リモージュの手描きエマイユ 《受胎告知の幸福なマリア 十八金製指輪 十三号サイズ》 ミル打ちを施した金線細工 ダイヤモンド八個 フランスそのもののような作例
正面部分の幅あるいは高さ 約 26 mm
重量 10.1 g
フランス 二十世紀後半
磁器生産で知られるリモージュ(Limoges ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏オート=ヴィエンヌ県)は、エマイユ工芸の一大中心地でもあります。リモージュで良質のカオリン(陶土)が発見されたのは 1765年のことですが、それを数百年以上遡る中世以来、リモージュのエマイユ細工はオプス・レモウィケンセ(羅 OPUS LEMOVICENSE)、または,オプス・レモウィクム(OPUS LEMOVICUM)すなわち「リモージュもの」と呼ばれ、その美しさで知られてきました。オプス・レモウィケンセが初出する文献は 1167年ないし 1169年に遡り、磁器よりもはるかに長い伝統があります。
本品は二十世紀後半のフランスで制作された十八金の指輪で、縦十五ミリメートル、横十一ミリメートルのエマイユ・パンを嵌め込んでいます。エマイユ・パン(仏 émail peint)とは、エマイユ(七宝焼き)によるミニアチュール絵画のことで、熟練したエマイユ職人の手で描かれます。
エマイユは様々な色のガラス粉末を金属の表面に塗り、高温の炉で焼成して融着させる技法です。エマイユに使用するガラス粉末を、フランス語でフリット(仏
fritte)といいます。エマイユ・パンの制作手順は、金属板の全面にいったん白色フリットでエマイユを施し、その上に他の色のフリットで描画してゆきます。フリットは粒子が特に細かいものを、ニンニクの精油等、焼成後に煤を残しにくいもので溶いて使います。描画には筆を使うのが基本ですが、衣の襞など、同色の部分の内部に細い線を描くために、針状の道具を使うこともあります。色ごとに焼成を行うため、窯入れは多数回に及びますが、変色や滲(にじ)みを避けるために、焼成温度の調整は困難を極めます。最後に無色透明のガラス(釉薬)を掛け、他の色よりも低めの温度で焼成して、表面の艶を得ます。
本品指輪の正面に嵌め込まれている聖母マリアの胸像は、エマイユ・パンによります。マリアは鮮やかなブリュ・マリアル(仏 le bleu marial マリアの青、マリアン・ブルー)のマントを身に着け、十代の少女の若々しい横顔を見せています。金色と青は鮮烈に対比sれると同時によく調和し、観る者の眼を楽しませてくれます。
西ヨーロッパ中世の宗教美術では、ほとんどの作例においてマリアのマントは色調が抑えられ、黒や焦げ茶などの暗色が常用されました。これは恐らくマーテル・ドローローサ(羅 MATER DOLOROSA 悲しみの聖母)としてのマリアが強く意識されたためです。
古代から十世紀の神学者たちは、イエスが十字架刑に処せられるのを見ても、聖母は動揺せず涙も流さなかったと考えました。なぜならばマリアは普通の母親、普通の女性ではなく、アブラハムやヨブに勝る信仰の持ち主であり、早ければ受胎告知のときから、遅くともシメオンによる「悲しみの剣」の預言を聴いてから、救済史におけるイエスの役割を理解していたと考えられていたからです。
しかしながらやがて中世の受難劇において、聖母は恐ろしい苦しみと悲しみを味わう母として描かれるようになります。十二世紀の修道院において聖母の五つの悲しみが観想され、1240年頃にはフィレンツェに「マリアのしもべ会」が設立されました。同じ十三世紀には、ヤコポーネ・ダ・トーディ(Jacopone da Todi, c. 1230 - 1306)がスターバト・マーテル(羅 "STABAT MATER")を作詩しています。十四世紀初頭にはイエスの遺体を抱いて離さない聖母像が表現されるようになりました。聖母の悲しみの数は十四世紀初頭に七つとなって定着しました。中世の宗教画において聖母が身に着ける暗色のマントは、喪衣を強く思い起こさせます。
マーテル・ドローローサ(悲しみの聖母)としてのマリアが人々の注意を惹き始めた頃、西ヨーロッパの宗教美術には新しい動きが起こっていました。ヨーロッパ史上初めて、ブルーが一人前の色としてその地位を認められるようになったのです。
古典ギリシア語とラテン語には、ブルーを表す語がありません。強いて言えばブルーがかった黒を表す語はありますが、それらの語は深淵、虚空、光の欠如を表します。底の無い深淵、虚空に向けて発した光は、何物にも反射しないゆえに戻って来ません。それゆえギリシア人、ローマ人にとって、ブルーは光を吸い込む深淵、虚空であって、実体性がある物の色とは考えられていませんでした。
