泉のシンボリズム
la symbolique de la source ou fontaine





(上) Jean Auguste Dominique Ingres, "La Source", 1820 - 1856, huile sur toile, 163 x 80 cm, Musée d'Orsay この作品において、アングルは泉としての甕を裸婦に持たせている。甕と泉は同一の象的機能性を共有する。また女と水は月を解して結びつく


 世界のどの民族においても、泉は「生命の源」として重要な象徴性を有します。

 水は地上のすべての生命を育てます。ところで、泉において、水は静止して溜まっているのではなくて、次々と新たに湧き出してきます。したがって、新しい水を湧出し続ける泉は、産出、新生、再生の象徴であり、母性の象徴でもあります。

 いくつかの古代宗教において、泉から湧き出る水は、記憶や知識をもたらすとも考えられています。この点に関して、ページの後半でオルフェウス教を中心に取り上げ、「永遠の記憶」と「永遠の生命」の関係について考察します。


【「生命の源」としての泉 -- 1. 創世記、及び関連する伝承】

 旧約聖書の創世記2章にはエデンの園の様子が描かれています。エデンの園の中央には、「命の木」と「善悪の知識の木」が生えています。またエデンの園からは一本の川が流れ出て、途中で四つに分かれています。「創世記」 2章 8節から 14節を、新共同訳により引用します。

      主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。
 エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。第一の川の名はピションで、金を産出するハビラ地方全域を巡っていた。その金は良質であり、そこではまた、琥珀の類やラピス・ラズリも産出した。第二の川の名はギホンで、クシュ地方全域を巡っていた。第三の川の名はチグリスで、アシュルの東の方を流れており、第四の川はユーフラテスであった。


 川の源泉がエデンの園の中のどこにあったのか、創世記には明示されていません。しかしこの川が園の中央、「命の木」と「善悪の知識の木」が生えるところから流れ出していると受け止めるのは、自然な解釈であり、実際、多数の絵画や中世ヨーロッパの地図において、エデンの園の中央、命の木と善悪の知識の木の傍(かたわ)らに、四つの川の源泉が描かれています。

 下に示すのは1300年頃に作成された「エプストルフの世界図」(die Ebstorfer Weltkarte) の複製です。「エプストルフの世界図」のオリジナルは1843年にエプストルフ(Ebstorf ニーダーザクセン州)のベネディクト会修道院で発見された一辺およそ 3.6メートルの大地図で、中世ヨーロッパにおける最も詳細な地図として知られましたが、1943年の空襲で焼失しました。

 「エプストルフの世界図」は世界をキリストの身体になぞらえ、東を上にして描かれています。左右の端が当時の西ヨーロッパに知られていた世界の南北の限界、下端がジブラルタル、地図の中心がエルサレムです。



 画面の上方、キリストの顔の向かって左にエデンの園が描かれています。二本の木のうち、向かって右側に生えているのは「善悪を知る木」で、蛇に唆されたアダムとエヴァが実を食べています。向かって左側に生えているのは「命の木」で、傍らの泉から四つの川が流れ出しています。




 下に示すのは「ニュルンベルク年代記」の創世記を記述した部分です。赤い実が生っているのは「善悪を知る木」で、アダムとエヴァが蛇に唆されて実を食べています。四つの川の源流が流れ出す泉は、右端の木の後ろにあってよく見えませんが、「善悪を知る木」とともに園の中央に生えている「命の木」が、すぐ傍らにあるはずです。




 「ニュルンベルク年代記」の木版画が、「善悪を知る木」を大きく描く反面、「命の木」をはっきりと描いていないのは、前者の図像表現に関して伝統的な合意がある一方で、後者に関しては、その形態に関する伝統的合意が無いために、描きにくかったのでしょう。


 ソルボンヌ大学の中世フランス文学者であるアルベール・ポーフィレ教授 (Albert Edouard Auguste Pauphilet, 1884 - 1948) は、「ゴーティエ・マップが作者に擬せられる聖杯探求物語研究」("Études sur la Queste del saint graal attribuée à Gautier Map", Paris, 1949) の付録として、パリのビブリオテーク・ナシオナル・ド・フランス(フランス国立図書館)に収蔵されている「フランス語写本 No. 1036」を収録しています。この写本において、四本の川はエデンの園の泉から流れ出しており、その泉は「命の木」と思われる大木の傍らにあります。

