洗礼者ヨハネ
St. Jean le Baptiste



(上) ラファエロ作「鶸(ひわ)の聖母」に幼児として描かれた洗礼者ヨハネ(手前左)。ヨハネはイエズスよりも六か月年長です。 Raffaello Sanzio, "La Madonna del Cardellino", c. 1506, olio su tavola, 107 x 77 cm, la Galleria



 洗礼者ヨハネはメシア(救世主、キリスト)の出現を先ぶれする預言者として、すべての福音書に登場する非常に重要な人物です。


【洗礼者ヨハネの誕生】

 洗礼者ヨハネについてはすべての福音書と使徒言行録に言及されていますが、ヨハネが誕生したときのいきさつは、「ルカによる福音書」のみに記録されています。

 ヨハネはイエズスよりも六か月先に生まれました。ヨハネの誕生前後の出来事を、「ルカによる福音書」1章の構成にしたがって記述します。

1. 祭司ザカリアの妻エリザベトが身ごもって男の子を産むことを、天使ガブリエルがザカリアに告知する。(「ルカによる福音書」 1章 5 - 25節)

 エルサレム神殿の祭司は二十四の組に分かれており、それぞれの組は半年に一度、一週間のあいだ神殿で仕えることになっていた(註1)。ザカリアは「アビアの組」(八番目の組)の祭司であった。また、その妻エリザベトは大祭司アロン(註2)の子孫であった。この夫婦は神の前に正しい人たちであったが、子供が無かった。

 アビアの組の順番が回ってきたので、祭司ザカリアは神殿で神に仕えるため、エルサレムに滞在していた。祭司は朝の燔祭(いけにえの奉献)の前、及び夕の燔祭の後に、聖所で香を焚く(註3)。これは祭司の務めのうち最も重要なもので、誰が香を焚くかはその度ごとにくじで決められる。この時のくじはザカリアに当たり、ザカリアは一人で神殿に入り、聖所で香を焚いていた。すると天使ガブリエルが出現し、妻エリザベトが身ごもって男の子を産むことをザカリアに知らせる。ガブリエルは男の子をヨハネと名付けるように命じ、ヨハネがエリヤの霊と力で主(メシア、救世主)の先立ちとなることを告げる(註4)。ザカリアはガブリエルの告知を素直に信じることができなかったために、ヨハネが生まれるときまで口が利けなくなる。

2. その六か月後、マリアがイエズスを身ごもったことを、天使ガブリエルがマリア自身に告知する。(同 1章 26 - 38節 受胎告知

 ガリラヤ地方の小村ナザレに住む少女マリアは、エリザベトの親類で、ダヴィデの子孫ヨセフの許嫁(いいなずけ 婚約者)であった。天使ガブリエルはマリアのもとに来て、マリアが処女であるにもかかわらず、身ごもって男の子を生むことを知らせる。ガブリエルは男の子をイエス(イエズス)と名付けるように命じ、イエスが「いと高き方(神)の子」、すなわちメシアと呼ばれることを告げる。マリアは「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と答える。

3. マリアがエリザベトを訪ねて賛歌を歌う。(同 1章 39 - 56節 マーグニフィカト

 ザカリアとエリザベトは、マリアが住むナザレから南へ150キロメートル、歩いて四、五日の旅程にあるユダエア属州(ユダヤ属州)の山里アイン・カリムに住んでいた。マリアがザカリアの家を訪ねてエリザベトに挨拶すると、胎内のヨハネが喜んでおどり、エリサベトは聖霊に満たされて、マリアを「わたしの主(すなわち、メシア)のお母さま」と呼ぶ。マリアは「わが魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも、目を留めてくださったからです(註5)」との賛歌を歌う。マリアはエリサベトの許に三か月ほど滞在した後、ナザレに帰る。

 この頃、恐らくマリア自身から、マリアが身ごもったことを聞き知ったヨセフは思い悩み、ひそかに縁を切ろうと決心するが、天使が夢に現れて、救い主に関するイザヤの預言(註6)を示し、マリアを妻として迎えるように命じる(「マタイによる福音書」 1章 18 - 25節)。




(上) Domenico Ghirlandaio, "La Visitation", c. 1491, tempera sur bois, 172 x 165 cm, Musée de Louvre


4. 洗礼者ヨハネが誕生する。ヨハネの父ザカリアは、メシアの出現、及びその先ぶれの預言者としてのヨハネの役割を預言する。(同 1章 57 - 80節)

