星のシンボリズム
la symbolique des étoiles




(上) "L'Astromonie et astronomes arabes", 1510 - 1515, gobelin flamand, 240 x 330 cm, le musée Röhss, Göteborg, la Suède


 旧約聖書及び新約聖書において、「星」(恒星)はさまざまな象徴的意味を担います。この論考では、「星」の象徴性を意味ごとに分けて考察します。

・天使を象徴する「星」

 旧約聖書において、星は神の被造物であり、それぞれが固有の名前を持つと考えられていました。「イザヤ書」 40章 25, 26節を、新共同訳で引用します。

     お前たちはわたしを誰に似せ、誰に比べようとするのか、と聖なる神は言われる。
     目を高く上げ、誰が天の万象を創造したかを見よ。それらを数えて、引き出された方、それぞれの名を呼ばれる方の、力の強さ、激しい勢いから逃れうるものはない。

 現代人は星を単なるガスの塊と考えていますが、聖書において星は神の意思に完全に従う特別な被造物であると考えられていました。エチオピア正教会が使う「第一エノク書」 72章 3節によると、ひとつひとつの星には天使が随(つ)いて、その運行を見守っています。


 新約聖書において「星」が天使を象徴する用例は、「ヨハネの黙示録」 1章 20節に見出すことができます。「ヨハネの黙示録」 1章 9節から 20節を、新共同訳で引用します。

     わたしは、あなたがたの兄弟であり、共にイエスと結ばれて、その苦難、支配、忍耐にあずかっているヨハネである。わたしは、神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島にいた。
     ある主の日のこと、わたしは“霊”に満たされていたが、後ろの方でラッパのように響く大声を聞いた。
     その声はこう言った。「あなたの見ていることを巻物に書いて、エフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアの七つの教会に送れ。」
     わたしは、語りかける声の主を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見え、
     燭台の中央には、人の子のような方がおり、足まで届く衣を着て、胸には金の帯を締めておられた。
     その頭、その髪の毛は、白い羊毛に似て、雪のように白く、目はまるで燃え盛る炎、
     足は炉で精錬されたしんちゅうのように輝き、声は大水のとどろきのようであった。
     右の手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出て、顔は強く照り輝く太陽のようであった。
     わたしは、その方を見ると、その足もとに倒れて、死んだようになった。すると、その方は右手をわたしの上に置いて言われた。「恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、
     また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている。
     さあ、見たことを、今あることを、今後起ころうとしていることを書き留めよ。
     あなたは、わたしの右の手に七つの星と、七つの金の燭台とを見たが、それらの秘められた意味はこうだ。七つの星は七つの教会の天使たち、七つの燭台は七つの教会である。

 聖書においてはそれぞれの国に守護天使がいると考えられていて、「ダニエル書」 10章 13節、20節には、「ペルシアの天使長」「ギリシアの天使長」に関する記述があります(註1)。「ヨハネの黙示録」 1章 20節は、「七つの星は七つの教会の天使たち」である、と書いていますが、この「七つの教会の天使たち」とは、ちょうど国々を守護する「ダニエル書」の天使たちのように、11節の七つの教会を守護する天使たちのことです。


・堕天使を象徴する「星」

 旧約の預言書、及びそれを承けた新約聖書の記述において、星が堕天使たちを表す用例がしばしば見られます。「イザヤ書」 24章 21節から 23節を、新共同訳で引用します。

     その日が来れば、主が罰せられる。高い天では、天の軍勢を。大地の上では、大地の王たちを。
     彼らは捕虜が集められるように、牢に集められ/獄に閉じ込められる。多くの日がたった後、彼らは罰せられる。
     月は辱められ、太陽は恥じる/万軍の主がシオンの山、エルサレムで王となり/長老たちの前に、主の栄光が現されるとき。

 ここでいう「天の軍勢」とは、星々のことです。「イザヤ書」 34章 4節を、新共同訳で引用します。

  天の全軍は衰え、天は巻物のように巻き上げられる。ぶどうの葉がしおれ、いちじくの葉がしおれるように、その全軍は力を失う。

 「イザヤ書」におけるこれらの預言は、新約聖書の記述にも強く反映しています。キリストが世の終わりに来臨する直前の予兆について、イエスが語った言葉が「マタイによる福音書」 24章 29節に記録されています。新共同訳により引用します。

