メモラーレ
MEMORARE, Souvenez-vous




(上) "LE LIS DE L'INNOCENCE" (Bouasse-Lebel pl. 1065) 112 x 72 mm, vers 1880s à 90s 「メモラーレ」からの引用を裏面に記したカニヴェ当店の販売済み商品


 「メモラーレ」はかつてカトリックで最もよく唱えられた聖母マリアへの祈りのひとつです。現在伝えられている形は十五世紀末の祈祷書まで遡ることができますが、はっきりとした起源はわかっていません。メモラーレという名称は、祈りの冒頭の語(註1)に由来します。


【クロード・ベルナール神父とメモラーレ】

 メモラーレを精力的に普及させた最初の人物は、貧しき神父(仏 le Pauvre Prêtre)の愛称で知られるフランスの司祭クロード・ベルナール師(P. Claude Bernard, 1588 - 1641)です。富裕な高官の子息としてディジョンに生まれたクロードは、回心を経験して司祭となり、後に聖人に列せられるヴァンサン・ド・ポール師(St. Vincent de Paul, 1581 - 1660)と親交を深めました。ベルナール師 の実父は 1609年に亡くなりましたが、ベルナール師はそれ以前からすべての私財を擲(なげう)ち、貧者、病者、囚人、死刑囚たちへの施しと奉仕に勤しみました。

 クロード・ベルナール師は聖母マリアを深く信仰していました。ベルナール師がアンヌ・ドートリシュ(Anne d'Autriche, 1601 - 1666 ルイ十三世紀の妃)に宛てた書簡によると、ベルナール師は重病に罹ったときにメモラーレの祈りを唱え、すぐに治癒を得る経験をしました。このとき師自身は、聖母が奇跡によって自身を癒し給うたと信じることができず、たまたま治ったのではないかと考えていましたが、跣足アウグスチノ会のフィアクル修道士(Fr. Fiacre de Sainte-Marguerite, Denis Antheaume, O. A. D. 1609 - 1684 註2)がベルナール師を訪ねてきて健康状態を尋ね、聖母が自分に出現して、ベルナール師を癒したことを告げ、さらにこの治癒が聖母によるものであることを、ベルナール師を訪ねて分からせるようにと命じたもうたのだと言いました。フィアクル修道士の話を聞いたベルナール師は、自身の不信仰と聖母に対する忘恩を恥じ、神に赦しを請いました。

 このようなことがあって、ベルナール師はメモラーレの祈りを普及させる活動に熱心に取り組みました。機会あるごとに人々に手渡せるようにと、ベルナール師は数か国語による数十万枚のパンフレットを刷らせています。ベルナール師の熱心な活動ゆえに、メモラーレはときに「ベルナール師の祈り」と捉えられ、ベルナール師が考案したかのように誤解されることがありますが、ベルナール師はメモラーレの考案者ではありません。ベルナール師自身も、自分はこの祈りを実父から教わったと語っています。


【「メモラーレ」の起源と変遷】

 メモラーレは「アド・サンクティターティス・トゥアエ・ペーデース、ドゥルキッシマ・ウィルゴー・マリア」("Ad sanctitatis tuae pedes, dulcissima Virgo Maria" ラテン語で「いとも優しき乙女よ、御身が聖性の御足もとに」の意)の名で知られる長い祈りの一部です。「アド・サンクティターティス・トゥアエ・ペーデース、ドゥルキッシマ・ウィルゴー・マリア」は十五世紀末までに出版されたいくつかの祈祷書に収録され、広く知られていました。

 「アド・サンクティターティス・トゥアエ・ペーデース、ドゥルキッシマ・ウィルゴー・マリア」からの抜粋を下に示します。日本語訳は筆者(広川)によります。文意を通りやすくするために補った訳語は、ブラケット [ ] で囲みました。筆者の訳文はラテン語テキストの意味を正確に写すとともに、こなれた日本文とするようにも努めたゆえ、逐語訳にはなっていません。


