受胎告知の図像学
Iconology of the Annunciation




(上) Simone Martini e Lippo Memmi, "L'Annunciazione tra i santi Ansano e Margherita", 1333, tempera e oro su tavola, 305 x 265 cm, La Galleria degli Uffizi, Firenze


 キリスト教美術において、「受胎告知」は古来主要なテーマの一つであり、各地の美術館や大きな教会にあってよく知られている作品だけでも数百に上ります。芸術家たちが構図や技法に工夫を凝らしたそれらの作品は、それぞれが独創的であり、特に幾人かの天才的な芸術家においては時代をはるかに先取りした作例も見られますが、全体としては美術史・精神史の大きな流れの中で、各時代に特有の表現形式による作品となっています。

 「受胎告知の図像学」は、これだけでも美術史学者が一生を掛けて研究するに値するたいへん大きなテーマであり、本格的に論じるならば大部の書物となります。ここでは14、15世紀の西ヨーロッパにおいて「受胎告知」の図像表現がどのように移り変わったのかを、いくつかの作例によってごく簡単に概観します。ここで取り上げる作品数は少ないですが、受胎告知の図像表現が時代とともにたどる変遷を典型的に示す作例を選ぶように心掛けました。





 「受胎告知」の図像表現が拠って立つ前提となるのは、「ルカによる福音書」の記述です。四つの福音書の中で、イエズスの誕生前後の事柄を記録しているのはマタイとルカですが、ルカはマタイに比べて圧倒的に詳しく記述しています。(註1)

 新共同訳聖書において、「ルカによる福音書」1章26節から38節は次のようになっています。

 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。
 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」
 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。



 引用箇所冒頭の「六か月目に」とは、エリサベトが後に洗礼者ヨハネとなる男の子を身ごもってから六か月目に、という意味です。すなわちイエズス・キリストは洗礼者ヨハネよりも六か月あとに生まれたことになります。

 ところでエリサベトがヨハネを身ごもったのが何月頃のことであったのか、季節がいつであったのか、ルカによる福音書には記述がありません。マタイによる福音書にはザカリアとエリサベトに関する記述そのものが無く、受胎告知を記述した箇所にも季節や月の名は記されていません。したがってマリアへの受胎告知がいつの季節に起こったのか、正典福音書を見る限り不明です。(註2) また受胎告知が起こった時刻についても、正典福音書には記述がありません。

 イエズス・キリストの生誕よりも以前の出来事に関しては、正典福音書と並んで、新約外典である「ヤコブ原福音書」(PROTOEVANGELIUM IACOBI) も図像表現の典拠として重要です。しかしながら受胎告知の季節と時刻については、ヤコブ原福音書にも記述がありません。(註3)

 このため「受胎告知」の絵に描かれるべき季節は特定できず、時刻に関しても日中(朝、昼、夕方)の出来事として描かれる場合がほとんどですが、稀に夜の場合もあります。


 次に受胎告知が起こった場所ですが、美術作品において、マリアは家の中、あるいは少なくとも家の敷地内にいます。その理由は明らかで、「ルカによる福音書」1章28節に、天使が「入ってきて」言った、とあるからです。

 上に引用した新共同訳では、この箇所は単に「天使は、彼女のところに来て言った。」と訳されています。これと比較するために、「ルカによる福音書」1章26節から38節のギリシア語原文、及びラテン語訳を示します。ギリシア語原文とラテン語訳は筆者の手元にあるドイツ聖書協会版「ギリシア語・ラテン語新約聖書」("NOVUM TESTAMENTUM Graece et Latine", Deutsche Bibelgesellschaft, Stuttgart) に採用されているテキストで、ギリシア語はネストレ=アーラント26版、ラテン語はノヴァ・ヴルガタに拠ります。


・ギリシア語(ネストレ=アーラント26版)