ブルーに色としての地位を認めない伝統は、キリスト教時代になっても継続します。カトリック教会の典礼色には白、赤、黒、緑の四色があって、他の色は四色のうちのいずれかに帰することができます。しかしながら他の色として挙げられているのは、コッキネウス(クリムゾン わずかに紫色がかった赤)、すみれ色、黄色のみです。ブルーの姿はここにもありません。
(上) シャルトル司教座聖堂ノートル=ダムのノートル=ダム・ド・ラ・ベル・ヴェリエール(仏 Notre-Dame de la belle verrière 美しき大ステンドグラスの聖母)
如何なる意味も持たなかったブルーの地位を引き上げるきっかけとなったのは、サン=ドニ修道院長シュジェ(Suger de Saint-Denis,
c. 1080 - 1151)が始めたゴシック様式の聖堂建築です。シュジェは青色のスマルト(コバルトガラス)を積極的に多用してステンドグラスを作らせ、ステンドグラスを通して、物質を聖化する天上の光を聖堂内に溢れさせました。ロマネスク様式に基づくそれまでの聖堂は、内部空間がたいへん暗かったのですが、サン=ドニ聖堂内部は多色の光に溢れ、それまで無視されていたブルーの美しさは、とりわけ賛嘆の的となりました。
ブリュ・ド・サン=ドニ(仏 bleu de St-Danis サン=ドニの青)のステンドグラス職人集団は、ル・マン司教座聖堂サン=ジュリアンでブリュ・デュ・マン(仏
bleu du Mans ル・マンの青)を、さらにシャルトル司教座聖堂ノートル=ダムでブリュ・ド・シャルトル(仏 bleu de Chartres シャルトルの青)を実現します。シャルトル司教座聖堂ノートル=ダムのノートル=ダム・ド・ラ・ベル・ヴェリエール(仏
Notre-Dame de la belle verrière 美しき大ステンドグラスの聖母)は幾度かの火災を免れて現存し、十二世紀のスマルト(コバルトガラス)が放つ花紺青(はなこんじょう)の輝きを今に伝えています。
(上) Giotto, "la Maestà di Ognissanti", c. 1310, tempera su tavola, 325 x 204 cm, la Galleria degli Uffizi, Firenze
十二世紀のステンドグラスとエマイユにスマルトが使われたことは、西ヨーロッパ社会において青の地位が向上するにあたって大きな推進力となりました。これと時期を同じくして、聖母マリアの衣が青く描かれる作例が多くなりました。
上の写真はジオットが 1310年頃に描いたテンペラ画「オニッサンティのマエスタ」で、ウフィツィ美術館に収蔵されています。マエスタ(伊 la
Maestà)とはイタリア語で威厳、尊厳、気高さという意味で、美術史用語としては玉座に着いた聖母子像を指します。この様式の図像は、日本語では「荘厳の聖母」と呼ばれています。「オニッサンティのマエスタ」の聖母は青いマントを着ていますが、青の色調は抑えられ、黒い喪衣のように見えます。古い武術作品の色彩を論じる際には経年変化を勘案する必要がありますが、ジオットがこの作品に明るい青を使っていないことは確かです。
(上) Cimabue, "la Maestà del Louvre", c. 1280, tempera e oro su tavola, 424 x 276 cm, il Museo del Louvre, Parigi
上の写真はチマブエが 1280年頃に描いたテンペラ画「ルーヴルのマエスタ」で、ルーヴル美術館に収蔵されています。ジオットの「オニッサンティのマエスタ」よりも三十年ほど先行して描かれた作品ですが、チマブエは聖母のマントの色を明るめの青に描いています。
以上二点はゴシック末期からプロトルネサンス(独 die Protorenaissance 仏 la pré-Renaissance)にかけて描かれた聖母ですが、これを盛期ルネサンスの作品を比べると、後者においては青の彩度が大きく上がることに気付きます。
(上) Fra Angelico, "la Madonna dell'Umiltà", 1433 - 35, temple sobre tabla, 147 x 91 cm, el Museo Nacional de Arte de Cataluña, Barcelona
フランシスコ会は十三世紀初頭に設立され、すぐに大きな勢力となった修道会です。フランシスコ会では清貧と謙譲を理念としました。十四世紀半ば以降、玉座ではなく、地面に直接置いたクッションや低い椅子に腰かける聖母子像が、マエスタに替わって盛んに描かれるようになりました。このような聖母子像を、謙譲の聖母(伊