 エリサベトは男の子を生んだ。生後八日目の割礼の際、ザカリアの家に集まった人々は、男の子を父と同じ「ザカリア」と名付けようとする(註7)が、エリサベトは「ヨハネ、と名付けなければなりません」と言い、口が利けないザカリアも、書字板に「この子の名はヨハネ」と書く。このときザカリアは話せるようになって神を賛美し、「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、われらのために救いの角を、僕(しもべ)ダビデの家から起こされた(註8)」「幼子よ、お前はいと高き方(神)の預言者と呼ばれる。主(メシア)に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである」と預言する。ヨハネは健やかに育ち、成長後は、人々の前に現れるまで、エルサレムの南あるいはイェリコ付近に広がる死海西方の荒れ野で暮らした。


【洗礼者ヨハネによる宣教と洗礼】

 洗礼者ヨハネによる宣教と洗礼、及びヨハネがイエズスに施した洗礼については、「マタイによる福音書」 3章、「マルコによる福音書」 1章 1 - 11節、「ルカによる福音書」 3章 1 - 22節、「ヨハネによる福音書」 1章 19 - 34節に記録されています。四福音書の記述を総合すると、この時期のヨハネの活動がよくわかります。


 青年期のヨハネは死海西方の荒れ野で禁欲と断食、祈りに明け暮れ、預言者としての訓練を積んでいました。

 「ルカによる福音書」 1: 15によると、ザカリアの前に現れた天使ガブリエルは、ザカリアの子ヨハネが「ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされて」いると語りますが、この言葉は「ナジル人(びと)」を連想させます(註9)。ヨハネはぶどう酒、強い酒、それらから作った酢、葡萄を口にせず、また髪を切らずに伸ばしていたのでしょう。「マタイによる福音書」 3: 4、及び「マルコによる福音書」 1: 6によると、ヨハネはラクダの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていました。


(下) 預言者の身なりで描かれた洗礼者ヨハネ Matthias Grünewald, "Retable d'Isenheim"(details), le musée d'Unterlinden, Colmar




 荒れ野で啓示を受けたヨハネは(註10)、ヨルダン川沿いの地方一帯に行って、「悔い改めよ。天の国は近づいた(マタイ 3: 2)」と説き、人々に回心を促して、「洗礼」(註11)を施しました。ただしヨハネはこの洗礼について人々に説明し、自身が水で施す洗礼は象徴的な儀式に過ぎないが、救世主イエズスが聖霊で施す洗礼は受洗者の魂そのものを変える力を持つ、と言いました。(註12)


【イエズスの受洗】

 共観福音書には、ヨハネがイエズスに洗礼を施した出来事が記録されています(マタイ 3: 13 - 17、マルコ 1: 9 - 11、ルカ 3: 21 - 22)。「ヨハネによる福音書」はこの出来事について詳述していませんが、「わたしは、“霊”が鳩のように天から降(くだ)って、この方の上にとどまるのを見た。(1: 32)」という洗礼者ヨハネの言葉を記録しています。

 「悔い改めよ。天の国は近づいた」と説く洗礼者ヨハネの許(もと)には、多数の人々が訪れました。彼らは罪を悔い改めて身を清め、その徴(しるし)に洗礼を受けようとしたのです。ところがヨハネ自身が当惑したことに、イエズスもヨハネの許にやって来ました。

 イエズスは悔いるべき罪を持ちません。したがってヨハネから洗礼を受ける必要など無かろうと思われます。実際、ヨハネはイエズスに洗礼を施すことをいったんは断っています。それにもかかわらずイエズスは「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです(15節)」とヨハネを説得し、洗礼を受け給いました。すると天が開けてイエズスに聖霊が降(くだ)り、これはわたしの愛する子、わたしの心に適(かな)う者」と言う声が天から聞こえました。


(下) Gerard David, "The Baptism of Christ", 1505, Oil on wood 128 x 97 cm, Groeningemuseum, Bruge




 イエズスがヨハネから洗礼を受け給うたのは一見不可解な出来事ですが、イエズスの受難によって救世が達成された後、神を信じる人々の心に聖霊が降(くだ)る事を示すため、またイエズスご自身が確かにメシアであることをヨハネに示すため、さらに罪が無いイエズスがあたかも罪びとのように洗礼を受けることで、「神の子羊」であるイエズスが人の罪を背負って死ぬということを示すために、イエズスはヨハネから受洗し給うたのだと考えられています。