26Ἐν δὲ τῷ μηνὶ τῷ ἕκτῳ ἀπεστάλη ὁ ἄγγελος Γαβριὴλ ἀπὸ τοῦ θεοῦ εἰς πόλιν τῆς Γαλιλαίας ἧ ὄνομα Ναζαρὲθ 27πρὸς παρθένον ἐμνηστευμένην ἀνδρὶ ᾧ ὄνομα Ἰωσὴφ ἐξ οἴκου Δαυίδ, καὶ τὸ ὄνομα τῆς παρθένου Μαριάμ.
28καὶ εἰσελθὼν πρὸς αὐτὴν εἶπεν, Χαῖρε, κεχαριτωμένη, ὁ κύριος μετὰ σοῦ. 29ἡ δὲ ἐπὶ τῷ λόγῳ διεταράχθη καὶ διελογίζετο ποταπὸς εἴη ὁ ἀσπασμὸς οὗτος. 30καὶ εἶπεν ὁ ἄγγελος αὐτῇ, Μὴ φοβοῦ, Μαριάμ, εὗρες γὰρ χάριν παρὰ τῷ θεῷ: 31καὶ ἰδοὺ συλλήμψῃ ἐν γαστρὶ καὶ τέξῃ υἱόν, καὶ καλέσεις τὸ ὄνομα αὐτοῦ Ἰησοῦν. 32οὗτος ἔσται μέγας καὶ υἱὸς ὑψίστου κληθήσεται, καὶ δώσει αὐτῷ κύριος ὁ θεὸς τὸν θρόνον Δαυὶδ τοῦ πατρὸς αὐτοῦ, 33καὶ βασιλεύσει ἐπὶ τὸν οἶκον Ἰακὼβ εἰς τοὺς αἰῶνας, καὶ τῆς βασιλείας αὐτοῦ οὐκ ἔσται τέλος.
34εἶπεν δὲ Μαριὰμ πρὸς τὸν ἄγγελον, Πῶς ἔσται τοῦτο, ἐπεὶ ἄνδρα οὐ γινώσκω; 35καὶ ἀποκριθεὶς ὁ ἄγγελος εἶπεν αὐτῇ, Πνεῦμα ἅγιον ἐπελεύσεται ἐπὶ σέ, καὶ δύναμις ὑψίστου ἐπισκιάσει σοι: διὸ καὶ τὸ γεννώμενον ἅγιον κληθήσεται, υἱὸς θεοῦ. 36καὶ ἰδοὺ Ἐλισάβετ ἡ συγγενίς σου καὶ αὐτὴ συνείληφεν υἱὸν ἐν γήρει αὐτῆς, καὶ οὗτος μὴν ἕκτος ἐστὶν αὐτῇ τῇ καλουμένῃ στείρᾳ: 37ὅτι οὐκ ἀδυνατήσει παρὰ τοῦ θεοῦ πᾶν ῥῆμα.
38εἶπεν δὲ Μαριάμ, Ἰδοὺ ἡ δούλη κυρίου: γένοιτό μοι κατὰ τὸ ῥῆμά σου. καὶ ἀπῆλθεν ἀπ' αὐτῆς ὁ ἄγγελος. (NA26)



・ラテン語(「ノヴァ・ヴルガタ」)

26 In mense autem sexto missus est angelus Gabriel a Deo in civitatem Galilaeae, cui nomen Nazareth, 27 ad virginem desponsatam viro, cui nomen erat Ioseph de domo David, et nomen virginis Maria.
28 Et ingressus ad eam dixit: “ Ave, gratia plena, Dominus tecum ”. 29 Ipsa autem turbata est in sermone eius et cogitabat qualis esset ista salutatio. 30 Et ait angelus ei: “ Ne timeas, Maria; invenisti enim gratiam apud Deum. 31 Et ecce concipies in utero et paries filium et vocabis nomen eius Iesum. 32 Hic erit magnus et Filius Altissimi vocabitur, et dabit illi Dominus Deus sedem David patris eius, 33 et regnabit super domum Iacob in aeternum, et regni eius non erit finis ”.
34 Dixit autem Maria ad angelum: “ Quomodo fiet istud, quoniam virum non cognosco? ”. 35 Et respondens angelus dixit ei: “ Spiritus Sanctus superveniet in te, et virtus Altissimi obumbrabit tibi: ideoque et quod nascetur sanctum, vocabitur Filius Dei. 36 Et ecce Elisabeth cognata tua et ipsa concepit filium in senecta sua, et hic mensis est sextus illi, quae vocatur sterilis, 37 quia non erit impossibile apud Deum omne verbum ”.
38 Dixit autem Maria: “ Ecce ancilla Domini; fiat mihi secundum verbum tuum ”. Et discessit ab illa angelus. (NOVA VULGATA)



