エストレマドゥラの守護聖女 《ヌエストラ・セニョラ・デ・グアダルペ グアダルペの聖母 戴冠記念メダイ》 驚くべき細密浮き彫りによる立体的な作例 直径 16.0 mm


突出部分を除く直径  16.0 mm

スペイン  1928年頃



 一方の面にヌエストラ・セニョラ・デ・グアダルペ(グアダルペの聖母)を、もう一方の面に聖心を示すキリストを、いずれも浮き彫りで表したスペインのメダイ。ヌエストラ・セニョラ・デ・グアダルペは、1928年10月12日、トレド大司教の手により戴冠しました。本品はその際の記念メダイと思われ、片面に驚くべき細密浮き彫り、もう片面に神秘的なキリストの浮き彫りを有する珍しい作品です。


 サンタ・マリア・デ・グアダルペ


 「サンタ・マリア・デ・グアダルペ」(西 Santa María de Guadalupe グアダルペの聖なるマリア)または「ヌエストラ・セニョラ・デ・グアダルペ」(西 Nuestra Señora de Guadalupe グアダルペの聖母)はロマネスク様式による十二世紀の木像で、最もよく知られた黒い聖母のひとつです。

 グアダルペ修道院に伝わる伝承によると、この聖母子像は福音記者ルカの手による作品で、後の大教皇グレゴリウスによってコンスタンティノポリスからローマに運ばれました。ローマで疫病の流行を鎮めた聖母像は、大教皇から聖イシドロの兄であるセビジャ大司教に贈られ、司教座聖堂に安置されました。イスラム教徒がセビジャを攻略すると、数名の聖職者が聖母像を持ってセビジャを脱出し、グアダルペ川に近い山地に隠しました。五百数十年後の十三世紀末か十四世紀初頭、居なくなった牛を探して山奥に分け入った牧童に聖母が出現し、像が埋められている場所を示します。聖母像は牧童に案内されて来た司祭たちによって無事に掘り出され、発見の場所にはグアダルペ修道院が建設されました

 グアダルペ修道院は1389年に聖ヘロニモ会に受け継がれ、1835年まで同会の下で存続しました。しかしながら同年9月5日、スペイン政府はエストレマドゥラにある全修道院の閉鎖を決定し、決定の十三日後である同年9月18日にグアダルペの修道士たちも追放されました。同日、ヘロニモ会修道院としてのグアダルペ修道院は、四百五十五年十か月二十七日に亙る歴史を閉じました。社会の世俗化を急ぐスペイン政府は、グアダルペに続いてスペイン国内の全修道院を閉鎖し、数次に亙る永代所有財産解放令(las leyes desamortizadoras)で教会財産を没収しました。無住となった旧グアダルペ修道院はこの間にどんどんと荒廃してゆきました。

 文献学者、詩人であり、カセレス県選出のコルテス議員も務めたビセンテ・バランテス(Vicente Barrantes Moreno, 1829 - 1898)は、旧グアダルペ修道院が有する歴史的重要性を高く評価し、1878年、本の出版や新聞広告の掲載、会議の開催を通して、遺構を修復するための運動を開始しました。翌 1879年3月1日、旧グアダルペ修道院は重要文化財「モヌメント・ナシオナル」(西 Monumento Nacional 国家記念物)に指定されました。

 ビセンテ・バランテス以外にも、多数の作家が同様の熱意を以て、「ディアリオ・デ・バダホス」(Diario de Badajoz バダホス日報)紙上で運動に参加しました。1906年にはエストレマドゥラの住民一万名がグアダルペ修道院に巡礼を行いました。1907年3月20日には教皇ピウス十世が、サンタ・マリア・デ・グアダルペ(Santa María de Guadalupe グアダルペの聖母)をエストレマドゥラの守護聖女と宣言しました。これら二つの出来事は、旧修道院の修復の実現に決定的影響を及ぼしました。サンタ・マリア・デ・グアダルペがエストレマドゥラの守護聖女と宣言されて間もなく、グアダルペはフランシスコ会修道院として復活しました。

 1908年11月7日、フランシスコ会の修道士たちがグアダルペ修道院に到着すると、グアダルペ修道院はアルフォンソ十三世(Alfonso XIII, 1886 - 1841)の勅令によってフランシスコ会に引き渡され、フランシスコ会修道院となりました。フランスシコ会はグアダルペ修道院の修復作業を八十五年に亙って忍耐強く継続し、栄光に満ちたかつての姿を復元しただけでなく、ヘロニモ会が手を付けずにいた箇所をも整備しました。フランシスコ会はグアダルペ修道院の建築と美術を全面的に修復するとともに、グアダルペの聖母への崇敬を再興し、宣教と社会奉仕にも励みました。1939年から 1975年まで続いたフランコ独裁体制下において、グアダルペ修道院には補助金が毎年支出されました。修道院が大規模な修復によって昔日の栄光を取り戻したのは、この補助金のお蔭です。フランコ将軍はグアダルペ修道院を数度に亙って訪れています。

