「イエスを愛するはわが喜びのすべて。貧者に仕うるはわが幸いのすべて」 愛徳姉妹会のカニヴェ (ブアス=ルベル 図版番号 641)

"Dieu et les pauvres", Bouasse-Lebel, No. 641, 1853


105 x 67 mm

フランス  1853年



 非常に細密なオー・フォルト(エッチング)とグラヴュール(エングレーヴィング)により、多くの時間と労力を掛けて制作されたアンティーク・カニヴェ





 カニヴェ表(おもて)面には、愛徳姉妹会 (les Filles de la Charité ou Sœurs de Saint Vincent de Paul) の修道女が描かれています。黒いアビ(habit ハビット、修道服)と白いガンプ(guimpe ウィンプル、肩当て)を身に着けた若い修道女は、コルネット(仏 cornette)すなわち小さな角(つの)と呼ばれる特徴的な白いコワフ(coiffe 頭巾)を被り、組み合わせた手でシャプレ(数珠、ロザリオ)を繰りつつ天使祝詞(アヴェ・マリア)の念祷を行っています。修道女の唇は軽く結ばれ、眼も軽く閉じられて、自分とそう変わらない年齢の若きマリアに起こった受胎の告知と、神に聴き従う信仰に思いを潜めています。





 本品は小さなサイズにかかわらず、十九世紀における金属版インタリオ(intaglio 凹版)の二つの技法、グラヴュール(エングレーヴィング)とオー・フォルト(エッチング)を巧みに使い分けています。細心の注意を注いで制作された、たいへん優れた美術品です。

 すなわち粗衣である修道衣には、いくぶん硬さが感じられる仕上がりとなるグラヴュール(エングレーヴィング)を採用しています。これに対し修道女の顔に近い部分であるコワフ(頭巾)とガンプ(肩当て)には、柔らかい表現が持ち味のオー・フォルト(エッチング)が使われ、弱き者への奉仕に勤(いそ)しむ愛徳姉妹会会員の愛情深さを表しています。修道女の肌は、コワフとガンプよりもいっそう柔らかに表現する必要があるゆえに、スティプル(点描)が採用されています。





 上の写真に写っている定規のひと目盛は 1ミリメートルです。修道女の目鼻口はいずれも 1、2ミリメートルのサイズですが、一平方ミリメートルあたり約 30個にも及ぶスティプルの深さと密度を調整することによって、生身のスール(修道女)を眼前に見るかのような立体性を表現し、若い女性の柔らかい肌、温かな体温さえも感じさせます。





 上の写真は修道女の手と黒いアビ(修道衣)、シャプレ(数珠、ロザリオ)の部分を拡大しています。修道女の手は顔と同様のスティプルが、修道衣にはグラヴュールが、シャプレにはオー・フォルトが採用されています。グラヴュールは非常な手間と時間が掛かるゆえに、オー・フォルトであっても自然と精緻な作品となるミニアチュール版画の場合、グラヴュールが使われる部分は多くありません。しかるに本品においては、修道衣の全体がグラヴュールで描かれています。

 クルシフィクスのすぐ上には獣骨を彫って作られた髑髏(どくろ 頭骨)が見えます。この髑髏は現世の儚さの象徴で、メメントー・モリー(羅 MEMENTO MORI 死をおぼえよ)と呼ばれます。





 修道女を取り巻く部分は、薔薇のエンボス(型押し)をあしらった切り紙細工となっています。カニヴェ最上部の切り紙は、恩寵の光を放つ十字架を模(かたど)りますが、この十字架の基部も薔薇の花環(ロザリオ)に囲まれています。薔薇は本来五枚の花弁を有しますが、五枚の赤い花弁がキリストの傷を思い起こさせるがゆえに、人知を絶する神の愛を象徴します。また鋭い棘の間から伸び出でて嫋(たおやか)な花を咲かせるゆえに、無原罪の御宿り、すなわち原罪に傷つくことのない聖母マリアの象徴でもあります。

 修道女のすぐ上にある弧状の帯に、デュ・エ・レ・ポーヴル(仏 Dieu et les pauvres 神と貧者たち)の文字があり、絵の下には次の言葉が記されています。

  Aimer Jésus fait toute ma joie, servir les pauvres tout mon bonheur.  イエスを愛するはわが喜びのすべて。貧者に仕うるはわが幸いのすべて。




(上) 普仏戦争当時、世俗の看護師とともに看護に活躍する愛徳姉妹会の修道女たち。1870年発行の「イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ」より。


 このカニヴェの制作年代は 19世紀半ばです。当時のフランスにおいて、愛徳姉妹会の修道女たちは看護師として大きな役割を担っていました。世俗の看護師が増えてきたのは、1920年代以降にすぎません。看護師として働く愛徳姉妹会会員の姿は、1960年代頃まではフランス各地の病院で普通に見かけることができましたし、老人や障害者、孤児、中毒者、移民、ホームレス等のための施設では、現在でも愛徳姉妹会の修道女たちが大勢活躍しています。


 聖画の下には版元の名前と所在地、この聖画の図版番号がビュラン(彫刻刀)で刻まれています。

  Bouasse-Lebel Éditeur et Imprimeur, 29, rue St. Sulpice, Paris No. 641  印刷・出版元 ブアス=ルベル パリ、サン=シュルピス通29番地  図版番号 641

 ブアス=ルベル社 (Bouasse-Lebel Éditeur et Imprimeur) は、ブアス=ルベルと名乗ったエングレーヴァー、アンリ=マリ・ブアス (Henri-Marie Bouasse, 1828 - 1912) が創業したカトリックの出版社で、数多くの美しいアンティーク小聖画の版元として知られています。



 裏面には次の言葉が書かれています。

 J'ai tout quitté pour vous, ô mon divin Jésus ; et j'ai trouvé le vrai bonheur.    神なるイエスよ。私は御身のためにすべてを捨て、真の幸福を見出しました。 
     
 Passer en faisant le bien, vous aimer ardemment, m'oublier sans cesse, m'immoler jusqu'à la mort, pour vous gagner des cœurs et pour soulager les maux de mes frères : voilà désormais tout le désir, toute l'occupation de ma vie.    各地を巡って人々を助け、御身を熱愛し、常に自分を忘れ、死に至るまでわが身を犠牲とすること。それによって人々の心を御身へと導き、わが同胞の苦しみを和らげること。それこそが今の私の望みであり、日々生きる私の心を占めています。


 「各地を巡って人々を助け」(passer en faisant le bien) は、「使徒言行録」 10章 38節の引用です。イエスが方々を巡り歩いて人々を助け給うたように、愛徳姉妹会の修道女たちは全世界に出て行って、弱い立場にある人々を助けます。修道女たちから助けられた人々、修道女たちの働きを目にし、話に聞く人々は、その果敢な働きの原動力が「神からの愛」と「神への愛」であることを知るはずです。





 本品は 19世紀半ばにフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、良質の中性紙に刷られているため、紙の劣化はありません。百五十年ほども前の古い品物にかかわらず、表(おもて)面の左下隅に小さな欠損があるぐらいで、保存状態も非常に良好です。ミニアチュール版画としての出来栄えもたいへん優れており、お買い上げいただいた方には必ずご満足いただけます。





本体価格 23,800円 (額装別)

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。





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