フランスのアンティーク・プラケット 《ウィルゴー・ウィルギヌム 処女たちのなかの処女》 《ルルドのロザリオの聖母》 800シルバーにヴェルメイユ 23.0 x 15.5 mm 1900 - 1930年代


重量 3.2 g

突出部分を含むサイズ  縦 23.0 x 横 15.5 mm



 円くないメダイユ(メダイ、メダル)を、フランス語でプラケット(仏 une plaquette)といいます。本品はおよそ百年前のフランスで制作されたアンティーク・プラケットで、ウィルゴー・ウィルギヌム(羅 VIRGO VIRGINUM 処女たちのなかの処女)と呼ばれるマリアの横顔を一面に、ルルドにおける聖母出現をもう一面に、それぞれ浮き彫りで表しています。

 めっきではない銀でできた品物を、銀無垢(ぎんむく)製品といいます。本品は純度八百パーミル(800/1000)の銀無垢製品で、一部は金めっきを掛けたヴェルメイユとなっています。上部に突出した環状部分に、モネ・ド・パリ(仏 la Monnaie de Paris パリ造幣局)による銀の検質印(ホールマーク)、及びフランスの銀細工工房のマークが刻印されています。





 本品の一方の面には、目を閉じて祈る少女マリアの横顔が浮き彫りにされています。ウィルゴー・ウィルギヌム(羅 VIRGO VIRGINUM)とは、ラテン語で「処女たちのなかの処女」「第一の処女」という意味です。マリアを表すこの称号には、最も清らかな処女、永遠の処女という意味が込められています。大文字で綴られたマリアの称号は、メロヴィング朝以前のガロ・ロマン期、あるいはそれよりもさらに前の古代を髣髴させ、本品の印象をクラシカルな静謐さへと高めています。


 ウィルゴー・ウィルギヌムは「ロレトの連祷」と「メモラーレ」にある句です。本品メダイにはウィルゴー・ウィルギヌム(処女たちのなかの処女)とだけ書かれていますが、ロレトの連祷とメモラーレを知っていれば、残りの祈りは自然に心に浮かびます。

 ロレトの連祷は十六世紀半ばまで遡ることが可能な祈りで、父、子、聖霊の三位一体、並びに聖母マリアに向けた祈りを続けて唱えます。連祷のうち十八の祈りが神に向けてのものであるのに対し、実に五十の祈りが聖母に向けられています。ロレトの連祷において、聖母は「処女たちのなかの聖なる処女よ、我らのために祈り給え」(羅 Sancta Virgo virginum, Ora Pro Nobis.)と呼びかけられています。

 メモラーレは十五世紀末の祈祷書に遡ることができますが、祈りの文言が最終的に確定したのは十九世紀です。十九世紀に確立したメモラーレの文言は次の通りです。原文はラテン語、日本語訳は筆者(広川)によります。

     Memorare, O piissima Virgo Maria, non esse auditum a saeculo, quemquam ad tua currentem praesidia, tua implorantem auxilia, tua petentem suffragia, esse derelictum. Ego tali animatus confidentia, ad te, Virgo Virginum, Mater, curro, ad te venio, coram te gemens peccator assisto. Noli, Mater Verbi, verba mea despicere; sed audi propitia et exaudi. Amen.    憶え給へ、いとも憐れみ深き乙女マリアよ。御身の庇護へと駆け込む者の、御身の援けを嘆願する者の、御身の執り成しを乞ふ者の、見棄てられたる例(ためし)、絶えて聞かれざるを。処女たちのなかの処女、御母よ、かかる信頼もて心励まされたる我は、御許に駆け来たり、罪びととして嘆きつつ御前に立つなり。御言葉の御母よ。わが言葉から目を逸らせ給はず、憐れみ深き御方よ、耳を傾け、聞き入れ給へ。アーメン。





