聖母子像における鶸(ひわ)
le chardonneret dans le contexte de l'art chrétienne




(上) 「ゴシキヒワ」 イギリスのアンティーク石版画 Edward Lloyd, "Natural History", printed by Wyman and Sons Limited, Great Britain, 1896


 「ひわ」(鶸)とはスズメ目アトリ科を構成する最も大きなグループ(亜科)で、わが国で普通にみられるマヒワ、カワラヒワ、ウソ、シメ、イスカの他、カナリア、キイロカナリア等を含む数十種の鳥の総称です。

 「ひわ」に含まれるゴシキヒワ(ゴールドフィンチ)は西アジアからヨーロッパ、北アフリカに分布する鳥で、雌雄ともに顔に赤い羽毛を有します。キリスト教文化圏においてゴシキヒワはイエズス・キリストの受難を象徴し、数多くの絵画や彫刻に表されています。この論考では西ヨーロッパのキリスト教美術におけるゴシキヒワについて概観します。


【あざみとゴシキヒワ --- ラテン語、フランス語、イタリア語、スペイン語における種名の由来】

 ゴシキヒワの学名「カルドゥエーリス・カルドゥエーリス」(Carduelis carduelis ヒワ属ゴシキヒワ)は大リンネによる命名ですが、「カルドゥエーリス」(Carduelis) は大プリニウスの「自然誌」にも使われている語彙であり、正統的な古典ラテン語です。「カルドゥエーリス」の語源は「カルドゥウス」(Carduus, -i) または「カルドゥス」(Cardus, -us) で、これはラテン語で野生種のあざみ、または栽培種であるアーティチョーク(チョウセンアザミ)を指します。つまりゴシキヒワのラテン語名「カルドゥエーリス」は「薊鳥」(あざみどり)というような意味で、これはゴシキヒワがあざみの種子を好んで食べる習性に由来します。

 ゴシキヒワのフランス語名は「シャルドンレ・テレガン」(chardonneret élégant 「美しきヒワ」の意) といいますが、この「シャルドンレ」も「シャルドン」(chardon あざみ)に由来します。イタリア語においても事情は同じで、ゴシキヒワを指す「カルデッリーノ」(cardellino) は「カルド」(cardo あざみ)に由来します。スペイン語の「カルデリナ」(cardelina) も「カルド」(cardo あざみ)に由来します。

 イギリスで 1896年に刷られた石版画を、このページ冒頭に示しました。ゴシキヒワ(ゴールドフィンチ)はこの図版でもあざみの種子を食べています。


【キリスト教文化圏において、あざみとゴシキヒワが有する象徴性】

 聖書の植物名が「あざみ」と訳されている箇所のなかでも、おそらく最も有名なのは、原罪を犯したアダムとエヴァを神が呪う場面でしょう。「創世記」 3章 17~19節を七十人訳と新共同訳により引用します。


17 τῷ δὲ Αδαμ εἶπεν ὅτι ἤκουσας τῆς φωνῆς τῆς γυναικός σου καὶ ἔφαγες ἀπὸ τοῦ ξύλου οὗ ἐνετειλάμην σοι τούτου μόνου μὴ φαγεῖν ἀπ᾽ αὐτοῦ ἐπικατάρατος ἡ γῆ ἐν τοῖς ἔργοις σου ἐν λύπαις φάγῃ αὐτὴν πάσας τὰς ἡμέρας τῆς ζωῆς σου   ..   神はアダムに向かって言われた。「お前は女の声に従い/取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。  
18 ἀκάνθας καὶ τριβόλους ἀνατελεῖ σοι καὶ φάγῃ τὸν χόρτον τοῦ ἀγροῦ   お前に対して/土は茨とあざみを生えいでさせる/野の草を食べようとするお前に。
19 ἐν ἱδρῶτι τοῦ προσώπου σου φάγῃ τὸν ἄρτον σου ἕως τοῦ ἀποστρέψαι σε εἰς τὴν γῆν ἐξ ἧς ἐλήμφθης ὅτι γῆ εἶ καὶ εἰς γῆν ἀπελεύσῃ   お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」


 新共同訳で「あざみ」と訳されている3章18節の「トリボロス」(τρίβολος) は、棘のある多種の植物を指す名称です(註1)。創世記のこの箇所において、茨、あざみのように棘がある植物は罪の呪い、すなわち罪ゆえに神の祝福が得られない状態を象徴していることがわかります。アダムに対する罪の呪いは、贖い主(救い主)イエズス・キリストの受難の原因であり、聖母の悲しみの原因でもあります。

