アンティーク細密画 ラファエロ作 「鶸(ひわ)の聖母」


画面サイズ  60 x 50 ミリメートル

額のサイズ  縦 112 x 横 102 x 奥行 17ミリメートル


フランス  19世紀後半



 19世紀後半のフランスで制作された作品。ウフィツィ美術館が収蔵するイタリア・ルネサンスの至宝、ラファエロの「鶸(ひわ)の聖母」("La Madonna del Cardellino", 1506) に描かれた美しい聖母を、19世紀ならではの非常に緻密なミニアチュール(細密画)で再現しています。




(上) Raffaello Sanzio, "La Madonna del Cardellino", c. 1506, olio su tavola, 107 x 77 cm, la Galleria degli Uffizi, Firenze.


 本品において聖母の後光はたいへん明瞭で、赤い衣の色はずいぶんとくすんでいますが、これは本品が制作された19世紀当時における「鶸の聖母」の状態を反映しています。「鶸の聖母」は十年に及ぶ修復作業によって輝くような色彩を取り戻し、2008年にウフィツィ美術館に戻されましたが、それまでは汚れや絵具の経年変化によって色褪せており、また後世の修整あるいは加筆も加わっていました。上の画像は修復前後の状態を比較したものです。



【ラファエロの原画について】

 「鶸の聖母」はラファエロの前半生における最高傑作のひとつであり、聖母子と洗礼者ヨハネが三角形を為す画面構成、三人の持ち物及び身に着けているものの種類と色彩、周囲の風景、作品の技法とサイズ等の諸点が、同時期に描かれた「ベルヴェデーレの聖母」("La Madonna del Belvedere", 1505) 及び「美しき女庭師」("La Belle Jardinière" o "la Bella Giardiniera", 1507) と多くの共通点を有します。この作品が「鶸の聖母」と呼ばれるわけは、手前向かって左の幼い洗礼者ヨハネが手に抱いたゴシキヒワを幼子イエズスに差し出しているからです。





 キリスト教美術の象徴体系において、鳥は救いを求める魂を象徴します。さらにゴシキヒワはイエズス受難の予告でもあります。ゴシキヒワに向かって伸ばされ、小鳥を愛しげに撫でようとするイエズスの手は、罪びとを包み込む神の愛を表すとともに、神の経綸に従って十字架上に救世を成し遂げようとするイエズスの愛を表しています。


【このミニアチュールについて】




 本品は聖母を描いた楕円形のミニアチュールを、皿状の楕円形木製枠に嵌め込み、ドーム状ガラスで保護しています。

 ミニアチュールを囲むクラシカルな金属製ベゼルには、様式化されたシェーヌ(樫、ぶな、柏)があしらわれています。「創世記」において天と地、あるいは神と人を結ぶ軸を象徴するシェーヌは、「恩寵の器」である聖母の絵を飾るにふさわしい植物です。





 「鶸の聖母」を制作した数年後、ラファエロはカスティリオーネ伯にあてた手紙の中で、「美しい女性を描くにはもっと多くの美女を見なければなりませんが、美女は常に不足しているので、私は心の中のイデアを使って描いています。」と語っています。

 当時のイタリアではネオ・プラトニズムが流行していました。プラトンの哲学において美のイデアとは現世の美を超越した完全な美であり、カンヴァスの上には実現しようのないものですが、ラファエロの魂は美のイデアを想起して憧れ、それに少しでも近付こうとしているのです。

 ときには思想性を捨象してまでも純粋な美をひたすら追い求めるラファエロの芸術は、憂鬱なミケランジェロの作品と比べると一見明るく現世肯定的であるように見えますが、これをプラトニズムの立場から見直すならば、ラファエロはひたすらイデア界に憧れ、イデア界の影に過ぎないこの世界を捨てて、イデア界にのみ生きようとしているのだと解釈することができます。



