極稀少品 悔悛のガリアの大型メダイ 《神の鞭を受けるベルシャツァルと、回心したロンギヌス》 第三共和政初期の作例 直径 28.4 mm
突出部分を除く直径 28.4 mm
重量 7.0 g
フランス 1870年代半ばまたは後半
近世から近現代にかけてのフランスは幾度にも亙って内憂外患に悩まされ、それらはいずれも充分に国難と呼ばれうる水準の出来事でした。1789年に始まったフランス革命は社会的基盤や有形無形の文化的財産を破壊し尽くして前代未聞の被害を齎(もたら)したのみならず、国王、王妃から一般人まで、あらゆる階層の人々がおびただしい血を流すこととなりました。1870年の普仏戦争でフランスはプロイセンに惨敗し、引き続いて起こったコミューンの内乱はフランス全土を革命期に等しい無秩序に陥れました。第一次世界大戦ではドイツの侵略を受けて国土が戦場となり、多数の戦死者、戦災死者、戦争寡婦、戦争孤児を出しました。
(上) 日本趣味の切り紙による二面のカニヴェ 「イエスの神なる聖心よ。御身を拝し、御身を愛します」 ピウス七世による百日の免償 (ドプテ 図版番号不明) O divin Cœur de JÉSUS, je vous adore, je vous aime, Dopter, numéro inconnu, 108 x 66 mm フランス 1860年代後半から 1870年代 当店の商品です。
中世に起源を有するカトリックの信仰に、サクレ=クール(le Sacré-Cœur)すなわちキリストの心臓への信心があります。生きている間は決して休むことなく動き、死の訪れと同時に動きを停止する心臓は、古代以来、生命と愛の座と考えられました。キリストの心臓はキリストが罪びとのために十字架上で棄て給うた生命の象徴であり、生命を棄てるまでに人を愛し給うた愛の象徴です。上の写真は本品メダイと同時代に制作されたカニヴェです。聖画に描かれたキリストの聖心は、十字架を突き立てられ、取り巻く茨に傷ついて血を滴らせながらも、愛の炎に包まれています。我々を愛し給うた御方のこのような姿を目にするとき、我々はその愛に涙するとともに、救い主が受け給うた苦痛を償いたいと思います。それゆえ聖心への信心とは、救い主への償いに他なりません。
(上) 福者マルグリット=マリ・アラコック 「慈しみと愛に満てるイエズスの聖心よ、われらを憐れみたまえ」 多色刷り石版による小聖画 L. ブーレ 図版番号
94
中性紙のカルトンにクロモリトグラフィ
109 x 73 mm フランス 1860 - 80年代 当店の商品です。
聖母訪問会の修道女マルグリット=マリ・アラコック(Ste. Marguerite-Marie Alacoque, 1647 - 1690)は近世フランスにおける最も重要な神秘思想家のjひとりです。マルグリット=マリは五つの傷と愛に燃える聖心を示すキリストの幻視を 1673年から1690年の間にたびたび経験し、その中には国王ルイ十四世に対して聖心の信心を命じるキリストの啓示もありました。この啓示あるいはキリストからの命令に、ルイ十四世はまったく応えなかったのですが、そのような啓示があった事実、およびルイ十四世がそれに従わなかったという事実を、一般のフランス人は
1867年8月に公開されたマルグリット=マリの書簡によって初めて知りました。これはマルグリット=マリが列福されて三年後のことでした。
またマルグリット=マリの書簡が公開されるおよそ半世紀前、「フランスの救い」("Le Salut de la France")という本が広く流布しましたが、この本には革命で処刑されたルイ十六世が、獄中で神に対して誓いを立て、王権回復の暁には教会のすべての命に従うこと、聖心に捧げた祝日を定めること、パリ司教座聖堂に出向いて王自身と王室、および王国を聖心に捧げ、また聖心の礼拝堂あるいは祭壇を寄進すると約束したことが記されていました。しかしながらルイ十六世は王妃マリー=アントワネットとともにギロチンで処刑され、またパリ司教座聖堂は荒廃して、この誓いが果されることはありませんでした。
十九世紀から二十世紀初頭のフランスにおいて、カトリック信仰あるいは宗教的心性は、現在よりもずっと深く人々の日常生活に浸透していました。マルグリット=マリへの啓示やルイ十六世の誓いを知った人々は、神が嘉(よみ)し給う正道に遅ればせながらも回帰しようと試みました。モンマルトルの壮麗な聖堂をはじめ、各地に建てられた教会堂が聖心(サクレ=クール)に奉献されたのは、人々の真摯な宗教心の表れです。このように神の前にへりくだって悔い改めた当時のフランス、および当時のフランスにおける信仰復興運動を、ガリア・ペニテーンス(羅 Gallia pœnitens 悔悛のガリア)と呼んでいます。