     Ad sanctitatis tuae pedes, dulcissima Virgo Maria, corpore prostratus et corde, supplex oro ut aliquid a te rogare me doceas, quod te audire et Filium exaudire delectet. Indignus sum gratia et cunctis miserationibus tuis minor, peccatis meis obstantibus. A te, Sanctissima, audiri et a Filio tuo benignissimo exaudiri non mereor. Noli tamen ad te clamantem et vitam emendare cupientem pia repellere quae manum gratiae porrigere soles ad te suspiranti.   いとも優しき乙女よ、御身が聖性の御足もとに身も心も投げ出して、嘆願しつつ祈り奉る。我が御身より何事かを求むるときに、示し給え。御身が聴き給い、御子が聞き届け給うを[御身が]嘉(よみ)し給うは何事ならむ(註3)。わが罪ども障りとなれば、我、取るに足らざる者にて、恩寵にも、御身の如何なる憐れみにも値せず。いとも聖なる乙女よ、御耳に届くにも、いと恵み深き御子に聴き届けらるにも、我、値せず。されど御身に向かひて呼ばはる者を、生を改めんと欲する者を、拒み給はざれ。御身に向かひて嘆願する者に、恵み深き御手を常に差し伸べ給ふ憐れみ深き御身よ。(註4)
     Memorare, piissima, non esse auditum a saeculo, quemquam ad tua currentem praesidia aut tua petentem suffragia a te derelictum. Tali animatus confidentia ad te, Virgo Maria, confugio, ad te curro, ad te venio, coram te gemens et tremens assisto.    憶え給へ、いとも憐れみ深き御方よ。御身の庇護へと駆け込む者の、あるひは御身の執り成しを乞ふ者の、御身に見棄てられたる例(ためし)、絶えて聞かれざるを。乙女マリアよ、かかる信頼もて心励まされたる我は、御許に逃れ、御許に駆け寄り、御許へと来たり、嘆き震えつつ御前に立つなり。
     Noli, Virgo Immaculata, a me peccatore faciem tuam abscondere, sed ad me clementer respice. Noli, Mater Verbi, mea despicere verba, sed audi propitia et exaudi oris mei verba. Noli, mater omnium, ab omni benignitate tua me excludere, sed benigne fac mecum propter nomen tuum sanctum. Noli, mater gratiae, Filii tui gratiam mihi denegare, sed gratifica me gratiae illi quem tu, gratia plena, peperisti. .    汚れなき乙女よ。罪びとなる我から御顔を隠し給はず、寛容なる心もて我を顧み給へ。御言葉の御母よ。わが言葉から目を逸らせ給はざれ。憐れみ深き御方よ。わが口の言葉に耳を傾け、聞き入れ給へ。すべての人の御母よ。御身のすべての恵みから我を除き給はず、恵み深くも、御身が聖なる御名ゆへに、我が側に立ち給へ(註5)。恵みの御母よ。御子の恵みを我に拒み給はざれ。恩寵に満ちた御方よ。かの恩寵[たる御子]、御身の産み給へる御方のものと、我を為し給へ(註6)。(後略)


 上記の祈りからメモラーレが抜粋され、独立して扱われるようになったのがいつからなのかはわかっていませんが、おそらく十六世紀後半、ベルナール師の父の世代頃であろうと考えられています。

 十六世紀後半以降のメモラーレには、文献によって異同があります。次に示すのはヴィルヘルム・ナカテヌス(Wilhelm Nakatenus, 1617 - 1682)の著作「コエレステ・パルメートゥム」(羅 "Coeleste Palmetum" 天上のナツメヤシ)に見られる祈りで、メモラーレ、スブ・トゥウム・プラエシディウムサルウェ・レーギーナアウェ・マリアが混然一体となっています。日本語訳は筆者(広川)によります。