la Madonna dell'Umiltà) と呼んでいます。謙譲の聖母の図像様式は、フランシスコ会が抱く謙譲の理念に影響されて広まったと考えられています。
上に示す作品はフラ・アンジェリコが 1433年から 1435年の間に描いたテンペラ画「謙譲の聖母」で、バルセロナのカタロニア国立美術館に収蔵されています。この作品で聖母がまとうマントの青は、もはや喪衣を連想させません。
本品のマリアの横顔は若々しく、少女のようにしか見えません。マリアは視線を上方に向け、神と語り合っています。本品のマリアが身に着けているマントの青は明るく輝き、喪衣のような重苦しさを一切感じさせません。青いマントを被って横顔を見せるマリアの胸像は、カルロ・ドルチがマーテル・ドローローサ(悲しみの聖母)を描いた「親指の聖母」が有名です。しかしながら上に述べたいくつかの特徴から、本品に描かれているのは受胎告知のマリアであると判断できます。
ガブリエルがマリアに呼びかけた最初の言葉カイレ(希 Χαῖρε)、ラテン語に訳すとアヴェ(羅 AVE)は、メシア(救い主、キリスト)生誕の予告に他なりませんでした。マリアは処女であったにも関わらず、「お言葉通り、この身に成りますように」と答えて、ガブリエルの言葉をそのまま受け入れました。これはマリアが自由意思で救いを受け容れたことを意味します。この後マリアはナザレから四、五日の距離を歩き詰めに歩いて、仲の良い年長の親戚エリザベトを訪ねます。エリザベトの挨拶を受けたマリアの口からは、神を讃えるマーグニフィカトの祈りが溢れ出ました。エリザベトはマリアをよほど可愛がっていたのでしょう。マリアはエリザベトの家にそのまま三か月滞在しました。
本品エマイユ・パンにおいて、明るい色の少女の肌と明るい青のマントは、暗色を背景にして輝いています。背景の暗色は世界を包む夜明け前の空であり、マリアだけが恩寵の光に照らされています。実際の受胎告知がどの時刻に起こったのかは分かりませんが、本品においては暗闇の中で輝く光(ヨハネ 1:5 キリストのこと)がマリアを照らすさまが、象徴的に描かれています。
「ヨハネによる福音書」一章一節から十八節によると、イエスはロゴス(希 λόγος)でした。ギリシア語ロゴスは言葉という意味ですが、哲学用語としては万物の理法を意味します。これを智慧と言い換えても構いません。しかるに青は智慧の色です。とりわけ本品エマイユの青は明るく輝いており、尋常の智慧ではなく「救いに至る智慧」を視覚化しています。救いに至る智慧を身にまとう本品のマリアは、まことのケルビム(智天使)の座、セーデース・サピエンティアエ(羅 SEDES SAPIENTIÆ 上智の座)の聖母でもあります。
エマイユの脇石にはラウンド・ブリリアント・カットのダイヤモンドが八個が覆輪留めされています。ダイヤモンドの直径はちょうど二ミリメートルほどですので、一個の重量は
0.03カラット、八個合わせて 0.32カラットぐらいでしょう。
ダイヤモンドが採掘できる場所は大陸楯状地帯に限られており、ギリシア人やローマ人が住む地中海沿岸では見つかりません。いっぽうインドは大陸楯状地帯に属し、紀元前八百年から紀元前六百年の間に、ジェム・グラヴェル(英
gem gravels 宝石質の礫)中に見出されるダイヤモンドの採集が始まっていました。
ダイヤモンドは炭素の単体で、加熱すると燃えますから、不変の物質ではありません。しかしながら古代、中世の人々はロック・クリスタル(無色のクォーツ)、ホワイト・トパーズ(無色のトパーズ)、ゴシェナイト(無色のベリル)、無色のコランダムなどから、ダイヤモンドを確実に区別する方法を知りませんでした。クォーツ、トパーズ、ベリル、コランダムは、ほとんどの宝石と同様に不燃性です。それゆえダイヤモンドは不燃性の硬い宝石と一括りにしてアダマス(希 ἀδάμας, ἀδᾰ́μᾰντος, ὁ)またはアダマース(羅 ADAMAS)と呼ばれ、卓越した硬さゆえに不変性の象徴とされました。
不変の鉱物ダイヤモンドは、世界軸(羅 AXIS MUNDI)を作るに相応しい物質です。それゆえ世界軸の表象に、ダイヤモンドが関連する例がしばしば見られます。
インドにおいて、ダイヤモンドの輝きは蒙を啓き悟りをもたらす雷光に譬えられ、あるいは悟りそのものを象徴しました。ブッダガヤのマハーボーディ寺(大菩提寺)で
1881年に発掘された空位のベッド状台座は、悟りを開いたゴータマ・ブッダの玉座として制作されたもので、ヴァジラ―サナ(vajrāsana ダイヤモンドの玉座)と呼ばれます。砂岩製のヴァジラーサナがダイヤモンドの座と呼ばれる理由は、これに座するブッダの悟りがダイヤモンドに譬えられるからです。ダイヤモンドの硬さは何物にも破壊されえない真理を象徴するとともに、煩悩を断ち切る武器の威力にも譬えられます。それゆえ密教の法具である金剛杵(こんごうしょ)も、サンスクリット語ではヴァジラと呼ばれます。
