σφαῖρα, SPHAERA, sphere, sphère, die Kugel





 平面上の一点から等距離にある点の集合は円となります。一方、空間内の一点から等距離にある点の集合は球となります。また円は「球の断面」あるいは「球を平面に投射した図形」です。直径を回転軸として円を回転させると球になります。これらの事実から、球と円の間には幾何学上の深い関係と多くの共通性があることがわかります。

 幾何学的属性において球と円の間に深い関係があるのと同様に、象徴性においても球と円の間には深い関係があります。球は多くの点において円と同様の象徴的意味を担い、円と同様の象徴的役割を果たします。


【象徴性を円と共有する球】

 上述したように、球は多くの点において円と共通の象徴性を有します。象徴性を円と共有する球のうち、美術表現においてとりわけよく目にするものを取り上げます。


1. 「被造性」あるいは「被造的世界」を象徴する球

 球は円と同様に「被造性」「被造的世界」を象徴します。点の象徴性の解説ページで論じたように、点は神の象徴と考えることができます。しかるに球は、その定義に基づいて、「点から発出する空間図形」と考えることができます。したがって球は神から発出した「被造物」「被造的世界」を象徴します。


2. 天球

 天動説に基づく近世以前の科学思想によれば、月下界の諸事物は地水火風の四元素でできていて、生成消滅を繰り返します。しかるに天上界の諸事物(諸天体)は第五元素でできていて、永久不変であり、永遠に運動し続けます。このように永遠の運動を続ける天体は、完全な図形である円形の軌道を描くと考えられていました。それゆえ天動説のコスモス(希 κόσμος 秩序ある宇宙)は、幾つかの層に分かれた球が地球を取り囲む構造になっています。この球を「天球」(羅 SPÆRA CÆLESTIS 仏 sphère céleste)といいます。

 天動説に基づいて作られた宇宙の模型では、中心にある地球を取り囲むように、各天体の軌道を示す金属製の環がさまざまな角度で重なり合い、全体として球体状を為しています。このような模型をフランス語で「スフェール・アルミレール」(sphère armillaire)といいます。「アルミレール」はこの語(スフェール・アルミレール)においてのみ用いられる形容詞で、金属製の腕輪を表すラテン語「アルミッラ」(羅 ARMILLA)が語源です。「スフェール・アルミレール」は日本語で「天球儀」と訳されます。




(上) Jan Gossaert, "Portrait de jeune fille portant une sphère armillaire", vers 1520


 上に示したのはフランドルの画家ヤン・ホッサールト(Jan Gossaert, c. 1478 - 1532)の作品です。少女が手に持っているのは、簡易なスフェール・アルミレールです。


3. 聖堂において天上界を象徴する円蓋(ドーム)

 天動説の宇宙は、生成消滅する事物で構成される月下界と、不変の事物で構成される天上界に分かれます。月下界の事物は地水火風の四元素で、天上界の事物(天体)は第五元素エーテルでできています。しかるに神の住まうところとしての天は、月下界の四元素でできていないことは言うまでもありませんが、エーテルでできているわけでもありません。なぜならエーテルは月下界の四元素と異なる本性を有しつつも、物質であることに変わりはないからです。神が住まう天は、物質的宇宙を超越したところであるはずです。

 それゆえ神が住まうところという意味の天上界は、天動説の天球とは異なります。しかしながら絵画や建築において天上界を表現しようとすれば、何らかの具体的な形を取らざるを得ません。また古代以来、天球の最外殻の外側は、神的存在の居場所であるようにしばしば考えられてきましたが、この思想に基づけば、神が住まう天上は、球形のコスモスと無関係ではありません。このような理由により、絵画や建築において、神が住まう天上は、球、半球、四分割した球など、丸い形で表現されてきました。


