ロレトの連祷にある聖母マリアの称号のひとつ、「いと尊きロザリオの元后」(Regina sacratissimi Rosarii) に捧げられた信心会のメダイ。19世紀フランスを代表するカトリックのメダイユ彫刻家リュドヴィク・ペナン
(Ludovic Penin, 1830 - 1868) による立派なサイズの作品で、ブロンズを用いて鋳造されています。
メダイの一方の面には、聖母子からロザリオを受けるグスマンの聖ドミニコ (St. Domingo de Guzman, 1170 - 1221) と、シエナの聖カタリナ (Santa Catarina da Siena, 1347 - 1380) を浮き彫りにし、聖母に執り成しを求める「ロレトの連祷」の一節を、周囲にフランス語で刻んでいます。
Reine de très Saint Rosaire, priez pour nous. いと尊きロザリオの元后、我らのために祈りたまえ。
聖母子は画面中央奥の一段高いところに座しています。「いと尊きロザリオの元后(女王)」である聖母は戴冠しています。幼子イエズスは聖母の右膝に立っていますが、両腕を水平に広げた姿は十字架上の受難を思い起こさせます。
聖母子の足下には薔薇の花環、あるいは薔薇の花の冠が置かれています。
カトリックの数珠をわが国では「ロザリオ」(rosario) と呼んでいますが、ポルトガル語及びイタリア語の「ロザリオ」は、ラテン語で「薔薇の花環(花綱、冠)」を表す「ロサーリウム」(ROSARIUM)
に由来します。薔薇は聖母の象徴であり、聖母像に捧げる薔薇の花環あるいは薔薇の花の冠を、「ロサーリウム」(ロザリオ)と呼んだのです。
ロザリオのことを、フランス語では「ロゼール」(rosaire) または「シャプレ」(chapelet) といいます。「ロゼール」は特に15連のロザリオを指す語で、語形から明らかなように、ラテン語「ロサーリウム」に由来します。「シャプレ」は5連のロザリオを指しますが、この語は本来「被り物」を表す「シャペル」(chapelle)
に縮小辞が付いたものであり、やはり花の冠を表します。ドイツ語ではロザリオを「ローゼンクランツ」(Rosenkranz) といいますが、これは文字通り「薔薇の花環」という意味です。
ロザリオの祈りでは、天使祝詞(アヴェ・マリア)、すなわち救い主の生誕を予告するガブリエルの言葉が唱えられます。下の参考画像はルネサンス期の画家ボッティチーニの作品で、生誕した救い主イエズスを礼拝する聖母とともに、薔薇の花綱(ロサーリウム)が描かれています。
(下・参考画像) Francesco Botticini, The Adoration of the Child (details), 1482, tempera on wood, diameter 123 cm, Pitti Palace Gallery, Firenze
メダイの手前、向かって右には、グスマンの聖ドミニコが浮き彫りにされています。聖人はドミニコ会の白い修道衣と黒いマントをまとって跪き、聖母子を仰ぎつつ両腕を広げています。
よく知られた聖ドミニコ伝によると、新生児ドミニコが洗礼を受ける際、その額に星が輝くのを、代母が目にしました。それゆえ聖ドミニコの図像では、額あるいは頭上に星が描かれることが多くあります。本品の浮き彫りにおいても、リュドヴィク・ペナンは輝く星を聖人の頭上に配しています。
ドミニコはパレンシア (Palencia) で学究生活を送り、6年に亙って学芸を、4年に亙って神学を修めました。神学研究の最後の年である 1191年にスペインに大飢饉が起こったとき、ドミニコは貧しい人々のために現金、衣服、家具を手放しただけではなく、当時はたいへんな貴重品であった本(羊皮紙の写本)までもすべて売り払いました。学究の徒であるドミニコが本を手放したことに友人たちが驚くと、ドミニコは「人々が飢え死にしつつあるときに、死んだ動物の皮から学べと私に言うのか」と答えました。