 少し余談を書きます。哲学的な議論が苦手な方は読まずに飛ばしてください。



  ラファエロは本品においてこの上なく美しい聖母を描き、微笑みをたたえたまなざしを二人の幼子に向けさせています。

 「鶸の聖母」を観る人は、まず初めに美しい聖母の顔に惹き付けられます。プラトン主義の立場からいうと、このとき「鶸の聖母」を観る人の魂は、美のイデアを想起します。しかるに「鶸の聖母」を見る人は、いったん聖母の顔に惹き付けられたあと、聖母の視線に導かれて、二人の幼子を見ます。視線の先にあるのは、鶸(ゴシキヒワ)を差し出す洗礼者ヨハネと、鶸を愛しげに包もうとするかのような幼子イエズスの手です。鶸と、鶸を包み込む幼子イエズスの手が表すのは、至高の愛、神の愛です。


 ところで、愛にはエロースとアガペーの二種類があります。エロースは「求める愛」、アガペーは「与える愛」です。

 プラトンの「饗宴」によると、エロース (Ἔρως) はポロス(Πόρος 豊かさ)とペニアー(Πενία 欠乏、貧窮)の間に生まれた子供とされています(バーネット版 203b - 203c)。それゆえエロースは豊かさと欠乏の中間にあって、自分に欠けている物を求めます。

 しかるにキリスト教の神には欠けている物がありません。それゆえ神の愛「アガペー」(ἀγάπη) は「与える愛」です。このキリスト教的愛に新プラトン主義的な表現を当てはめると、アガペーは神からの「流出」(EMANATIO) である、といえましょう。


 聖母の視線に導かれた「鶸の聖母」の鑑賞者が、洗礼者ヨハネが差し出す鶸と、鶸を愛しげに包もうとする幼子イエズスの手に神の愛(アガペー)を読み取るとき、鑑賞者の視線は必然的に神の愛の源へと向かいます。神の愛の源は神ですが、これを新プラトン的に表現するならば、鑑賞者の魂が「善」のイデアを想起する、といえましょう。

 「鶸の聖母」を描いたときにラファエロが何を考えていたかは、本人ならぬ余人には知りようがありません。しかしながらラファエロは、「鶸の聖母」を観る人の魂に、ギリシア人が尊んだ「善美」(カロカガティア καλοκαγαθία)、とりわけ「善のイデア」を想起させたかったのだと筆者(広川)は考えます。






 このミニアチュールは、かつて画材に多用された象牙の薄片に描かれています。象牙の薄片は切り出す際に付く鋸(のこぎり)の痕を木づちで叩いて消し去り、下地の表面を完全に滑らかにしています。


 象牙の薄片はサイズの上限が限られているゆえに、これに描く作品は必然的に細密な小品となります。

 下の画像は実物の面積を約 40倍に拡大しています。定規のひと目盛は1ミリメートルです。聖母の顔立ちは美しく整っていますが、顔の各部分が2ミリメートルほどのサイズで描かれていることがわかります。目鼻の位置が 0.1 ~ 0.2ミリメートルもずれれば、聖母の気品は台無しになってしまうことでしょう。光に照らされた髪や唇の艶(つや)、瞼(まぶた)や鼻筋、口許の陰翳、顔から首筋にかけての陰翳も、大型の絵画に勝るとも劣らない自然さで仕上げられています。





 このミニアチュールは、ラファエロの原作と同様に、人工的な輪郭線を用いない「スフマート」(sfumato イタリア語で「ぼかし」)で描かれています。「スフマート」はラファエロがレオナルド・ダ・ヴィンチから学んだ技法です。輪郭線の無いスフマートのせいでミニアチュールはいっそう自然な仕上がりとなり、あたかも生身の聖母を眼前にするかのような錯覚さえ覚えます。



 ラファエロの聖母像はいずれもたいへん美しいですが、本品の原画となった「鶸の聖母」は、「美しき女庭師」(「ラ・ベル・ジャルディニエール」)と並ぶ前半生の最高傑作といえましょう。さらに本品は19世紀のフランスで盛んに制作された一点物のミニアチュールであり、現在ではおよそ再現不可能な細密さで仕上げられています。百数十年前のアンティーク品にもかかわらず、保存状態も良好です。お買い上げいただいた方には末長くご満足いただけます。





75,000円 販売終了 SOLD

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