透かし細工による銀無垢メダイ 《家庭における教育者アンナと、恩寵に照らされたマリア》 アール・ヌーヴォー様式による大型の作例 36.7 x 22.8 mm フランス 1900年頃


重量 4.5 g

突出部分を含むサイズ 縦 36.7 x 横 22.8 mm



 伝統的な図像を透かし細工で表した聖アンナのメダイ。植物を思わせる左右非対称の曲線を多用したアール・ヌーヴォー様式の意匠に、手作業で透かし細工を施しています。

 本品は 1900年頃のフランスで制作された品物で、めっきではない銀でできた銀無垢(ぎんむく)製品です。純度 800パーミル(800/1000 80パーセント)の銀を表す「蟹」の検質印と、フランスの銀細工工房のマークが、上部の環に刻印されています。





 新約聖書は二十七巻の独立した書物を一冊にまとめたものです。二十七巻のうち最初の四巻はイエス・キリストの伝記となっており、これを福音書といいます。福音(ふくいん)とは「良い知らせ」という意味です。正典福音書は「マタイによる福音書」、「マルコによる福音書」、「ルカによる福書書」、「ヨハネによる福音書」の四書ですが、このうち「マタイによる福音書」一章一節から十七節、ならびに「ルカによる福音書」三章二十三節から三十八節にはイエスの家系が記録されています。

 イエスの家系の記述に関して「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」を比べると、両福音書に共通する先祖の名が大きく異なることに気付きます。すなわち両福音書が挙げるアブラハムからダヴィデまでの人名は概(おおむ)ね一致していますが、ダヴィデよりも後の代の人名はイエスの祖父に至るまで大きく相違し、イエスの父ヨセフに至ってようやく一致します。

 「マタイによる福音書」と「ルカによる福書書」はヨセフの父として別々の人物名を挙げていますが、一見したところ矛盾するようにも思える両福音書の記述は、二人の父のうち一方をヨセフの実父、もう一方をヨセフの義父(妻マリアの実父)と考えれば合理的に説明できます。この説では「マタイによる福音書」がヨセフの家系を、「ルカによる福音書」がマリアの家系を、それぞれ記述していると考えられています。二世紀に成立した「ヤコブ原福音書」によると、マリアの父の名はヨアキム、母の名はアンナです。「ルカによる福音書」がこれと整合するとすれば、エリはおそらくエリアキムの別名であり、「ヤコブ原福音書」ではヨアキムと呼ばれていることになるでしょう。エリアキムというユダヤ人名は、「マタイによる福音書」一章十三節にも出てきます。





 本品の表(おもて)面には聖アンナが幼い娘を教育している場面を表しています。修道女のように慎ましやかな衣を着て簡素な椅子に座った聖アンナは、膝の上に本を広げてページを指し示し、神の教えと文字の読み書きを娘マリアに教えています。

 聖アンナに関する後代の人々の知識は「ヤコブ原福音書」に依拠しています。しかるに同書によると、マリアは三歳から十二歳までエルサエム神殿の至聖所で育てられたことになっています。したがってアンナがマリアを教育したのは、マリアが神殿を出てからヨセフに嫁ぐまでの短い期間ということになります。本品では十二歳のマリアの対格が母に比べて小さすぎますが、これはマリアが小さく表されているのではなく、むしろアンナが大きく表現されているのであって、中世から近世の西ヨーロッパでアンナが誇った絶大な人気を思い起こさせます。




(上) Lucas Cranach der Ältere, „Die Heilige Sippe“ (Torgauer Altar), 1509, Mischtechnik auf Lindenholz, 45 x 120 cm, 100 x 120 cm, 45 x 120 cm,.Städelsches Kunstinstitut und Städtische Galerie, Frankfurt am Main 床のタイルをはじめ幾何学図形を多用した画面には、遠近法を強調的に使用したルネサンス絵画の特徴が表れています。


