聖セラピオ(聖セラピオン、聖セラピウス)
San Serapio, St. Sérapion, SANCTUS SERAPIUS, 1179 - 1240
(上) 聖セラピオ(立っている人物)、聖ペドロ・ノラスコ、ハイメ征服王(アラゴン王ハイメ一世 Jaime I de Aragón)を描いた十八世紀半ばの小聖画。アウグスブルクのクラウバー兄弟による銅版エングレーヴィング。当店の商品です。
聖セラピオ(聖セラピオン San Serapio, St. Sérapion, 1179 - 1240)は十字軍に参加した騎士で、壮年期にメルセス会員となり、捕虜買い戻しの活動中に殺害されました。メルセス会員初の殉教者です。
【聖セラピオの生涯】
セラピオは 1179年頃にアイルランドで生まれました。リチャード獅子心王(イングランド王リシャール一世 Richard Ier d'Angleterre, dit Richard Cœur de Lion, 1157 - 1199)に仕えて第三次十字軍(1189 - 1192年)に従軍し、聖地から帰還後はオーストリア公レオポルド一世(Leopold
VI, der Glorreiche, 1176 - 1230)に従い、カスティジャ王アルフォンソ八世(Alfonso VIII de Castilla,
1155 - 1214)の援軍としてレコンキスタ(西 la Reconquista イベリア半島におけるイスラム勢力との戦闘)に加わりました。
しかしながら軍人セラピオはペドロ・ノラスコとメルセス会士たちに出会ったことで、自らの生命を賭して捕虜を救う信仰の戦いに加わることを決意し、1222年、メルセス会(西 La Orden
de la Merced, 仏 l'Ordre de Notre-Dame-de-la-Merci 羅 ORDO BEATÆ MARIÆ VIRGINIS
DE REDEMPTIONE CAPTIVORUM, O de M.)に入会しました。メルセス会士となったセラピオは大勢の捕虜を買い戻しました。
(上) Francisco de Zurbarán, "San Serapio", 1628, óleo sobre lienzo, 120 x 103 cm, Wadsworth Atheneum Museum of Art
聖ペドロ・ノラスコの列聖を機に、セビジャの履足メルセス会本部修道院(el convento de Nuestra Señora de la Merced Calzada)から依頼を受けて、スルバランが描いた油彩画。スルバランは聖人の膝から下を敢えて描かず、聖セラピオの修道衣と作品全体の大きさを黄金比としている。
1240年、セラピオは捕虜の買い戻しのため、仲間のメルセス会士ベレンゲル・デ・バニェレス(Berenguer de Bañeres)とともにアルジェを訪れました。このとき二人はイスラム教へ改宗させられそうになっていた数名の捕虜を買い戻しましたが、買い戻し金が不足していたので、セラピオは人質として当地に残ることになりました。ベレンゲル・デ・バニェレスはセラピオの買い戻し金を作るために急いでバルセロナに戻り、会議でモンペリエに出張中であったペドロ・ノラスコはバルセロナで代理を務めるギレルモ・デ・バス(Guillermo
de Bas)に急ぎの書簡を送って、喜捨を集めてアルジェに送るよう指示しました。
しかしながら買い戻し金の到着は約定日に間に合いませんでした。1240年11月14日、アルジェのイスラム教徒たちはセラピオを聖アンドレアス十字に釘付け、殺害の上、遺体をばらばらにしました。
1728年3月20日、教皇ベネディクトゥス十三世はセラピオへの崇敬を認可し、4月14日にセラピオを列聖しました。1743年8月24日、聖セラピオは「ローマ殉教録」に名を記載されました。聖セラピオの祝日は11月14日です。