金色の光を放つ無原罪の御宿り 《細密浮き彫りによる不思議のメダイ 28.7 x 13.7 mm》 伝統意匠を引き継いだ近代の自覚的信仰 フランス 十九世紀半ばから二十世紀初頭
突出部分を含むサイズ 縦 28.7 x 横 13.7 mm
百年以上前のフランスで制作された不思議のメダイ。材質は真鍮またはブロンズに金めっきを施しています。実物の光沢が写真にうまく写っていませんが、めっきの剥がれは全く見られず、上品で美しい金色の光を放っています。
(上) 「イエスを愛するはわが喜びのすべて。貧者に仕うるはわが幸いのすべて」 愛徳姉妹会のカニヴェ (ブアス=ルベル 図版番号 641) 105 x 67 mm 1850 - 60年代 当店の商品です。
不思議のメダイは、1830年、パリのバック通りにある愛徳姉妹会修道院においてカトリーヌ・ラブレが聖母を幻視し、メダイの意匠を示されて作られたものとされています。それゆえ不思議のメダイの基本的意匠は固定していますが、そのように定型化が進んだメダイであっても、聖母の表情や姿勢、裏面下部に並んだふたつの聖心など細部の描写はメダイユ彫刻家に委ねられており、非常に多くの変種を数えることができます。本品の特徴は美しい聖母像の出来栄えで、打刻によるメダイのなかでもとりわけ優れた一級品といえます。
聖母の周囲には聖母に執り成しを求める祈りがフランス語で記されています。最下部に打刻された 1830の数字は、聖母出現の年号です。
Ô Marie conçue sans péché, priez pour nous. 罪無くして宿りたまえるマリアよ、われらのために祈りたまえ。 1830年
「罪無くして宿りたまえるマリアよ」との句は、マリアが原罪を引き継がずに母アンナの体に宿り、生まれてきたとの思想によります。受胎の瞬間から罪を持たない女性マリアは、インマクラータ・コンケプティオー(羅 INMACULATA CONCEPTIO 無原罪の御宿り)と呼ばれます。
インマクラータとはマクラ(羅 MACULA 染み、よごれ、罪)が無いという意味、コンケプティオーとは子宮に宿ったもの、胎児のことです。正確に言うと、コンケプティオーの原意は胎児が子宮に宿る現象を指しますが、聖母マリアがインマクラータ・コンケプティオーである、という場合、コンケプティオーは母の子宮に宿った胎児、すなわちマリアその人のことを指しています。
ちなみに英語で概念のことをコンセプト(英 concept)といいますが、これは頭に宿る考えを、子宮に宿る胎児に譬えた表現です。胎児はラテン語でコンケプトゥス(羅
CONCEPTUS)といいますが、これがフランス語を介して英語に入り、概念の意味で使われるようになりました。OEDによると、英語コンセプト(concept)は
1556年の文献に初出します。
「われらのために祈りたまえ」との句は、聖母が神とイエスへの執り成し手(羅 MEDIATRIX 仲介者)であるとの思想によります。
ロレトの連祷において、聖母マリアはフォエデリス・アルカ(羅 FŒDERIS ARCA 契約の櫃)と呼ばれています。聖母が契約の櫃(ひつ 箱)に譬えられる理由は、「ヘブライ人への手紙」九章四節に求めることができます。同所によると、契約の櫃にはモーセの十戒を刻んだ石板とともに、マンナ(マナ)を入れた金の壺、芽を出したアロンの杖が収納されていました。
イエス・キリストはトーラー(旧約の律法)を完成する方であるゆえに、モーセの十戒を刻んだ石板はイエスの前表です。
荒れ地をさまようイスラエル人たちが食べ物を求めたとき、神は天からマンナを降らせ給いました。このマンナもキリストの前表に他なりません。救いを求める罪人たちのために、神はキリストを降誕させ給うたのです。したがってキリストを胎内に宿した点に関しても、マリアは契約の櫃に比することができます。