 ポーフィレ教授が引用している「フランス語写本 No. 1036」の該当箇所を下に示します。テクストは13世紀のフランス語で、日本語訳は広川によります。

    Seth le fist tout einsi com li angles li commanda,   セトはすべてのことを、天使に命じられた通りにした。
    et vit dedenz paradis tantes joies et tantes clartez que langue d'ome mortel ne le porroit dire ne conter les deliz ne les joies qui estoient em paradis, et de fruiz et de diverses mannieres de chanz et de douces voiz qui estoient plainnes de granz mélodies.   楽園で目にする歓びと美はたいそう大きく、死すべき人間の言葉では、楽園に見出される美しさや歓び、果実、さまざまな種類の歌、優美な調べに満ちた甘き歌声について語ることはできないほどであった。
    Car il i ot une fontainne dont iiii flunz sordoient, dont li nous sont tel. Li premiers est apelez Lyon ; li segonz Sison, li tierz a nom Tygris, li quarz Heufrates.   ここにひとつの泉があり、次に挙げる四つの川がそこから発していた。第一の川はリヨン、第二はシゾン、第三はティグリスという名で、第四はエウフラテスである。
    Cist iiii fluns donnent eve a tout le monde. Sor ceste fontainne avoit i grant arbre... [lac.]... tant qu'il li sovint des pas de son père et de sa mère que il avoit veus en la voie herbeuse.   これら四つの川は全世界に水を与えている。この泉の傍らに大いなる木を見て…[テクスト欠落]…セトは草の繁った道で見た父母(訳者註 アダムとエヴァ)の足跡を思い出した。
    Et il penssa bien [que] par cela raison que li pas estoient sans herbe, [par] celé raison meismes estoit li arbres sans fueille et sanz escorce.   父母の足跡に草が生えていなかったのと同じ理由で、木に葉と樹皮が無いのだと、セトは考えた。


 これらの資料が端的に示すように、ユダヤ・キリスト教において、エデンの園から流れ出る四つの川の源泉は、「生命の木」の傍らにあったと考えられています。このことは、ユダヤ・キリスト教において、泉が「生命の源」としての象徴性を有することを示します。


【「生命の源」としての泉 -- 2. 福音書における「生命の水」、及び聖杯伝説など】

 「ヨハネによる福音書」4章には、キリストがサマリアの女から井戸水を求める場面があります。同所 6節から15節を、ネストレ=アーラント第26版 (Novum Testamentum Graece, Nestle-Aland 26th edition, Deutsche Bibelgesellschaft, Stuttgart, 1979) のギリシア語原文にて引用します。日本語は新共同訳によります。

