二十世紀初頭のフランスで制作された金色の小メダイ。不規則で珍しいシルエット、聖母像を取り巻く卵形の背景、全体を縁取る美麗な植物文、百合の花びらの複雑な造形に、当時のフランスを席捲したアール・ヌーヴォーの強い影響が見られます。
本品の中央には打刻による浮き彫りで聖母マリアが表されています。聖母の身長七ミリメートルというミニアチュールで、浮き彫りの物理的な突出はわずかであるにもかかわらず、聖母の姿は大型彫刻に勝るとも劣らない三次元性を感じさせます。
雲上に立つ聖母は両腕を斜め下に伸ばして広げ、無原罪の御宿リ像の定型的姿勢を執っています。聖母の足元の雲は、聖母が天上界すなわち神とイエスの御許(みもと)にあることを表しています。ムリリョを始めとするバロックの画家たちは、「無原罪の御宿リ」像を雲に乗って天下る姿に表現しました。しかるに本品において雲上に立つのは被昇天後の聖母であり、聖母による執り成しと庇護を願う罪びとたちを、両腕を伸ばして広げたマントの下に匿(かくま)おうとしています。
本品浮き彫りの突出部分には軽度の摩滅が認められる反面、他の細部は突出部分に保護されて良く保存されています。本品の聖母像で最も突出しているのは、聖母の足元の球体です。本品の聖母は球体の上に蛇を踏みつけて立っていましたが、球体と蛇は突出部分ゆえに摩滅し、不分明になっています。
「無原罪の御宿リ」や「サルヴァートル・ムンディ」をはじめとする宗教画において、球体は天球すなわち被造的世界を表します。天球は地球とは別物ですが、人間の生活に直接的に関わるのは被造的世界のうちの地上界ですから、聖母に救いを求める如き生に密着した宗教美術においては、球体を地上界の象徴と考えても実質的に差支えがありません。
本品を始めとする無原罪の御宿リの定型的図像において、球体の上に乗る蛇は地上の王である悪魔、あるいは蛇の誘惑により惹き起こされた神からの離反、原罪を表します。そして蛇を踏み付けて立つ聖母の姿は、最初の女性エヴァと同じく人間の女性でありながらも、罪の支配を受けず、原罪を免れた「新しきエヴァ」(羅
NOVA EVA)、無原罪の御宿り(羅 IMMACULATA CONCEPTIO)を図像化したものに他なりません。
(上) シャルル・フレデリック・ヴィクトル・ヴェルノン作 「エヴァ」 79.3 x 29.9 mm 75.0 g 当店の商品です。
マリアに踏み付けられる蛇は爬虫類の蛇ではなくて、人祖アダムの妻エヴァを誘惑した悪魔の象徴です。エヴァは「生命」という名に関わらず人間に死をもたらしましたが、マリアは救い主を生むことで永遠の命をもたらしました。それゆえマリアはノワ・エワ(ノヴァ・エヴァ 新しきエヴァ)と呼ばれます。
(上) Piero della Francesca, "Madonna della Misericordia", 1460 - 1462, tempera e olio su tavola, 134 x 91 cm, Museo Civico, Sansepolcro
本品を始めとする無原罪の御宿リの定型的図像において、聖母マリアは非常に大きなマントを羽織っています。これは罪人を庇(かば)うマドンナ・デッラ・ミゼリコルディア(伊
Madonna della Misericordia 憐れみの聖母)の姿です。聖母が地上に慈悲の眼差しを向け給うさまは、善人にも悪人にも等しく光と温かみを注ぐ太陽に似ています。
上の写真はピエロ・デッラ・フランチェスカによる「慈悲の聖母」です。この作品はピエロ・デッラ・フランチェスカがサンセポルクロ(Sansepolcro トスカナ州アレッツォ県)のミゼリコルディア信心会(la
Confraternita della Misericordia)から注文を受けて制作した多翼祭壇画の中央パネルで、現在は当地の美術館に収蔵されています。聖母の右側(向かって左側)には死刑執行人の姿が見えます。
本品を特徴づけるアール・ヌーヴォーの透かし細工は、白百合を模(かたど)ります。
「雅歌」二章二節には「茨の中に咲きいでたゆりの花」が登場します。「雅歌」二章一節から六節を、ノヴァ・ヴルガタと新共同訳により引用します。二節は若者の歌、それ以外は乙女の歌です。
NOVA VULGATA | 新共同訳 | |||
1. | Ego flos campi et lilium convallium. |
わたしはシャロンのばら、 野のゆり。 |
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2. | Sicut lilium inter spinas, sic amica mea inter filias. |
おとめたちの中にいるわたしの恋人は 茨の中に咲きいでたゆりの花。 |
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3. | Sicut malus inter ligna silvarum, sic dilectus meus inter filios. Sub umbra illius, quem desideraveram, sedi, et fructus eius dulcis gutturi meo. |
若者たちの中にいるわたしの恋しい人は 森の中に立つりんごの木。 わたしはその木陰を慕って座り 甘い実を口にふくみました。 |
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4. | Introduxit me in cellam vinariam, et vexillum eius super me est caritas. |
その人はわたしを宴の家に伴い わたしの上に愛の旗を掲げてくれました。 |
