hic canit errantem Lunam, Solisque labores, | ここで[イオパスは]さまよう月を歌い、太陽の働きを歌う。 | |||
Arcturumque, pluviasque hyadas geminosque triones | またアークトゥルス、雨、[雨を降らせる]おうし座のヒュアデス(希 Ὑάδες 七つ星)、ふたご座、おおぐま座とこぐま座を(註2)歌う。 |
アトラスは地上すなわち宇宙の中心にいて、天球を支えていると考えられていましたが、これをそのまま絵や彫刻に表現するのは困難です。たとえば大理石で天球を作った場合、天球内部の地球の上にアトラスが立って、天球を内側から支える様子を表すことは不可能です。そのような理由により、伝統的図像表現におけるアトラスは、天球を肩で持ち上げる姿で表現されます。
天動説に基づいて作られた宇宙の模型では、中心にある地球を取り囲むように、各天体の軌道を示す金属製の環がさまざまな角度で重なり合い、全体として球体状を為しています。このような模型をフランス語でスフェール・アルミレール(仏 sphère armillaire)といいます。アルミレールはこの語(スフェール・アルミレール)においてのみ用いられる形容詞で、金属製の腕輪を表すラテン語アルミッラ(羅 ARMILLA)が語源です。スフェール・アルミレールは日本語で天球儀と訳されます。
(上) ヤン・ホッサールト 「天球義を持つ少女」 Jan Gossaert, "Portrait de jeune fille portant une sphère armillaire", vers 1520
上に示したのはフランドルの画家ヤン・ホッサールト(Jan Gossaert, c. 1478 - 1532)の作品です。少女が手に持っているのは、簡易なスフェール・アルミレールです。
3. 聖堂において天上界を象徴する円蓋(ドーム)
天動説の宇宙は、生成消滅する事物で構成される月下界と、不変の事物で構成される天上界に分かれます。月下界の事物は地水火風の四元素で、天上界の事物(天体)は第五元素アイテールでできています。しかるに神の住まうところとしての天は、月下界の四元素でできていないことは言うまでもありませんが、アイテールでできているわけでもありません。なぜならアイテールは月下界の四元素と異なる本性を有しつつも、物質であることに変わりはないからです。神が住まう天は、物質的宇宙を超越したところであるはずです。
それゆえ神が住まうところという意味の天上界は、天動説の天球とは異なります。しかしながら絵画や建築において天上界を表現しようとすれば、何らかの具体的な形を取らざるを得ません。また古代以来、天球の最外殻の外側は、神的存在の居場所であるようにしばしば考えられてきましたが、この思想に基づけば、神が住まう天上は、球形のコスモスと無関係ではありません。このような理由により、絵画や建築において、神が住まう天上は、球、半球、四分割した球など、丸い形で表現されてきました。
最初期のキリスト教聖堂建築は、集会を開くのに便利であった異教ローマのバシリカ式をそのまま踏襲しました。当時、未受洗のカテクーメノイ(希 κατηχούμενοι)はミサ全体に参加することを許されず、ナルテクス(玄関廊)で祭式を見守りましたが、カテクーメノイを洗礼を受けた信徒から分離するためにも、バシリカ式平面プランは好都合でした。洗礼は降誕祭と復活祭にしか行われず、それぞれの季節の直前にはカテクーメノイの人数が大きく膨れ上がったので、広いナルテクスが必要だったのです。
やがて聖堂東端にある祭壇付近の空間を拡張するために、祭壇の後ろをくぼませて半円形の壁龕(へきがん)を造り、さらに聖堂東端の南北に翼廊が加えられたことで、上部(東端)にわずかな突出のあるT字型の平面プランとなりました。次いでクワイア(英
