聖書におけるカラス
le corbeau dans la Bible




(上) "Raven" from Audubon's"The Birds of America" vol. IV, plate 224, 1841/42, New York and Philadelphia, 1840 - 44


 聖書にカラスが登場する有名な箇所として、「創世記」8章における大洪水後の記述と、「ルカによる福音書」12章に記録されたイエスの教えを挙げることができます。これらの箇所において、カラスは鋭い洞察力、完全な信仰、すべての生き物に及ぶ神の愛を象徴しています。


【「鋭い洞察力」を象徴するカラス】

 「創世記」6章から8章の記述によると、神は堕落した人間を地上から一掃するために洪水を起こすことを決心しましたが、義人ノアには巨大な箱舟を作らせて、ノアとその家族、七つがいずつの清い動物、一つがいずつの清くない動物、七つがいずつの鳥をこれに乗せ給いました。豪雨が四十日間降り続いて地上は深い水に被われ、百五十日のあいだ洪水が続きました。その後ようやく水が減り始め、箱舟は高峰アララト山に止まります。さらに数十日が経った後、ノアは最初にカラスを放ち、次に七日おきに三回にわたってを、箱舟から放しました。二度目に放たれた鳩はオリーヴの若枝を咥えて戻り、三度目に放たれた鳩は箱舟に戻りませんでした。さらに数週間あるいは数か月が経ったとき、神はノアと動物たちに箱舟から出るように命じ、ノアは祭壇を築いて感謝の生贄を捧げました。


 13世紀半ばのモザイク画


 「創世記」8章6節から12節を新共同訳により引用します。

     神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた。また、深淵の源と天の窓が閉じられたので、天からの雨は降りやみ、水は地上からひいて行った。百五十日の後には水が減って、第七の月の十七日に箱舟はアララト山の上に止まった。水はますます減って第十の月になり、第十の月の一日には山々の頂が現れた。四十日たって、ノアは自分が造った箱舟の窓を開き、烏を放した。烏は飛び立ったが、地上の水が乾くのを待って、出たり入ったりした。ノアは鳩を彼のもとから放して、地の面から水がひいたかどうかを確かめようとした。しかし、鳩は止まる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰って来た。水がまだ全地の面を覆っていたからである。ノアは手を差し伸べて鳩を捕らえ、箱舟の自分のもとに戻した。更に七日待って、彼は再び鳩を箱舟から放した。鳩は夕方になってノアのもとに帰って来た。見よ、鳩はくちばしにオリーヴの葉をくわえていた。ノアは水が地上からひいたことを知った。彼は更に七日待って、鳩を放した。鳩はもはやノアのもとに帰って来なかった。


 この箇所において、ノアは最初にハトではなくカラスを放っていますが、これはカラスが優れた視力を持つためです。実際、カラスは視力においても知能においても他のほとんどの鳥よりも優れており、鋭い洞察力を象徴する鳥となっています(註1)。



【「完全な信仰」及び「すべての生き物に及ぶ神の愛」を象徴するカラス】

 「ルカによる福音書」 12章 24 - 30節において、イエスは弟子たちに神の摂理を信頼せよと説いておられます。ネストレ=アーラント26版に基づくギリシア語原文、及び新共同訳により、この箇所のテキストを示します。


