、箱舟から出たすべてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる。
   11.    わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」
   12.     更に神は言われた。「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。
   13.    すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。
   14.    わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、
   15.    わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。
   16.    雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」


 フォエデリス・アルカ(羅 FŒDERIS ARCA)はラテン語で「契約の櫃」を指します。しかしながら本品はフランスのメダイユであるゆえに、フォエデリス・アルカのフランス語訳アルシュ・ダリャンス(仏 l'arche d'alliance)が有するいま一つの意味「契約の虹」も、フォエデリス・アルカに含意されています。

 箱舟があらゆる動物たちを匿い、神の怒りから守ったように、聖母はそのマントの下にあらゆる罪びとを匿い、神とキリストに執り成します。本品において虹に重なるように刻まれた「フォエデリス・アルカ」の文字には、聖母のマントに隠れて執り成しを願う人々を、神は滅ぼし給わないとの希望が込められています。本品に浮き彫りにされた虹は、聖母の執り成しの有効性を象徴的に表しています。





 本品は数あるメダイの中でも大型の作例で、五百円硬貨に近い直径を有します。上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。

 彫刻家ドニ・フェルナン・ピィによるこのメダイは、その斬新なデザインゆえに新しい年代の作品のように思えますが、実際は 1930年代または 1940年代に制作されたものです。1920年代のピィは、伝統的宗教美術に抵抗する美術家集団アルシュ(仏 l'Arche 虹)に加わっており、図像学上の伝統に縛られないその作風は、当初は教会関係者に認められませんでした。しかしながら 1930年代になると、ピィは聖俗いずれの分野においてもその才能を認められて、教会の仕事にも関わるようになりました。現在、ピィの作品はヴァティカン美術館にも収蔵されています。





 メダイユの製造方法には鋳造と打刻の二通りがあります。打刻はマトリス(仏 matrice 母型、マトリクス)さえ丁寧に制作すれば、産業的な点数のメダイユを容易に製造できます。しかるに鋳造はマトリスの制作のみならず、鋳型から取り出した半完成品の仕上げにも多大な手間がかかります。本品は打刻ではなく鋳造によって制作された美術工芸品であり、信心具のメダイユとは水準の異なる芸術品です。

 本品の保存状態はきわめて良好で、細部に至るまで鋳造当時のままの状態をとどめています。写真で見ると突出部分の金めっきの剥落が分かりますが、下地の真鍮の色が金に近いせいもあって、めっきの剥落箇所を肉眼で判別することはできません。長い目で見れば金めっきは徐々に剥落しますが、露出する真鍮は温かみのある金色であり、却って美しい古色となります。特筆すべき問題は何もありません。下記は本体価格です。





32,800円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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