 「ルカによる福音書」1章28節の冒頭部分を、新共同訳、ギリシア語原文、ラテン語訳で比べると、新共同訳では「天使は、彼女のところに来て言った。」と訳されていますが、ギリシア語では "καὶ εἰσελθὼν πρὸς αὐτὴν εἶπεν,"、ラテン語では "Et ingressus ad eam dixit:" となっています。すなわち新共同訳では天使は単に「来た」と訳されていますが、マリアは家の中にいて、天使は「入って来た」(εἰσελθὼν, ingressus) のです。(註4)


 それゆえ受胎告知の図像において、マリアは家の中、あるいは少なくとも家の敷地内にいます。

 下に示すのはジョット (Giotto di Bondone, c. 1267 - 1337) による「受胎告知」です。1303年から 1305年にかけて、ジョットはパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂 (Cappella degli Scrovegni) にフレスコ画を制作しました。この「受胎告知」はその一部で、内陣入り口上部の左側に天使、右側にマリアが描かれています。マリアは室内で書見台の傍らに跪き、交差した腕を胸に当てて祈りの姿勢を取っています。手には小さな本を持っています。

 マリアが手にしている書物は、後述するように、救い主の降誕が旧約聖書、特に「イザヤ書」7章14節で予告されていたことを示します。またジョットはフレスコ画のガブリエルにも巻物を持たせていますが、これは中世の受胎告知画によく見られる描写で、当時の社会で文書による伝達が増えてきた事実の反映と考えられます。

 マリアを象徴するもののひとつに、「封印された書物」があります。処女でありながら聖霊の力によって懐妊したマリアは、封をされているにもかかわらず言葉(ロゴス)を書き込まれた書物に譬えられました。ガブリエルが手にする巻物をロゴスの象徴と考えれば、ジョットはこのフレスコ画において、マリアという書物に今まさに言葉か書き込まれようとしている瞬間を描写していることになります。





 下に示すのはピエロ・デッラ・フランチェスカ (Piero della Francesca, 1412/20 - 1492) によるフレスコ画で、アレッツォ(Arezzo イタリア、トスカナ州アレッツォ県)のサン・フランチェスコ聖堂にあります。

 この作品において、マリアは屋内ではなく、敷地内の柱廊のようなところにいます。マリアの手には祈祷書があります。マリアは「レーギーナ・アンゲロールム」(REGINA ANGELORUM 天使の元后、天使たちの女王)であるゆえに、ガブリエルよりも大きく描かれています。「レーギーナ・アンゲロールム」はロレトの連祷におけるマリアの称号の一つです。

 この作品は、父なる神の姿が青空に大きく描き込まれている点が、バロック期の作品と比べて大きく異なります。父なる神を描くのは、マリアの処女受胎が神の経綸の下に起こる出来事であることを明確に視覚化するためです。父なる神を構図に取り込むことによって、この作品は「絵で見る聖書」の役割を分かり易く解説的に果たしています。しかしながら美術作品として見ると、この作品は構図の重心が高いゆえに不安定な印象を与えます。また父なる神が邪魔になって、鑑賞者の注意がマリアとガブリエルに集中しません。


(下) Piero della Francesca, "L'Annunciazione," 1460 - 66, affresco, 329 x 193 cm, La Basilica di San Francesco, Arezzo




 次に示す例は、イタリア中央部ペルージア(Perugia ウンブリア州ペルージア県)の国立ウンブリア美術館に収蔵されている大きな祭壇画で、もともとはピエロ・デッラ・フランチェスカがこの都市のサンタントニオ修道院のために制作したものです。下の写真は祭壇画の最上部で、受胎告知を描いています。

 この作品において、マリアは敷地内の柱廊にいます。天使とマリアはふたりとも腕を交差させて胸に当てています。マリアの手には祈祷書があります。ガブリエルは先の作品ほど小柄ではありませんが、天使の元后であるマリアの前に低く身を屈めています。

 アレッツォのサン・フランチェスコ聖堂の受胎告知画と、ペルージアのサンタントニオ修道院の受胎告知画は、いずれもピエロ・デッラ・フランチェスカの作品です。しかしながら二つを比較すると、サンタントニオ修道院の受胎告知画では父なる神が画面内に描かれず、鳩(聖霊)がその代わりを果たしています。鳩は大きめのサイズではっきりと描かれていますが、画面上で父なる神ほどの面積を占めないので、構図の安定性は増し、鑑賞者の注意を前景から逸らせることもなくなっています。