6ἦν δὲ ἐκεῖ πηγὴ τοῦ Ἰακώβ. ὁ οὖν Ἰησοῦς κεκοπιακὼς ἐκ τῆς ὁδοιπορίας ἐκαθέζετο οὕτως ἐπὶ τῇ πηγῇ: ὥρα ἦν ὡς ἕκτη. 7Ἔρχεται γυνὴ ἐκ τῆς Σαμαρείας ἀντλῆσαι ὕδωρ. λέγει αὐτῇ ὁ Ἰησοῦς, Δός μοι πεῖν: 8οἱ γὰρ μαθηταὶ αὐτοῦ ἀπεληλύθεισαν εἰς τὴν πόλιν, ἵνα τροφὰς ἀγοράσωσιν. 9λέγει οὖν αὐτῷ ἡ γυνὴ ἡ Σαμαρῖτις, Πῶς σὺ Ἰουδαῖος ὢν παρ' ἐμοῦ πεῖν αἰτεῖς γυναικὸς Σαμαρίτιδος οὔσης; {οὐ γὰρ συγχρῶνται Ἰουδαῖοι Σαμαρίταις.} 10ἀπεκρίθη Ἰησοῦς καὶ εἶπεν αὐτῇ, Εἰ ᾔδεις τὴν δωρεὰν τοῦ θεοῦ καὶ τίς ἐστιν ὁ λέγων σοι, Δός μοι πεῖν, σὺ ἂν ᾔτησας αὐτὸν καὶ ἔδωκεν ἄν σοι ὕδωρ ζῶν. 11λέγει αὐτῷ [ἡ γυνή], Κύριε, οὔτε ἄντλημα ἔχεις καὶ τὸ φρέαρ ἐστὶν βαθύ: πόθεν οὖν ἔχεις τὸ ὕδωρ τὸ ζῶν; 12μὴ σὺ μείζων εἶ τοῦ πατρὸς ἡμῶν Ἰακώβ, ὃς ἔδωκεν ἡμῖν τὸ φρέαρ καὶ αὐτὸς ἐξ αὐτοῦ ἔπιεν καὶ οἱ υἱοὶ αὐτοῦ καὶ τὰ θρέμματα αὐτοῦ; 13ἀπεκρίθη Ἰησοῦς καὶ εἶπεν αὐτῇ, Πᾶς ὁ πίνων ἐκ τοῦ ὕδατος τούτου διψήσει πάλιν: 14ὃς δ' ἂν πίῃ ἐκ τοῦ ὕδατος οὗ ἐγὼ δώσω αὐτῷ, οὐ μὴ διψήσει εἰς τὸν αἰῶνα, ἀλλὰ τὸ ὕδωρ ὃ δώσω αὐτῷ γενήσεται ἐν αὐτῷ πηγὴ ὕδατος ἁλλομένου εἰς ζωὴν αἰώνιον. 15λέγει πρὸς αὐτὸν ἡ γυνή, Κύριε, δός μοι τοῦτο τὸ ὕδωρ, ἵνα μὴ διψῶ μηδὲ διέρχωμαι ἐνθάδε ἀντλεῖν.    そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」 と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』 と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」


(下) Il Guercino, Jesus and the Samaritan Woman at the Well, 1640 - 41, oil on canvas, 116 x 156 cm, Museo Thyssen-Bornemisza, Madrid




 ヨハネ伝の上記の箇所には、キリストが与える水は飲む人の内で「泉」となり、「永遠の命に至る水」がわき出る、と書かれています。この「生命の水」は、水を飲むとともに、古代キリスト教以来、さまざまな象徴的図像に描かれています。これらの図像において、鳥や羊はキリスト者の魂を表します。

 下に示すのは19世紀後半のフランスのカニヴェで、善き牧者であるイエズス・キリストの手から生命の水を飲む羊たちを描いています。聖画の下には、次の言葉がフランス語で記されています。

  Allons puiser à cette source divine qui toujours s'épanche et jamais ne s'épuise.   常に湧き出し枯れることなき神の泉にて、我ら命の水を汲まん。

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 ところで、「ヨハネによる福音書」6章54節において、キリストは次のように言っています。

    ὁ τρώγων μου τὴν σάρκα καὶ πίνων μου τὸ αἷμα ἔχει ζωὴν αἰώνιον, κἀγὼ ἀναστήσω αὐτὸν τῇ ἐσχάτῃ ἡμέρᾳ: (NA 26)   わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。(新共同訳)


 それゆえキリストの血もまた「生命の水」であり、永遠の生命の象徴として図像に表されました。ヤン・ファン・エイク (Jan van Eyck, c. 1395 - 1441) が1432年に完成させたゲントの祭壇画では、アグヌス・デイ(神の子羊)、すなわちキリストの胸の傷からほとばしる血が、聖杯に注がれています。小羊が立つ祭壇には、「ヨハネによる福音書」1章29節にある洗礼者ヨハネの言葉「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(ECCE AGNUS DEI QUI TOLLIS PECCATA MUNDI) が、ラテン語で記されています。


(下) Jan van Eyck, "Autel de Gand" (details) 「ゲントの祭壇画」下段センター・パネル 小羊を描いた部分の拡大画像




 「聖杯伝説」(註1)において騎士たちが追い求めるグラールは、アリマタヤのヨセフ(註2)が十字架上のキリストの血を受けた容器とされ、人の病を癒し生命を与える不思議な力を有すると考えられています。このような不思議な力を持つ「聖杯」の探求に類似したテーマは、イスラム圏のアレクサンドロス大王伝説にも見られます。イスラム圏の伝説では、アレクサンドロス大王は「生命の水」が湧き出す泉を求めて、地の果てまで旅をしたと言われています。これらの伝説について論じるには、稿を改める必要があります。


