高さ四センチメートル強、幅三センチメートル強の大きさがあるクロワ・ジャネット(仏 une croix Jeannette ジャネット十字)。金張りではなく、十八カラットの金(十八金)でできた金製品です。当店が金のクロワ・ジャネットを扱うのは本品で三点目ですが、三点の中で本品が最大のサイズです。
本品は立体的に打ち出した表裏二枚の金板を向かい合わせに溶接し、ふくらみを持たせて制作しています。フランスのアンティーク金製品はイエロー・ゴールドとローズ・ゴールド(ピンク・ゴールド)の中間の色合いで、本品も他の国の金製品や現代フランスの金製品に比べると、金の色がローズがかっています。
十字架交差部には重なり合う心臓を、十字架末端付近の楕円形部分には様式化された植物文を、それぞれ打ち出しています。心臓と植物文は十字架の他の部分と同様に艶があり、ローズがかった金色です。一段低くなった背景は艶消しで、グリーン・ゴールドがかって見える金色です。艶と色が異なるせいで、交差部及び楕円形部分の意匠はよく目立ちます。
交差部のくぼみは斜めの正方形で、ここに重なり合う心臓はそれぞれに愛の炎を噴き上げています。本来心臓は生命と愛の座ですから、仮にこの炎が無くても、心臓が有する本質的象徴性に変わりはありません。しかしながら激しく噴き上がる炎は神の愛の人知を絶する強さを充分に表現するとともに、神の愛が人の心に燃え移ることを直観的に分からせる点でもたいへん優れた表現です。
交差部に表現された二つの心臓は、地上の愛を象徴したものではありません。二つのうち一方はキリストの聖心であり、もう一方はマリアの御心及びマリアに倣う人の心を表します。キリストの聖心が噴き上げる炎は、価値無き罪びとを愛し救い給う神の愛を象徴しています。マリアとキリスト者の心臓が噴き上げる炎は、神の愛によって点火され、神の愛の反映として燃え上がる愛、すなわち人間から神とキリストに向かう愛を表します。
十字架末端に近い楕円形部分には、グリーン・ゴールドがかった背景に、簡略に様式化した植物文を打ち出しています。この植物文は側面観の花形で、六枚の花弁を有するように見えます。六枚の花弁を有する花は多いですが、キリスト教図像との関連で言えば、この花は百合、あるいはリーリウム・コンヴァッリウム(羅 LILIUM CONVALLIUM 谷間の百合)と呼ばれるスズランに他なりません。
百合は聖母の象徴です。スズランは学名をコンヴァッラリア・マーイアーリス(Convallaria majalis)といいますが、これは五月(MAIUS)に咲く谷(CONVALLIUM)の花という意味のネオ・ラテン語です。スズランを「谷の花」と名付けた典拠は、ヴルガタ訳「雅歌」二章一節にあるリーリウム・コンヴァッリウムです。
「雅歌」二章一節から六節を、ノヴァ・ヴルガタと新共同訳により引用します。二節は若者の歌、それ以外は乙女の歌です。
NOVA VULGATA | 新共同訳 | ||||
1. | Ego flos campi et lilium convallium. |
わたしはシャロンのばら、 野のゆり。 |
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2. | Sicut lilium inter spinas, sic amica mea inter filias. |
おとめたちの中にいるわたしの恋人は 茨の中に咲きいでたゆりの花。 |
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3. | Sicut malus inter ligna silvarum, sic dilectus meus inter filios. Sub umbra illius, quem desideraveram, sedi, et fructus eius dulcis gutturi meo. |
若者たちの中にいるわたしの恋しい人は 森の中に立つりんごの木。 わたしはその木陰を慕って座り 甘い実を口にふくみました。 |
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4. | Introduxit me in cellam vinariam, et vexillum eius super me est caritas. |