     Memorare, o piissima Virgo Maria, non esse auditum a saeculo, quemquam ad tua currentem praesidia, tua implorantem auxilia, aut tua petentem suffragia a te esse derelictum. Ego tali animatus fiducia, ad te Virgo virginum Maria Mater Iesu Christi, confugio, ad te venio, ad te curro, coram te gemens peccator et tremens assisto:    いとも憐れみ深き乙女マリアよ。御身の庇護へと駆けこむ者の、あるひは御身の援けを嘆願する者の、あるひは御身の執り成しを乞ふ者の、御身に見棄てられたる例(ためし)、絶えて聞かれざるを。乙女たちのなかの乙女マリア、イエス・キリストの御母よ、かかる信頼もて心励まされたる我は、御許に逃れ、御許へと来たり、御許に駆け寄り、罪びととして嘆き震えつつ御前に立つなり。
     Noli, Domina mundi, noli aeterni Verbi Mater verba mea despicere, sed audi propitia et exaudi me miserum ad te in hac lacrimarum valle clamantem. Adsis mihi, obsecro, in omnibus necessitatibus meis, nunc et semper, et maxime in hora mortis meae. O clemens, o pia, o dulcis Virgo Maria! Amen.    世を統べ給ふ乙女よ。永遠の御言葉の御母よ。わが言葉から目を逸らせ給はざれ。憐れみ深き御方よ。この涙の谷から御身に呼ばはる惨めなる我の願ひに耳を傾け、聞き入れ給へ。我、冀(こひねが)ふ。御身を必要とする全てのときに、すなはち今も、いつも、とりわけわが死のときも、我とともにまし給へ。寛容にして憐れみ深く、優しき御身、乙女マリアよ。アーメン。


 「メモラーレ」の文言は、十九世紀に入って次のように確定しました。日本語訳は筆者(広川)によります。1846年、ピウス九世はメモラーレに最初の免償を与えました。


     Memorare, O piissima Virgo Maria, non esse auditum a saeculo, quemquam ad tua currentem praesidia, tua implorantem auxilia, tua petentem suffragia, esse derelictum. Ego tali animatus confidentia, ad te, Virgo Virginum, Mater, curro, ad te venio, coram te gemens peccator assisto. Noli, Mater Verbi, verba mea despicere; sed audi propitia et exaudi. Amen.    憶え給へ、いとも憐れみ深き乙女マリアよ。御身の庇護へと駆け込む者の、御身の援けを嘆願する者の、御身の執り成しを乞ふ者の、見棄てられたる例(ためし)、絶えて聞かれざるを。乙女たちのなかの乙女、御母よ、かかる信頼もて心励まされたる我は、御許に駆け来たり、罪びととして嘆きつつ御前に立つなり。御言葉の御母よ。わが言葉から目を逸らせ給はず、憐れみ深き御方よ、耳を傾け、聞き入れ給へ。アーメン。




註1 ラテン語の動詞メモラーレ(羅 MEMORARE)は、辞書の見出しに載っている形(直説法能動相現在一人称単数形)で示せば、メモロー(羅 MEMORO)である。メモラーレはメモローの命令法受動相現在二人称単数形。メモローは「思い出させる」という意味だから、受動相では「思い出す」「憶えている」「忘れずにいる」という意味になる。すなわち「メモラーレ」は「いま思い出してください」「いつも忘れないでいてください」という意味。ここでは「憶え給え」と訳した。

註2 当時の国王ルイ十三世と王妃アンヌ・ドートリシュに間には、結婚後二十二年経っても世継ぎが生まれなかったが、フィアクル修道士は 1637年同年10月27日、早朝一時から四時まで四回の祈りのたびごとに聖母を幻視し、国王夫妻の間にルイ十四世が生まれることを預言した。フィアクル修道士は跣足アウグスチノ会修道院付属聖堂ノートル=ダム・デ・ヴィクトワール内に、罪びとの避け所(仏 le refuge des pécheurs)なるノートル=ダム・ド・サヴォーヌ(仏 Notre-Dame de Savone サヴォーナの聖母)の礼拝堂を作ったことでも知られている。

註3 "me" は 《"rogare" の対格主語》 兼 《"doceas" の直接補語》。"quod..." は "aliquid" にかかる関係詞節。

註4 "pia" は "quae" の先行詞。

註5 この "facio" は自動詞。 "cum/ab aliquo facio" 「或る人の側に立つ」

註6 直訳 「御身の産み給へる、かの恩寵へと、我を差し出し給へ。」 この "gratifico/gratificor" は「差し出す」「捧げる」



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