手作業でカットしたクリスタルの煌めき 《清らかな光の聖母 フランスのアンティーク・シャプレ 48 cm》 銀無垢の美術品 1900 - 1930年代


全長 48 cm   環状部分の長さ 63 cm

重量 31.3 g


突出部分を含むクルシフィクスのサイズ 縦 37.6 x 横 22.9 mm

突出部分を含むクールのサイズ 縦 17.5 x 横 15.8 mm


ビーズの直径 7 mm



 五十九個のビーズを有する聖母のロザリオ。ベル・エポック期または戦間期のフランスで制作されたもので、金属部分にはめっきでない銀を、ビーズにはクリスタル・ガラス(鉛ガラス)を使用した高級品です。


 十字架にキリスト像を取り付けたものをクルシフィクスといいます。本品のクルシフィクスは銀製の十字架に別作のコルプス(羅 CORPUS キリストの小像)を鑞付け(ろうづけ 溶接)しています。装飾的な十字架は上下左右の端に向かってカーヴを描きつつ開大し、各先端はフルールド・リス(仏 fleur de lys 百合の花)状に造形されています。

 フルール・ド・リスは古代以来の歴史がある意匠で、これを用いた造形は西ヨーロッパのみならず各地に見られます。しかるにフルール・ド・リスは聖母の象徴ともされ、一方フランスは無原罪の御宿りを国の第一の守護聖人とするゆえに、フルール・ド・リスはフランスの象徴ともされました。このような事情により、フランスで作られる十字架やクルシフィクスの末端には、しばしばフルール・ド・リスがあしらわれます。





 フルール・ド・リスをあしらう十字架はフランス製シャプレ(仏 chapelet 数珠、ロザリオ)らしい特徴であるとともに、イエスを抱きしめる聖母、イエスとともに悲しみ苦しむコーレデンプトリークス(羅 COREDEMPTRIX, CORREDEMPTRIX 共贖者)の聖母の姿をも象徴します。


 クルシフィクスに表されるキリストは三つの様式に分類されます。第一はクリストゥス・トリウンファーンス(羅 CHRISTUS TRIUMPHANS 勝利するキリスト)で、キリストは苦痛の表情を見せずに前を向いています。第二はクリストゥス・ドレーンス(羅 CHRISTUS DOLENS 苦しむキリスト)で、キリストは頭部を肩の上に傾け、苦痛に身をよじっています。第三はクリストゥス・パティエーンス(羅 CHRISTUS PATIENS 死に屈するキリスト)で、キリストは体全体が弛緩し、頭部も力無く垂れています。

 中世以前のクルシフィクスは写実性よりも宗教性を重視するゆえに、キリストはクリストゥス・トリウンファーンス(勝利するキリスト)として描かれます。しかるにルネサンス期以降は自然主語的描写が重視され、キリストが十字架上で苦しんでおられたり、死んでおられたりする様子を写実的に描くようになりました。





 これと並行して、聖母の描写にも変化が生まれます。古代から十世紀の神学者たちは、イエスが十字架刑に処せられるのを見ても、聖母は動揺せず涙も流さなかったと考えました。なぜならばマリアは普通の母親、普通の女性ではなく、アブラハムやヨブに勝る信仰の持ち主であり、早ければ受胎告知のときから、遅くともシメオンによる悲しみの剣の預言を聴いてから、救済史におけるイエスの役割を理解していたと考えられていたからです。当時の神学者から見れば、イエスの受難に際してマリアが悲しんだと考えるのは、聖母を冒瀆するにも近いことでした。

 典礼上の日割りにおいて土曜日がマリアの日とされるのも、マリアの信仰が堅固であったとする思想に基づきます。イエス・キリストは金曜日に受難し、日曜日に復活し給いました。土曜日はその間の日であり、キリストの弟子たちが信仰を失いかけていたときに当たります。マリアはこのときもイエスが救い主であるとの信仰を失わなかったゆえに、土曜日がマリアの日とされたのです。




