中世西ヨーロッパにおける「生命樹と十字架」伝説



(上) Piero della Francesca, "Adorazione della Croce" (dettaglio), 1452 - 66, affresco, la cappella maggiore della basilica di San Francesco, Arezzo


【中世フランス文学における生命樹と「真の十字架」】

 ソルボンヌ大学の中世フランス文学者であるアルベール・ポーフィレ教授 (Albert Édouard Auguste Pauphilet, 1884 - 1948) は、「ゴーティエ・マップが作者に擬せられる聖杯探求物語研究」("Études sur la Queste del saint graal attribuée à Gautier Map", Paris, 1949) の付録として、パリのビブリオテーク・ナシオナル・ド・フランス(フランス国立図書館)に収蔵されている「フランス語写本 No. 1036」を収録しています。この写本の物語では、人祖アダムの子のひとりであるセトが、死期が迫った父アダムの求めにより、救いをもたらす聖油を貰うためにエデンの園を訪れ、ケルビムと対話します。ケルビムはセトに「生命の樹」と思われる大木を見せます。生命の樹はの傍らにあって、泉から流れ出る水は四本の大河となり世界を潤していましたが、セトが目にした生命の樹は枯れたようになっていました。

 ポーフィレ教授が引用している「フランス語写本 No. 1036」から、一部を引用いたします。テクストは十三世紀のフランス語で、日本語訳は筆者(広川)によります。

    Seth le fist tout einsi com li angles li commanda,   セトはすべてのことを、天使に命じられた通りにした。
    et vit dedenz paradis tantes joies et tantes clartez que langue d'ome mortel ne le porroit dire ne conter les deliz ne les joies qui estoient em paradis, et de fruiz et de diverses mannieres de chanz et de douces voiz qui estoient plainnes de granz mélodies.   楽園で目にする歓びと美はたいそう大きく、死すべき人間の言葉では、楽園に見出される美しさや歓び、果実、さまざまな種類の歌、優美な調べに満ちた甘き歌声について語ることはできないほどであった。
    Car il i ot une fontainne dont iiii flunz sordoient, dont li nous sont tel. Li premiers est apelez Lyon ; li segonz Sison, li tierz a nom Tygris, li quarz Heufrates.   ここにひとつの泉があり、次に挙げる四つの川がそこから発していた。第一の川はリヨン、第二はシゾン、第三はティグリスという名で、第四はエウフラテスである。
    Cist iiii fluns donnent eve a tout le monde. Sor ceste fontainne avoit i grant arbre... [lac.]... tant qu'il li sovint des pas de son père et de sa mère que il avoit veus en la voie herbeuse.   これら四つの川は全世界に水を与えている。この泉の傍らに大いなる木を見て…[テクスト欠落]…セトは草の繁った道で見た父母(訳者註 アダムとエヴァ)の足跡を思い出した。
    Et il penssa bien [que] par cela raison que li pas estoient sans herbe, [par] celé raison meismes estoit li arbres sans fueille et sanz escorce.   父母の足跡に草が生えていなかったのと同じ理由で、木に葉と樹皮が無いのだと、セトは考えた。


 物語は更に続きます。この後のあらすじは次の通りです。


 セトが楽園を訪れたのは、死期が迫った父に与える救いの聖油を手に入れるためであったが、ケルビムは聖油の代わりに、「生命の木」の種を三粒、セトに与えた。セトはこの種を持ち帰り、間もなく亡くなった父の口に含ませて埋葬した。三粒の種からは三本の木が生えて、モーセとダヴィデのもとで数々の奇蹟を惹き起こす。ダヴィデ王の時代、三本の木は互いに癒着して、一本の大木になる。

 ソロモンはこの聖なる木をエルサレム神殿の梁にしようと考えて製材したが、いざ使おうとすると長すぎたり短すぎたりしてうまくいかない。邪悪なユダヤ人たちはこの梁を川に渡して橋にし、罪深い人々の足で踏まれるようにした。