(上) アボット・ハンダスン・セイヤー作 「玉座のおとめ」 1895年のフォトグラヴュール 206 x 290 mm a photogravure by Goupil, based on "Virgn Enthroned" by Abbott Handerson Thayer, from "Art of the World" by Ripley Hitchcock, published by D. Appleton, 1895 当店の商品です。


 伝統的宗教美術において、無原罪の御宿りや受胎告知を主題に描かれた図像など、幼子イエスを伴わない単身像のマリアは、十三歳ぐらいの少女として描かれます。

 単身で描かれるマリアの年齢について、スペイン画家フランシスコ・パチェコ(Francisco Pacheco del Río, 1564 - 1644)は、「最も美しい年齢である十三歳の聖母を描くことが必要である」と言っています。上の写真はアメリカの画家アボット・ハンダスン・セイヤー(Abbott Handerson Thayer, 1849 - 1921)が 1891年に制作した油彩「玉座のおとめ」("Virgn Enthroned")ですが、この作品においても十三歳の少女が聖母のモデルを務めています。

 本品のマリアは横顔であるゆえに年齢が判然としませんが、若い年齢であることは確かです。本品を制作したメダユール(仏 médailleur メダイユ彫刻家)がキリスト教図像の伝統に従っているならば、マリアの年齢は十三歳前後であるはずです。





 正典福音書において、マリアが初めて登場するのは受胎告知のシーンです。

 現代に比べると、昔は我が国でも元服、裳着が低い年齢で行われましたが、古い時代ほど成人が早い傾向は、どの民族にも大体当てはまります。新約聖書時代のユダヤ人は、男女とも十二、三歳で成人を迎えました。男性は家族を支えないといけないので、実際の結婚は成人の数年後でしたが、女性はほとんどの場合、成人後間を置かずに結婚していました。天使ガブリエルから受胎(妊娠)を告知されたときマリアが何歳であったのか、聖書には記述がありませんが、やはり十三歳ぐらいであったはずです。したがって少女として表現された本品のマリアは、受胎告知の聖母であると考えられます。





 突然家に入ってきた神の使者ガブリエルは、事情が分からず戸惑う処女に、メシア(救世主、キリスト)が生まれることを告げました。この出来事については「ルカによる福音書」一章二十六節から三十八節が次のように記録しています。

     六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。
     天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
     マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」
     マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
     「ルカによる福音書」一章二十六節から三十八節 新共同訳





 受胎告知を主題とする聖画やメダイの定型的表現において、マリアは薄絹でできた花嫁のヴェールを被り、喜びの表情を浮かべています。しかしながら本品のマリアは薄絹のヴェールではなく、古代の女性の普段着であるパッラ(羅 PALLA ローマ風マント)を被っています。マリアの表情も落ち着いており、祈りすなわち神との対話に眼を閉じたまま沈潜しています。

 マリアは処女であるにもかかわらず、メシアを産むという大任を神から与えられました。眼を閉じて祈る本品のマリアは、神に問いかけつつも、その大任を受け容れています。取り乱すこともなく神と対話するマリアの横顔には、神に全てを委ねる信仰が形となって現れています。


 本品プラケットは銀製ですが、マリアの後光には金めっきが施されています。銀に金をめっきする技法をヴェルメイユ(仏 vermeil)といいます。本品はおよそ百年も前に作られたアンティーク品ですので、浮き彫りの突出部分に多少の摩滅が生じて優しい丸みを帯びるとともに、ヴェルメイユ部分の金も淡い色彩に変化しています。

 聖なる存在の頭部後方に円盤状の後光を付けるのは、世界の諸宗教で古くから行われてきた表現です。本品に施されたヴェルメイユも、プラケットの新品時には、あたかも金の円盤のように見えたはずです。しかしながら後光が固体の円盤ではなく聖性の光であるならば、現状の本品に見られるように、金と銀の境界が不分明である方が却って自然です。