本品メダイの一方の面には、旧約聖書の大預言書のひとつである「ダニエル書」から、空中に出現した手が壁に文字を書く場面が打刻されています。
マソラ本文に基づく「ダニエル書」は、六章までの前半と、七章以降の後半に分けることができます。前半は預言者ダニエルを軸にして、バビロン捕囚時代に遡る六つの説話を一連の物語に編纂しています。二章から四章までにはネブカドネツァル王が登場しますが、このネブカドネツァル王とは、実際にはナボニドス王のことであると考えられています。
「ダニエル書」四章によると、バビロンの繁栄に慢心したネブカドネツァル王は、預言者ダニエルの忠告に反して神の御前に遜(へりくだ)らず、神罰を受けます。神は七年間に亙って王の理性を奪い、王はその間、野の獣のような生活を続けます。七年の終りに王が神の全能をほめたたえると、王は再び理性を取り戻して癒されました。しかるにクムランの出土文書からは、バビロンの王ナボニドスが奇妙な病のゆえにバビロンを追われ、当時ユダヤ人の共同体があったテーマのオアシスで七年間を過ごしたこと、ユダヤ人呪術師が王を癒したことが、記録に残っていました。「ダニエル書」のネブカドネツァルが実際にはナボニドスのことであると考えられるのは、このような根拠に基づきます。
「ダニエル書」四章をクムラン文書の記録と比較すると、クムラン文書の出来事が「ダニエル書」に反映していることがわかります。「ダニエル書」の著者はおそらく物語を強く印象付けるために、ナボニドスを高名なネブカドネツァルに置き換え、王を癒した呪術師をダニエルとしたのでしょう。
ネブカドネツァル(ナボニドス)発狂の逸話に続く第五章には、ベルシャツァルという名の王が登場します。ベルシャツァルはナボニドスの息子です。ナボニドスは上述したように奇病に罹り、七年のあいだバビロンを離れテーマに退いていました。ベルシャツァルはその間にバビロンで父王の代理を務めた人物です。
「ダニエル書」五章によると、バビロンの王ベルシャツァルは千人の貴族を招いて酒宴を張っていましたが、宴も酣(たけなわ)となった頃にエルサレム神殿から略奪した金銀の祭具を宴会場に運ばせ、皆がそれで酒を飲みながら偶像神を讃えました。すると空中に手が現れて、王宮の壁に文字を書きました。恐怖に駆られた王はバビロンの知者を集めて文字を解読させようとしましたが、誰ひとり読める者がいません。そのとき王妃がユダヤ人ダニエルを呼ぶように進言し、ダニエルはその場で文字の意味を解き明かしました。
壁に書かれた「メネ、テケル、パレス」(MENE THECEL PHARES)の三語は「数え、量り、分ける」という意味で、これは「神がベルシャツァルの治世を数えて終わらせ、ベルシャツァルを秤にかけて量目不足と判断し、ベルシャツァルの王国(バビロニア)を二分してメディアとペルシャに与え給う」ことを示していました。ベルシャツァルはダニエルに金の鎖を贈り、王自身と王妃に次ぐ地位を与えました。しかしながらベルシャツァルはその夜のうちに殺害され、メディア人ダレイオスが王国を継ぎました。ダレイオスは知者ダニエルを、サトラップから報告を受ける三人の大臣のひとりに取り立てました。
本品は空中の手を見て驚愕する王、ダニエルを呼ぶように進言した王妃、文字の意味を王に解き明かすダニエルを、浅浮き彫り風の打刻によって表現しています。王の背後にいるのは召使で、酒器を手に持っています。四名の人物と空中の手の群像は異なる時点の出来事を同一画面に彫り、いわば時間的キュビズムとも呼ぶべき表現になっています。壁の文字は「メネ、テケル、パレス」(MENE
THECEL PHARES)と読むことができます。
現在我が国で最も広く使われている新共同訳聖書は、ドイツ聖書協会の「ビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシア」("BIBLIA HEBRAICA STUTTGARTENSIA")を旧約聖書第一正典の原テキストとしています。しかるに「ビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシア」は、マソラ本であるレニングラード・コーデクスに依拠しています。
新共同訳聖書は壁の文字を「メネ、メネ、テケル、パルシン」としています(「ダニエル書」 5: 25)。これに対してマソラとは別系統の七十人訳聖書、およびテオドティオン訳聖書では、壁の文字は「メネ、テケル、パレス」となっています。本品メダイにおいても、壁の文字は「メネ、テケル、パレス」(MENE THECEL PHARES)です。