(上) イーゼンハイム祭壇画 Matthias Grünewald, Der Isenheimer Altar (erste Schauseite), 1506 - 15, Öl auf Holz, Musée d'Unterlinden, Colmar


 そうは言っても息子が十字架上に刑死したとすれば、慈母は死ぬほどの悲しみを味わったと考えるのが人情でしょう。教父時代にはキリストの受難にも動じなかったとされていた聖母は、中世の受難劇において、恐ろしい苦しみと悲しみを味わう母、マーテル・ドローローサ(羅 MATER DOLOROSA)として描かれるようになります。十二世紀の修道院において聖母の五つの悲しみが観想され、1240年頃にはフィレンツェにマリアのしもべ会が設立されました。同じ十三世紀には、ヤコポーネ・ダ・トーディ(Jacopone da Todi, c. 1230 - 1306)がスターバト・マーテル(羅 "STABAT MATER")を作詩しています。十四世紀初頭にはイエスの遺体を抱いて離さない聖母像が表現されるようになりました。聖母の悲しみの数は十四世紀初頭に七つとなって定着しました。

 十五世紀になると、十字架の下に立ったマリアはその苦しみゆえに共贖者(羅 CORREDEMPTRIX)であるとする思想が力を得ました。マリアを共贖者と見做すのは主にフランシスコ会の思想で、ドミニコ会はこれに抵抗しました。しかしドミニコ会はマリアが悲しまなかったと考えたわけではありません。トマス・アクィナスの師で、トマスと同じくドミニコ会士であったアルベルトゥス・マグヌス(Albertus Magnus, + 1280)は、預言者シメオンの言う「剣」(ルカ 2: 35)をマリアの悲しみの意に解し、キリストが受け給うた肉体の傷に対置しました。




(上) レットゲンのピエタ Die Röttgen Pietà, c. 1350, Holz, farbig gefaßt, 89 cm hoch, Rheinisches Landesmuseum, Bonn


 十四世紀初頭に出現したイエスの遺体を抱く聖母像を、美術史ではピエタ(伊 Pietà)と呼んでいます。ピエタは絵画にも表されますが、最初は彫刻として制作されました。十三世紀までの聖画像では、十字架から撮り下ろされたイエスの遺体はただ地面に横たえられていましたが、ピエタのマリアはイエスを膝の上に取り上げ、ひしと抱きしめました。イタリア語ピエタの原意は「憐み」「信仰」で、ラテン語ピエタース(羅 PIETAS 敬神、忠実)が語源です。ピエタース(羅 PIETAS)の語根 "PI-" を印欧基語まで遡ると、「混じりけが無い」「清い」という原義に辿り着きます。

 教父たちは聖母マリアが混じりけの無い信仰を有した故に、その信仰は無条件的であり、イエスの受難を目にしても聖母は悲しまなかったと考えました。これに対してピエタの図像を生み出した十四世紀の人々は、聖母が死ぬばかりに悲しんだと考えました。イタリア語ピエタには「肉親に対する親愛の情」という意味が加わる一方で、印欧基語に遡る「清らかさ」のニュアンスも失っておらず、古代の教父たちが説く純粋な敬神に、ゴシック期らしい人間味の加わった語となっています。





 三つの花弁を持つフルール・ド・リスは三位一体の象徴でもあり、この理由によっても信心具に多用されます。

 本品をはじめ、フランス製十字架の末端に多用されるフルール・ド・リスは三位一体の象徴でもあります。十字架に架かり給うたのは三位一体の第二のペルソナ(位格)であるキリストであって、父なる神や聖霊なる神ではありません。しかしながら各位格のペリコーレシス(希 περιχώρησις 相互浸透、相互内在)によって、父と聖霊もまた子なる神の受難に寄り添い給うたと考えられます。