 アンティーク品は歳月を経ることで思わぬ美的効果を獲得することがあります。浮き彫り突出部の摩滅による優しい丸みと、ヴェルメイユの摩滅による淡い金色は、アンティーク品が歳月によって獲得する美の好例です。





 上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。マリアの目鼻口はそれぞれ一ミリメートルほどの極小サイズですが、浮き彫り像は正しい比例に基づいて制作され、大型彫刻と比肩する写実的表現となっています。


 先に述べたように、ウィルゴー・ウィルギヌム(羅 VIRGO VIRGINUM 処女たちのなかの処女)は、「ロレトの連祷」と「メモラーレ」に出てくる句です。

 カトリック信仰において、マリアは罪びとをマントの下に庇い、神の怒りを受けないように、神と救い主に執り成してくださると考えられています。「ロレトの連祷」や「メモラーレ」をはじめとする聖母への祈りにおいて、地上に住まう罪びとたちは、あたかも幼児が母の陰に隠れるように、聖母への純粋な愛と信頼を告白しています。





 プラケットの裏面には、マサビエラの岩場に出現したルルドの聖母と、その前に跪くベルナデットが浮き彫りにされています。

 ルルド(Lourdes オクシタニー地域圏オート=ピレネー県)はフランス南西部の小さな町で、スペインに近いピレネー山中にあります。ルルドを貫流するポー川(le gave de Pau)の岸辺に、現地で話されるガスコーニュ語ビゴール方言でマサビエラ(massavielha 古い岩塊、の意)と呼ばれる高さ二十七メートルの岩場があります。この岩場は巨大な石灰岩の塊で、基部にポー川の浸食を受けて、高さ 3.80メートル、奥行 9.5メートル、幅 9.85メートルのグロット(仏 grotte 洞穴、岩に開いた大きな横穴)を生じています。洞穴に向かって立つと右上方に縦長の開口部があって、開口部の奥は下の洞穴に繋がっています。

 1858年、ルルドに住む十四歳の少女ベルナデット・スビルーが、この岩場において聖母マリアを幻視しました。少女として出現したマリアは、グロット右上方の開口部に立っていました。若き聖母に指示されたベルナデットが、洞穴内の土を手で掘ったところ泉が湧き出して、多数の病人に奇跡的な治癒効果を発揮しました。




(上) 小さな聖母像が安置されたマサビエルの岩場。1863年に撮影された写真。


 聖母が出現した場所には、小さな聖母像が置かれました。上に示したのは聖母出現の五年後にあたる 1863年に撮影された写真で、グロット右上方の開口部には、小さな無原罪の御宿り像が置かれています。

 1863年7月、ド・ラクール姉妹(Marie-Elfride et Marie-Sabine de Lacour)という二人の女性が、リヨンからルルドを訪れました。ド・ラクール姉妹は自分たちの財産を慈善のために使おうと考えており、ルルドの岩場に小さな聖母像が置かれているのを目にして、ここに立派な像を寄進しようと考えました。姉妹はリヨンの高名な彫刻家ジョゼフ=ユーグ・ファビシュ(Joseph-Hugues Fabisch, 1812 - 1886)に、ルルドの聖母像の制作を依頼することにしました。


 ファビシュの聖母像


 ド・ラクール姉妹から依頼を受けた翌年、ファビシュはカッラーラ産大理石の聖母を完成しました。ファビシュの聖母像はリヨンからルルドに運ばれて、マサビエラの岩場に安置されました。この聖母像は、1853年 3月25日、十六回目の出現の際にベルナデットに名を問われ、「わたしは無原罪の御宿りです」と答えたときのマリアの様子を再現しています。

 ファビシュの聖母像の特徴は、無原罪のマリアをロサ・ミスティカ、棘の無い神秘の薔薇として表現していることです。そのため聖母の両足の上には金色の薔薇の花が取り付けられています。ルルドの聖母は裸足で、茨の茂みに出現し給いました。茨(薔薇)の棘は罪を象徴します。したがって聖母が棘を持たないロサ・ミスティカであるという事実、また棘に傷つき給わないという事実は、聖母の罪の無さ、無原罪性を象徴的に表します。