(下) Piero della Francesca, "L'Annunciazione," c. 1469, tempera su tavola, 191 x 170 cm, La Galleria Nazionale dell'Umbria, Perugia




 西ヨーロッパの受胎告知画に描かれるマリアは、ほとんどの作例において書物とともに描かれています。すなわちマリアは室内で書見台の傍らに座し、書見台が無い場合でも書物を手にしています。これらの描写は、受胎告知の際に、マリアが旧約の預言書を読んでいたことを示唆しています。

 旧約時代の預言者たちは、聖書の多くの箇所でメシアの出現を予告しました。クレルヴォーの聖ベルナール (St. Bernard de Clairvaux, 1090 - 1153) は、マリアがこのとき「イザヤ書」7章14節を読んでいたと考えています。「イザヤ書」7章14節には次のように書かれています。

  それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。(新共同訳)

 ヴァンセンブルク修道院のオトフリート(Otfrid von Weißenburg, c. 800 - c. 870)は、ドイツ語による著述家として名が知られている最初の人物です。オトフリートが古高ドイツ語の韻文で著した「福音の書」("Das Evangelienbuch")は、863年から 871年の間に成立したと考えられています。オトフリートはこの作品において、受胎告知の際にマリアが読んでいた書物を「詩編」としています。


 下に示すのは、多数の塔で知られるイタリアの町、サン・ジミニャーノ(San Gimignano トスカナ州シエナ県)の参事会教会 (Colegiada de San Gimignano) に描かれたフレスコ画の一部で、バルナ・ダ・シエナ (Barna da Siena) の作品とされています。バルナ・ダ・シエナはシモーネ・マルティーニの弟子で、1330年代から40年代にかけて活躍し、1380年に没したシエナ派の画家です。

 この「受胎告知」こおいて、セラフィムに囲まれた父なる神が同一画面の上方に描かれていますが、小さなサイズと抑えた色調のせいであまり目立たなくなっています。マリアは室内で本を手にしています。天使は腕を交差して胸に当てていますが、マリアは驚いたように身をよじっています。

 隣室には糸を紡ぐ女性がいます。「ヤコブ原福音書」によると、受胎告知の天使が入って来たとき、マリアはエルサレム神殿の垂れ幕のために紫の布を織っている最中でした(「ヤコブ原福音書」 11: 1)。糸紡ぎの描写はこの典拠に拠ります。隣室の女性が聞き耳を立てている様子が微笑みを誘います。

 このフレスコ画はイタリアの作例ですが、東方教会においては、受胎を告知されるマリアが糸紡ぎ中である例が多く見られます。受胎告知画のマリア自身がエルサレム神殿の垂れ幕のために糸を紡いだり、布を織ったりしている場合、エルサレム神殿における神の臨在と、マリアにおけるキリストの受胎の間に並行関係が成り立つことが図解されています。





 西ヨーロッパにおける初期の受胎告知画においては、父なる神が画面上方に大きく描かれていましたが、時代が下るにつれてその姿が小さく目立たなくなり、やがては画面の外に配置されるようになります。

 美しい受胎告知画を描いた最も有名な画家のひとりは、フラ・アンジェリコ (Fra Angelico, c. 1395 - 1455) でしょう。下に示すのはフラ・アンジェリコによる作品のひとつで、アペニン山中アルノ川の渓谷にある町サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ(San Giovanni Valdarno トスカナ州アレッツォ県)のサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂付属美術館に収蔵されています。

 天使の元后マリアは室内の椅子に座し、ガブリエルはその前に身を屈めています。マリアとガブリエルはふたりとも腕を十字に組んで胸に当てています。マリアの頭上には鳩の形の聖霊が臨み、膝の上にはイザヤ書の聖句が書かれていると思われる小さな本が置かれています。室外の遠景には、楽園を追放されるアダムとエヴァ(創世記 3: 23 - 24)の姿が見えます。

 画面の上方、ふたつのアーチの間には円形の小画面があり、父なる神の姿とともに、「エッケ・ウィルゴー・コンキピエット」(ECCE VIRGO CONCIPIET ラテン語で「見よ、おとめが身ごもるべし」)との言葉が描き込まれています。これは上述したイザヤ書7章14節の引用です。

