AVE MARIS STELLA DEI MATER ALMA ATQUE SEMPER VIRGO FELIX CAELI PORTA |
めでたし、海の星よ。 神を産み育てし母にして 永遠の処女 天つ国の幸いなる門よ。 |
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SUMENS ILLUD AVE GABRIELIS ORE FUNDA NOS IN PACE MUTANS EVAE NOMEN |
かの言葉「アヴェ」を ガブリエルの口から与えられし御身よ、 エヴァという名をアヴェに変え、 平和のうちに我らを憩わせたまえ。(註1) |
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SOLVE VINCLA REIS PROFER LUMEN CAECIS MALA NOSTRA PELLE BONA CUNCTA POSCE. |
罪ある者どもの縛(いまし)めを解きたまえ。 めしいたる者に光をもたらしたまえ。 我らを罪より救いたまえ。 あらゆる善きものを見出したまえ。 |
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MONSTRA TE ESSE MATREM SUMAT PER TE PRECES QUI PRO NOBIS NATUS TULIT ESSE TUUS |
御身の母なるを示したまえ。 御身を通し、神が祈りを聞きたまわんことを。 我らがために生まれたまいし御方、 御身が子たるを容(い)れたまえばなり。 |
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VIRGO SINGULARIS INTER OMNES MITIS NOS CULPIS SOLUTOS MITES FAC ET CASTOS. |
おとめらのうちにて優しき たぐいなきおとめよ。 罪より解き放たれたる我らをも 優しき者ども、汚れ無き者どもと為したまえ。 |
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VITAM PRAESTA PURAM ITER PARA TUTUM UT VIDENTES IESUM SEMPER COLLAETEMUR |
清き生を授けたまえ。 安けき道をととのえたまえ。 イエズスにまみゆる我らの、 とわなる喜びのうちにあらんため。 |
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SIT LAUS DEO PATRI SUMMO CRISTO DECUS SPRITUI SANCTO HONOR TRIBUS UNUS. AMEN. |
父なる神に賛美あれ。 至聖なるキリストに栄えあれ。 聖霊に誉れあれ。 (神は)三つにてひとつなり。アーメン。(註2) |
In fine autem versus, Et nomen, inquit, Virginis Maria. Loquamur pauca et super hoc nomine, quod interpretatum maris stella dicitur, et matri Virgini valde convenienter aptatur. | さて最後に、[ルカは]「おとめの名はマリア[であった]」、と言っている。この名についても少し論じよう。[この名は]「海の星」の意味であるといわれるが、おとめにして母なる御方に、この名は大いにふさわしく適合しているのである。 | |||
Ipsa namque aptissime sideri comparatur; quia, sicut sine sui corruptione sidus suum emittit radium, sic absque sui laesione virgo parturit filium. Nec sideri radius suam minuit claritatem, nec Virgini Filius suam integritatem. | すなわちおとめにして母なる御方が星々に譬えられるのは、たいへんふさわしいことである。なぜならば星は光を放っても、自身が朽ちることはないが、それと同じように、おとめは自身[の処女性]を害すること無く御子を生むからである。また星が放つ光が星の明るさを減じることはないが、それと同じように、御子がおとめの完全[なる処女]性を減じることはないのである。 | |||
Ipsa est igitur nobilis illa stella ex Jacob orta, cujus radius universum orbem illuminat, cujus splendor et praefulget in supernis, et inferos penetrat: terras etiam perlustrans, et calefaciens magis mentes quam corpora, fovet virtutes, excoquit vitia. Ipsa, inquam, est praeclara et eximia stella, super hoc mare magnum et spatiosum necessario sublevata, micans meritis, illustrans exemplis. | おとめにして母なる御方は、それゆえ、ヤコブから出るかの高貴な星(註3)である。この星が発する光は全世界を照らし、その輝きは天においてきらめくだけでなく下界をも貫き、これに加えて、身体よりも精神をいっそう照らして熱し、諸徳を保護し、悪徳を融かす。私は言うが、おとめにして母なる御方は、非常に明るい特別な星であり、この大いなる海と大気の上方に昇って、数々の功徳に輝き、数々の模範によって照らすのである。 | |||