その人はわたしを宴の家に伴い わたしの上に愛の旗を掲げてくれました。 |
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5. | Fulcite me uvarum placentis, stipate me malis, quia amore langueo. |
ぶどうのお菓子でわたしを養い りんごで力づけてください。 わたしは恋に病んでいますから。 |
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6. | Laeva eius sub capite meo, et dextera illius amplexatur me. |
あの人が左の腕をわたしの頭の下に伸べ 右の腕でわたしを抱いてくださればよいのに。 |
十字架は恐ろしい刑具ですから、これに聖母のスズランが付いているのは一見したところ不可解に思えます。しかしながら生命樹と十字架の伝承において、イエスの十字架は生命樹から作られたとされています。生命樹はアダムとエヴァの罪によって枯死しましたが、枯死した生命樹の十字架上でイエスが救世を達成し給うたことにより、枯死した生命樹もまた生命を取り戻しました。
イエスの受難によって地上の罪びとたちは救いに与ったわけですが、地上において救世の経綸に最も重要な役割を果たしたのは聖母です。聖母は受胎告知の際に救いを受け入れ、テオトコス(神の母)となりました。このためフランシスコ会では聖母を共贖者と見做しました。聖母が恩寵と生命の器であるとすれば生命樹と相通ずる属性がありますし、共贖者とすれば十字架上に聖母の象徴が表現されても不思議ではありません。
古代から十世紀の神学者たちは、イエスが十字架刑に処せられるのを見ても、聖母は動揺せず涙も流さなかったと考えました。なぜならばマリアは普通の母親、普通の女性ではなく、アブラハムやヨブに勝る信仰の持ち主であり、早ければ受胎告知のときから、遅くともシメオンによる「悲しみの剣」の預言を聴いてから、救済史におけるイエスの役割を理解していたと考えられていたからです。当時の神学者から見れば、イエスの受難に際してマリアが悲しんだと考えるのは、聖母を冒瀆するにも近いことでした。
教父時代にはキリストの受難にも動じなかったとされていた聖母は、中世の受難劇において、恐ろしい苦しみと悲しみを味わうマーテル・ドローローサ(羅 MATER DOLOROSA 悲しみの聖母)として描かれるようになります。十二世紀の修道院において聖母の五つの悲しみが観想され、1240年頃にはフィレンツェにマリアのしもべ会が設立されました。同じ十三世紀には、ヤコポーネ・ダ・トーディ(Jacopone da Todi, c. 1230 - 1306)がスターバト・マーテル(羅
"STABAT MATER")を作詩しています。十四世紀初頭にはイエスの遺体を抱いて離さない聖母像が表現されるようになりました。聖母の悲しみの数は十四世紀初頭に七つとなって定着しました。
(上) レットゲンのピエタ Die
Röttgen Pietà, c. 1350, Holz, farbig gefaßt, 89 cm hoch, Rheinisches Landesmuseum,
Bonn
十四世紀初頭に出現したイエスの遺体を抱く聖母像を、美術史ではピエタ(伊 Pietà)と呼んでいます。ピエタは絵画にも表されますが、最初は彫刻として制作されました。十三世紀までの聖画像では、十字架から撮り下ろされたイエスの遺体はただ地面に横たえられていましたが、ピエタのマリアはイエスを膝の上に取り上げ、ひしと抱きしめました。イタリア語ピエタの原意は憐み、信仰で、ラテン語ピエタース(羅
PIETAS 敬神、忠実)が語源です。ピエタース(羅 PIETAS)の語根 "PI-" を印欧基語まで遡ると、混じりけが無い、清いという原義に辿り着きます。
フランスのクルシフィクスには裏面に聖母像を有する作例が時折みられます。またヨーロッパの民俗伝承において、スズランは聖母が十字架の下(もと)で涙を流し、その涙が地面に落ちて咲き出でた花ともされます。このような文化的伝統を思い起こしつつ本品を手に取って眺めると、愛に燃える心臓をイエスの聖心に寄り添わせる聖母が、両腕を広げて十字架上のイエスを抱きしめる姿が思い浮かびます。本品の十字架末端に表現された谷間の百合、スズランは、ピエタの聖母の愛と悲しみを香(がぐわ)しい花に形象化したものといえましょう。