 キリスト教においては、「ルルドの泉」があまりにも有名ですが、癒しの奇蹟を起こす泉はルルドに限りません。大天使ミカエルの崇敬が最初に行われたフリギア(小アジアの中心部)においては、病を癒す天使としてのミカエルが強調され、パウロの書簡で知られるコロサイにはミカエルの泉があって、その水を浴びた病人は瞬時に癒されたと伝えられています。(註3)


【「生命の源」としての泉 -- 3. ケルト、ゴールの多神教】

 「マグ・トゥレド (Mag Tured) の戦い」を伝えるアイルランドのケルト神話には、医療神ディアンキェフト (Diancecht) の手によって、アイルランドに生える全種類の植物が一株ずつ植えられた泉が登場します。この泉には生命と再生の泉であり、一夜にして戦士の傷を癒しました。

 南フランス、サン=レミ=ド=プロヴァンス(Saint-Rémy-de-Provence プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏ブーシュ=デュ=ローヌ県)南郊の古代遺跡グラヌム (GLANUM) には、健康の女神ワレトゥードー (VALETUDO) の泉があり、ローマ兵たちはこの泉で傷を癒しました。アウグストゥス帝の腹心であった軍人アグリッパ (Marcus Vipsanius Agrippa, B.C. 63 - A.D. 12) は、この泉で脚の傷が快癒した感謝の印として、当地にワレトゥードーの神殿を建てさせました。


(下) グラヌムにあるワレトゥードーの神殿跡。アグリッパの名前が石材に刻まれています。




 もともとケルト系ゴール人の地であったフランスには、泉に対するケルト的信仰の名残が顕著に見られます。ギリシアのアポロンと習合したボルウォ (Borvo) は、泉と温泉の神であり、医療神でもあります。この神がガリア全域で盛んに崇拝されていた名残は、ブルボン=ランシー(Bourbon-Lancy ブルゴーニュ地域圏ソーヌ=エ=ロワール県)、ブルボン=ラルシャンボー(Bourbon-l'Archambault オーヴェルニュ地域圏アリエ県)、ブルボンヌ=レ=バン(Bourbonne-les-Bains  シャンパーニュ=アルデンヌ地域圏オート=マルヌ県)等、温泉地の名前に見ることができます。

 ケルト色が非常に濃い地方である北フランス、ブルターニュでは、現在でも泉に対する民間信仰が盛んです。ブルターニュの泉は、ほんどの場合、聖アンナ、あるいは聖母の庇護の下にあるとされ、熱病や皮膚病など、多様な病気を癒す力があると考えられています。



【「記憶・智恵の源」としての泉 -- オルフェウス教など】

 古代ギリシアの密儀宗教であるオルフェウス教には、「記憶の水」を湧出する泉の観念が存在します。この「記憶の泉」は、「生命の泉」と密接な関係を有します。

 古代の南イタリアには、マグナ・グラエキアと呼ばれるギリシアの植民地が広がっていました。現在のカラブリア州ストロンゴリ (Strongoli) にある古代都市ペテリア (PETELIA) の遺跡から、紀元前四世紀頃の黄金のタブレットが発掘されました。

 ペテリアの黄金タブレットは、現在、大英博物館に収蔵されています。タブレットに記された内容はオルフェウス教の思想に基づく詩で、1836年に公開されました。

 イギリスの古典学者ジェイン・エレン・ハリスン (Jane Ellen Harrison, 1850 - 1928) は、名著「ギリシア宗教研究のプロレゴメナ」("Prolegomena to the Study of Greek Religion", 1903, revised 1908, 1922) に、このタブレット (fragment 32a) の校訂された原文を掲載し、英訳を付しています。ギリシア語による原テクスト、ハリスン女史による英訳を下に示します。日本語は私(広川)がギリシア語から訳しました。