リュドヴィク・ペナンはこの浮き彫りにおいて、聖人の心の優しさを、穏やかな横顔のうちに余すところなく表現しています。フランスにおけるメダイユ彫刻中興の祖、ダヴィッド・ダンジェ (Pierre-Jean David d'Angers, 1788 - 1856) はリュドヴィク・ペナンよりも少し前の時代の人ですが、モデルの横顔を好んで作品にし、「正面から捉えた顔はわれわれを見据えるが、これに対して横顔は他の物事との関わりのうちにある。正面から捉えた顔にはいくつもの性格が表われるゆえ、これを分析するのは難しい。しかしながら横顔には統一性がある。」と言っています。
聖ドミニコ単独のメダイや他の諸聖人のメダイにおいて、リュドヴィク・ペナンはほとんどの場合正面向き、あるいは正面向きに近い角度で顔を彫っており、ダヴィッド・ダンジェのように横顔のメダイを多く作ったわけではありません。リュドヴィク・ペナンがこの群像において聖ドミニコの顔を側面から捉えているのは、四人の人物の空間的配置から来る必然的要請のためでしょう。しかしリュドヴィク・ペナンはこの作品において聖ドミニコを側面から捉えることにより、聖人が持つ生来の優しさを、あたかもおのずから滲み出るかのように引き出すことに成功しています。このメダイには四人の群像が彫られていますが、なかでもドミニコの出来栄えは特に秀逸です。
(上・参考画像) Lorenzo Lotto, "Madonna de Rosario e Santi", 1539, olio su tela, 384 x 264 cm, Pinacoteca Comunale ''Donatello Stefanucci'', Cingoli
12世紀から13世紀前半、フランス南西部のラングドック地方は異端カタリ派の勢力圏でした。聖ドミニコはこの地方に滞在し、1206年、プルイユ(Prouille オクシタニー地域圏オード県)に修道院を創設して、カタリ派をカトリック教会に帰一させるべく奮闘しましたが、思わしい成果はなかなか得られませんでした。
15世紀まで遡れる伝承によると、1208年、プルイユにおいて「ロザリオの聖母」が聖ドミニコに出現し、聖人にロザリオを授けました。強力な祈りの武器とも言うべきロザリオを与えられた聖ドミニコと同志たちは、このとき以降、カタリ派の改宗に成果を上げはじめました。
聖ドミニコによる「ロザリオの聖母」の幻視は、多数の絵画や彫刻のテーマになっています。上に示したのは、イタリア・ルネサンスの画家ロレンツォ・ロット
(Lorenzo Lotto, 1480 - 1556) が、イタリア中部の町チンゴリ(Cingli マルケ州マチェラータ県)のロザリオ信心会から注文を受けて、この町の聖ドミニコ教会のために描いた大きな祭壇画です。この作品において聖ドミニコは手前の向かって左側に跪き、聖母からロザリオを受けています。手前右側に跪いているのはチンゴリの司教で、聖母子に町を捧げています。
メダイの手前、向かって左には、ドミニコ会の聖女であるシエナの聖カタリナが跪いています。
あるときカタリナはキリストを幻視しました。キリストは茨の冠、及び黄金と宝石でできた冠をカタリナに示してどちらかを選ぶように告げ、カタリナは茨の冠を選びました。この出来事ゆえに、カタリナの図像には茨の冠が描かれることが多くあります。本品の浮き彫りにおいても、聖女は茨の冠を被っています。
祈る形に合わせた両手には、衣に半分隠れつつも、釘の傷が見えています。1375年、聖女は両手、両足、脇腹に聖痕を受けました。カタリナが聖痕を受けていたことは、1380年、神秘的結婚による「夫」イエズス・キリストと同じ年齢である33歳で聖女が亡くなったとき、初めて明らかになりました。
(下・参考画像) Giovanni Battista Tiepolo, "Hl. Katharina von Siena", zirka 1746, Öl auf Leinwand, 70 x 52 cm, Kunsthistorisches Museum
Wien, Gemäldegalerie, Wien
メダイユの下部に彫刻家の署名(L. PENIN A LYON リヨンのリュドヴィク・ペナン)があります。
リュドヴィク・ペナンは19世紀前半以来四世代にわたってメダイユ彫刻家を輩出したリヨンのペナン家の一員で、正統的で重厚な作風により知られています。弱冠34歳であった1864年、当時の教皇ピウス9世により、カトリック教会の公式メダイユ彫刻家
(graveur pontifical) に任じられましたが、惜しくもその4年後に亡くなりました。