  24 κατανοήσατε τοὺς κόρακας ὅτι οὐ σπείρουσιν οὐδὲ θερίζουσιν, οἷς οὐκ ἔστιν ταμεῖον οὐδὲ ἀποθήκη, καὶ ὁ θεὸς τρέφει αὐτούς: πόσῳ μᾶλλον ὑμεῖς διαφέρετε τῶν πετεινῶν. ..  烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりもどれほど価値があることか。
  25 τίς δὲ ἐξ ὑμῶν μεριμνῶν δύναται ἐπὶ τὴν ἡλικίαν αὐτοῦ προσθεῖναι πῆχυν;   あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。
  26 εἰ οὖν οὐδὲ ἐλάχιστον δύνασθε, τί περὶ τῶν λοιπῶν μεριμνᾶτε;   こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ、ほかの事まで思い悩むのか。
  27 κατανοήσατε τὰ κρίνα πῶς αὐξάνει: οὐ κοπιᾷ οὐδὲ νήθει: λέγω δὲ ὑμῖν, οὐδὲ Σολομὼν ἐν πάσῃ τῇ δόξῃ αὐτοῦ περιεβάλετο ὡς ἓν τούτων.   野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
  28 εἰ δὲ ἐν ἀγρῷ τὸν χόρτον ὄντα σήμερον καὶ αὔριον εἰς κλίβανον βαλλόμενον ὁ θεὸς οὕτως ἀμφιέζει, πόσῳ μᾶλλον ὑμᾶς, ὀλιγόπιστοι.   今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。信仰の薄い者たちよ。
  29 καὶ ὑμεῖς μὴ ζητεῖτε τί φάγητε καὶ τί πίητε, καὶ μὴ μετεωρίζεσθε:   あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。
  30 ταῦτα γὰρ πάντα τὰ ἔθνη τοῦ κόσμου ἐπιζητοῦσιν: ὑμῶν δὲ ὁ πατὴρ οἶδεν ὅτι χρῄζετε τούτων.   それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。



(下) フランスの小聖画 「神は空の鳥を養い、野の花を装わせ給う」 12 x 7 cm 石版画にエンボス ロワール、プラディーヌ修道院 1940年代中頃 当店の商品




 上に引用した冒頭部分は「烏(カラス)のことを考えてみなさい」(κατανοήσατε τοὺς κόρακας) となっています。ルカ伝のこの個所と並行する「マタイによる福音書」 6章 26節は、「空の鳥(とり)をよく見なさい」となっています。新約聖書のギリシア語原文、及びカトリック信徒にとってなじみ深いラテン語訳で、これら二か所がどう書かれているかを確認するために、ネストレ=アーラント26版とノヴァ・ヴルガタの該当箇所を下に示します。

    「マタイによる福音書」 6章 26節 「空の鳥(とり)をよく見なさい」
      Nestle-Aland, 26. Auflage   NOVA VULGATA
       ἐμβλέψατε εἰς τὰ πετεινὰ τοῦ οὐρανοῦ    Respicite volatilia caeli
     ...   ..   
    「ルカによる福音書」 12章 24節 「烏(カラス)のことを考えてみなさい」
      Nestle-Aland, 26. Auflage   NOVA VULGATA
       κατανοήσατε τοὺς κόρακας    Considerate corvos



 マタイ伝原文のペテイナ(πετεινά) は、形容詞ペテイノス(πετεινός 有翼の)の中性複数対格で、ここでは「翼があるものども(を)」「鳥たち(を)」という名詞として使われています。ルカ伝原文のコラカース(κόρακας) はカラスを表す名詞コラクス(κόραξ) の複数対格で、「カラスたち(を)」の意味です。ノヴァ・ヴルガタの場合も同様で、マタイ伝のウォラーティリア(volatilia) は「空を飛ぶものども(を)」、コルウォース(corvos) は「カラスたち(を)」の意味です。

 トーラー(律法、モーセ五書)において、カラスは他の数種の鳥及びコウモリとともに、食べてはならない生き物とされています(「レビ記」11章、「申命記」14章)。ルカ伝では鳥の中でも特に不浄とされたカラスを例に引くことで、神の愛がすべての生き物に及ぶことを示すとともに、神の摂理に対する完全な信頼、信仰をいっそう強調した教えとなっています。



註1 このような特性ゆえに、カラスは希望を擬人化した図像のアトリビュートになり、さらにはカラス自体が希望の象徴と看做されるようになった。

 ヌルシアの聖ベネディクトゥスは死にゆく者の守護聖人ですが、聖ベネディクトゥスの様式化された図像には、毒入りパンを聖人の許(もと)から運び去ったカラスが描かれる。この伝説とカラスの図像はこの鳥が有する洞察力を表すとともに、死にゆく者にとっての希望、あるいはプシュコポンポス(希 ψυχοπομπός 魂の導き手)としての役割を表すと考えらる。

 なおカラスはエジプトの隠修士聖パウルス(St. Paul + c. 341)、及び聖パウルスと親交のあった聖アントニウス(St. Antonius, c.  251 - 356)の許に、日々パンを運んできたと伝えられる。



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