アロンの杖の故事は、「民数記」十七章十六節から二十六節に記録されています。この時イスラエル十二部族及びレビ人を代表して十三本の杖が集められ、契約の櫃の前に置かれました。次の日にモーセが見ると、アロンの名を記したレビの杖だけが芽吹き、蕾を付け、花を咲かせ、アーモンドの実を結んでいました。これはアロンとその氏族であるレビ人だけが祭司職に就き得るとの神意が、奇瑞によって示されたのだと解せます。ここで思い出されるのは「ヤコブ原福音書」八章三節から九章三節にある記事です。すなわちマリアの結婚相手を決める際、イスラエル中の寡夫の杖が集められましたが、同書九章一節によるとヨセフの杖から鳩が出てきて、ヨセフの頭に留まりました。杖から鳩が出ること自体が超自然的な奇瑞ですし、鳩がヨセフの頭に降(くだ)ったとの記述は、イエスがヨハネから洗礼を受け給うた際に、鳩の姿の聖霊が降った故事を思い起こさせます。正典福音書によるとマリアは聖霊によって身ごもったゆえに、また「ヤコブ原福音書」によるとヨセフが浄配たるべきことが杖の奇跡で示されたゆえに、アロンの杖もまたマリアと関連付けることができます。
(上) ドニ・フェルナン・ピィ作 《平和の元后 契約の櫃 契約の虹》 ロレトの連祷に基づく聖母のメダイユ 直径 25.3 mm フランス 1930
- 40年代 当店の商品です。
他方、フォエデリス・アルカの第一義は「契約の櫃」ですが、ラテン語アルカ(箱)は「箱舟」をも意味するゆえに、聖母はノアの箱舟にも譬えることができます。上の写真はフランスの彫刻家ドニ・フェルナン・ピィ(Denis
Fernand Py, 1887 - 1949)が制作した大型メダイです。メダイにはフォエデリス・アルカ(契約の櫃)の文字がありますが、浮き彫りにされているのは契約の櫃ではなく、ノアの箱舟です。聖母の隠喩であるノアの箱舟は、神の怒りである大雨と嵐からすべての生き物を守っています。
「創世記」七章二、三節によると、神はノアに対して、すべての清い動物をすべて七つがいずつ、全ての清くない動物を一つがいずつ、空の鳥を七つがいずつ、箱舟に載せるように命じ給いました。清くないとされた動物たちも含めて、全ての動物を神の怒りの洪水から救う箱舟は、すべての罪びとをマントの下に匿うマドンナ・デッラ・ミゼリコルディア(伊
Madonna della Misericordia 慈悲の聖母)に比することができます。
(上) Piero della Francesca, "Madonna della
Misericordia", 1444 - 1464, olio e tempera su tavola, 273 x 330 cm, Il Museo
Civico di Sansepolcro
上の写真はピエロ・デッラ・フランチェスカによる「マドンナ・デッラ・ミゼリコルディア」で、聖母のマントには死刑執行人も匿われています。「マドンナ・デッラ・ミゼリコルディア」は、画家がボルゴ・サンセポルクロのミゼリコルディア信心会から
1444年頃に注文を受け、1464年までに制作した多翼祭壇画の中央パネルに描かれています。ボルゴ・サンセポルクロ(Borgo
Sansepolcro 現サンセポルクロ
Sansepolcro)はアペニン山中、トスカナ州アレッツォ県にある町で、ピエロ・デッラ・フランチェスカの出身地です。
本品をはじめ不思議のメダイに刻まれる聖母は、ストラ(羅 STOLA 古代ローマ風の女性用寛衣)の上に罪びとを匿う大きなマントを羽織り、球体上に蛇を踏みつけて立っています。球体は被造的世界の象徴であり、その上に乗る蛇は地上を支配することを許されたサタン(神の敵対者)を象徴します。「創世記」三章の記述によると蛇はエヴァを誘惑して、善悪を知る木の実を食べるという原罪を犯させました。しかしながら新しきエヴァである聖母は罪の支配を受けないゆえに、蛇を踏みつけて立っています。
聖母は裸足ですが、蛇は聖母を害することができません。なぜならば無原罪の聖母は如何なる罪の影響も受けないからです。聖母が裸足で蛇を踏みつける表現は、ルルドの聖母が裸足で茨を踏んでいるのと似ています。
聖母は両手に多数の指輪を着けており、指輪の宝石の輝きが幾条もの光となって地上に降り注いでいます。この光は聖母を通して下される神の恩寵を表します。
