スズランのシンボリズム
la symbolique du muguet de mai




(上) 「我らを愛し給うた御方を、愛し返さない者がいようか」(Qui n'aimerait en échange celui qui nos a aimés ?) 多色刷り石版によるフランスの小聖画 70 x 110ミリメートル フランス 十九世紀後半から二十世紀初頭 当店の商品


 スズランはわが国にも冷涼な地方に産するほか、ヨーロッパの冷涼な地方にも自生します。この植物の特徴は、非常に強い芳香を有すること、及び人体にとって強い毒性があることです。

 スズランの和名は鈴のような蘭という意味ですが、スズランはラン科ではありません。植物の名が鈴に似た花に由来する点で、和名はドイツ語名「マイグレックヒェン」(das Maiglöckchen 五月の小さな鐘)と共通しています。

 ヨーロッパの民俗伝承において、スズランは聖母が十字架の下(もと)で涙を流し、その涙が地面に落ちて咲き出でた花とされます。


【スズランと「谷間の百合」】

 スズランは学名を「コンヴァッラリア・マーイアーリス」(Convallaria majalis)といいますが、これはネオ・ラテン語で「五月」(MAIUS) に咲く「谷」(CONVALLIUM) の花、の意味です。

 スズランを「谷の花」と名付けた典拠は、ヴルガタ訳「雅歌」二章一節にある「リーリウム・コンヴァッリウム」(LILIUM CONVALLIUM ラテン語で「谷間の百合」)です。「雅歌」二章一節から六節を、ノヴァ・ヴルガタと新共同訳により引用します。二節は若者の歌、それ以外は乙女の歌です。


    NOVA VULGATA      新共同訳 
  1.  Ego flos campi
et lilium convallium.
    わたしはシャロンのばら、
野のゆり。
         
  2. Sicut lilium inter spinas,
sic amica mea inter filias.
  おとめたちの中にいるわたしの恋人は
の中に咲きいでたゆりの花
         
  3. Sicut malus inter ligna silvarum,
sic dilectus meus inter filios.
Sub umbra illius, quem desideraveram, sedi,
et fructus eius dulcis gutturi meo.
    若者たちの中にいるわたしの恋しい人は
森の中に立つりんごの木。
わたしはその木陰を慕って座り
甘い実を口にふくみました。
  4. Introduxit me in cellam vinariam,
et vexillum eius super me est caritas.
    その人はわたしを宴の家に伴い
わたしの上に愛の旗を掲げてくれました。
  5. Fulcite me uvarum placentis,
stipate me malis,
quia amore langueo.
    ぶどうのお菓子でわたしを養い
りんごで力づけてください。
わたしは恋に病んでいますから。
  6. Laeva eius sub capite meo,
et dextera illius amplexatur me.
    あの人が左の腕をわたしの頭の下に伸べ
右の腕でわたしを抱いてくださればよいのに。




(上) 「わたしは谷間の百合」(Je suis le lys de la vallée.) アール・デコ様式によるフランスの小聖画 当店の商品


 スズランはパレスティナに自生しないゆえに、現代の聖書学では、「雅歌」において「リーリウム・コンヴァッリウム」とラテン語訳されたヘブル語の植物名は、実際にはアネモネを指すと考えられています。しかしながら十六世紀初めのドイツにおいて、「リーリウム・コンヴァッリウム」はスズランを指すとされました(註1)。

 スズランは植物系統学に基づく最新の分類ではクサギカズラ目(Asparagales)とされていますが、ごく近年までユリ目ユリ科(Liliales, Liliaceae)に分類されてきました。したがって、「雅歌」の「リーリウム・コンヴァッリウム」がスズランではないとしても、スズランを百合の仲間と考えること自体は学術的に妥当であったといえます。十六世紀のヨーロッパ人が「谷間の百合」(リーリウム・コンヴァッリウム)をスズランと解釈したのは、ヨーロッパに自生するスズランが、半日陰を好む「百合」であるからでしょう。


【フランスにおけるスズラン】

 スズランのフランス語名は「ミュゲ」(muguet)または「ミュゲ・ド・メ」(muguet de mai 「五月のミュゲ」の意) です。「ミュゲ」の語源は「麝香」を表す古フランス語(musque, musgue)で、「薫り高い花」が原意です(註2)。




(上) アール・ヌーヴォー様式による銀製ペンダント 愛と幸運のスズラン 24.2 x 22.0 mm フランス 二十世紀初頭 当店の商品です。


 フランスでは五月一日にスズランを贈り合いますが、この風習はルネサンス期の国王シャルル九世(Charles IX, 1550 - 1561 - 1574)にまで遡ると考えられています。ただし起源の逸話は資料によって細部が大きく異なります。