 最初期のキリスト教聖堂建築は、集会を開くのに便利であった異教ローマのバシリカ式をそのまま踏襲しました。当時、未受洗のカテクーメノイ(希 κατηχούμενοι)はミサ全体に参加することを許されず、ナルテクス(玄関廊)で祭式を見守りましたが、カテクーメノイを洗礼を受けた信徒から分離するためにも、バシリカ式平面プランは好都合でした。洗礼は降誕祭と復活祭にしか行われず、それぞれの季節の直前にはカテクーメノイの人数が大きく膨れ上がったので、広いナルテクスが必要だったのです。

 やがて聖堂東端にある祭壇付近の空間を拡張するために、祭壇の後ろをくぼませて半円形の壁龕(へきがん)を造り、さらに聖堂東端の南北に翼廊が加えられたことで、上部(東端)にわずかな突出のあるT字型の平面プランとなりました。次いでクワイア(英 choir 内陣)がそれ以外の部分から分離されて、交差部よりも東が拡大します。西ヨーロッパにおいて、聖堂建築はT字型平面プランからの隔たりが小さく、ラテン十字型平面プランとなりました。




(上) La basilique Notre-Dame-d'Orcival, Orcival, Puy-de-Dôme, Auvergne


 東洋人になじみ深い「天円地方」の思想は西ヨーロッパにもあって、ロマネスク聖堂、特にその後陣は方形の上に円蓋(ドーム)を乗せた形に建てられています。このような聖堂建築において、方形部分は地上を、円蓋は天上を表します。内部の壁画、天井画に関しても、描かれる領域の区別は厳密に守られ、方形部分には福音書の地上における場面や聖人伝が、円天井には天上の様子が描かれます。

 上に示したのは六角形のフランス本土の中央よりもわずかに南、ピュイ=ド・ドーム県オルシヴァルにあるノートル=ダム・ドルシヴァル聖堂の断面図です。交差部の天井が円蓋(えんがい ドーム)型、アプスの天井が半円蓋(半円ドーム 球を四分割した形)型になっていることがわかります。


 アヤソフィア後陣半円蓋にある聖母子のモザイク


 ビザンティン聖堂においても、円天井は天上界を象徴します。バシリカ式聖堂の東端に南北の翼廊が加えられ、次いで交差部よりも東が拡大した際、ビザンティン聖堂では翼廊が西ヨーロッパの聖堂よりもさらに西寄りになり、円蓋(ドーム)から各方角への距離が等しいギリシア十字型平面プランに発展しました。円蓋は神がおわす天球を地上に再現したものです。したがってビザンティン聖堂の建築様式は、神の愛と権威が全世界のどの場所にも等しく及ぶことを、建築によって表現しています。

 イスタンブールにあるアヤソフィアの円天井のモザイクは、モスクとして使われていた時代にアラビア文字によるイスラムの意匠に変えられてしまいましたが、この建物は現在博物館になっており、キリスト教時代に制作されたいくつかのモザイク画が修復、公開されています。上に示した聖母子像は 867年頃の作品で、聖堂の東端、アプス(後陣)の天井にあります。アプスの天井は完全な円蓋ではなく、球を四分割した半円蓋ですが、やはり神の領域である天上界を象徴しています。


【支配権を象徴する球体】

 前項の最初で論じたように、球は被造的世界を象徴する場合があります。球が有するこの象徴性が拡張され、神や支配者が持つ球は、支配権が及ぶ範囲を表します。




(上) Leonardo da Vinci, "SALVATOR MUNDI", 1499 or later, Oil on walnut, 65.5 x 45.1 cm, Private collection 2011年に再発見された作品。


 右手を挙げて祝福を与える正面観のキリスト像を、美術史では「サルヴァートル・ムンディー」と呼びます。「サルヴァートル・ムンディー」(羅 SALVATOR MUNDI)とはラテン語で「世の救い主」「世界の救い主」という意味です。「サルヴァートル・ムンディー」のキリスト像は、左手に球を持って描かれる場合が多くあります。キリストの掌中に球が収まるさまは、キリストの支配権が全宇宙に及ぶことを象徴します。

 上の写真は 2011年になって再発見されたレオナルド・ダ・ヴィンチの油彩板絵「サルヴァートル・ムンディー」です。キリストの左手には水晶またはガラスでできた無色透明の球体が置かれ、宇宙を象徴しています。