 それゆえ本品十字架の末端にあしらわれたフルール・ド・リスは、救い主の受難とそれによって達成された救世が三位一体の協働によることをも表します。各末端から内側に向けて伸びるトリロブ(仏 trilobe 三つ葉)も、フルール・ド・リスと同様に三位一体を象徴しています。




(上) Piero della Francesca, "Adorazione della Croce" (dettaglio), 1452 - 66, affresco, la cappella maggiore della basilica di San Francesco, Arezzo


 要するにクルシフィクスの末端に見られるフルール・ド・リスはフランスの象徴、聖母の象徴、三位一体の象徴であるとともに、三位一体とともに苦しみ給うた共贖者マリアの象徴と考えることができます。

 十字架がマリアの象徴と言うと違和感を覚える方もおられるかもしれません。しかしながら中世ヨーロッパの伝承によると、十字架は生命樹から作られました。中世キリスト教の世界観において十字架は最大のアークシス・ムンディー(羅 AXIS MUNDI 世界軸)ですが、聖母もまた天地を繋ぐ恩寵の器であって、他の諸聖人に卓越する世界軸性を備えます。このように考えるとき、本品のクルシフィクスは共贖者マリアの姿を抽象化して十字架に同化させ、イエスを抱きとめさせていることに気付きます。本品のクルシフィクスは形態を変えたピエタ像に他なりません。





 ロザリオのセンター・メダルをフランス語でクール(仏 cœur 心臓)といい、しばしば心臓形(ハート形)に造形されます。本品のクールは枠の部分に幾何学的要素を取り入れていますが、やはり心臓形を発展させた形状です。

 本品のクールは表裏とも同じアカンサス意匠に基づき、同じ丁寧さで制作されています。「創世記」 3章 18節における「茨とあざみ」は罪、あるいは罪の結果である罰の象徴ですが、七十人訳がこれに当てたギリシア語アカンタ(希 ἂκανθα 棘)は、アカンサス(Acanthus mollis 葉あざみ)をはじめ棘のあるあらゆる植物を指します。したがってアカンサスは古典古代以来の装飾的植物文であると同時に、信心具である本品において、祈る人の心にある罪や苦しみを象徴しているとも考えられます。その一方で真っ白に輝く銀無垢のクールは、聖母の汚れなき御心をも重層的に表しています。

 全身を巡る血液は、必ず心臓を通ります。それとまったく同じように、ロザリオの祈りはクールを通過します。現代のほとんどの医学者は心臓を単なるポンプと考え、ときにはこれを機械で置き換えます。しかるに古代の哲学者から近世の医学者に至るまで、さらに近現代の一般の人々も、心臓を生命の座、心の座、愛の座と見做しています。血液循環を発見したウィリアム・ハーヴェイも、心臓がミクロコスモスの太陽、すなわち人に生命を与える要(かなめ)であるのを、まったく自明のことと考えています。

 聖母はキリスト者の助け手(羅 AUXILIUM CHRISTIANORUM)であり、地上に生きる者の鑑(かがみ 手本)でもあります。しかるに聖母の汚れなき御心は、キリストの聖心が噴き上げる愛の炎が燃え移り、自らもまた神とキリストへの愛に燃えるようになった人の心を表します。神とキリストを愛する聖母に心を重ねつつ執り成しを祈る人の心が、本品のクールに形象化されています。





 本品の十字架とクールにはテト・ド・サングリエ(仏 la tête de sanglier イノシシの頭)が刻印されています。テト・ド・サングリエはモネ・ド・パリ(仏 la Monnaie de Pars パリ造幣局)の検質印(ホールマーク)で、純度八百パーミル(800/1000 八十パーセント)の銀無垢製品であることを表します。銀無垢製品とは銀めっき製品でなく、銀そのもので作られた製品のことです。八百パーミル(八十パーセント)はフランスで制作されたアンティーク銀製品の標準的な純度です。