 中世後期から宗教改革期の都市市民にとって、アンナを中心とする大家族は善き家庭の模範でした。ハルバーシュタットの司教ハイモ(ハイモ・フォン・ハルバーシュタット Haymo von Halberstadt, 778 - 853)によると、アンナはヨアキムと結婚して聖母マリアを産み、ヨアキムの死後にクレオパと再婚して別のマリア(ヨハネ 19:25の "Maria Cleopae" 新共同訳聖書では「クロパの妻マリア」)を産み、クレオパの死後サロマスという男性(新共同訳聖書では女性サロメ)と結婚してまだ別のマリアを産みました。アンナが三度の結婚によって多くの子孫を得たとするこの説は、少なくとも民衆レベルでは広く受け入れられ、アンナを中心に「聖なる一族」を描く作品が数多く制作されました。


 上の写真はルーカス・クラナッハ(父)が 1509年に描いた三翼祭壇画で、「聖なる一族」( „Die Heilige Sippe“)を図像化した一例です。一説によると、この作品はドイツ東部トルガウ(Torgau ザクセン州ノルトザクセング郡)のマリア教会(Marienkirche)のために制作されたとも言われます。

 中央パネルの中景には、向かって左から右にヨセフ、マリア、幼子を膝に乗せたアンナが描かれています。ただしヨセフが後方の地面にしゃがみこんでいるのに対し、アンナと聖母子は手前の台に腰かけて、三人が一体性を以て描写されています。アンナ、マリア、イエスを一体を為すように表現したこのような図像を、ドイツ語でアンナ・ゼルプドリット(Anna Selbdritt)といいます。

 アンナ・ゼルプドリットのイタリアにおける作例としては、ルーヴル美術館にあるレオナルド・ダ・ヴィンチの作品、「子羊のいる聖アンナと聖母子」(Leonardo da Vinci, "Sant'Anna, la Vergine e il Bambino con l'agnellino", c. 1510 - 1513, olio su tavola, 130 x 168 cm)がよく知られていますが、レオナルドの作品は成人である聖母マリアがアンナの膝に乗ってイエスに腕を差し伸べるという特異な構図で、たいへん不安定に感じます。ルーカス・クラナッハは幼子をアンナの膝に乗せることで構図上の困難を解決し、幼子イエスの腕を母に向かって差し伸べさせることで、自然な構図のうちに三世代のつながりを明示しています。

 中央パネルの後方壇上に描かれた三人の男性は、向かって左から順にヨアキム、クレオパ、サロマスです。美術史家ハンス・シュヴァルツェンスキ(Hanns Peter Theophil Swarzenski, 1903 - 1985)はヨアキムを画家自身、クレオパを神聖ローマ皇帝マクシミリアン一世(Maximilian I., 1459 - 1519)、サロマスを法学者シクストゥス・エルファーフェン(Sixtus Oelhafen von Schöllenbach, um 1466 - 1539)の肖像と考えました。シュヴァルツェンスキによる同定はヨアキムとサロマスに関して異論がありますが、クレオパが神聖ローマ皇帝マクシミリアン一世であることは諸家の意見が一致しています。

 中央の絵の前景で遊ぶ二人はふたとも男の子で、アンナとクレオパとの間に生まれたマリア(聖母の異父姉妹)の子供たちです。向かって左側のパネルに描かれているのは、アンナとクレオパとの間に生まれたマリア、その夫、二人の息子です。二人の幼児が少し大きく育った姿が、中央パネル前景の子供たちです。向かって右側のパネルに描かれているのは、アンナとサロマスとの間に生まれたマリア、その夫、二人の息子です。二人の幼児は大ヤコブと福音記者ヨハネです。





 本品メダイは近代の作品ですが、「マリアを教育する聖アンナ」の図像表現は十三世紀末ないし十四世紀初頭頃に起源を遡ります。「聖なる一族」の絵においても、上に示したクラナッハの作品では聖母の膝に本が見えますが、下に示す作品も同様の例です。