本品十字架の左右の端と下端は、小球状の装飾を経て細い棒状の先端部が突き出ています。この形状ゆえに、ブルターニュではクロワ・ジャネットはをクロワ・ド・フィラージュ(仏
croix de filage 糸紡ぎの十字架)とも呼びます。十字架の先端近くにある球形の飾りが糸紡ぎ棒を模(かたど)り、あるいは連想させることから、この名称が由来します。
本品は両面を同一意匠のマトリクス(型)で打ち出して、向かい合わせに鑞付け(ろうづけ 溶接)しており、内部は中空です。金は軟らかい金属であるために、アンティークの金製クロワ・ジャネットはところどころが凹んでいる場合が多く、本品も片面の十字架縦木下部に凹みがあり、小球状装飾のところどころにも微小な凹みがあります。
クロワ・ジャネットはもともと地方の若い女性が買い、その後長く身に着けたジュエリーで、金あるいは銀で制作されました。アンシアン・レジーム末期、上流階級に田園趣味が流行したときには、貴婦人たちが金製のクロワ・ジャネットを競って身に着けました。1789年に始まる革命期には金製ジュエリーがすべて供出され融かされましたので、クロワ・ジャネットも姿を消しましたが、総裁政府期(1795
- 1799年)には復活しています。
本品をはじめ、クロワ・ジャネットの上端はフルール・ド・リスを模(かたど)ります。フルール・ド・リス(仏 fleur de lys 百合の花)は三位一体の象徴であるとともに、聖母の象徴、聖母が守護し給うフランスの象徴でもあります。
本品のフルール・ド・リスには牡羊の頭、及び金細工工房のマークが刻印されています。牡羊の頭の刻印は 1819年から 1838年まで使われていた十八カラット・ゴールドの検質印(ホールマーク)です。1819年から
1838年はブルボン第二復古王政期(1815 - 30年)とルイ・フィリップの七月王政期(1830 - 48年)に相当します。1870年に始まった第三共和政から現在の第五共和政に至るまで、フランスはここ百五十年以上にわたって共和国であり続けていますが、本品はフランスが共和国ではなく、ブルボン家あるいはその分家であるオルレアン家の王国であった時代に制作された品物です。
本品はおよそ二百年前に制作された非常に古い品物にもかかわらず、金無垢製品であるゆえに酸化や硫化によるパティナ(古色)も無く、制作当時のままの状態で残っています。十九世紀のフランスは、人口の数パーセントに満たない富裕層が国富の九割を独占していました。中間層が存在せず、一部の富裕層以外は全員が下層階級であったのです。本品のようなサイズの金製品は奉公人の少女が買うには高価すぎるので、貴族階級あるいはブルジョワ階級の女性の持ち物であったのかもしれません。
金は金色のはずなのに、色の違いがあるのを不思議に思われる方もあるかと思います。金(Au)は純金のままでは軟らかすぎて実用性に欠けるので、ジュエリーにする場合は合金にして強度を得ます。金に銅を混ぜると赤みが強くなってローズ・ゴールド(ピンク・ゴールド)になります。金に銀を加えるとグリーン・ゴールドになります。金に銅と銀を混ぜるとイエロー・ゴールドとなりますが、イエロー・ゴールドの色合いは銀と銅の比率によって異なります。
本品の場合、二色のイエロー・ゴールド、すなわちローズ・ゴールドに近いイエロー・ゴールドと、グリーン・ゴールドに近いイエロー・ゴールドが使われています。本品だけを見てもわかりづらいですが、一般の金製品の隣に並べると本品は全体的に金の赤みが少し強く、ローズ・ゴールド(ピンク・ゴールド)のように見えます。イエロー・ゴールドとローズ・ゴールドの中間的な色合いはフランスのアンティーク金製品の特徴で、温かみを感じさせます。十字架交差部及び末端近くの楕円形部分には、グリーン・ゴールドに近いイエロー・ゴールドが文様の背景に使われています。
上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと周り大きなサイズに感じられます。
本品は見た目のサイズよりも軽量で、日々ご愛用いただけます。十八カラット・ゴールド(十八金)は変色することもありません。高純度の金製品は軟らかいのが難点ですが、ペンダントは力や重みが掛かることもありませんから、十八金でも全く問題ありません。