 父なる神はマリアとガブリエルに比べてずっと小さく描かれています。また受胎告知が行われている部屋の天井にいるのではなくて、室内の光景とは切り離された別画面に描かれています。この工夫によって、フラ・アンジェリコは受胎告知画のまとまりと安定性を確保しています。


(下) Fra Angelico, "l'Annunciazione di San Giovanni Valdarno", 1430 - 1432, tempera su tavola, 195 x 158 cm, il Museo della basilica di Santa Maria delle Grazie, San Giovanni Valdarno




 フラ・アンジェリコはサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの受胎告知を描いた後、1433年から 1434年頃に、ここから少し南のコルトナ (Cortona トスカナ州アレッツォ県)にあるジェズ教会 (la chiesa del Gesù) の祭壇画として、受胎告知を描いています。「コルトナの受胎告知」において、父なる神はあたかも建物を飾る彫刻のように見え、石材に融け込んでさらに目立たなくなっています。


(下) Fra Angelico, "l'Annunciazione di Cortona" (details), 1433 - 1434, tempera su tavola, 175 x 180 cm, il Museo diocesano, Cortona




 フラ・アンジェリコは1435年、フィレンツェ近郊フィエーゾレ(Fiesole トスカナ州フィレンツェ県)のサン・ドメニコ修道院 (il convento di San Domenico) のために祭壇画を制作しています。この作品は現在プラド美術館に収蔵されています。

 この作品においても神は建物の彫刻のようになっています。また聖霊の鳩は画面左端近くに移動しています。


(下) Fra Angelico, "La Anunciación" (details), c. 1435, témpera sobre tabla, 194 x 194 cm, Museo del Prado, Madrid




 下に示すのはフラ・アンジェリコがフィレンツェ、サン・マルコ修道院の北側廊下に制作した「受胎告知」で、1442年から 1443年頃の作品です。この作品では神の姿は描かれなくなり、聖霊の鳩も完全に消失しています。絵の下部、建物の框(かまち)には、この北側廊下を通る修道士に向けた言葉が、ラテン語で次のように書かれています。和訳は筆者(広川)によります。訳者が補った語はブラケット [ ] で囲みました。

  VIRGINIS INTACTAE CUM VENERIS ANTE FIGURAM PRETEREUNDO CAVE NE SILEATUR AVE  汝来たりて、汚れなき乙女が絵姿の前を過ぐるとき、怠らずアヴェ [・マリアの祈り] を唱ふべく心せよ。


(下) Fra Angelico, "l'Annunciazione del corridoio Nord", 1442 - 1443, affresco, 321 x 230 cm, il Museo nazionale di San Marco, Firenze




 修道士アンジェリコが描く受胎告知画は、修道院の回廊が舞台に設定されています。瞑想の場であ回廊は、修道院の敷地内にありつつも疑似的に外界と接する境界領域です。外から入ってきた(羅 INGRESSUS)天使は、祈りの場である回廊でマリアと出会い、マリアは救いを受け容れました。修道院内にありながら外界との境界領域的性格を有する回廊で、マリアが受胎告知を受け容れる描写は、フラ・アンジェリコ自身のアニマ(羅 ANIMA)が神の愛と救いを受け容れるさまを、マリアに仮託して描いたものと筆者(広川)は考えます。


 下に示すのはレオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonardo da Vinci, 1452 - 1519) が 1472年から 1475年頃に制作した「受胎告知」で、現在はウフィツィ美術館に収蔵されています。

 よく知られたこの作品において、マリアとガブリエルはもはや腕を交差して胸に当ててはいません。また神と聖霊はともに画面から姿を消しています。ガブリエルは白百合を持っています。白百合は強い香気によって徳の高さ、純潔を象徴するとともに、神によってマリアが選ばれたことを表します。白百合が有するこの象徴性ゆえに、処女懐胎を告知するガブリエルは白百合をマリアに手渡しているのです。


(下) Leonardo da Vinci, "l'Annunciazione", c. 1472 - 75, olio e tempera su tavola, 217 x 98 cm, la Galleria degli Uffizi, Firenze




 以上、ウフィツィ収蔵のレオナルド作品に至る受胎告知画の形式上の変遷を概観してきましたが、美術の世界は自然科学とは違って、一つの方向に向かって直線的に進歩するものではありません。バロック時代の作品に、父なる神の姿が大きく描かれることもあります。したがって以上に記述した変遷史は、ごく大まかな傾向性を示したものとお考えください。