(下) Tilman Riemenschneider, Enthroned Saint Anne with the Virgin and the Christ Child, c. 1490 - 95, sandstone, Mainfraenkisches Museum, Wuerzburg




 これらの作品では知恵の象徴である本が聖母マリアの膝に乗っており、「知恵の座」(SEDES SAPIENTIAE) の聖母を変形した図像のように見えます。しかるにアンナ・ゼルプドリットの図像には、聖母の膝ではなく、聖アンナの膝に本が載っている場合があります。家庭の中心であるアンナは家庭の教育においてもまた重要な役割を果たしたはずだとの考えに基づいて、このような作品が制作されたのです。


(下) Gerard David. The St. Anne Alterpiece. c. 1500 - 1510, oil on panel, The National Gallery of Art, Washington, DC.




 中世に発展したもうひとつの図像として、幼いマリアに文字を教える聖アンナのモティーフが挙げられます。家庭における教育者としてアンナを描く十三世紀後半以降の図像には、マリアに読み書きを教える聖女が描かれています。中世初期の西ヨーロッパ貴族社会において女性は男性よりも教養が高く、ラテン語の詩編を読むことができました。詩編は貴族女性を表す彫像のアトリビュートであり、実際のところ、中世盛期には制作された美しい時祷書(聖務日課書を俗人向けにしたもの)はほとんど全て女性のものでした。貴族の男が字を読めるようになるのは中世後期のことであって、女性は男性よりもずっと早く識字能力を身に着けたのです。

 中世初期の女性たちは、アンナから教育されるマリアの姿に自分たちを重ね合わせました。それゆえ「家庭における教育者」としてアンナを描いた作品において、アンナがマリアに読ませている本は詩編であると考えられます。


 Henri Bellechose (fl. 1415), La Vierge a l'ecritoire

(上) 参考画像 「知恵の座の聖母」 15世紀の作例。勉強に疲れた幼子イエスが、聖母の膝の上で居眠りしています。


 マリアを教育する姿は聖アンナの典型的図像表現で、中世以来、ステンド・グラス等にしばしば表されています。神の知恵そのものである幼子イエスが、知恵を象徴する書物を手にして聖母の膝の上に座る「知恵の座の聖母」像のなかには、あたかも聖母がイエスを教育しているかのように表現した作例が存在しますが、「マリアを教育する聖アンナ」は、これを一世代遡(さかのぼ)らせた図像と解釈することが可能です。





 聖アンナと少女マリアの背景は、全体が透かし彫りになっています。植物の蔓(つる)をモティーフとしているのは、アール・ヌーヴォー様式の特徴でもありますが、このメダイの場合はエッサイの樹のイメージとも重なります。マリアとアンナの足元に、フランス語で「サンタンヌ」(Ste. Anne 聖アンナ)と書かれています。

 本品の少女マリアの頭上には、円盤あるいは球体を表すと思われる円い環が見えます。円環からは線として表された光が放射していますが、この光は少女マリアを照らしています。マリアを照らすこの光は、神の恩寵の可視的表現です。恩寵の源であるまたはは、いうまでもなく神を表します。

 光として表された恩寵は、学習者マリアを照らす神の知恵です。マリアは詩編を教材に母アンナから読み書きを学んでいるわけですが、単なる識字教育であれば詩編を教材にする必要はありません。詩編を学ぶ少女マリアは、恩寵の光に照らされることで神から知恵を受取り、救世主を宿すに相応しい女性へと成長しているのです。

 マリアを表す様々な象徴のひとつに、「閉じられた書物」があります。中世の書物は写字生が羊皮紙に文字を書き込んでゆきました。しかしながらマリアは、人の手によって文字を書き込まれることなく、閉じたままにされた書物です。この書物には閉じられたままの状態で言葉(ロゴス)が書き込まれました。すなわち「閉じられた書物」は男性との性交によらず、処女のまま「神の言葉」(キリスト)を懐胎したマリアを象徴します。本品メダイにおいて少女マリアを照らす神の光は、ヨセフに嫁ぐ少女の母胎に神のロゴスを書き込む恩寵をも表します。