choir 内陣)がそれ以外の部分から分離されて、交差部よりも東が拡大します。西ヨーロッパにおいて、聖堂建築はT字型平面プランからの隔たりが小さく、ラテン十字型平面プランとなりました。
(上) La basilique Notre-Dame-d'Orcival, Orcival, Puy-de-Dôme, Auvergne
西ヨーロッパのロマネスク聖堂、特にその後陣は、方形の上に円蓋(ドーム)を乗せた形に建てられています。このような聖堂建築において、方形部分は地上を、円蓋は天上を表します。内部の壁画、天井画に関しても、描かれる領域の区別は厳密に守られ、方形部分には福音書の地上における場面や聖人伝が、円天井には天上の様子が描かれます。
上に示したのは六角形のフランス本土の中央よりもわずかに南、ピュイ=ド・ドーム県オルシヴァルにあるノートル=ダム・ドルシヴァル聖堂の断面図です。交差部の天井が円蓋(えんがい ドーム)型、アプスの天井が半円蓋(半円ドーム 球を四分割した形)型になっていることがわかります。
アヤソフィア後陣半円蓋にある聖母子のモザイク
ビザンティン聖堂においても、円天井は天上界を象徴します。バシリカ式聖堂の東端に南北の翼廊が加えられ、次いで交差部よりも東が拡大した際、ビザンティン聖堂では翼廊が西ヨーロッパの聖堂よりもさらに西寄りになり、円蓋(ドーム)から各方角への距離が等しいギリシア十字型平面プランに発展しました。円蓋は神がおわす天球を地上に再現したものです。したがってビザンティン聖堂の建築様式は、神の愛と権威が全世界のどの場所にも等しく及ぶことを、建築によって表現しています。
イスタンブールにあるアヤソフィアの円天井のモザイクは、モスクとして使われていた時代にアラビア文字によるイスラムの意匠に変えられてしまいましたが、この建物は現在博物館になっており、キリスト教時代に制作されたいくつかのモザイク画が修復、公開されています。上に示した聖母子像は
867年頃の作品で、聖堂の東端、アプス(後陣)の天井にあります。アプスの天井は完全な円蓋ではなく、球を四分割した半円蓋ですが、やはり神の領域である天上界を象徴しています。
天円地方の思想は我々東洋人にとってもなじみ深く感じられます。北京の天壇は円形プランに基づいて建てられています。インドのストゥーパも半球状、あるいは円筒に半球を乗せた形に築かれ、頂部に円盤を多層に連ねた相輪を有します。我が国の仏塔は基壇及び屋根と裳腰が方形ですが、相輪はやはり円を連ねます。我が国の祭祀施設に関して時代を飛鳥以前に遡れば、古墳の石室は方形で、ときには壁に四神を描き、天井は石材をラテルネンデッケ(独
die Laternendecke 天窓付天井 註3)様(よう)に組む例が見られます。ここにラテルネンデッケが採用される理由は、筆者(広川)が思うに、天井に丸みを持たせたいということしか考えられません。石川県能登島にある蝦夷穴古墳(雄穴及び雌穴)の石室はラテルネンデッケ様構造の例で、京都大学・明石高専の村田治郎教授はこの構造の天井を「隅三角状持ち送り式天井」と名付けておられます(註4)。
なおフレーベルが作った第一の恩物(独 die Fröbelgabe/Fröbelgaben)は、球体です。人がこの世に生まれ出て最初に触れるべき物が、この世を後にして赴く世界と同じ形に表象されていることを、筆者(広川)は面白く感じます。
【支配権を象徴する球体】
前項の最初で論じたように、球は被造的世界を象徴する場合があります。球が有するこの象徴性が拡張され、神や支配者が持つ球は、支配権が及ぶ範囲を表します。
(上) Leonardo da Vinci, "SALVATOR MUNDI" (the Cook version), 1499 or later, Oil on walnut, 65.5 x 45.1 cm, Private
collection 2011年に再発見された作品。