 最後に同時代の水準をはるかに超えた天才の作品、名画中の名画として、1333年、シモーネ・マルティーニ (Simone Martini, 1284 - 1344) の「受胎告知」を取り上げます。

 シモーネ・マルティーニは生涯の終りに近い 1340年にアヴィニヨンに移ってアヴィニヨン教皇庁の仕事をしましたが、概ねその生涯に亙ってシエナで活躍した人です。シモーネ・マルティーニの活動期は14世紀前半ですから、フィレンツェにおけるジョット (Giotto di Bondone, c. 1267 - 1337) の活動期とほぼ重なります。




(上) Simone Martini e Lippo Memmi, "L'Annunciazione tra i santi Ansano e Margherita", 1333, tempera e oro su tavola, 305 x 265 cm, La Galleria degli Uffizi, Firenze


 上の写真は、1333年、シモーネ・マルティーニがシエナ司教座聖堂のために制作した「受胎告知」の祭壇画です。マリアがいる室内には、百合を生けた花瓶が奥に、椅子あるいは天使の元后の玉座が手前に置かれています。マリアは祈祷書を手にして椅子に座っています。オリーヴの冠を被ったガブリエルはマリアの前に身を屈め、オリーヴの枝を差し出しています。このオリーヴは神と人間の和解を象徴します。

 神の鳩(聖霊)はセラフィムに囲まれて上方に浮かんでいますが、サイズが小さく、色調が抑えられているうえに、セラフィムの翼が祭壇画の縁取りとうまく調和して、鑑賞者の注意をマリアとガブリエルから逸らせません。


 シモーネ・マルティーニによるこの作品を、既に取り上げたジョット作「パドヴァ、スクロヴェーニ聖堂の受胎告知」と比較すると、作風の違いが際立ちます。


(下) Giotto, "l'Annunciazione", 1303 - 1305, affresco, la Cappella degli Scrovegni, Padova




 ジョットもシモーネ・マルティーニも、主題の取り上げ方や表現の仕方が時代の先端を行くものであったゆえに、いずれも天才と讃えられる画家です。しかしながらふたりの作品を並べると、フィレンツェのジョットは初期ルネサンスの画家とは言え、その作品にはゴシック色が色濃く残っています。それに比べてシエナのシモーネ・マルティーニは14世紀前半の画家でありながら、その作品は自在で嫋(たおやか)な線によって、ラファエロ (Raffaello Sanzio, 1483 - 1520) の作品にも比すべき感情表現に成功しています。

 シモーネ・マルティーニのこの作品において、美青年のようなガブリエルと乙女マリアの間には、活き活きとした感情の交流があります。ガブリエルの視線とそれを受けとめるマリアの眼差し、真っ直ぐにマリアに向かうガブリエルの姿勢と羞(は)じらうようなマリアの姿勢には、言葉を超えた想いの通い合いがあります。ガブリエルの口からマリアに向かって、ルカ伝1章28節に記録されている「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」(ラテン語 "AVE, GRATIA PLENA. DOMINUS TECUM.")という言葉が書き込まれていますが、このような文字による表現は不要と思えます。

 14世紀前半の画家でありながら、百五十年後の盛期ルネサンス絵画と見まがうべき「受胎告知」を描いたシモーネ・マルティーニは、真の天才の名に値します。


(下) Simone Martini e Lippo Memmi, "L'Annunciazione tra i santi Ansano e Margherita" (details), 1333






【付記 ― 受胎告知画に描かれるマリアの年齢について】

 現代に比べると、昔は我が国でも元服、裳着が低い年齢で行われました。平安時代の貴族女性は十二歳から十四歳で裳着(もぎ 註5)を行いました。古い時代ほど成人が早い傾向は、我が国以外にも当てはまります。新約聖書時代のユダヤ人は、男女とも十二、三歳で成人を迎えました。男性は家族を支えないといけないので、実際の結婚は成人の数年後でしたが、女性はほとんどの場合、成人後間を置かずに結婚していました。

 十六世紀後半から十七世紀前半にかけて活躍したマニエリスムの画家フランシスコ・パチェコ(Francisco Pacheco del Río, 1564 - 1644)は、ベラスケス(Diego Velázquez, 1599 - 1660)とアロンソ・カノ(Alonzo Cano, 1601 - 1667)の師にあたります。 パチェコの娘フアナ(Juana Pacheco, 1602 - 1660)はベラスケスと結婚しています。