不思議のメダイにおいて以上のように造形される聖母の姿は、無原罪の御宿りの伝統的図像様式に従っています。
本品の聖母は多数の小十字架を背景に、カドリロブ(仏 quadrilobe 四つ葉)を思わせる雲形の空間に立っています。ミル打ちを模した小点は、空間を囲んで紡錘形の枠を為します。メダイ全体の形状も紡錘形です。大部分の不思議のメダイは楕円形で、本品の紡錘形は珍しい形状です。
ロマネスク及びゴシックの美術史において、キリストや聖母を取り囲む紡錘形または楕円形の身光をマンドルラ(伊 mandorla)と呼びます。マンドルラの原意は、イタリア語でアーモンドのことです。フランスの美術史でもこの用語法を踏襲し、紡錘形・楕円形の身光をマンドルル(仏
mandorle)と呼んでいます。本品メダイの形状はこのマンドルラ(マンドルル)であり、無原罪のマリアの聖性を、中世以来の伝統に則って表現しています。
本品の聖母像は、優れた出来栄えの細密浮き彫りをスクリュー・プレスで打刻しています。上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。本品のマトリス(仏
matrice 打刻の母型)において、聖母の顔と手、衣の裾から覗く足先は、いずれも一ミリメートル以下の極小サイズで制作されています。
本品の保存状態は極めて良好です。浮き彫りの突出部分は摩滅を避けられませんが、本品の聖母像は百数十年の歳月を経てもほとんど摩滅しておらず、見事な細密性を現代に伝えています。
裏面には、表面と同じ意匠の枠内に、インマクラータ・マリア(羅 IMMACULATA MARIA 無原罪のマリア)の頭文字 "IM"
と十字架を合わせたモノグラムの下に、人への愛に燃えるキリストの聖心と、神への愛に燃える聖母の聖心を並べています。キリストの聖心は茨の冠に囲まれ、聖母の聖心は悲しみの剣に刺し貫かれています。
表面の外周に刻まれていた祈りは、十二の星に置き換えられています。十二の星は「ヨハネの黙示録」十二章一節で聖母が被る星の冠で、全キリスト教徒を象徴しています。
インマクラータ・マリアと十字架のモノグラムは聖母子を記号化したものであり、これをゴシック様式の雲形枠とマンドルラで囲む伝統的意匠には、一見したところ篤信の中世と共通するように見える近代フランスの信仰心が、形となって顕れています。しかしながらたとえ意匠が共通しているとしても、中世人と近代のフランス人の信仰は、それが自覚駅な宗教感情であるか否かという点において決定的に異なります。
フランスの歴代国王はフィス・エネ・ド・レグリーズ(仏 Fils aîné de l'Église カトリック教会の長子)を名乗り、1841年からはイタリアを差し措いて、フランス、フィーユ・エネ・ド・レグリーズ(仏
France, fille aînée de l'Église カトリック教会の長姉たるフランス)というフレーズも聞かれるようになりました。しかしながら近世から近代にかけてのフランスは、実際にはたいへんな放蕩娘でした。その最たるものがフランス革命です。フランス革命の指導者たちは宗教性が人間の本性に基づくことを理解せず、有形無形の精神的遺産を破壊しました。当時の社会的経済的エスタブリッシュメントはカトリック教会と不可分一体でしたが、フランス革命はここからカトリック教会を切除しようとしたのです。これを譬えて言うならば、麻酔も止血も消毒も無しに、身体の一部を外科的に切除するようなものです。
中世人にとって生活と宗教は不可分一体であり、そこから信仰だけを取り出すなど、考えも及ばないことでした。ここで筆者(広川)が言っているのは、中世人にとって宗教色の無い生活が実行不可能であったという意味ではありません。世俗の生活と信仰生活を対立する二項と捉える発想が、中世人にはそもそも無かったのです。信仰を世俗的な事柄と区別するのは、近現代人の発想です。我々が世俗的活動と見做す生活の側面は、中世人にとって信仰と不可分一体でした。世俗の事柄と信仰の事柄を概念的に区別することさえ、中世には起こり得ませんでした。信仰は空気のようにそこにあって当然のものであり、中世人はその空気を意識することなく、日々の生活を営んでいました。信仰を世俗と対立する別物と意識する人は、中世にはいなかったのです。