 テト・ド・サングリエの検質印があるのはクルシフィクスとクールだけですが、この二か所はロザリオ全体を代表しており、本品の金属製部分はすべて銀でできています。本品の白銀の輝きは、マリアの無原罪性を象徴しています。





 ビーズは直径 7ミリメートルで、多数のファセットを有する多面体です。主の祈りのビーズ両端には銀製のキャップを被せてあります。ロザリオのビーズは融解したガラスを型に流して制作する場合がありますが、本品のビーズはガラスを流し込んで作ったのではなく、宝石と同様の丁寧なカットを作業で施しています。

 ビーズの材料はクリスタル・ガラスです。クリスタル・ガラスは鉛ガラスとも言い、多量の鉛を含みます。多量の鉛を添加することでガラスは軟らかくなって複雑なカットを施しやすくなるとともに、屈折率も高まってキラキラとよく輝きます。本品においても全てのビーズが美しく輝いています。また本品のビーズは長年の使用により優しい丸みを帯び、真正のアンティーク品ならではの、レプリカには真似のできない趣を獲得しています。なお高級食器に使われていることからもわかるように、クリスタル・ガラスから鉛が溶け出すことはありません。


 本品のビーズは青色です。現在のヨーロッパでは最も人気があり、ヨーロッパ連合の旗も青を基調としています。しかしながら古代の地中海文明圏において、青はむしろ忌避される色でした。ブルーを表す言葉はギリシア語にもラテン語にもありません。キリスト教会の典礼色にも青は含まれていません。ローマ人から見た青はゲルマンの蛮族が体に塗っている色であり、未開と野蛮の象徴でした。




(上) Notre-Dame de la Belle Verrièere シャルトル司教座聖堂ノートル=ダムの「美しきステンドグラスの聖母」


 ところが十二世紀になると、青の地位に変化が起きました。

 パリ郊外サン=ドニのバシリカは、かつてベネディクト会修道院の付属聖堂であり、歴代フランス王の墓所として重要な場所でした。1112年にここの修道院長となったシュジェ(Suger, c. 1080 - 1151)はルイ六世とルイ七世に仕えた重臣でもありましたが、1136年から 1140年にかけて付属聖堂の改築を行いました。改築の際、シュジェは青色のスマルト(コバルトガラス)を積極的に多用してステンドグラスを作らせ、物質を聖化する天上の光を、ステンドグラスを通して聖堂内に溢れさせました。とりわけ美しく賛嘆の的となったブリュ・ド・サン=ドニ(仏 bleu de St-Danis サン=ドニの青)はブリュ・ド・シャルトル(仏 bleu de Chartres シャルトルの青)に、さらにはルネサンス絵画における聖母の衣の色へと受け継がれ、蔑まれていた青はいつしか聖母の色となりました。

 ヒッポのアウグスティヌスは、光を「不可視の神より来るただ一つ可視的なもの」と考えました。自ら発光するのではなく、反射によって美しく煌めくクリスタル・ガラスは、アウグスティヌスの言葉を借りて表現するならば、神の光すなわち恩寵に照らされ、その恩寵を地上へと取り次ぐ聖母マリア、清らかな光の聖母を象(かたど)っています。


 ロザリオの歴史はクリュニー会の労働修士が繰り返し唱えた主の祈りに始まり、十二世紀頃のシトー会において主の祈りが天使祝詞に置き換わりました。こうしてロザリオは聖母に執り成しを求める祈りとなり、現代まで続いています。ロザリオのビーズは何色でも構いませんが、本品の青は聖母に最もふさわしい色といえましょう。





 上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。

 本品はおよそ百年前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い品物であるにもかかわらず、きわめて良好な保存状態です。美観上、実用上とも問題は何もありません。古き良き十九世紀の香りを色濃く残した二十世紀初めのフランスで、細密な金属工芸と丁寧に研磨されたクリスタルにより制作された実用可能な美術品です。





本体価格 28,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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