 1928年10月12日、国王アルフォンソ十三世、政府高官、聖職者及び国民列席のもと、トレド大司教ペドロ・セグラ師(Pedro Segura y Sáez, 1880 - 1957)の手により、グアダルペの聖母は戴冠されました。聖母を安置するグアダルペ修道院付属聖堂は 1955年にバシリカとされ、1982年11月4日には教皇ヨハネ・パウロ二世(Ioannes Paulus II, 1920 - 2005)の訪問を受けました。グアダルペ修道院は 1992年7月28日に「メダジャ・デ・エストレマドゥラ」(la Medalla de Extremadura エストレマドゥラ章)を受賞し、1993年にはユネスコの世界遺産(Patrimonio de la Humanidad)に登録されました。





 本品の一方の面には、ロマネスク様式の聖母子像ヌエストラ・セニョラ・デ・グアダルペ(西 Nuestra Señora de Guadalupe グアダルペの聖母)が、極めて細密な肉厚の浮き彫りによって実物さながらに再現されています。

 聖母は幼子イエスを膝に座らせ、右手に天の元后の笏を持って、母子ともに正面を向いています。母子は豪華な刺繍のあるマントを羽織っており、聖母は頭上に大きな冠を戴いています。聖母子の足下には中央が手前に張り出した台があり、下弦の月の上にケルブが彫られています。台座の左右の端にもケルビムの立像が彫られています。





 ケルビムは神の座です。本品においてケルビムはイエスを支えており、これはイエスが玉座に座し給う神であることを表します。一方で、幼子イエスを膝に乗せる聖母もまた、イエスの玉座であると言えます。幼子イエスを膝に乗せた上智の座の聖母を、ネオカイサレアのグレゴリウス・タウマトゥルグスは「まことのケルビムの座」と呼びました。ここで言う「ケルビムの座」とは、ケルビムと同様に神の座となる御方、という意味です。したがってヌエストラ・セニョラ・デ・グアダルペ(グアダルペの聖母)に抱かれた幼子イエスは、二重の玉座に座していることになります。

 キリスト教の伝統的図像において、無原罪の御宿りは下弦の月の上に立つ姿で描かれます。したがってグアダルペの聖母は無原罪の御宿リとして表されていることが分かります。カスティジャ語(スペイン語)による次の句が、聖母子を囲んでいます。

  Nuestra Señora de Guadalupe, Patrone de Extremadura  エストレマドゥラの守護聖女、グアダルペの聖母





 本品の直径は十六ミリメートルで、どちらかと言えば小ぶりのサイズですが、三ミリメートル近い厚みがあります。特に聖母子の面は浮き彫りが立体的で、たいへん重厚な趣きがあります。





 上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。筆者(広川)は強度の近視で、ルーペを使わずとも微細なものが肉眼でよく見えますが、本品の模様は判別が困難です。冠と衣、台座のパターンは余りにも細かく、拡大写真によってようやく判別可能です。





 もう一方の面には、聖心を示すキリストの半身像が大きく浮き彫りにされています。キリストの胸の中央では、愛の炎を噴き上げる心臓が、眩い光を放射しています。キリストは左手で聖心を示しつつ、右手を挙げて祝福のポーズを取っています。

 聖心の下にある六角形の窪みは、スペインにおけるメダイユ工房のマークです。





 古来心臓は生命の座、愛の座とされてきました。生命と愛が同じ臓器に宿るとされたことから、生命と愛の同一性が導かれます。

 神は諸々の属性を不可分に有しておられる方であり、神のこのような在り方を、スコラ哲学では「シンプリキタース・デイー」(羅 SIMPLICITAS DEI 神の単純性)と呼んでいます。それゆえ生命と愛の同一性は、イエスの聖心に最も卓越的に適合します。

 しかしながらわれわれ人間は「神の似姿」に造られた(「創世記」一章二十六節)ゆえに、人間の心臓も生命と愛の座となる自然本性的能力を有します。人間の心臓がイエスの聖心に触れ、愛の炎に着火されると、その炎は上方すなわち神へと向かいます。神への回帰は生命と愛の回復に他なりません。罪びとを救いへと招くイエスが、愛に燃える聖心を示しておられるのは、このような理由によります。





 この面のイエスは背景に半ば溶け込むように彫られており、神秘性にあふれた作品となっています。マルグリット=マリが幻視したキリストを強いて浮き彫りに表現するならば、このような姿になるのではないかと思います。なお宗教的体験の図像表現の正当性に関しては、こちらで考察を加えました。





 上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。







 本品は八十年ないし九十年前に制作された真正のアンティーク品ですが、古い年代にもかかわらず、保存状態は極めて良好です。グアダルペの聖母の細密彫刻は見事ですし、神秘的なキリスト像も本品にしかない大きな魅力です。

 ペンダントとして使うには大きすぎず、小さすぎず、日々愛用しやすいサイズです。グアダルペの聖母はメキシコのものが却ってよく知られていて、メダイも見つかり易いですが、エストレマドゥラ(スペイン)のメダイは稀少です。





本体価格 15,800円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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