 美術の教育者でもあったフランシスコ・パチェコは、数冊の著書を著しました。そのうちの一冊、1649年にセビジャで出版された「絵画の技術 ― 古来の方法とその卓越性」("Arte de la pintura, su antigüedad y su grandeza", Sevilla: Simón Fajardo, 1649)において、受胎告知を受ける少女マリアの年齢に関し、パチェコが論じている箇所を引用します。テキストは近世カスティジャ語で、日本語訳は筆者(広川)によります。文意を通じやすくするために補った語は、ブラケット [ ] で囲みました。


      Sin poner a pleito la pintura del Niño en los brazos, para quien tuviere devoción de pintarla así, nos conformaremos con la pintura que no tiene Niño, porque ésta es la más común...     両腕に幼子を抱く聖母を我々が描くのは、抱かれる幼子への信心ゆえである。[それゆえ聖母とともに]幼子を描くことに、我々は反対するわけではない。聖母は幼子を抱いて描かれる場合が最も多い。
      Esta pintura, como saben los doctos, es tomada de la misteriosa mujer que vio San Juan en el cielo, con todas aquellas señales; y, así, la pintura que sigo es la más conforme a esta sagrada revelación del Evangelista, y aprobada de la Iglesia Católica, la autoridad de los santos y sagrados intérpretes y, allí, no solo se halla sin el Niño en los brazos, más aún sin haberle parido, y nosotros, acaba de concebir, le damos hijo...     [しかしながら]学識ある人々が知っているように、[単身の聖母を描いた]この絵は、福音記者聖ヨハネが天国で見(まみ)え、彼(か)のあらゆる印を有する神秘的な女性を描いたものである。それゆえ私が範とする絵は、福音記者に示されたこの聖なる啓示に最も合致しており、カトリック教会、諸聖人の権威、及び聖なる学者たちに是認されているのであって、両腕に幼子を抱いていないのみならず、未だ幼子を産んでいない。この女性は懐妊したばかりであり、我々は彼女に一人の息子を与えるのである。
      Hase de pintar, pues, en este aseadísimo misterio, esta Señora en la flor de su edad, de doce a trece años, hermosísima niña, lindos y graves ojos, nariz y boca perfectísima y rosadas mejillas, los bellísimos cabellos tendidos, de color de oro; en fin, cuanto fuere posible al humano pincel.     それゆえに、いとも清らかなるこの神秘のうちにあって、最も美しい年齢である十三歳の聖母を描くことが必要なのである。十三歳の聖母は誰よりも美しい少女であり、その眼は澄んでいて軽はずみなところが無く、鼻と口は完璧な形である。頬は薔薇色で、最高に美しい髪は長く、金色であり、つまりは人間の筆で描ける限り[の美しさでなければならない]。
         
     「絵画の技術 ― 古来の方法とその卓越性」 セビジャ、シモン・ファハルド書店 1649年    "Arte de la pintura, su antigüedad y su grandeza", Sevilla: Simón Fajardo, 1649


 フランシスコ・パチェコは受胎告知画のマリアを十三歳の少女として描くように勧めていますが、ほとんどの受胎告知画に描かれるマリアは、若い大人の女性です。マリアが絵画に描かれる際の成熟した姿は、マリアの精神的成熟の形象化、すなわちアブラハムやヨブにも勝るマリアの信仰の可視的表現と考えることができます。受胎を告知されたときのマリアの年齢に関して「ルカによる福音書」は何も語っていませんが、聖書学者は歴史学的データに基づき、このときのマリアの年齢を十代半ばであったと考えています。




註1 四人の福音史家のなかで、医師であったルカは、最も洗練されたギリシア語を使う知識人でもあった。ギリシア、ローマの歴史家は、高雅な文体の序文を著作の冒頭に付ける習慣だったが、四つの福音書の中で、ルカによる福音書のみ、このような序文が付いている。

 序文に続く1章5節から25節において、祭司ザカリアと妻エリサベトの間に子供、すなわち後に洗礼者ヨハネとなる男の子が授けられたいきさつが記録されている。マリアに対する受胎告知は、これに続く1章26節から38節に記録されている。