 あるときシバの女王がソロモンの知恵の言葉を聴きにエルサレムを訪れたが、道中の橋で聖なる梁に気付いた女王は、橋を使わず裸足になって川を渡った。女王は跪いて梁を礼拝し、「この木は尊き血によってふたたび緑になるであろう」と言った。

 梁はイエスの受難のときまで同じ場所に横たわっていた。ユダヤ人たちはこの梁から十字架を作り、イエスを磔(はりつけ)にした。



 このページの冒頭に示した写真は、ピエロ・デッラ・フランチェスカによるフレスコ画連作「聖十字架の物語」("Le Storie della Vera Croce", 1452 - 66) のうち、「十字架の礼拝」の部分です。この作品において、ソロモンの宮殿に向かうシバの女王は、途中で聖なる梁を見つけ、跪いて礼拝しています。

 ポーフィレ教授が引用する上記の説話において、シバの女王は「救い主の尊き血により、十字架の材木がふたたび緑になるであろう」と言っています。これは「愛と赦しによって、生命の木がふたたび緑になるであろう」ということです。




(上) Volta della Basilica di San Marco a Venezia


 ヴェネツィア司教座聖堂サン・マルコのアトリウムは、聖堂西側正面から入ってすぐ右側に一つ、左側にエル(L)字型に並んで五つ、以上を合計して六箇所の丸天井に「創世記」のモザイク画を有します。モザイク画の手本は、大英博物館に収蔵されている五世紀の写本「ザ・コットン・ジェネシス」(The Cotton Genesis, MS Cotton Otho B VI)です。

 十一世紀以来、イタリアの聖堂を飾る壁画や天井画は、旧約聖書に取材する作例が多く見られます。サン・マルコ聖堂アトリウムの天井モザイク画は十三世紀に制作されましたが、「創世記」を題材に選んでおり、当時の流れに沿った作品です。

 サン・マルコの西側正面から入ってすぐ右側の空間にある天井画が「天地創造」で、上の写真はその一部、楽園追放を描いています。アダムとエヴァを後ろから追い立てているのが神で、その背後には生命樹が見えます。生命樹に重なるように十字架が描かれているのが目を惹きます。筆者(広川)は「ザ・コットン・ジェネシス」における「楽園追放」の挿絵を見たことは無いのですが、少なくともサン・マルコのモザイク画において、イエス・キリストの十字架がエデンの生命樹と同一視されていることが分かります。


【二十世紀の聖画における作例】

 ポーフィレ教授が引用する「フランス語写本 No. 1036」の生命樹説話はヨーロッパでは広く知られており、近現代の聖画にも影響を及ぼしています。ここでは二十世紀半ばのフランスで制作された子供向け小聖画の例を取り上げます。


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 この小さな聖画の左手前には崩れた積木が描かれています。向かって右側の子どもが作った積木の家を、左側の子どもが壊してしまったようです。右側の子どもは悲しくて泣きながらも、左側の子にキスをして赦しています。

 ふたりの後ろの壁には聖水入れが掛かっています。十字架の下部にシャコガイを取り付けた聖水入れは、フランスでよく見かけるタイプですが、不思議なことにこの聖水入れの十字架からは、青々としたふたつの若芽が出ています。この十字架はエデンの園にある「生命の木」であり、そこから萌え出たふたつの若芽は、ふたりの子供の心に芽生えた「愛」と「赦し」を象徴します。「愛」と「赦し」が「生命の木」から芽吹いているわけは、「愛」と「赦し」こそが人に救いと生命を与えるものであるからです

 十字架から萌え出ている緑の葉は、おそらくオリーヴです。十字架から芽生えたこの若芽は、ふたりの子供たちの間に交わされた「愛」と「赦し」によって、生命の木がふたたび緑になったことを表します。「生命の木」は人祖アダムとエヴァの罪によって枯死しましたが、救い主の愛と、それに倣う子供たちの愛によって、木に生命が戻ったのです。



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