古代ギリシアの哲学者プラトンは、著書「国家」("RES PUBLICA")の結末部分で、エール(希 Ἤρ)という名の戦士の臨死体験について語っています。死から蘇ったエールの証言によると、世界軸と思われる光の柱の真ん中には光の綱が下りてきており、綱の端はアナンケー(希 Ἀνάγκη 必然、およびそれを神格化した女神)の紡錘に続いていました。同書 616C4には、紡錘の「軸と鈎はアダマス製」(希 οὗ τὴν μὲν ἠλακάτην τε καὶ τὸ ἄγκιστρον εἶναι ἐξ ἀδάμαντος)であった、と書かれています。古典ギリシア語のアダマスは鋼鉄やダイヤモンドをはじめとする硬い鉱物を広く意味しますが、プラトンがここで言うアダマスはダイヤモンドを指すと思われます。
本品において、不変性の象徴であるダイヤモンドは、突然天使から受胎を告知されてもひるまなかった少女マリアの信仰の不変性を表します。また世界軸に相応しいと考えられたダイヤモンドは、天地をつなぐ恩寵の器マリアその人の象徴です。ダイヤモンドの数が八個であるのは、洗礼堂の平面プランが八角形であるのと同じ意味合いで、新生あるいは再生の意味を込めるとともに、山上の垂訓(マタイ
5: 3 - 12、ルカ 6: 20 - 23)における八つの幸福をも象徴します。
本品の指輪本体は、十八金による繊細な透かし細工でできています。十八金はたいへん軟らかく、細い指輪は容易に変形しますが、本品は金の量が多くて分厚く、また網目状に接合されたリボン形の金線が、外力を広範囲に分散させます。そのため本品はたいへん丈夫で、日々ご愛用いただいても変形することがありません。
繊細な透かし細工は、一見したところ金線細工に見えても、実際は線状の模様を残して打ち抜いた金属板を使用する場合があります。金線細工は一つひとつの品物を作るのにたいへんな手間がかかりますが、板を打ち抜くだけであれば手間も時間も大幅に節約できます。
しかしながら本品は真正の金線細工で、ミル打ちを施した三十三本の十八金のリボンをエス(S)字形に曲げ、複雑で美しい左右対称のパターンを組み上げています。リボン同士の溶接は非常に丁寧に行われ、隙間やずれ、はみ出し等は一切見られません。本品は比較的近年の作品ですが、ミル打ちと金線の丁寧な細工はアンティーク・ファイン・ジュエリーに引けを取らず、フランスが誇るジョアイユリ(仏
joaillerie 高級宝飾品製作)の技術を遺憾なく見せつけています。
エマイユ・パンの裏面には、ミニアチュール画工のサインの下に、リモージュ(Limoges)の文字が重ねられています。
フランスの美術史家ルネ・ユイグ(René Huyghe, 1906 - 1997)は、1955年の著書「見えるものとの対話」("Dialogue avec le visible", Flammarion, 1955)において、手仕事による実用品が生得的・本性的な美を有することに注目し、美の起源と本質を論じています。ユイグの論旨は次の通りです。
手作業で作られた物品には、生きた芸術を求める職人の感受性が、必ず刻印を残す。このような物品の美は、生きた手の動きから自然に生まれてくる。 | ||
しかるに手仕事による製作が廃れ、機械による自動生産が始まると、美は機能の上に意図的に付加されるめっきのような付属物になった。美は本来、出来上がった物品の中に自然に見いだされるものであったが、物品が機械で大量生産される時代になると、美は意図的に探し求められるもの、物品に対して意図的に付加されるものとなった。 | ||
このようにして、職人と芸術家の分離が起こった。 | ||
かつて職人と芸術家の間に区別は存在しなかった。芸術家は一介の職人あるいは職人の親方として、注文された絵画や彫刻を制作していた。絵画職人、彫刻職人は芸術家であり、生命を持って呼吸する美を自身の生から生み出しつつ、仕事をした。 | ||
しかし機械が発明されたルネサンス期頃を境にして、それまで同一人物の中で一体であった職人と芸術家が分裂した。一方は単なる労働者となり、もう一方は実用から乖離した純粋美学の探求に没頭するようになった。後者は社会との接点を失っていった。地に足を着けた手仕事から知性によって引き離され、いわば抽象された芸術は、自らの起源である感性を忘れ、理論を追い求めるようになった。 |
本体価格 148,000円 販売終了 SOLD
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