  その苦難の日々の後、たちまち太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。

 「ヨハネの黙示録」 6章 13節から 17節を、新共同訳で引用します。

     また、見ていると、小羊が第六の封印を開いた。そのとき、大地震が起きて、太陽は毛の粗い布地のように暗くなり、月は全体が血のようになって、
     天の星は地上に落ちた。まるで、いちじくの青い実が、大風に揺さぶられて振り落とされるようだった。
     天は巻物が巻き取られるように消え去り、山も島も、みなその場所から移された。
     地上の王、高官、千人隊長、富める者、力ある者、また、奴隷も自由な身分の者もことごとく、洞穴や山の岩間に隠れ、
     山と岩に向かって、「わたしたちの上に覆いかぶさって、玉座に座っておられる方の顔と小羊の怒りから、わたしたちをかくまってくれ」と言った。

 新約聖書のこれらの箇所を、単なる天文現象の記述と解釈しても文意は通ります。しかしながら「イザヤ書」 24章 21節との照応に留意するならば、「マタイによる福音書」 24章 29節と「ヨハネの黙示録」 6章 14節の「星」は、むしろ神に敵対する天使たちを指していると解釈できます。


・復活して永遠の命を得た人々を象徴する「星」

 「ダニエル書」 12章 1節から 3節を、新共同訳で引用します。

     その時、大天使長ミカエルが立つ。彼はお前の民の子らを守護する。その時まで、苦難が続く。国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難が。しかし、その時には救われるであろう。お前の民、あの書に記された人々は。
     多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り、ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。
     目覚めた人々は大空の光のように輝き、多くの者の救いとなった人々は、とこしえに星と輝く。

 ここで「星」は、世の終わりに復活して永遠の命を得た義人たちを象徴しています。


・王あるいはメシアを象徴する「星」

 「民数記」 22章から 24章には、預言者バラムがイスラエル民族を祝福した出来事が記録されています。預言者バラム (Balaam) は、イスラエル民族を呪うために、モアブ人の王バラクに招聘されたのですが、バラクに依頼された呪詛の言葉の代わりに、主なる神の示し給う内容を預言して、モアブ人の敵であるイスラエル民族を祝福しました。24章 17節から 19節を、新共同訳で引用します。

     わたしには彼が見える。しかし、今はいない。彼を仰いでいる。しかし、間近にではない。ひとつの星がヤコブから進み出る。ひとつの笏がイスラエルから立ち上がり、モアブのこめかみを打ち砕き、シェトのすべての子らの頭の頂を砕く。
     エドムはその継ぐべき地となり、敵対するセイルは継ぐべき地となり、イスラエルは力を示す。
     ヤコブから支配する者が出て、残ったものを町から絶やす。

 ここでバラムが「ひとつの星がヤコブから進み出る」と語るのは、直接的にはモアブとエドムを征服したダヴィデ(註2)を指します。しかしながらこの預言は、ダヴィデの子孫からメシア(救世主)が出ることをも語っていると考えられています。

 紀元 132年、ユダエア属州においてローマ帝国に対する反乱が起こり、135年に鎮圧されました。このときユダヤ人を率いたシモンは「メシア」を自称し、「シモン・バル・コクバ」(Simon bar Kokhba) と名乗りました。「バル・コクバ」とは「星の子」という意味であり、「民数記」 24章 17節に基づいています。下の写真はシモン・バル・コクバが発行した貨幣で、星があしらわれています。





 なおミディアン人と思われる預言者バラムの場合もそうですが、「星」はイスラエル民族においてよりも、むしろ周辺の諸民族において、「王」を象徴しました。預言者イザヤは「イザヤ書」 13章及び 14章においてバビロニアに関する預言を語っていますが、「イザヤ書」 14章 12節において、バビロンの王を「明けの明星、曙の子」と呼んでいます(註3)。イザヤはユダ王国の貴族階級出身と考えられており、イスラエル民族に属しますが、東方的な表現によって、バビロニアの王に関する預言を記録したのでしょう。「イザヤ書」 14章 12節から 14節を、新共同訳で引用します。

     ああ、お前は天から落ちた。明けの明星、曙の子よ。お前は地に投げ落とされた。もろもろの国を倒した者よ。
     かつて、お前は心に思った。「わたしは天に上り、王座を神の星よりも高く据え、神々の集う北の果ての山に座し、
     雲の頂に登って、いと高き者のようになろう」と。

 イエスがベツレヘムでお生まれになったとき、明るく輝く星の出現を認めた東方のマギが、「ユダヤ人の王がお生まれになった」と考えた(「マタイによる福音書」 2章 2節)のも、このような東方の伝統に拠ります。この星の正体については諸説があります。ジョットはスクロヴェーニ礼拝堂のフレスコ画で、この星をハレー彗星に仮託して描いています。