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5. | Fulcite me uvarum placentis, stipate me malis, quia amore langueo. |
ぶどうのお菓子でわたしを養い りんごで力づけてください。 わたしは恋に病んでいますから。 |
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6. | Laeva eius sub capite meo, et dextera illius amplexatur me. |
あの人が左の腕をわたしの頭の下に伸べ 右の腕でわたしを抱いてくださればよいのに。 |
「雅歌」が何を表すのかについては、歴史上様々な説が唱えられてきました。紀元一世紀頃までの古い時代には、雅歌の内容を字義どおりに捉えて男女の性愛を謳ったものとする素朴な考え方もありました。それ以降の時代の諸説は「雅歌」を比喩的に捉えるのが普通ですが、比喩の対象について諸説は一致しませんでした。たとえば
12, 13世紀には「若者」と「乙女」をそれぞれ能動知性、受動知性とする説が有力でしたし、マルティン・ルターは政治的な文脈で解釈を行いました。
現代の聖書解釈学の標準的な説では、「雅歌」の若者は神、乙女は神に選ばれ愛されるユダヤ民族を表すと考えられています。上に引用した 2章2節では、異民族に囲まれたユダヤ民族を、茨に囲まれた美しい百合にたとえています。新共同訳が「茨」と訳したヘブル語の植物名は、他の訳では「あざみ」とも訳されています。ノヴァ・ヴルガタの「スピーナ」(羅
SPINA)は「棘(とげ)」という意味です。棘のある植物は、聖書において「罪の呪い」すなわち罪ゆえに神の祝福を失った状態を象徴します。茨やあざみに囲まれた美しい百合は、神に愛される選民ユダヤ人を表しています。
クレルヴォーの聖ベルナールは、キリスト教の立場から、「雅歌」の若者を「神」、乙女を「神に選ばれたマリア」と解釈しました。「雅歌」2章2節(おとめたちの中にいるわたしの恋人は茨の中に咲きいでたゆりの花)のこのような解釈に基づいて、薔薇に囲まれたマリア、あるいは百合とともに描かれたマリアの図像が多く制作されました。
マリアの象徴あるいはアトリビュート(英 attributes 聖人の図像において、聖人とともに描かれる象徴的な付き物)は数多くありますが、百合は薔薇とともに最もよく目にするもののひとつです。百合が純潔を象徴することは良く知られています。これに加えて百合は、「神に選ばれた地位」「すべてを神に委ねる信仰、神の摂理への信頼」をも象徴します。これらが聖母の卓越的属性であることを反映し、受胎告知画には常に白百合が描かれます。
本品は銀無垢製品の上に金を被せるヴェルメイユ(仏 vermeil)の技法で制作されています。長方形の一部を切り欠いたような形の窪みが上部の環のすぐ下に見えていますが、これはフランスにおいて純度八百パーミル(800/1000 八十パーセント)の銀を示すテト・ド・サングリエ(仏
tête de sanglier イノシシの頭)の検質印です。
銀は信心具に使われる最も高級な素材です。百年以上前のフランスは貧富の差が極めて大きかったので、銀は専(もっぱ)らめっきに使用されました。めっきではない銀無垢(ぎんむく)製品は普通の人が買うにはあまりにも高価でした。本品は大きなサイズではありませんが、銀無垢製品であり、フランス社会全体がある程度豊かになってきた時代の品物と考えられます。アール・ヌーヴォー様式の装飾と考え合わせれば、本品の制作年代は二十世紀初頭のベル・エポック期と判断できます。
本品が作られたすぐ後の時代、ヨーロッパには第一次世界大戦が起こりました。第一次世界大戦は軍人ではない一般市民に膨大な犠牲者を数えた最初の世界大戦で、フランスは国土が戦場となり、戦死者、戦災死者、傷病者、戦争寡婦、戦争孤児が国中に溢れました。本品は高価な品物ですが、「聖母の加護」と「神への信頼」をテーマに制作された作品であるゆえに、第一次世界大戦と第二次世界大戦、及び戦後の厳しい時代において、単なる貴重品という以上に、身に着ける人の心を支えてくれたに違いありません。
上の写真に写っている定規のひと目盛は、一ミリメートルです。聖母の頭部は直径一ミリメートルよりも小さなサイズです。頭部は突出部分であるゆえに、目鼻口は摩滅して不分明になっていますが、もともとはしっかりと造形されていたことがうかがえます。聖母は頸を微かに傾げ、微笑みを浮かべて地上を見守っています。衣文(えもん 衣の襞)は自然に流れ、胸の膨らみや腰の丸みなど、柔らかい布越しにうかがえる女性らしい体つきが、巧みに表現されています。
本品は第一次世界大戦以前のフランスで制作されたものです。フランスをはじめこの時代のヨーロッパでは、富の大半が富裕層に集中していました。たとえば
1910年のフランスにおいて、上位一パーセントの富裕層が富の70パーセント近くを所有していました。富裕層の範囲を上位十パーセントに広げると、この階層が富の九割を独占し、残りの一割を90パーセントの国民が分け合う状況でした。「一部の富裕層以外は、全員が下層階級」というように、社会が極端に二極分化していたのです。このような時代に作られた銀無垢メダイは、大多数の人々にとって、めったなことでは手に入らない高価な品物でした。本品もそのようなもののひとつであり、突出部分に見られる軽度の磨滅は、大切に、且つ肌身離さず愛用された品物であることを物語っています。
本品は真正のアンティーク品であり、古い年代を考えれば十分に良好な保存状態です。大きな商品写真は実物の面積を極端に拡大してあるので突出部分の磨滅がよく判別できますが、実物を肉眼で見るとたいへん美しく、時を経た物のみが獲得する古色と優しい丸みが、現代のものには決して真似のできない趣きを醸しています。ヴェルメイユは信心具のメダイに使われる最も高級な素材です。小さなサイズながら、本品はレプリカではないアール・ヌーヴォーの芸術品です。