稀少品 「行け。汝らを遣はすは、我なり」 メルセス会を守護する聖母マリア 《アルジェの聖セラピオ》 ローマ殉教録掲載記念の小聖画 クラウバーによる十八世紀のコッパー・エングレーヴィング 95
x 150 mm アウグスブルク 1743年頃
"Spiritus Domini super me", ein Kupferstich der Brüder Klauber aus Augsburg, um 1743
95 x 150 mm
アウグスブルク 1743年頃
十一世紀末から十三世紀にかけて行われた東方への十字軍、及び十三世紀から十五世紀に行われたレコンキスタ(西 la Reconquista イスラム化されたイベリア半島をキリスト教徒の手に取り戻す再征服運動)は、キリスト教文明とイスラム教文明が領土を巡って戦った出来事でした。この時代には、イスラム側と身代金の交渉をし、捕虜となったキリスト教徒を買い戻すことを目的にした修道会が設立されました。それらの修道会のうち最も有力であったのが、マチュラン会(仏
les Mathurins)とも呼ばれる三位一体修道会(羅 ORDO SANCTISSIMÆ TRINITATIS REDEMPTIONIS
CAPTIVORM, O.SS.T.)、及び本品の主題となっているメルセス会(羅 ORDO BEATÆ MARIÆ VIRGINIS
DE REDEMPTIONE CAPTIVORUM, O de M., 西 La Orden de la Merced, 仏 l'Ordre
de Notre-Dame-de-la-Merci, 葡 a Ordem de Nossa Senhora das Mercês)です。
本品はメルセス会を主題に描かれたコッパー・エングレーヴィングで、クラウバー(Klauber)のサインが刻まれています。クラウバーとはアウグスブルクで活躍したクラウバー兄弟、すなわちヨーゼフ・セバスティアン・クラウバー(Joseph
Sebastian Klauber, c. 1700 - 1768)またはその弟ヨハン・バプティスト・クラウバー(Johann Baptist
Klauber, 1712 - c. 1787)のことです。紙は良質のパピエ・ヴェルジェ(仏 papier vergé 簀の目紙、レイド・ペーパー)です。ウォーター・マークは見当たりません。
本品の制作年代は、クラウバー兄弟の兄ヨーゼフ・セバスティアンが、左端に描かれている聖セラピオが列聖された 1728年に彫ったもの、あるいは兄ヨーゼフ・セバスティアンまたは弟ヨハン・バプティストが、聖セラピオが「ローマ殉教録」("MARTYROLOGIUM ROMANUM")に名を記載された 1743年に制作したものです。
クラウバーによる本作品は、上半に雲の上の天上界、下半に地上界を描きます。天上にはプッティ(伊 putti 童形のケルビム)に囲まれた聖母マリアが、地上には向かって左にアラゴン国王とふたりのメルセス会士、右奥に小さく捕虜たちが描かれています。
聖母は左手に百合を持っています。百合は一本で、茎は長く、女王の笏となっています。実際、クラウバーは威厳ある聖母の姿をレーギーナ・カエリー(羅 REGINA CÆLI 天の女王)として描いています。ヨーロッパ各国の王笏には、聖母の祝福を象徴するフルール・ド・リス(仏 fleur de lys 三弁の百合の花)が付いた例が多く見られます。この作品において聖母が左手に持つ百合はそれらの笏の原型であり、天の女王の笏そのものです。
(下・参考写真) パリ大学の紋章を浮き彫りにしたメダイユ。セーデース・サピエンティアエ(羅 SEDES SAPIENTIÆ 上智の座)として表された聖母は、フルール・ド・リスの笏を持っています。聖母の左右には太陽と月が配されています。
天の女王が右手で差し出す紙には、「捕虜買い戻しの第四の誓い」(羅 QUATRUM VOTUM REDEMPTONIS CAPTIVORUM)、または「捕虜を買い戻す者たちの第四の誓い」(羅
QUATRUM VOTUM REDEMPTORUM CAPTIVORUM)と記されています。これは一般的な修道会則である「清貧」「貞潔」「服従」に付加されるメルセス会の誓い、すなわち「捕虜を買い戻すために自分が持てる全財産と自分自身を捧げる」という誓いことです。聖母が第四の誓いをメルセス会士に与える図像は、メルセス会が聖母の祝福と庇護の下にあることを表します。
聖母はメルセス会士たちに向かって、「行け。汝らを遣(つか)はすは、我なり」(羅 ITE, ECCE EGO MITTO VOS.)と命じています。聖母の態度と言葉には、女王の威厳が溢れています。
無原罪の御宿リとして表される聖母は、弦月を踏む姿で描かれます。聖母が踏む月は下弦の月(虧月 欠けてゆく月)であり、下弦の月はユダヤ教、あるいは旧約 VETUS