・新生児の聖性を示す星

 グスマンの聖ドミニコ聖人伝によると、新生児ドミニコの額には星の印がありました。それゆえ伝統的図像表現において、聖ドミニコは星とともに描かれます。

 我が国の例としては、空海の母阿刀(あと)は子供がなかなか授からなかったため、明星に願をかけて十七日間祈りました。ところが満願の十七日めに雲が出て、明星が見えなくなりました。失意の阿刀に一人の僧が現れ、天を指さした後に姿を消します。僧が指した方に阿刀が目を向けると、そこには明星が輝いていました。阿刀はその日に懐妊し、やがて空海を生みました。

 阿刀は明星を指示した僧の姿を写した地蔵菩薩の像を彫り、守り本尊としました。この像は阿波にありましたが、寛門年間に玄恵律師によって京の万松山西雲寺に移され、星見地蔵、別名歯塚地蔵として現在も崇敬されています。



註1 「ダニエル書」 10章 11節から 21節を、新共同訳で引用します。

     彼はこう言った。「愛されている者ダニエルよ、わたしがお前に語ろうとする言葉をよく理解せよ、そして、立ち上がれ。わたしはこうしてお前のところに遣わされて来たのだ。」こう話しかけられて、わたしは震えながら立ち上がった。
     彼は言葉を継いだ。「ダニエルよ、恐れることはない。神の前に心を尽くして苦行し、神意を知ろうとし始めたその最初の日から、お前の言葉は聞き入れられており、お前の言葉のためにわたしは来た。
     ペルシア王国の天使長が二十一日間わたしに抵抗したが、大天使長のひとりミカエルが助けに来てくれたので、わたしはペルシアの王たちのところにいる必要がなくなった。
     それで、お前の民に将来起こるであろうことを知らせるために来たのだ。この幻はその時に関するものだ。」
     こう言われてわたしは顔を地に伏せ、言葉を失った。
     すると見よ、人の子のような姿の者がわたしの唇に触れたので、わたしは口を開き、前に立つその姿に話しかけた。「主よ、この幻のためにわたしは大層苦しみ、力を失いました。
     どうして主の僕であるわたしのような者が、主のようなお方と話すことなどできましょうか。力はうせ、息も止まらんばかりです。」
     人のようなその姿は、再びわたしに触れて力づけてくれた。
     彼は言った。「恐れることはない。愛されている者よ。平和を取り戻し、しっかりしなさい。」こう言われて、わたしは力を取り戻し、こう答えた。「主よ、お話しください。わたしは力が出てきました。」
     彼は言った。「なぜお前のところに来たか、分かったであろう。今、わたしはペルシアの天使長と闘うために帰る。わたしが去るとすぐギリシアの天使長が現れるであろう。
     しかし、真理の書に記されていることをお前に教えよう。お前たちの天使長ミカエルのほかに、これらに対してわたしを助ける者はないのだ。

註2 「サムエル記 下」 8章 11節から 15節を、新共同訳で引用します。

     ダビデ王はこれらの品々を、征服したすべての異邦の民から得た銀や金と共に主のために聖別した。
     それは、アラム、モアブ、アンモン人、ペリシテ人、アマレクから得たもの、ツォバの王、レホブの子ハダドエゼルからの戦利品などであった。
     ダビデはアラムを討って帰る途中、塩の谷でエドム人一万八千を討ち殺し、名声を得た。
     彼はエドムに守備隊を置くことにした。守備隊はエドム全土に置かれ、全エドムはダビデに隷属した。主はダビデに、行く先々で勝利を与えられた。
     ダビデは王として全イスラエルを支配し、その民すべてのために裁きと恵みの業を行った。

註3 「イザヤ書」のこの箇所を、ドイツ聖書協会のヴルガタ訳で引用いたします。

     quomodo cecidisti de caelo lucifer qui mane oriebaris corruisti in terram qui vulnerabas gentes
     qui dicebas in corde tuo in caelum conscendam super astra Dei exaltabo solium meum sedebo in monte testamenti in lateribus aquilonis
     ascendam super altitudinem nubium ero similis Altissimo

 「イザヤ書」 14章 12節の「ルーキフェル」(LUCIFER ルシフェル、ラテン語で「光り輝くもの」「暁の明星」「金星」の意)を、教父たちがサタンと解釈したことは、よく知られている通りです。



関連商品

 




天体に関するシンボリズム インデックスに戻る

シンボル インデックスに戻る

美術品と工芸品のレファレンス インデックスに戻る


美術品と工芸品 商品種別表示インデックスに移動する

美術品と工芸品 一覧表示インデックスに移動する



アンティークアナスタシア ウェブサイトのトップページに移動する




Ἀναστασία ἡ Οὐτοπία τῶν αἰλούρων ANASTASIA KOBENSIS, ANTIQUARUM RERUM LOCUS NON INVENIENDUS