フランスが古い衣を捨て、近代人へと脱皮する過程で、人々は宗教を世俗的事柄と区別されるべき別物と見做すようになりました。これは筆者自身を含め、大多数の近現代人に共通する感じ方、考え方でしょう。しかしながらパラダイム(希
παράδειγμα 思考の範型・様式・枠組み)あるいは世界観の有り方が根底から変わる事態に直面した場合、人は戸惑いつつもがむしゃらに突き進むことしかできません。具体的にどう振舞えばよいのかを、冷静な省察に基づいて判断することができないのです。
このことは誰しもが個人的体験に基づいて十分に了解できることですが、社会の場合も個人と同様です。フランス革命は振り子が反対側の極端に振れた状態であり、革命の指導者たちは、平たく言えば「遣り過ぎた」のでした。大きな変革期や動乱期における政策の行き過ぎは、どの時代、地域でも共通して起こりがちな人間的弱点です。我が国においても
1868年に徳川幕府が僧形禁止復飾令、神仏判然令を出し、これはそのまま廃仏毀釈へとエスカレートしました。現代史においては中国の文化大革命、イスラム過激派による他宗徒迫害や文化財破壊が、イデオロギーの暴走の例として挙げられます。
フランスの場合、十九世紀が中葉に近づくにつれ、このような事態に対する反動が起こりました。世俗と信仰を峻別し、自覚的近代人に脱皮したフランスは、いったん棄てた信仰の価値に気づいたのです。バック通りに聖母が出現し、不思議のメダイが作られて人気を呼んだのは、日常生活の中に信仰を再び受け容れようとする動きの嚆矢(こうし 始め)となりました。1864年にはマルグリット=マリが列福され、三年後の 1867年にマルグリット=マリの第九十八書簡が公表されると、これが大きな原動力となってガッリア・ポエニテーンス(羅 GALLIA PŒNITENS 悔悛のガリア)と呼ばれる精神的ムーヴマン(仏 mouvement 運動)が起こります。
近代人となったフランス人は、革命が暴力的に切除した信仰を、自覚に基づいて再び受け容れました。バック通りの愛徳姉妹会における聖母出現と不思議のメダイは、近代人の心性による「不可視の価値への気付き」を、図らずも可視化した最初の出来事となりました。
上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。この面に描かれる図像的要素は聖母像よりも単純ですが、モノグラムの背景処理や枠の形など、意匠の詳細はメダイユ彫刻家に委ねられています。
上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。
本品は十九世紀から二十世紀初頭までのフランスで制作されたものです。十九世紀から二十世紀初頭は、フランス人の生活にキリスト教信仰が再び浸透した時代であるとともに、メダイユ制作の技術が最高の水準に到達した時代でもあります。すなわち本品は近代フランスが新しく生み出した自覚的宗教精神と、同時代に最高の水準に到達したメダイユ制作技術が、幸運な出会いによって生み出した品物です。近代人の自覚的信仰が形作った本品は、不可視の精神を可視化した美術品であると同時に、優れた歴史性を有するアンティーク品でもあります。
本品は百数十年前に制作された真正のアンティーク品ですが、古い品物であるにもかかわらず、保存状態は極めて良好です。実物は上品なシャンパン・ゴールドの輝きを放ち、十九世紀フランスならではの細密彫刻には、現代の品物には決して真似のできない高級感があります。
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不思議のメダイ 1900年頃までのもの 商品種別表示インデックスに戻る
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