 イエズスの受洗に関する詳しい解説を読むには、こちらをクリックしてください。


【洗礼者ヨハネの弟子がイエズスの弟子になったケース】

 「ヨハネによる福音書」 1章 35 - 40節によると、そばを通りかかったイエズスを見て、洗礼者ヨハネは「見よ。神の子羊(すなわち、メシア)だ」と言い、これを聞いたヨハネの弟子二人がイエズスについて行き、おそらく安息日が始まろうとしていたために、その夜イエズスと共に泊まりました。彼らは師ヨハネからイエズスについて話を聞いていたでしょうし、イエズスその人とも語り合ったに違いなく、その結果としてイエズスをメシアと信じました。ふたりのうちの一人はアンデレ(シモンの兄弟)で、この後にシモンをイエズスの許に連れて行き、イエズスはシモンに「ケファ」(ペトロ)という新しい名を与え給いました。




(上) 「シモン・ペトロとアンデレの召命」 エリオグラヴュールによるフランスの小聖画 1925年 当店の販売済み商品


 シモンが洗礼者ヨハネの弟子であったかどうかは明記されていませんが、兄弟アンデレがヨハネの弟子であり、またシモンがアンデレの言葉によってイエズスを訪れた事実を考えれば、兄弟ふたりともが宗教的な事柄に深く関心を寄せ、メシアの到来を待ち望んでいたことがわかります。アンデレとシモンはいったん帰宅して漁師としての日常生活に戻りましたが、今後どうするかを兄弟でよく話し合ったのではないでしょうか。その後、ガリラヤ湖のほとりを歩くイエズスに、「わたしについて来なさい」と言われたとき、ふたりは迷わず仕事と日常生活を捨てて、イエズスに付き従いました。

 「ヨハネによる福音書」 1章 35 - 40節によると、ヨハネの弟子が二人、イエズスについて行き、そのうちの一人がアンデレでした。もう一人の名前は記されていませんが、「ヨハネによる福音書」の著者である使徒ヨハネその人が、名前を明記されていない方の弟子であろうと思われます。ヨハネにはヤコブという兄弟がいました。ヨハネ、ヤコブの兄弟と、アンデレ、シモンの兄弟には、多くの共通点があります。すなわち職業はいずれも漁師であり、また兄弟ともに宗教的な事柄に深く関心を寄せてメシアの到来を待ち望んでいました。また兄弟のうちの少なくとも一方は洗礼者ヨハネの弟子であり、洗礼者ヨハネの許からイエズスについて行ったアンデレとヨハネは、シモンとヤコブにメシアの出現を伝えたのです。こうして、ヤコブとヨハネもまた、アンデレ、シモンと同様に、イエズスに呼ばれて仕事と日常生活を捨て、イエズスの弟子となりました。(「マタイによる福音書」 4章 18 - 22節他)


【洗礼者ヨハネの死】

 「マルコによる福音書」 6章 14 - 29節には、洗礼者ヨハネが捕縛され、殺害されたいきさつが記録されています。該当箇所を新共同訳によって引用いたします。

 イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。人々は言っていた。「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」そのほかにも、「彼はエリヤだ」と言う人もいれば、「昔の預言者のような預言者だ」と言う人もいた。ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と言った。

 実は、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。 そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。

 ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと、ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、更に、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。少女が座を外して、母親に、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。早速、少女は大急ぎで王のところに行き、「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めた。





(上) Lucas Cranach der Ältere, "Salome", c. 1530, 87 x 58 cm, the Museum of Fine Arts, Budapest


 上記引用箇所冒頭の「ヘロデ王」とはヘロデ・アンティパス (Herode Antipas II, B.C. 21 - A.D. 39 註13) のことです。ヘロデ・アンティパスにはヘロデ・フィリポという異母兄弟がいましたが、ヘロデ・フィリポの妻ヘロディアは夫が生きているのに離別し、夫の兄弟であるヘロデ・アンティパスと結婚しました。洗礼者ヨハネはこの結婚が律法(トーラー)によって禁じられているとして非難したのです。トーラーの一部である「レビ記」には次のように書かれています。

 兄弟の妻を犯してはならない。兄弟を辱めることになるからである。(18章 16節)

 兄弟の妻をめとる者は、汚らわしいことをし、兄弟を辱めたのであり、男も女も子に恵まれることはない。(20章 21節)


 ヘロデ・アンティパスはヘロディアとの結婚に伴って正妻と離婚しましたが、この正妻はナバテア王国(註14)の王女であったために、ヘロデ・アンティパスとナバテア王アレタス4世 (Aretas IV Philopatris) の間に戦争が起こり、ヘロデ・アンティパスは敗れます。これ以降ヘロデ・アンティパスは転落の一途をたどり、ローマ皇帝に領主の地位を剥奪されてガリアのルグドゥヌム(リヨン)に流され、さらにヒスパニアに追放されて死にました。