註2 現在の教会暦は古代以来の伝承に基づき、3月25日を受胎告知の祝日とする。3月25日は春先の美しい季節であり、受胎告知の祝日にいかにも相応しいが、これはクリスマスから逆算した日付であって、歴史的事実に基づくものではない。



(上) "ILLUM OPORTET CRESCERE, ME AUTEM MINUI." Matthias Grünewald, "Retable d'Isenheim" (details), le musée d'Unterlinden, Colmar

 キリストが受胎されたのが 3月25日であるならば、洗礼者ヨハネの受胎の日付は 9月25日になる。すなわちキリストは春分に受胎して冬至に生まれ、洗礼者ヨハネは秋分に受胎して夏至に生まれたことになる。これらの日付は「ヨハネによる福音書」三章三十節に記録された洗礼者ヨハネの言葉「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」に符合する。

 ちなみに伝承によると、3月25日は救い主が受難し給うた日でもある。


註3 「ヤコブ原福音書」の最古の写本は、ギリシア語による3世紀のもの (Papyrus Bodner V) である。これにより、「ヤコブ原福音書」11章を引用する。

パピルス第22葉

1 και ελαβεν την καλπιν και εξηλ
θεν γεμισε υδωρ 2 και ιδου αυ
τη φωνη λεγουσα χαιρε χα
ριτωμενη συ εν γυναιξιν 3 και
περιεβλεπεν τα δεξια και τα
αριστερα μαρια ποθεν αυτη
ειη η φωνη 4 και εντρομοσ

パピルス第23葉

γενομενη εισηει εισ τον οικον
αυτησ και αναπαυσασα την {καπιν / καλπιν}
ελαβεν την πορφυραν και εκαθι
σεν επι τω θρονω και ηλκεν
την πορφυραν 5 και ειδου εστη
αγγελοσ ενωπιον λεγων μη
φοβου μαρια ευρεσ γαρ χαριν
ενωπιον του παντων δεσποτου
συνλημψη εγ λογου {OM / αυτου} 6 η δε ακου
σασα μαρια διεκριθη εν εαυτη
λεγουσα εγω συνλημψομε
απο κυ̅ θυ̅ ζωντοσ ωσ πασα γυ
νη γεννα 7 και ειδου αγγελοσ ε
στη αυτη λεγων αυτη ουχ ουτωσ
μαρια δυναμισ γαρ θυ̅ επισκια

パピルス第24葉

σι σοι διο και το γεννωμενον
αγιον κληθησεται υιοσ υψι
στου και 8 καλεσησ το ονομα
αυτου ιη̅υν αυτοσ γαρ σωσει λα
ον αυτου εκ των αμαρτιων
αυτων 9 και ειπε μαρια ειδου
η δουλη κυ̅ κατενωπιον αυ
του γενοιτο μοι κατα το ρημα
σου


註4 註3に引用した「ヤコブ原福音書」11章によると、マリアは水を汲む為に水差しを持って外出した際に天使の声を聞き、家に逃げ帰ったところ、家の中に入ってきた天使から受胎を告知された。すなわちマリアは一回目の天使のお告げを野外で、二回目の天使のお告げを家で聞いている。

 しかしながらこの場合でも、マリアが外で聞いた声(おめでとう。汝は恵みを受けた。主は汝とともにおられる。汝は女のなかで祝福された者である)は、マリアの懐妊を明言しておらず、はっきりとした受胎告知はマリアが家に逃げ帰った後、家に入って来た天使の口から行われている。


註5 裳は扇のような形状の儀礼的着用物で、平安時代の上流女性には必須であった。これを初めて腰に着ける儀式が裳着で、女子の成人式に当たり、婚礼の前に行われた。

 柳田国男の「阿遅摩佐(あじまさ)の島」(1920年)によると、琉球で近世まで使われていた七襞袴(ナナヒジャカカン)は、蒲葵葉世(クバヌハユウ 世の始め)に男女がまとっていた檳榔(蒲葵 びんろう、ビンロウヤシ Areca catechu)の蓑の遺制である。吉野裕子氏は著書「蛇」(1978年)において、平安貴族女性の裳もまた檳榔の葉の象りであると論じている。檳榔は蛇神の聖樹である。多くの民族において蛇は祖神であり、我が国の皇室も例外ではない。神武天皇の生母の玉依姫は竜神の娘であるし、妃の伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)も三輪の大物主すなわち蛇が人間の女に産ませた娘である。




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