TESTAMENTUM(新約 NOVUM TESTAMENTM によって更新される以前の古い契約)を表すとされています。聖母が月を踏む図像は、「ヨハネの黙示録」十二章一節に由来します。該当箇所を新共同訳で引用します。
また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。 |
下弦の月は、北半球では向かって左側に膨らんで見えます。また下弦の月の出は夜遅く、月の出に際しては横倒しで、上側がくぼみ、何かを受ける器のように見えます。下弦の月は明け方に南中し、このとき月は直立しています。明け方に中天に懸かった下弦の月は、やがて明るむ空に溶け込むように見えなくなります。下弦の月の入りは、昼間です。したがって下弦の月が昼間に月の入りを迎えるとき、もしも月の形が判別できるとすれば、月の出の時とは逆に下側がくぼみ、器を伏せた断面のような形をしています。
クラウバーがアウグスブルクすなわち北半球の人であったことと、北半球における下弦の月のこのような見え方を考え合わせると、この作品において聖母が踏みつけているのは、「月の入りを迎えようとする下弦の月」であることがわかります。下弦の月が月の入りを迎えるのは昼間ですから、このときに皆既日食でも起こっていない限り、下弦の月の入りを実際に見ることはできません。しかしながらクラウバーが敢えて「月の入りを迎えようとする下弦の月」を描く理由は、「身に太陽をまとった女」(「ヨハネの黙示録
12:1」)、すなわち救い主の御母から発する眩い光によって、ユダヤ教の弱い光が完全に消されていることを強調するためです。
図像の解釈をさらに進めれば、聖母がまとう太陽の衣にかき消される月は、この作品ではユダヤ教ではなくむしろイスラム教を表しています。すなわち本品に描かれた弦月はイスラム教を象徴する新月です。まったくの新月は目に見えませんから、クラウバーはできるだけ細い弦月を描いて新月に代えています。したがって本品に描かれた「弦月を踏む聖母」は、一見したところ「無原罪の御宿リ」の伝統的図像表現に見えますが、クラウバーは伝統的図像に仮託して、「イスラム教徒に勝利する聖母」を描いているのです。
二十一世紀の今日、「イスラム教徒に勝利する聖母」などと書くと良識を疑われそうですが、古い美術品のメッセージを正しく解読するには、作品が制作された当時の人々の考え方や感じ方に基づいて考える必要があります。クラウバーがこの銅版画を制作した十八世紀前半は、オスマン・トルコによる第二次ウィーン包囲(1683年)も記憶に新しく、イスラム世界との対決が強く意識されていました。
「四つの誓い」を聖母から受け取っているのは、メルセス会の殉教の初穂である聖セラピオ(聖セラピオン San Serapio, St. Sérapion, 1179 - 1240)です。聖セラピオはメルセス会の白いマントを羽織り、マントにはメルセス会の紋章が付いていますが、マントの下から覗く服の袖口には、十字軍時代の騎士のような襞飾りが付いています。これは俗人時代の聖セラピオが実際に騎士であったからであり、戦いの方法は変わっても、キリスト教徒を守るために戦うという聖セラピオの精神は変わらなかったことを、図像によって可視化しています。聖セラピオの右手には、買い戻したキリスト教徒の手枷(てかせ)が見えます。
聖セラピオの前方で聖母に向かって跪くのは、メルセス会の創設者である聖ペドロ・ノラスコ(San Pedro Nolasco, 1180/82 - 1245)です。聖ペドロ・ノラスコもキリスト教徒を繋いでいた枷を手にしています。聖ペドロ・ノラスコはもともと商人でしたが、商売のためにイベリア半島各地を巡るなかで、身代金が支払われずに奴隷となるキリスト教徒捕虜の境遇に心を痛め、彼らを買い戻す同志会を結成しました。これがやがてメルセス修道会に発展しました。
手前に跪くのはアラゴンの国王ハイメ一世(Jaime I de Aragón)です。ハイメ一世は「エル・コンキスタドル」(el Conquistador 征服王)の異名のとおり、レコンキスタを精力的に推し進めました。また俗人時代のペドロ・ノラスコはハイメ一世の家庭教師を務めたとも伝えられており、メルセス会とゆかりが深い国王です。
三人の前方、画面下半分の手前には、メルセス会が用意した買い戻し金、買い戻された奴隷の枷、及びメルセス会の紋章が置かれています。メルセス会の紋章は、いかにも十八世紀風のロカイユ(貝殻状の造形)に描かれています。