    ΕΥΡΗΣΣΕΙΣ Δ' ΑΙΔΑΟ ΔΟΜΩΝ ΕΠ' ΑΡΣΤΕΡΑ ΚΡΗΝΗΝ,   "Thou shalt find to the left of the House of Hades a Well-spring,   アイデース(ハデス)が住まひの左に、汝、泉を見い出さむ。
    ΠΑΡ Δ' ΑΥΤΗΙ ΛΕΥΚΗΝ ΕΣΤΗΚΥΙΑΝ ΚΥΠΑΡΙΣΣΟΝ.   And by the side thereof standing a white cypress.   その傍らに、白き糸杉立ちてあらむ。
    ΤΑΥΤΗΣ ΤΗΣ ΚΡΗΝΗΣ ΜΗΔΕ ΣΧΕΔΟΝ ΕΜΠΕΛΑΣΕΙΑΣ.   To this Well-spring approach not near.   その泉に近づくなかれ。
    ΕΥΡΗΣΕΙΣ Δ' ΕΤΕΡΑΝ ΤΗΣ ΜΝΗΜΟΣΥΝΗΣ ΑΠΟ ΛΙΜΝΗΣ   But thou shalt find another by the Lake of Memory,   ムネーモシュネー(記憶)の海(註4)の傍らに、汝、別の泉を見い出さむ。
    ΨΥΧΡΟΝ ΥΔΩΡ ΠΡΟΡΕΟΝ, ΦΥΛΑΚΕΣ Δ' ΕΠΙΠΡΟΣΘΕΝ ΕΑΣΙΝ.   Cold water flowing forth, and there are Guardians before it.   海からは冷たき水が流れ来たり、その前に番人どもあらむ。
    ΕΙΠΕΙΝ· ΓΗΣ ΠΑΙΣ ΕΙΜΙ ΚΑΙ ΟΥΡΑΝΟΥ ΑΣΤΕΡΟΕΝΤΟΣ,   Say: 'I am a child of Earth and of Starry Heaven;   言ふべし。「我、ゲー(地)の子、星の空の子なり。
    ΑΥΤΑΡ ΕΜΟΙ ΓΕΝΟΣ ΟΥΡΑΝΙΟΝ· ΤΟΔΕ Δ' ΙΣΤΕ ΚΑΙ ΑΥΤΟΙ·   But my race is of Ouranos. This ye know yourselves.   しかるに我が種族は、ウーラノス(天)に属するなり。このこと、汝らもまた知るらむ。
    ΔΙΨΗΙ Δ' ΕΙΜΙ ΑΥΗ ΚΑΙ ΑΠΟΛΛΥΜΑΙΑΛΛΆ ΔΟΤ' ΑΊΨΑ   And lo, I am parched with thirst and I perish. Give me quickly   我、渇きて死ぬるなり。いざ、疾(と)く賜へ。
    ΨΥΧΡΟΝ ΥΔΩΡ ΠΡΟΡΕΟΝ ΤΗΣ ΜΝΗΜΟΣΥΝΗΣ ΑΠΟ ΑΙΜΝΗΣ.   The cold water flowing forth from the Lake of Memory.'   ムネーモシュネーの海より流れ来たる冷たき水を。
    ΚΑΥΤ(ΟΙ ΣΟ)Ι ΔΩΣΟΥΣΙ ΠΙΕΙΝ ΘΕΙΗΣ ΑΠ(Ο ΛΙΜΝ)ΗΣ   And of themselves they will give thee to drink from the holy Well-spring,   番人ども、海より…?…飲むべく汝に与へむ。
    ΚΑΙ ΤΟΤ' ΕΠΕΙΤ' Α(ΛΛΟΙΣΙ ΜΕΘ') ΗΡΩΕΣΣΙΝ ΑΝΑΞΕΙΣ
  And thereafter among the other Heroes thou shalt have lordship..."   そののち、汝、他の英雄(半神)どもとともに、支配者とならむ。
    ····· ΙΗΣ ΤΟΔΕ ····· ΘΑΝΕΙΣΘ ····
······· ΤΟΔΕΓΡΑΨ ·····
···· ΓΛΩΣΕΙΠΑ ··· ΣΚΟΤΟΣ ΑΜΦΙΚΑΛΥΨΑΣ
   