右手を挙げて祝福を与える正面観のキリスト像を、美術史ではサルヴァートル・ムンディーと呼びます。サルヴァートル・ムンディー(羅 SALVATOR
MUNDI)とはラテン語で世の救い主、世界の救い主という意味です。サルヴァートル・ムンディーのキリスト像は、左手に球を持って描かれる場合が多くあります。キリストの掌中に球が収まるさまは、キリストの支配権が全宇宙に及ぶことを象徴します。
右手を挙げて祝福し、左手にグロブス・クルーキゲルを持つサルヴァートル・ムンディーの姿は、、ヤン・ファン・アイク、ハンス・メムリンク、アルブレヒト・デューラー等、北方ルネサンスの画家たちに好んで使われました。この系統のサルヴァートル・ムンディーとしては、エルミタージュ美術館にあるティツィアーノの作品、ド・ガネー侯が所蔵していたと伝えられる作品(仏
la version Ganay)もよく知られています。後者についてはヴァザーリが詳しい記録を残しています。
上の写真は 2011年になって再発見されたレオナルド・ダ・ヴィンチの油彩板絵「サルヴァートル・ムンディー」で、キリストの左手には水晶またはガラスでできた無色透明の球体が置かれ、宇宙を象徴しています。この作品はド・ガネー侯家伝来の作品と同じ構図ですが、後者のキリストが赤い衣を着ているのに対し、新しく見つかったキリストは青い衣を着ています。
(上) Le maître du Registrum Gregorii, "Otton II entouré des provinces de son empire", 27 x 19,8 cm, Chantilly, Musée Condé, Ms. 14 bis (de Trèves, Stadtbibliothek,
Hs. 171/1626)
ドイツ西部、ルクセンブルクとの国境に近いモーゼル河畔の町トリエル(独 Trier 仏 Trèves)は人口十万人ほどの小都市ですが、ローマ時代の立派な遺跡群が残り、ドイツ最古の司教座が置かれたことでも知られる歴史的に重要な都市です。この都市の国立公文書館(Stadtbibliothek)に、「レギストルム・グレゴリイー」という文書が遺されています。「レギストルム・グレゴリイー」(羅
REGISTRUM GREGORII)とはラテン語で「グレゴリウスの目録」という意味で、教皇グレゴリウス一世(Gregorius I, c.
540 - 604)によるいくつかの書簡の写しと、トリエル司教エグベルト(Egbert von Trier, c. 950 - 993)に献呈した韻文一葉、絵二葉で構成されます。
二葉の絵は同じ画工によって 983年以降に描かれた作品です。この時代の画工は名前を遺さないのが普通で、これら二葉を描いた人物の名前も分かりませんが、
「レギストルム・グレゴリイーの画工」(仏 Le maître du Registrum Gregorii, fl. 980 - 996)と仮称されています。二葉の絵のうち一葉は、鳩(聖霊)を肩に留まらせて書き物をするグレゴリウス一世を描きます。グレゴリウス一世の絵は、写本の他の部分と共に、トリエルの国立公文書館に保存されています。もう一葉は上の写真に示した絵で、四人の女性から捧げ物を受け取る神聖ローマ皇帝オットー二世(Otto
II, 955 - 983)またはオットー三世(Otto III, 980 - 1002)を描いています。四人の女性は神聖ローマ帝国の支配に服するヨーロッパの四地方を象徴します。この一葉のみトリエルを離れ、パリの北四十キロメートルにあるシャンティイ城のコンデ美術館(le
musée Condé, Chantilly)に収蔵されています。
この作品において、神聖ローマ皇帝は右手に王笏、左手に球を持っています。この球は神聖ローマ皇帝の支配が及ぶ領域、すなわち帝国の全域を象徴しています。帝国を象徴する球には十字があしらわれて、神聖ローマ皇帝の支配権に対する神の是認と祝福を表しています。