これらの事物の後方には、暗い牢獄に幽閉された四人キリスト教徒奴隷が見えます。四人のうち、向かって左端の一人は足枷で座った状態に固定されているようです。奴隷を座らせて固定すると働かせることもできませんから、この人は処刑を待つ身の上かもしれません。右側で腕を挙げている二人は共通の手枷で拘束されているように見えます。残る一人は中腰で、腰の部分を縛られているように見えます。この人の前にある球は、錘(おもり)にしては大き過ぎます。クラウバーは被造的世界を象徴する球を画面に描き込むことが多くあります。この作品に描かれた球は、地上の不自由な生活を強調するために描き加えられているのかもしれませんし、錘の強調的表現かもしれません。
三枚の拡大写真に写っている定規のひと目盛りは一ミリメートルです。人物の顔はいずれも直径三、四ミリメートルの円内に収まりますが、目鼻立ちが整っているばかりでなく、それぞれの容貌から個人が容易に同定でき、さらに活き活きとした表情を通して内面の敬虔さまでもが見事に表現されています。人物の表情以外に関しても、不定形の雲、人物の髪、粗布の修道衣、王のマントに裏打ちされた白貂の毛皮など、画面の細部すべてにおいて、クラウバーのビュラン(彫刻刀)は十分の一ミリメートルの精度でコントロールされ、質感を巧みに表現しています。十八世紀の作品には十九世紀のものほどの細密さはありませんが、肉眼で見ると充分に精緻です。
版画の周囲に書かれている言葉はすべてラテン語で、内容は次の通りです。聖書はヴルガタで、ラテン語テキストの和訳は筆者(広川)によります。
FESTUM BEATISSIMÆ VIRGINIS DE REDEMPTIONE CAPIVORUM | 囚はれ人どもを買ひ戻し給ふ、いとも幸ひなる乙女の祝日 | |||
Spiritus Domini super me, ut prædicarem captivis indulgentiam, et clausis apertionem. | 主の霊の我に臨み、囚はれ人どもには赦しを、幽閉されたる者どもには解放を、我をして告げ知らしめむことを。 | |||
Isaiæ liber, caput 61 | 「イザヤ書」 六十一章 | |||
Majorem hâc dilectionem nemo habet, ut animam suam ponat quis pro amicis suis. | 自らの魂を友人どものために棄つる、これよりも大きな愛を持つ者は無し。 | |||
Evangelium Secundum Iohannem, caput 15 | 「ヨハネによる福音書」 十五章 | |||
C.P.S.C.M. (Cum Privilegio Sacræ Cæsaris Maiestatis) | 神聖ローマ皇帝の認可に拠る | |||
「ヨハネによる福音書」 十五章の引用が目を惹きます。メルセス会士は第四の修道会則、すなわち「捕虜を買い戻すために自分が持てる全財産と自分自身を捧げる」という誓いによって、自分自身を友人(捕虜)のために棄てています。とりわけ実際に殉教した聖セラピオは、罪びとたちを買い戻し給うた贖い主に全身全霊を以て従い、福音者ヨハネが伝える主イエスの言葉をまさに体現しました。それゆえこの聖画においては、聖ペドロ・ノラスコよりもむしろ聖セラピオが、聖母から第四の修道会則を受け取る役割を担っています。 | ||||
右下の隅に、クラウバーの署名があります。 | ||||
Klauber Catholicus Sculpsit et Exsecutus est. | カトリック信徒であるクラウバーが(この版画を)彫って刷り上げた。 | |||
このクラウバーが兄弟のどちらのことなのかわかりません。もしも兄弟二人の共作であれば、次のように読めます。 | ||||
Klauber Catholici Sculpserunt et Exsecuti sunt. | カトリック信徒であるクラウバー兄弟が(この版画を)彫って刷り上げた。 |
小聖画の額装には、流木のようなチーク材を使用して日本の職人が手作りしたフレームを使用しています。額はアンティーク品ではありません。額の概寸は
24 x 19センチメートル、厚さ 2センチメートル程で、チーク材特有の艶と重量があります。この額は個々の材の個性的形状を活かして製作しているため、一点ものとなっています。額の前面には透明アクリル板が嵌っていますが、商品写真を撮影する際は反射を除くためにアクリル板を外しています。
商品写真に写っている額がご注文時点で在庫していない場合、同等クラスの他の額をご用意いたします。また商品写真とは異なるデザインや色の額をご希望の場合も、同等クラスの他の額をご用意いたします。お気軽にご相談くださいませ。
このエングレーヴィングは 1700年代前半に刷られたものです。制作から三百年近い歳月が経っていますが、紙の劣化や破損、特筆すべき汚れなど、いかなる問題も無く、非常に良好な保存状態です。クラウバー兄弟は十八世紀で最も高名なエングレーヴァーですが、オリジナルの作品は手に入りにくく、たいへん貴重な品物です。