 聖母の図像表現において、茨を踏む裸足は無原罪性を最も良く象徴する部位です。ここに薔薇を咲かせたファビシュの聖母像は、神学的背景を巧みに可視化していると言えます。本品のメダユール(メダイユ彫刻家)はファビシュの彫刻を写したわけではないので、本品の聖母には台座がありません。しかしながら本品に彫られた聖母の姿はファビシュの優れたアイデアを踏襲しており、裸足の両足には二輪の薔薇が咲いています。

 ルルドにおける聖母出現、あるいはベルナデットによる聖母の幻視は、1858年2月11日から同年7月16日まで、十八回に亙って起こりました。本品に彫られた聖母は右腕にロザリオを掛け、胸の前に両手を合わせて、目を天に向けています。この姿は、上述したように、1858年3月25日、聖母が十六回目に出現し給うたときの様子を写しています。この日ベルナデットが四度続けて名を問うと、聖母は田舎の言葉(ガスコーニュ語ビゴール方言)で「わたしは無原罪の御宿りです」(Que soy era Immaculada Concepciou.)と答え給いました。





 本品はこの面を内向き(衣服に接する向き)にして、ペンダントとして着用されていたと思われ、突出部分であるペルナデット・スビルー像、及び聖母像が滑らかに摩滅しています。アンティークメダイに見られる突出部分の摩滅は、本品を制作したメダユールが恐らく想定しなかったであろう美的効果を本品にもたらしています。

 ベル・エポック期頃までのフランスのメダイユ彫刻は、古典的写実性を旨とします。しかしながら細部まで克明に描写された美術作品が鑑賞者に示されるとき、鑑賞者の精神と作品の間には相互作用が成立せず、前者は後者をただ受動的に受け入れざるを得ません。美術作品の鑑賞者から見れば、細部まで描写済みの作品は、鑑賞者との交流を拒み、鑑賞者とは無関係に自存する外界です。それは他者によって固定された「生命の無い所与(データ)」にすぎません。生命の無い所与は「観察」の対象にはなり得ますが、「鑑賞」の対象とはなりません。なぜなら「鑑賞」が成立するためには、鑑賞者の精神が美術作品のうちに入り込み、いわば生命の共振が起こらなければならないのに、生命の無い所与は生きて働く精神に合わせて形を変えることができないからです。

 これに対して意図的な作風によるにせよ、摩滅や経年変化に拠るにせよ、細部がぼかされた美術作品は、鑑賞者の精神がそのうちに入り込む余地を残しています。鑑賞者の想像力が自らの力で作品の細部を補い、完成するとき、鑑賞者と作品の間には、あたかも他の人物との間におけると同様に、人格的関係が成立します。本品においても、メダイを鑑賞者する人の心眼は、摩滅して見えなくなった細部を自発的に補い、ペナンとポンセが作った後で時が摩滅させた作品を、彫刻家とともに再び完成させるのです。アンティーク品に見られる突出部分の摩滅は、そのような心眼の能力と働きを、鑑賞者から自然に引き出します。ここに鑑賞者と作品の人格的関係が成立します。





 突出部分の摩滅がもたらしたもう一つの効果は、聖母出現の出来事を描写する本品メダイの浮き彫り彫刻が、細部の消失により、却って歴史的忠実性を手に入れていることです。

 ルルドの聖母に見(まみ)えたベルナデット・スビルーは心眼で聖母を幻視したのであって、聖母は現実に(レアリテルに、物体として)ルルドに出現したわけではありません。ベルナデットがマサビエルの岩場で聖母を幻視している間、周囲には何百人もの見物人が集まりましたが、ベルナデット以外の人に聖母は見えませんでした。さらに、ベルナデットは自分が見ている物が聖母であるとは思わず、かといって何を見ているのかもわからずに、出現物を「あれ」(aquello)と呼んでいました。ベルナデットはカトリックとして育ちましたから、ルルドの聖母が聖画や聖像で見るような姿をはっきりと顕わしていれば、自分が聖母の出現を目撃していると分かったはずです。しかしながら岩場に幻視した「あれ」は明瞭な輪郭を持たず、ベルナデット自身さえ、その正体を知らなかったのです。