 古代ギリシアの宗教では、死者は「レーテー」(Λήθη) と呼ばれる川の水を飲んで全ての記憶を失う、とされていました。上のタブレットにおいて、死者が冥界(「アイデースの住まい」)の左に見い出す泉の水はレーテーの水と同じ役割を果たし、オルフェウス教の信徒が生前に受けた秘儀や知識の記憶を消し去ってしまいます。

 しかるに死者はいまひとつの泉を見い出します。この泉からは「ムネーモシュネー(記憶)の海」の水が湧き出しています。冥界に旅立ったオルフェウス教の信徒がこの泉から水を飲むと、生前に受けた秘儀や知識の記憶はすべて保持されて、幸福な来世に至ると考えられたのです。


 古代ギリシアの人々は、死後の永続的な「記憶」、すなわち自分の魂が死後もアイデンティティを忘失せずにいること、また死後においても自分が他人から忘れられずに記憶され続けることを、強く願いました。

 古代ギリシア人にとって、レーテーの「忘却」、すなわち記憶を喪失し、人からも忘れられることは、「死」を意味しました。死者はレーテーの水を飲むことにより、いわば本当に死ぬのです。逆に、死後の魂が永続的な記憶を保持し、生者からも永遠に憶えられているならば、それは「永遠の生命」を意味します。したがってオルフェウス教に見られる「記憶の泉」は、「生命の泉」と決して無関係ではありません。


 なおエッダ(註5)によると、世界樹イグドラシル (Yggdrasil) の根元には「ミーミルの泉」(Mímisbrunnr) があり、智恵の水が湧き出しています。「ミーミルの泉」は、世界樹の根元にあるという点がエデンの園の泉に、智恵の水を湧出するという点がペテリアの黄金タブレットの泉に、それぞれ類似しています。




註1 「聖杯」には三つの意味があります。その第一は、最後の晩餐のときにキリストがワインを入れた杯のことです。「マタイによる福音書」26章26節から30節には、次のように記録されています。

      一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」(新共同訳)


 第二は、ミサのときに司祭が使う杯のことです。聖杯に入れられたワインは、実体変化によってキリストの血となります。ミサにおける聖餐あるいは聖体拝領は、上記の「最後の晩餐」をなぞっています。

 第三は、西ヨーロッパ中世の「聖杯伝説」において騎士たちが追い求める聖なる杯(グラール、あるいはグレイル 仏 le Graal 独 der Heilige Gral 英 the Holy Grail)を指します。「聖杯伝説」によると、この「聖杯」は最後の晩餐で使われた杯であり、キリスト受難の際にはこの杯でキリストの血を受けたとされます。「聖杯伝説」には幾つもの系統があって錯綜していますが、いずれも宗教的モティーフを取り入れながらも、その基本は世俗的な騎士道物語です。

註2 アリマタヤのヨセフは、受難後のキリストを十字架から下ろして埋葬した人物です。(マタイ 27: 57他)

註3 ちなみに伝説によると、口が利けない娘をこの泉によって癒された父親が、感謝の印に教会堂を建てますが、異教徒がこの教会を破壊することを企み、近くを流れる二つの川を合流させて、その激流を教会に向けました。信徒の祈りに答えて姿を現した大天使ミカエルが地を引き裂くと、水は全て岩の裂け目に流れ込み、教会は破壊を免れました。

 9月6日はこのコロサイの奇跡の祝日です。歴代ロシア皇帝はモスクワのクレムリンにあるチュードフ修道院で受洗しますが、チュードフ修道院は正式名をアレクセイ大天使ミハイル修道院といい、コロサイの奇跡の祝日を記念して名づけられています。

 12世紀のイコン 「コロサイの奇跡」 シナイ山、聖カタリナ修道院蔵

註4 「リムネー」 (λίμνη) は近代語「リムノロジー」(limnologie 陸水学 陸封された水域に関する学)の語源ですが、古典ギリシア語では「湖」、「沼」、「貯水池」を指すほか、ホメロスは「海」の意味で使っています。ここでは日本語の古語における広義の「うみ」として訳しておきます。

註5 「エッダ」は13世紀に編纂された北欧神話の文献です。



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