 本品の裏面には、不思議のメダイの裏面と同様の意匠による楕円形メダイユが鑞付け(ろうづけ 溶接)されています。楕円形メダイユの上半分には、インマクラータ・マリア(羅 IMMMACULATA MARIA 無原罪のマリア)を表すイー・エム(I M ラテン語読み)と、イエス・キリストの愛を象徴する十字架のモノグラム(組み合わせ文字)が著されています。モノグラムからは愛と恩寵の光が放射し、全世界を遍(あまね)く照らしています。

 メダイユの下半分には、向かって左にイエスの聖心、右にマリアの汚れなき御心が表されています。イエスの聖心はアルマ・クリスティ(十字架と茨の冠)に傷つきながらも人に対する愛ゆえに、聖母の聖心は悲しみの剣に傷つきながらも神に対する愛ゆえに、炎を吹き上げつつ激しく燃えています。





 上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。


 本品メダイが制作されたフランスは、聖アンナへの崇敬が盛んな国です。聖アンナへの崇敬は十字軍をきっかけにして西ヨーロッパに伝わりました。南仏の小都市アプト(Apt プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏ヴォクリューズ県)の司教座聖堂サンタンヌ(La cathédrale Sainte-Anne d'Apt)には、聖アンナの聖遺物(遺体)及び「聖アンナのヴェール」があって、西ヨーロッパで最も古い聖アンナの聖地となっています。サンタンヌ・ドーレサンタンヌ・ド・ボープレの聖遺物も、サンタンヌ・ダプトから分与されたものです。

 洗礼者ヨハネの母エリサベトと同様に、アンナは結婚後二十年以上経っても子供ができませんでした。そこに生まれたのがマリアです。それゆえアンナは子供を授けてくれる守護聖人とされました。太陽王ルイ十四世の母で、聖女と同じ名前のアンヌ・ドートリシュ(Anne d'Autriche, 1601 - 1666)は 1616年にフランス王ルイ十三世の妃となりましたが、不妊に苦しみ、1623年、アプトに参詣しています。1638年、二十二年の不妊の後、遂に長子が生まれると、子供はルイ・ディユドネ(Louis Dieudonné 神が与え給うたルイ)と名付けられました。後のルイ十四世です。アンヌ・ドートリシュは 1660年にアプトを再訪し、多額の寄進を行っています。

 アンヌ・ドートリシュが最初にアプトを訪れたのと同じ 1623年から翌 1624年にかけて、ブルターニュの農夫イヴ・ニコラジク(Yves Nicolazic, 1591 - 1645)に聖アンナが出現し、自身の木像が埋もれている場所を示しました。ここが後のサンタンヌ・ドーレ(Sainte-Anne-d'Auray)で、ブルターニュ最大の巡礼地となっています。





 本品は百年以上前にフランスで制作されたものですが、古いメダイであるにもかかわらず充分に良好な保存状態です。 材質は純度 800パーミル(800/1000 80パーセント)の銀です。本品は縦 37ミリメートル、横 23ミリメートルとかなり大きなサイズですが、透かし細工のために視覚的な圧迫感はありません。重量も百円硬貨に比べて少し軽い程度で、ペンダントとして愛用しても疲れません。

 純度 800パーミルの銀はフランスの信心具に使われる最も高級な材質です。この時代の銀無垢メダイは小さく薄い作例がほとんどですが、本品は大きなサイズで厚みもあります。第一次世界大戦前のヨーロッパは貧富の差が極端に大きく、銀無垢製品は普通の人々にとってなかなか手に入れることができない高価な品物でした。銀無垢の本品は小さいながらも真剣に制作された信心具であり、キリスト教が有する二千年の歴史と、聖アンナの図像表現が有する六百年以上の歴史を背景に、美術史上ただ一度だけ、近代ヨーロッパと日本美術が出会ったアール・ヌーヴォー期の工芸品です。





34,800円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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