【「荒れ野に叫ぶ者の声」及び「エリヤ」としての洗礼者ヨハネ】

 「マルコによる福音書」 1章 2 - 3節には、旧約の預言者たちの言葉が引用されています。ネストレ=アーラント26版のギリシア語原文、及び新共同訳により、この箇所を示します。

    Ἰδοὺ ἀποστέλλω τὸν ἄγγελόν μου πρὸ προσώπου σου,
ὃς κατασκευάσει τὴν ὁδόν σου:
.. 見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、
あなたの道を準備させよう。
    3φωνὴ βοῶντος ἐν τῇ ἐρήμῳ, Ἑτοιμάσατε τὴν ὁδὸν κυρίου,
εὐθείας ποιεῖτε τὰς τρίβους αὐτοῦ
  荒れ野で叫ぶ者の声がする。「主の道を整え、
その道筋をまっすぐにせよ。」


 上記の聖句の前半は「マラキ書」 3章 1節の引用です。「マラキ書」の聖句は次の通りです。

 見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は/突如、その聖所に来られる。あなたたちが喜びとしている契約の使者/見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。(「マラキ書」 3章 1節 新共同訳)

 イエズス自身も、集まった群衆に対してヨハネの役割を示すために、「マラキ書」のこの部分を引用しておられます(マタイ 11: 10、ルカ 7: 27)。そしてイエズスはそのすぐ後で、洗礼者ヨハネが「エリヤである」と言明しておられます(マタイ 11: 14)。(註 15)

 エリヤは「列王記」 下 2章 11節において、火の馬に引かれる火の戦車に乗り、嵐の中を天に昇って行った大予言者です。イエズスの時代、メシアの出現に先立ってエリヤが再び地上に現れると考えられていました。「マラキ書」 3章 23節には次のように書かれています。

 見よ、わたしは/大いなる恐るべき主の日が来る前に/預言者エリヤをあなたたちに遣わす。(「マラキ書」 3章 23節 新共同訳)


 マルク・シャガール 「天に昇るエリヤ」


 上記の聖句の後半、「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」は、七十人訳「イザヤ書」 40章 3節の引用です(註16)。「ヨハネによる福音書」 1章 23節では、洗礼者ヨハネ自身が、自分の役割を人々に説明するために、「イザヤ書」のこの聖句を引用しています。

 ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」 (「ヨハネによる福音書」 1章 23節 新共同訳)




註1 「歴代誌」上 24章 7 - 19節

註2 大祭司アロンはモーセの兄。きょうだいの順番は、上から、ミリアム、アロン、モーセです。ミリアムは女性で、聖母の名前「マリア」はヘブル語の名前「ミリアム」のギリシア語風(あるいはラテン語風)表記です。

註3 アロンはその祭壇で香草の香をたく。すなわち、毎朝ともし火を整えるとき、また夕暮れに、ともし火をともすときに、香をたき、代々にわたって主の御前に香りの献げ物を絶やさぬようにする。(「出エジプト記」 30章 7- 8節 新共同訳)

註4 見よ、わたしは/大いなる恐るべき主の日が来る前に/預言者エリヤをあなたたちに遣わす。(「マラキ書」 3章 23節 新共同訳)

註5 マリアによるこの賛歌「マーグニフィカト」には、「サムエル記」上 2章の「ハンナの祈り」との明らかな類似性が認められます。またマリアは自分を主の「はしため」と表現しているが、ハンナもまた、神への祈りの中で、自分を「はしため」と言っています。(「サムエル記」上 1章 11節)

註6 それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。(「イザヤ書」 7章 14節 新共同訳)

 「イザヤ書」のヘブル語原文において、上記引用箇所の「おとめ」は単に若い女性を指しますが、マタイは「イザヤ書」のこの箇所をギリシア語で引用し、「パルテノス」(παρθένος 処女)という語を使っています。

註7 男の子には生後八日目に割礼が施され、この時名前も決められます。男の子には祖父や父をはじめとする近親と同じ名前を付けるのが慣習でしたが、ザカリアの近親に「ヨハネ」という名の人はいませんでした。

註8 「救いの角」とは、「力と権威のある救い主(メシア)」の意味です。「角」は力と権威の象徴です。

註9 「ナジル人」とは特別の誓願を立てて神に献身する男または女のことで、「民数記」 6章 1 - 8節には次のように書かれています。

 主はモーセに仰せになった。

 イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。男であれ、女であれ、特別の誓願を立て、主に献身してナジル人となるならば、ぶどう酒も濃い酒も断ち、ぶどう酒の酢も濃い酒の酢も飲まず、ぶどう液は一切飲んではならない。またぶどうの実は、生であれ、干したものであれ食べてはならない。ナジル人である期間中は、ぶどうの木からできるものはすべて、熟さない房も皮も食べてはならない。