 筆者(広川)は不可視の幻視を分かりやすく形象化する聖画像に、美術品としての充分な存在意義を認めます。しかしながらベルナデットの「あれ」をメダイユ彫刻として再現するのであれば、ともすればキッチュ(俗悪)とも見られかねない細密描写によるよりも、滑らかに摩滅し、光に包まれた聖母像による方が、ベルナデットの心眼が捉えた「あれ」の描写に一層近く、相応しいでしょう。このような理由に基づき、本品は長い時を経てアンティーク品になることで、より一層優れた精神性、すなわち不可視の宗教的事象までも再現しうる優れた描写性を備えるようになった、と筆者は考えます。





 上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。本品は突出部分の摩滅によって細部が不分明になっていますが、人物の顔や表情、衣の襞、持ち物、ごつごつした岩、岩場に生える植物等、浮き彫りの各部は数十分の一ミリメートル以下のオーダーで精密に造形されていることがわかります。岩場の凹部に施されていたヴェルメイユは金色の名残りを留め、銀白色の浮き彫りに温かみを加えています。





 上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもさらにひと回り大きく感じられます。


 銀は鉄や銅などに比べて比重が大きい金属です。本品は一円硬貨ほどのサイズですが、しっかりとした厚みと 3.2グラムの重量があり、手に取ると心地よい重みを感じます。

 第二次世界大戦期までのフランスは富が極端に偏在し、貴族階級やブルジョワジーなどを除けば、皆が貧しい暮らしをしていました。フランスは昔から西ヨーロッパ随一の農業国です。「農耕と牧畜はフランスの両乳房である」(仏 Labourage et pâturage sont les deux mamelles de la France.)というシュリ公マクシミリアン(Maximilien de Béthune, duc de Sully, 1559 - 1641)の言葉はよく知られています。しかしながら我が国が同時代にそうであったように、百年前のフランスの農民階級は慢性的貧困に喘いでいました。農村部に比べると都市部は富が集まっていましたが、その富はごく一部の富裕層に独占されて、一般市民は多くの人が底辺の暮らしを送っていました。

 1910年のフランスにおいて、上位一パーセントの富裕層が富の七十パーセント近くを所有していました。富裕層の範囲を上位十パーセントに広げると、この階層が富の九割を独占し、残りの一割を九十パーセントの国民が分け合う状況でした。「一部の富裕層以外は、全員が下層階級」というように、社会が極端に二極分化していたのです。経済基盤がこのように脆弱であったフランスの庶民の暮らしは、人類史上初の大量殺戮戦となった第一次世界大戦によって壊滅的な打撃を受け、戦争孤児や戦争寡婦が全土に溢れました。





 本品はこのような時代にめっきではない銀で作られた品物です。当時のフランスは未だ世俗化が進まず、カトリック信仰が日常生活の隅々にまで浸透していました。高価な銀無垢メダイユである本品は、おそらく特別な記念品として購入された品物のはずです。高価な銀無垢製品に相応しく、本品の意匠はあくまでも上品であり、どのような場でもお使いいただけます。

 銀製品は普段から使っていれば、服などと接触することで自然に磨かれて、黒ずむことはありません。長期間放置したり、温泉などの硫黄分に曝露すれば硫化による黒ずみが生じますが、少量の練り歯磨きで軽くこすれば簡単に綺麗になります。銀の黒ずみを取るのに、特別な薬品や装置は必要ありません。





本体価格 9,500円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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