 サン=ポール=トロワ=シャトー(Saint-Paul-Trois-Châteaux オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏ドローム県)の観光局長であるクロード・ポーラン(Claude Paulin)氏によると、1564年、シャルル九世の母后カトリーヌ・ド・メディチがドーフィネ(Dauphiné 現在のフランス南東部に位置する旧アルボン伯領)を訪れ、サン=ポール=トロワ=シャトーの領主ジラール・ド・メゾンフォルト(Girard de Maisonforte)の城館に宿泊しました。このときジラール・ド・メゾンフォルトは城館の庭に咲くスズランを集め、一抱えもある花束にしてカトリーヌに贈りました。パリへの帰途は危険が伴う旅でしたが、花束に慰めを得たカトリーヌは、無事フォンテーヌブローに戻ると、幸運の花束をそのまま少年王シャルル九世に渡しました。シャルル九世はこの出来事に感激し、ジラール・ド・メゾンフォルトに倣って、毎年五月一日になると、幸運の印であるスズランを、宮廷の貴婦人たちに贈ることとしました。

 別の伝承によると、1566年、カトリーヌ・ド・メディチは新旧両教徒を調停するため、ルイ・ジラール・ド・メゾンフォルトをイタリアに派遣しました。イタリアからの帰途、ルイ・ジラール・ド・メゾンフォルトは自身の居城があるサン=ポール=トロワ=シャトーに立ち寄り、庭のスズランを摘んで、王と母后に贈る花束を作りました。ルイ・ジラール・ド・メゾンフォルトはこの花束を持って、フォンテーヌブローまで無事に帰還すると、「このスズランが陛下に幸運をもたらしますように」との言葉を添えて、王に花束を渡しました。これを聞いた王はその場にいた貴婦人たちにスズランを分け与え、「幸運の印のスズラン」を女性に贈る風習が始まったと伝えられます。


 フランスの絵葉書。二十世紀初頭のもの。


 フランス革命期の 1793年、日付が5月1日から4月26日に変更されたことがきっかけとなって、女性にスズランを贈る風習は廃れてしまいました。この風習が復活するには、十九世紀末まで待たなければなりません。

 1895年5月1日、後に人気歌手となるフェリクス・マイヨル(Félix Mayol, 1872 - 1941)がサン=ラザール駅に着いたとき、スズランの花束を持った恋人ジェニー・クック(Jenny Cook)に迎えられました。フェリクス・マイヨルはこの日がパリ・デビューの日で、当時十区のエシキエ通十番地にあったカフェ・コンセール(un café-concert 音楽の生演奏が聴けるカフェ)、「コンセール・パリジャン」(Concert Parisien)で夜に歌うことになっていたのです。

 十九世紀末のフランスでは、伊達男たちがフロックコートの内側に椿の花を挿していましたが、この日フェリクス・マイヨルは椿の花が手に入らなかったので、恋人から貰ったスズランを着けて舞台に上がりました。当夜のショウは大成功で、マイヨルが椿の代わりにスズランを着けたことも評判を呼び、スズランにも注目が集まりました。1909年になって、フェリクス・マイヨルは「コンセール・パリジャン」を買い取り、「コンセール・マイヨル」と改名しました。同店は 1976年まで存続しました。

 またパリの高級婦人服仕立店では、顧客と針子に対して、5月1日にスズランを贈るようになりました。パリを中心とするイール=ド=フランス地域では、このようにして、春の訪れを告げる「5月1日のスズラン」が広まりました。




(上) 2009/10年のフェーヴ 「レ・カトル・セゾン・ド・カリメロ」(les quatre saisons de Caliméro カリメロの四季)に含まれる一点。当店の販売済み商品です。


 ル・プルミエ・メ(le premier mai)、すなわち5月1日の国際労働記念日(journée internationale des travailleurs)は、1880年代に起源を有します。二十世紀初頭のフランスにおいて、ル・プルミエ・メに参加する労働者は、ボタン穴に赤い野薔薇を挿していました。しかるに 1907年のル・プルミエ・メ以降、赤い野薔薇は白いスズランに変わりました。

 大西洋に面した西フランスの町ナント(Nantes ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏ロワール=アトランティック県)では、1932年頃に「牛乳祭り」(la Fête du lait de mai)が始まりました。ナントではこれとほぼ同時にスズランが売られるようになり、1986年頃にはナントのスズランが全仏に広まりました。牛乳祭は現在では6月に行われるようになっていますが、ナントは今日に至るまでスズランの大供給地であり続けています。5月1日に全仏で売られるスズラン六千万本のうち、八十パーセント以上がナントで生産されています。



註1 英語ではスズランを「リリー・オヴ・ザ・ヴァレー」(lily of the valley 谷間の百合)といいますが、これはヴルガタの「リーリウム・コンヴァッリウム」をスズランとする解釈がイギリスに伝わり、これを英語でなぞって生まれた語です。OEDによると、英語「リリー・オヴ・ザ・ヴァレー」(lily of the valley)の初出は 1538年です。

註2 あまり一般的な表現ではありませんが、英語からの借用に基づき、フランス語でスズランを「リス・デ・ヴァレ」(lys des vallées 谷間の百合)とも呼びます。ちなみにオノレ・ド・バルザックに「ル・リス・ダン・ル・ヴァレ」(Le Lys dans la vallée, 1836)という小説がありますが、これは徳を象徴する野の百合のことで、スズランとは無関係でしょう。




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