 ナジル人の誓願期間中は、頭にかみそりを当ててはならない。主に献身している期間が満ちる日まで、その人は聖なる者であり、髪は長く伸ばしておく。

 主に献身している期間中、死体に近づいてはならない。父母、兄弟姉妹が死んだときも、彼らに触れて汚れを受けてはならない。神に献身したしるしがその髪にあるからである。ナジル人である期間中、その人は主にささげられた聖なる者である。 (「民数記」 6章 1 - 8節 新共同訳)


註 10 「ルカによる福音書」 3章 1節によると、ヨハネが荒れ野で啓示を受けたのは、皇帝ティベリウスの治世の第十五年です。これは紀元29年にあたります。

註11 「洗礼」はギリシア語「バプティスマ」(βάπτισμα) を訳した語で、体の一部または全部を水に沈める沐浴を指します。

 「レビ記」には宗教的穢れを落とすための沐浴が定められており(11章 24 - 40節、14章 8節、15章 1 - 27節)、紀元前後のヘレニズム時代にはこの沐浴を指して「バプティスマ」というギリシア語が使われました。しかしながら洗礼者ヨハネの「洗礼」は、「レビ記」の沐浴とは無関係です。またユダヤ教へ入信する人は沐浴の儀式を受けますが、洗礼者ヨハネの許にはファリサイ派やサドカイ派のユダヤ教徒たちも洗礼を受けに来ていることから、ヨハネの「洗礼」がユダヤ教入信のための沐浴でないことは明らかです。

註12 ヨハネ自身の言葉は、共観福音書に次のように記録されています。

 わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。(「マタイによる福音書」 3章 11節 新共同訳)

 わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。(「マルコによる福音書」 1章 8節 新共同訳)

 そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。(「ルカによる福音書」 3章 16節 新共同訳)

 イエズスが授け給う洗礼について、上に引用した「マタイ」と「ルカ」では「聖霊と火で」、マルコでは「火で」、洗礼をお授けになる、と書かれています。「マタイ」と「ルカ」の言う「火」とは、聖霊のことです。

 「使徒言行録」 19章 1 - 7節には次のように書かれています。引用は新共同訳によります。

 アポロがコリントにいたときのことである。パウロは、内陸の地方を通ってエフェソに下って来て、何人かの弟子に出会い、彼らに、「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」と言うと、彼らは、「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」と言った。パウロが、「それなら、どんな洗礼を受けたのですか」と言うと、「ヨハネの洗礼です」と言った。そこで、パウロは言った。「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです。」人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けた。パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が降り、その人たちは異言を話したり、預言をしたりした。この人たちは、皆で十二人ほどであった。

註13 ヘロデ・アンティパスはヘロデ大王と三番目の妻の間に生まれた息子です。この引用箇所冒頭では「ヘロデ王」となっていますが、正式に王を名乗ることは、ローマ皇帝から許されていませんでした。父ヘロデ大王は非常に猜疑心が強い残虐な人物で、イエズス殺害を試み、実際にベツレヘム近辺の二歳以下の男の子を皆殺しにしましたが(マタイ 2: 16 - 18)、ヘロデ・アンティパスは父ほど非道な人物ではありませんでした。そのことはヘロデ・アンティパスはヨハネを妃から保護し、ヨハネの教えに喜んで耳を傾けていた、という記述からもわかります。

註14 ナバテア王国はシナイ半島とアラビア半島の間にあった王国で、ユダエアとエジプトに挟まれていました。ナバテア王国は紀元前 168年に建国され、紀元106年にローマ属州となりました。

註15 「マタイによる福音書」 11章 7 - 15節には次のように書かれています。引用は新共同訳によります。

 ヨハネの弟子たちが帰ると、イエスは群衆にヨハネについて話し始められた。「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。しなやかな服を着た人なら王宮にいる。では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ。言っておく。預言者以上の者である。『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの前に道を準備させよう』/と書いてあるのは、この人のことだ。はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである。あなたがたが認めようとすれば分かることだが、実は、彼は現れるはずのエリヤである。耳のある者は聞きなさい。 (「マタイによる福音書」 11章 7 - 15節 新共同訳)

註16 七十人訳「イザヤ書」 40章 3節は次の通りです。

 φωνὴ βοῶντος ἐν τῇ ἐρήμῳ· ἑτοιμάσατε τὴν ὁδὸν Κυρίου. εὐθείας ποιεῖτε τὰς τρίβους τοῦ Θεοῦ ἡμῶν.


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