 しかるにゴシキヒワはあざみの種子を好んで食べます。ゴシキヒワはあざみを取り除く鳥であるといえます。

 したがって、あざみが罪の呪いの象徴であるとすれば、ゴシキヒワがあざみの種を食べる姿は、イエズスの苦しみ、聖母の悲しみを取り除こうとしているように見えてきます。さらに救い主イエズス・キリストは十字架上に受難することによって罪の呪いを取り除き給うたわけですから、あざみを取り除くゴシキヒワは、受難するイエズス・キリストそのものの象徴であるとも考えられます。

 このような理由により、ゴシキヒワはイエズス・キリスト受難の象徴、あるいは受難し給うイエズスその人を表す象徴として、キリスト教の象徴的図像体系に組み入れられることとなりました。


【ゴシキヒワを伴う聖母子像の作例】



(上) サラゴサの「ビルヘン・デル・ピラル」(la Virgen del Pilar 柱の聖母)は 1435年頃のゴシック彫刻です。幼子イエズスの左手にはゴシキヒワと思われる小鳥が留まっています。

 ゴシキヒワを伴う聖母子像は13世紀フランスのゴシック彫刻に現れたあと、とりわけトレチェント(trecento 1300年代すなわち14世紀)及びルネサンス期のイタリアで四百例を超える作品を生み出し、やがて中央ヨーロッパにまで広がりました。下に示すのはそのうちのごく一部です。


(下) Tommaso del Mazza (fl. 1388 - 1392), "Maestà" ou "La Vierge et l'Enfant entourés de huit anges" (centre de triptyque), peuplier, musée du Petit Palais, Avignon




(下) Carlo Crivelli (c. 1435 - c. 1495), "La Madonna Lenti", 1472/3, tempera e oro su tavola, 378 x 254 mm, the Metropolitan Museum, New York




(下) Martin Schongauer (c. 1445/50 - 1491), "Madonna in Rosenhag", 1473, Mischtechnik auf Holz, 200 x 115 cm, Dominikanerkirche, Colmar



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(下) Federico Barocci (c. 1533 - 1612), "La Madonna del Gatto", c. 1575, Oil on canvas, 112.7 x 92.7 cm, Bequeathed by Revd Holwell Carr, 1831, The National Gallery, London




(下) Giovanni Battista Salvi, il Sassoferrato (1609 - 1695), "La Madonna col Bambino", olio su tavola, 99 x 80 cm




(下) Giovanni Battista Tiepolo (1696 - 1770), "Madonna del cardellino", 1767/70, olio su tela, 62 x 49.5 cm, National Gallery of Art, Washington D.C.






【キリスト教美術における小鳥あるいはゴシキヒワの重層的象徴性】

 聖母子像に伴うゴシキヒワは幾つかの意味を重層的に表します。まず第一に、ゴシキヒワに限らず、鳥は救われるべき魂の象徴です。

 グレコ=ロマン期の地中海沿岸には、楽園の花々のあいだに遊ぶ鳥を墓室の床や壁面、聖堂に描いた例が広く分布します。楽園は死後の魂が住まうところであり、そこに遊ぶ鳥は死者の魂を表します。楽園の鳥がから水を飲んでいる場合、その水は生命の水であり、死後の永生あるいは再生を願う図像となっています。「生命の水を飲む鳥」のモティーフは、キリスト教の初期において被葬者がキリスト教徒であると異教徒であるとを問わず、墓室床面や壁面をはじめ、聖堂のモザイク画にも類例が見られます。

 救われるべき魂を表す小鳥のモティーフは、後世のキリスト教美術においても繰り返されます。下に示す画像は20世紀中頃のフランスで制作された小聖画です。それぞれの小聖画に関する概略、及び魂の象徴としての鳥については、キリスト教に関するレファレンス 《鳩を中心とした鳥のシンボリズム》に解説いたしました。





 第二に、ゴシキヒワに限らず、小鳥が復活を象徴する場合があります。上述のように生命の水を飲む鳥の図像はキリスト教図像において普遍的にみられるテーマです。またよく知られた二世紀末頃の外典文書「トマスによるイエスの幼時物語」二章には、五歳の少年イエスが泥で作った小鳥に生命を吹き込む話があります。古代、中世においてはアポクリファ(外典)に取材した多数の作品が制作されましたが、「トマスによるイエスの幼時物語」は古来よく知られた作品ですから、「生命を与えられる小鳥」のモティーフがキリスト教時代に発展、展開してゆくにあたり、何らかの影響を及ぼした可能性も考えられます。


 第三に、既に論じたとおり、ゴシキヒワはイエズス・キリスト受難の象徴、あるいは受難し給うイエズスその人を表す象徴です。ゴシキヒワの顔に見られる赤い羽毛は、茨の冠の傷から流れる血を連想させます。