画面の中心で最も大きく表現されているのは、知者ダニエルではなく、バビロンのベルシャツァル王です。ベルシャツァルは両腕を広げ、瞠目して驚愕の表情を浮かべています。しかしながら神の赦しを求めて天を仰ぐような姿勢も、遜(へりくだ)って頭(こうべ)を垂れるような姿勢も無く、王が単に驚き恐れているだけであって、悔い改めてはいないことがわかります。その結果としてこの同じ日の夜に王に死が齎(もたら)され、王国は二つに分裂するのです。
悪役のベルシャツァル王がこの面の主人公となっている理由は、ベルシャツァル王こそがガリア(フランス)に他ならないからです。空中の手が壁に書いた文字も、群像の周囲に打刻した文字も、不信のガリアに対する神の宣告です。群像を取り巻く言葉はフランス語で、意味は次の通りです。
Ton âme est pesée, jugée, condamnée. 汝の魂は重さを量られ、裁かれ、罪に定められる。
この面の浮き彫りは、突出部分にも摩滅が見られません。人物の表情、髪やひげ、衣文(えもん 衣の襞)などの細部が、制作当時のままに保存されています。
もう一方の面にはイエス・キリストが十字架上に受難し給う場面が、打刻による浮き彫りで描き出されています。この面をダニエルとベルシャツァルの面に比べると、浮き彫りの突出部分にわずかな摩滅が認められます。それゆえ本品はかつてダニエルとベルシャツァルの面を外側に向け、ペンダントとして着用されていたことがわかります。キリスト受難の面は着用者側に向いて衣服と擦れ合ったので、突出部分が若干の丸みを帯びています。
(上) Piero della Francesca, "Adorazione della Croce" (dettaglio), 1452 - 66, affresco, la cappella maggiore della basilica
di San Francesco, Arezzo
中世から伝わる伝承によると、キリストの十字架は生命樹から採った材でできています。ソロモン王はこの材を神殿に使おうとしましたが、材は伸びたり縮んだりして使用されることを拒みました。材は打ち棄てられ、橋になりましたが、この橋に差し掛かったシバの女王は材の聖性に気付き、跪いて礼拝しました。ピエロ・デッラ・フランチェスカはこの伝承に取材し、イタリア、アレッツォ(Arezzo トスカナ州アレッツォ県)の聖フランチェスコ聖堂に有名なフレスコ画を描いています。
本品メダイの浮き彫りには、青々と茂った木々が遠景に見えています。これに対して小さなティトゥルス(羅 TITULUS 罪状書き)を伴い幾分様式的に表された十字架は、十字に組み合わせた木材に過ぎず、一見したところ、植物の生命を見て取ることはできません。しかしながら十字架の材は生命樹から採られています。人祖アダムとエヴァの罪によって枯死した生命樹は、キリストが救世を達成しようとなさっているいま、再び息を吹き返そうとしています。
しかるに常人の目にこの神秘は見えません。救世主を囲む者たちの一人はイエスに胆汁と酢を差し出し、別の一人は脇腹を突く槍を手にし、残る一人は脛を折る棍棒を用意しています。
十字架上のイエスは未だ事切れておらず、傷の痛みと渇きに苦しんでおられます。キリスト磔刑像のこのような類型を、キリスト様図像学では「クリストゥス・ドレーンス」(羅 CHRISTUS DOLENS ラテン語で「苦しむキリスト」の意)と呼んでいます。群像を取り囲むように、次の言葉がフランス語で記されています。
Ils m'ont abreuvé de fiel et de vinaigre. 彼らはわたしに没薬(もつやく ミルラ)を混ぜたヴィネーグル(酸い葡萄酒)を飲ませた。
フランス語フィエル(仏 fiel)は動物の胆汁を始めとする苦い汁のことですが、上では没薬と訳しました。フランス語ヴィネーグル(仏 vinaigre 酢、ヴィネガー)は、酸い葡萄酒という意味です。共観福音書によると(マタイ
27: 34、マルコ 15: 23、ルカ 23: 36)、イエスを十字架に付ける前、ピラトの兵士は没薬を混ぜた酸い葡萄酒をイエスに飲ませようとしましたが、イエスは舐めただけで飲もうとはされませんでした。没薬を混ぜた葡萄酒は、十字架に付けられる死刑囚が痛みのあまり気絶して、苦痛を十分に味わえなくなるのを防ぐための気付け薬です。葡萄酒が酸いのは、酢酸発酵が進んで酢に変わりかけた安物だからです。
十字架上のイエスに向かって差し出されている長い物は、先端に海綿を突き刺した葦の棒です。海綿には酸い葡萄酒が含ませてあります。これは十字架に架けられる前のイエスに与えられたのとは別の葡萄酒ですが、やはり苦い没薬が混ぜてありました(マタイ
27: 48、マルコ 15: 36)。