(上) フランスの銀製メダイユ 「プラハの聖なる幼子イエスよ、我らを祝福したまえ」 24.4 x 17.6 mm 十九世紀後半 当店の商品です。
神、キリスト、皇帝、王の支配権を象徴する球は、上部に十字架を立てた形で表現されることもあり、「グロブス・クルーキゲル」(羅 GLOBUS CRUCIGER)と呼ばれています。「グロブス」(羅
GLOBUS)はラテン語で「球」を意味します。「クルーキゲル」はラテン語「クルークス」(羅 CRUX 十字架)の語幹(CRUC-)に、繋ぎの音(-I-)を介して、「有する」という意味の形容詞語尾(-GER)を接続した語で、「十字架を有する」という意味の形容詞です。「グロブス・クルーキゲル」は単に「十字付きの球体」という意味ですから、レギストルム・グレゴリイーの絵で神聖ローマ皇帝が持っている球もこのジャンルに含まれますが、絵画や彫刻、工芸品においては、立体的な十字架が球の上部から三次元的に突出する作例を多く目にします。
上の写真は十九世紀後半のフランスで作られた銀製メダイユで、驚くべき細密彫刻により、プラハの幼子イエスを表現しています。「サルヴァートル・ムンディー」として表された幼子イエスは、右手を挙げて祝福の姿勢を執り、右手に球を持っています。球の頂上部分には十字架が立っています。
なお美術に直接的な関係を有しませんが、古代ギリシア哲学における球を別稿で論じています。
註1 土が本来あるべき場所は、宇宙の中心である。それゆえ土はその自然本性により、下方に向かって運動する。同じく火はその自然本性により、上方に向かって運動する。同様にアイテールはその自然本性により、円運動を行う。天体が永遠の周回運動を行うのは、アイテールがかかる自然本性を有するゆえである。
註2 上記引用箇所のトリオーネース(羅 triones)はトリオー(羅 trio 犂を牽く牛)の複数対格形で、おおぐま座(北斗七星)またはこぐま座を指す。辞書の見出しの語形(単数主格形)はトリオーだが、おおぐま座とこぐま座は北極星を周回する星としてひとまとめに扱われることが多く、おおぐまとこぐまを合わせると二頭になるので、トリオーネースという複数形が頻用される。上記引用箇所においても、複数形が使われている。
註3 ドイツの東洋学者アルベルト・フォン・ル・コック(Albert von Le Coq, 1890 - 1930)による術語。
註4 ラテルネンデッケ(独 die Laternendecke)は、ラテルネ(独 die Laterne ランプ、天窓、採光塔)とデッケ(独
die Decke 覆い、遮蔽物、屋根、天井)の合成語で、「天窓付き天井」の意味である。長尺の木材が手に入りにくい中央アジア乾燥地帯で、アルベルト・フォン・ル・コックは三角隅持ち送り式天井を見出し、これをラテルネンデッケと名付けた。
しかしながら我が国の古墳石室には天窓は無く、ラテルネンデッケという名称は如何にも不適である。それゆえ村田教授は古墳石室のラテルネンデッケ様(よう)構造を「隅三角状持ち送り式天井」と名付けられた。なお隅三角状持ち送り式天井の石室は、朝鮮及び吉林省の高句麗式古墳においてもよく似た構造が見出され、日本海を挟んだ技術交流をうかがわせる。
関連商品
美術品と工芸品のレファレンス 数と図形に関するシンボリズム インデックスに戻る
美術品と工芸品のレファレンス シンボル(象徴) インデックスに移動する
美術品と工芸品のレファレンス インデックスに移動する
美術品と工芸品 商品種別表示インデックスに移動する
美術品と工芸品 一覧表示インデックスに移動する
アンティークアナスタシア ウェブサイトのトップページに移動する
Ἀναστασία ἡ Οὐτοπία τῶν αἰλούρων ANASTASIA KOBENSIS, ANTIQUARUM RERUM LOCUS NON INVENIENDUS