 既に見たように(註1)、いずれも棘がある植物である「あざみ」と「茨」は、古代及び中世のユダヤ・キリスト教象徴体系においてほんど等価でした。それゆえあざみの棘はキリストの茨の冠を容易に連想させます。一方、この連想のせいで、赤い羽毛が生えたゴシキヒワの顔は、血に染まったイエズスの顔を想起させます。「ゴシキヒワ」と「キリストの受難」、「ゴシキヒワ」と「キリスト」の観念連合は、このようにして強化されたものと考えられます。


 聖母子とともに描かれるゴシキヒワは以上三つの意味を重層的に表しますが、このうち特に強調されるべきは第三の意味、すなわち受難の象徴としての意味です。第一及び第二の意味は他の小鳥によっても表すことができますが、第三の意味の象徴性はゴシキヒワ、またはヨーロッパコマドリのみが有します。



【ラファエロ・サンツィオ作 「鶸(ひわ)の聖母」】

 ウフィツィ美術館が収蔵する「ラ・マドンナ・デル・カルデッリーノ」("La Madonna del Cardellino" イタリア語で「鶸(ひわ)の聖母」の意)は、ラファエロ・サンツィオ (Raffaello Sanzio, 1483 - 1520) が23歳ころに描いた油彩板絵で、人類の至宝ともいうべき作品です。多年に亙る修復作業が 2008年に完了し、ルネサンス期の輝くような色彩を取り戻しました。




(上) Raffaello Sanzio, "La Madonna del Cardellino", c. 1506, olio su tavola, 107 x 77 cm, la Galleria degli Uffizi, Firenze.


 37歳で亡くなったラファエロの画業は、師であるペルジーノの影響、次いでフィレンツェで目にした美術作品の影響が大きい前半生に属する作品と、ローマに移り住んだ 1508年以降の後半生に属する作品に二分されます。本作品「鶸の聖母」は前半生の最高傑作のひとつであり、同時期に描かれた「ベルヴェデーレの聖母」("La Madonna del Belvedere", 1505) 及び「美しき女庭師」("La Belle Jardinière" o "la Bella Giardiniera", 1507) と多くの共通点を有します。


(下) Raffaello Sanzio, "La Madonna del Belvedere", 1505, olio su tavola, 113 x 88 cm, Kunsthistorisches Museum, Wien




(下) Raffaello Sanzio, "La Belle Jardinière", 1507, olio su tavola, 122 x 80 cm, Musée du Louvre, Paris




 「鶸の聖母」において、聖母は愛を象徴する赤と、知恵を象徴する青の衣を身に着け、知恵を象徴する書物、あるいは信仰を象徴する祈祷書を左手に持っています。聖母の右手は幼い洗礼者ヨハネの背中に添えられていますが、ヨハネはその手にゴシキヒワを抱いて、幼子イエズスに差し出しています。

 既に見たように、小鳥は救いを求める魂を象徴するとともに、ゴシキヒワはイエズス受難の予告でもあります。ゴシキヒワに向かって伸ばされ、小鳥を愛しげに撫でようとするイエズスの手は、罪びとを包み込む神の愛を表すとともに、神の経綸に従って十字架上に救世を成し遂げようとするイエズスの愛を表しています。






註1 現代の植物分類学において、「あざみ」はキク科アザミ属に属する植物の総称です。しかしながら聖書は旧約も新約もリンネ以前の書物であって、そこに登場する植物名を現代の種名に同定するのは容易ではありません。聖書の原テクストのみならず、後世に文化史的影響を及ぼした古代、中世の諸訳に関しても、事情は同じです。

 七十人訳聖書は「創世記」3章18節に「トリボロス」(τρίβολος) という言葉を使っています。筆者(広川)の手許にあるリデル・スコット希英辞典第九版によると、「トリボロス」はオニビシ (Trapa natans)、ハマビシ (Tribulus terrestris)、ハマビシ科の一種 (Fagonia cretica)、セリ科の一種 (Echinophora spinosa) を指します。いっぽう新共同訳は、七十人訳聖書が「トリボロス」と訳したヘブル語を「あざみ」と訳しています。要するにここで使われているヘブル語の植物名は、「棘が多い植物」を漠然とあるいは総称的に指しています。

 このことから、あざみをはじめ棘の多い植物は、罪の呪い、すなわち罪ゆえに神の祝福が得られない状態を象徴していることがわかります。「ヨブ記」31章40節、「イザヤ書」34章13節、「ホセア書」10章8節、「マタイによる福音書」7章16節、「ヘブライ人への手紙」6章8節等においても、あざみをはじめ棘が多い植物は、罪の呪いを象徴しています。



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