(上) Le maître du Registrum Gregorii, "Otton II entouré des provinces de son empire", 27 x 19,8 cm, Chantilly, Musée Condé, Ms. 14 bis (de Trèves, Stadtbibliothek, Hs. 171/1626)


 ドイツ西部、ルクセンブルクとの国境に近いモーゼル河畔の町トリエル(独 Trier 仏 Trèves)は人口十万人ほどの小都市ですが、ローマ時代の立派な遺跡群が残り、ドイツ最古の司教座が置かれたことでも知られる歴史的に重要な都市です。この都市の国立公文書館(Stadtbibliothek)に、「レギストルム・グレゴリイー」という文書が遺されています。「レギストルム・グレゴリイー」(羅 REGISTRUM GREGORII)とはラテン語で「グレゴリウスの目録」という意味で、教皇グレゴリウス一世(Gregorius I, c. 540 - 604)によるいくつかの書簡の写しと、トリエル司教エグベルト(Egbert von Trier, c. 950 - 993)に献呈した韻文一葉、絵二葉で構成されます。

 二葉の絵は同じ画工によって 983年以降に描かれた作品です。この時代の画工は名前を遺さないのが普通で、これら二葉を描いた人物の名前も分かりませんが、 「レギストルム・グレゴリイーの画工」(仏 Le maître du Registrum Gregorii, fl. 980 - 996)と仮称されています。二葉の絵のうち一葉は、鳩(聖霊)を肩に留まらせて書き物をするグレゴリウス一世を描きます。グレゴリウス一世の絵は、写本の他の部分と共に、トリエルの国立公文書館に保存されています。もう一葉は上の写真に示した絵で、四人の女性から捧げ物を受け取る神聖ローマ皇帝オットー二世(Otto II, 955 - 983)またはオットー三世(Otto III, 980 - 1002)を描いています。四人の女性は神聖ローマ帝国の支配に服するヨーロッパの四地方を象徴します。この一葉のみトリエルを離れ、パリの北四十キロメートルにあるシャンティイ城のコンデ美術館(le musée Condé, Chantilly)に収蔵されています。

 この作品において、神聖ローマ皇帝は右手に王笏、左手に球を持っています。この球は神聖ローマ皇帝の支配が及ぶ領域、すなわち帝国の全域を象徴しています。帝国を象徴する球には十字があしらわれて、神聖ローマ皇帝の支配権に対する神の是認と祝福を表しています。




(上) フランスの銀製メダイユ 「プラハの聖なる幼子イエスよ、我らを祝福したまえ」 24.4 x 17.6 mm 十九世紀後半 当店の商品です。


 神、キリスト、皇帝、王の支配権を象徴する球は、上部に十字架を立てた形で表現されることもあり、「グロブス・クルーキゲル」(羅 GLOBUS CRUCIGER)と呼ばれています。「グロブス」(羅 GLOBUS)はラテン語で「球」を意味します。「クルーキゲル」はラテン語「クルークス」(羅 CRUX 十字架)の語幹(CRUC-)に、繋ぎの音(-I-)を介して、「有する」という意味の形容詞語尾(-GER)を接続した語で、「十字架を有する」という意味の形容詞です。「グロブス・クルーキゲル」は単に「十字付きの球体」という意味ですから、レギストルム・グレゴリイーの絵で神聖ローマ皇帝が持っている球もこのジャンルに含まれますが、絵画や彫刻、工芸品においては、立体的な十字架が球の上部から三次元的に突出する作例を多く目にします。

 上の写真は十九世紀後半のフランスで作られた銀製メダイユで、驚くべき細密彫刻により、プラハの幼子イエスを表現しています。「サルヴァートル・ムンディー」として表された幼子イエスは、右手を挙げて祝福の姿勢を執り、右手に球を持っています。球の頂上部分には十字架が立っています。


 なお美術に直接的な関係を有しませんが、古代ギリシア哲学における球を別稿で論じています。




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