新約外典「ピラト行伝」(羅 "ACTA PILATI")、別名「ニコデモ福音書」(羅 "EVANGELIUM NICODEMI")によると、槍を持っているローマ兵は、ロンギヌスあるいはロンギノス(羅 LONGINUS/LONGINOS)という名前でした。「レゲンダ・アウレア」によると、槍傷から飛び散ったイエスの血により不治の眼病が癒されたことをきっかけに、ロンギヌスは回心してカパドキアに隠棲し、多数の人々を信仰に導きました。
(上) Andrea Mantegna, "la Madonna della Vittoria", 1496, tempera su tavola, 280 x 166 cm, le musée du Louvre, Paris
ロンギヌスはマントヴァ(Mantova ロンバルディア州マントヴァ県)の守護聖人です。アンドレア・マンテーニャ(Andrea Mantegna,
1431 - 1506)はこの町にある聖堂のために奉献画「勝利の聖母」("la Madonna della Vittoria", 1496)を描きました。この作品には聖母子の左奥(向かって右奥)に槍を持ったロンギヌスが描かれています。
ロンギヌスはフランス語ではサン・ロンジャン・ル・サンチュリオン(仏 St. Longin le Centurion 百人隊長聖ロンギヌス)と呼ばれています。本品メダイにおいて十字架を囲む三人のうち、まさにロンギヌスこそが悔悛のガリア(羅
Gallia pœnitens)に他なりません。メダイのもう一方の面に関しては、ベルシャツァル王がガリア(フランス)の隠喩でした。ベルシャツァル王は瀆聖(とくせい)の罪を犯して神の鞭を受け、悲劇的な最期を遂げました。しかしながら本品メダイのこの面では、サン・ロンジャン・ル・サンチュリオン(ロンギヌス)がガリアに比定されるべき人物であり、当初は救い主を槍で突くという大罪を犯しながら、その罪を悔いて神のもとに立ち返って聖人の列に加わりました。
ベルシャツァルとロンギヌスの運命の差は、この二人の心掛けが違ったせいでもありますが、旧約と新約の違いでもあります。旧約時代のベルシャツァルはバビロンのカルデア人、すなわち選民ユダヤ人から見ればひとりの異邦人であり、回心しない偶像崇拝者であり、瀆聖の罪人でもあったので、神に赦されて救いを得る術(すべ)がありませんでした。しかしながらロンギヌスは、異邦人(非ユダヤ人)である点ではベルシャツァルと同様であり、救い主を槍で突くという最大級の瀆聖を犯しながらも、回心によって神に赦され、救いを得ました。これは新約時代であってこそ可能な事であり、十字架上に救世を達成し給うたキリストのサクレ=クール(聖心)、すなわち人知を絶する神の愛のあらわれです。
信仰深いフランスの人々は、慢心したガリア(フランス)がベルシャツァル王のように罪深かったことを自覚しつつも、王のように滅びるのではなく、「カトリックの長姉」として信仰を取り戻すことを願いました。本品メダイにおいて、ベルシャツァル王ではなく、むしろサン・ロンジャン・ル・サンチュリオンこそが、悔悛のガリアのあるべき姿として描かれています。
上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きく感じられます。
フランスにおいて、ガリア・ペニテーンス(羅 Gallia pœnitens 悔悛のガリア)は十九世紀後半の時代精神に見られる大きな特徴の一つですが、サクレ=クール(聖心)を主題とする作例は多くとも、ガリア・ペニテーンスそのものを直接的に図像化した作例はたいへん稀少です。しかしながらそれよりもさらに珍しいのが本品で、旧約聖書と新約聖書を一貫して流れる神の愛を背景に、その愛に応えなかったベルシャツァル王と、愛に応えた百人隊長ロンギヌスの故事を通して、悔悛のガリアのあるべき姿、歩むべき道を可視化しています。
図像のみに注目しても、ベルシャツァル王の故事を彫ったメダイは非常に珍しく、筆者(広川)自身、本品がこれまで目にした唯一の作例です。キリストの受難を彫ったメダイは珍しくありませんが、通常の作例において十字架の下に描かれるのは聖母、マグダラのマリア、使徒ヨハネである場合がほとんどです。イーゼンハイム祭壇画ではこれに洗礼者ヨハネが加わり、十字架降架ではさらに多人数の群像となりますが、ロンギヌスを表した作例を筆者は他に見たことがありません。本品は再度の入手が難しい稀少品であるとともに、美術品としての完成度も高く、お買い上げいただいた方には必ずご満足いただけます。
当店の商品は現金一括払い、ご来店時のクレジットカード払いのほか、現金の分割払い(二回、三回、六回、十回など。金利手数料無し)でもご購入いただけます。当店ではお客様のご希望に出来る限り柔軟に対応しております。
38,800円 販売終了 SOLD
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