.O quisquis te intelligis in hujus saeculi profluvio magis inter procellas et tempestates fluctuare, quam per terram ambulare; ne avertas oculos a fulgore hujus sideris, si non vis obrui procellis. | この世の荒波の中で、自らが地を歩むより、むしろ嵐と風雨の間をたゆたっていることを理解している者は誰でも、嵐に押しつぶされたくなければ、この星の輝きから目を逸らせてはならぬ。 | |||
Si insurgant venti tentationum, si incurras scopulos tribulationum, respice stellam, voca Mariam. Si jactaris superbiae undis, si ambitionis, si detractionis, si aemulationis; respice stellam, voca Mariam. Si iracundia, aut avaritia, aut carnis illecebra naviculam concusserit mentis, respice ad Mariam. Si criminum immanitate turbatus, conscientiae foeditate confusus, judicii horrore perterritus, barathro incipias absorberi tristitiae, desperationis abysso; cogita Mariam. In periculis, in angustiis, in rebus dubiis, Mariam cogita, Mariam invoca. | 誘惑の暴風に立ち向かうときも、艱難の岩にぶつかるときも、かの星を見てマリアに呼ばわれ。高慢、野心、誹謗、嫉妬の波にさらわれそうになれば、かの星を見てマリアに呼ばわれ。怒り、貪欲、肉の誘惑が小舟のごとき精神を翻弄するとき、マリアに目を向けよ。罪の大きさに不安になり、醜い心に狼狽し、裁きの恐怖におののき、悲しみの深み、絶望の淵に引き込まれそうになるならば、マリアを思え。危険に遭うとき、苦しむとき、どうしてよいか分からないとき、マリアを思い、マリアに援けを求めよ。 | |||
Non recedat ab ore, non recedat a corde; et ut impetres ejus orationis suffragium, non deseras conversationis exemplum. | [汝の]口から[マリアが]姿を消さぬようにせよ。[汝の]心から[マリアが]姿を消さぬようにせよ。[汝のために捧げてくださる]マリアの[執り成しの]祈りを裏切ることがなきように、ふさわしい者たちと交われ(註4)。 | |||
Ipsam sequens non devias: ipsam rogans non desperas: ipsam cogitans non erras. Ipsa tenente non corruis; ipsa protegente non metuis; ipsa duce non fatigaris; ipsa propitia pervenis: et sic in temetipso experiris quam merito dictum sit, Et nomen Virginis Maria. | マリアに従うならば、道を誤ることはない。マリアに祈るならば、絶望することはない。マリアを思うならば、道に迷うことはない。マリアが支え給うならば、汝が滅びることはない。マリアが守り給うならば、汝が恐れることはない。マリアが導き手であれば、汝は疲れることがない。マリアは恵み深くあり給うゆえ、汝は[天の御国に]至る。いかなる意味で「おとめの名はマリア[であった]」と言われているのかを、汝はこのようにして、汝自身のうちに経験的に知るのである(註5)。 | |||
Sed jam modice pausandum est, ne et nos in transitu claritatem tanti luminis intueamur. Ut enim verbis apostolicis utar, Bonum est nos hic esse (Matth. XVII, 4): et libet dulciter contemplari in silentio, quod laboriosa non sufficit explicare locutio. Interim autem ex devota scintillantis sideris contemplatione, ferventior reparabitur in his quae secuuntur, disputatio. | しかし、これほどの光の明るさが去ってしまうのを我々が目にすることにならないように、いまは少し休むべきである。というのは、「われわれがここにいるのは幸福なことです」(マタイ 17: 4)という使徒ペトロの言葉をわたしは使うが、沈黙のうちに甘美なる観想を行うのは望ましいことであるから。言葉を尽くしても、そのことを説明するのに十分ではないのだ。しかしながらその一方で、敬虔な心できらめく星を観想すれば、その観想から生じる諸々の帰結において、議論はいっそう活き活きとした力を取り戻すであろう。 |
わたしには彼が見える。しかし、今はいない。彼を仰いでいる。しかし、間近にではない。ひとつの星がヤコブから進み出る。ひとつの笏がイスラエルから立ち上がり、モアブのこめかみを打ち砕き、シェトのすべての子らの頭の頂を砕く。 | ||
エドムはその継ぐべき地となり、敵対するセイルは継ぐべき地となり、イスラエルは力を示す。 | ||
ヤコブから支配する者が出て、残ったものを町から絶やす。 |