リュドヴィク・ペナンによるいくつかの作品を紹介します。
【下】 マグダラのマリア 直径 25.8 mm (突出部分を除く) 18,800円
【下】 上智の座の美しき聖母 30.0 x 25.4 mm (突出部分を除く) 32,800円
【下】 アッシジの聖フランチェスコ 直径 21.5 mm (突出部分を除く) 14,800円
【下】 ゴシック・デザインの十字架 ブロンズ製大型メダイ 1860年代 42,800円
【下】 我が肉を食し我が血を飲む人は永遠の生命を有す、而して我、終の日に之を復活せしむべし 直径41.1 mm 最大の厚さ 4.7 mm 重量34.5 g 1869年 35,800円
【下】 ミシオン記念 ブロンズ製クルシフィクス 51.3 x 31.5 mm 13,800円
【下】 クレルモンのノートル=ダム・デュ・ポール 十字軍800周年記念 800シルバーのメダイ 直径 22.8 mm (突出部分を除く) 1895年 18,800円
【下】 竪琴を弾く聖セシリア オリジナルの箱入り メダイユの直径 32.6 mm 厚さ 最大 2.8 mm 35,800円
メダイの裏面はミル打ちのような細かい点の連続で周囲を取り囲み、中央部分には「アヴェ・マリア」、すなわち天使祝詞の冒頭の言葉を大きな文字で刻んでいます。「アヴェ・マリア」の文字は、薔薇の花環とロザリオに囲まれています。薔薇の花環とロザリオは糾(あざな)える縄の如く、一体のものとして表されています。
メダイ裏面を囲む環状の部分には、フランス語で「いと尊きロザリオの信心会」(La Confrérie du Très Saint Rosaire)
と記されています。
薔薇は棘だらけの繁みから伸びた花芽が、棘に傷つくことなく美しい花を咲かせるゆえに、聖母を象徴する花とされます。すなわち聖母マリアは、人祖アダムの妻エヴァと同様に女性でありながら、薔薇の棘、すなわちエヴァが犯した罪ゆえの原罪に傷つくことなく咲き出でた一輪の薔薇、無原罪の御宿りなのです。
下の2枚の写真は、実物の面積を 90倍に拡大しています。メダイの実物において薔薇の花の直径、つぼみの長さ、葉の長さはいずれも 4ミリメートル程しかありませんが、八重咲きの花びらの立体感、花の中央に覗く雄しべ、鋸歯状の縁を持つ葉の凹凸と葉脈等、リュドヴィク・ペナンの精緻な浮き彫りは、生きた薔薇を完璧に再現しています。薔薇の芳香が漂ってくる錯覚さえも覚えます。
メダイ中央に刻まれた「アヴェ・マリア」は天使祝詞の冒頭の言葉です。天使祝詞の前半は、「ルカによる福音書」1章28節に記録されたガブリエルの言葉に、「マリア」という呼びかけを挿入したものです。「ルカによる福音書」1章28節及び「天使祝詞」の「アヴェ」は「おめでとう」「こんにちは」等とも訳されていますが、このコンテクストにおける「アヴェ」が単なる挨拶ではないことを、ここに強調して示します。
まず、天使祝詞の内容は次の通りです。
ギリシア語 | ラテン語 | 日本語 | ||||
... | ... | |||||
Χαῖρε Μαρία κεχαριτωμένη, ὁ Κύριος μετά σοῦ, Ἐυλογημένη σὺ ἐν γυναιξὶ, καὶ εὐλογημένος ὁ καρπὸς τῆς κοιλίας σοῦ Ἰησούς. Ἁγία Μαρία, μῆτερ θεοῦ, πρoσεύχoυ/πρέσβευε ὑπέρ ἡμῶν τῶν ἁμαρτωλῶν, νῦν καὶ ἐν τῇ ὥρᾳ τοῦ θανάτου ἡμῶν. Ἀμήν. |
AVE MARIA, GRATIA PLENA, DOMINUS TECUM. BENEDICTA TU IN MULIERIBUS. ET BENEDICTUS FRUCTUS VENTRIS TUI JESUS. SANCTA MARIA MATER DEI, ORA PRO NOBIS PECCATORIBUS, NUNC ET IN HORA MORTIS NOSTRAE. AMEN |
めでたし 聖寵充ち満てるマリア、 主御身とともにまします。 御身は女のうちにて祝せられ、 御胎内の御子イエズスも祝せられたまふ。 天主の御母聖マリア、 罪人なるわれらのために、 今も臨終のときも祈り給へ。 アーメン。 |
次に、「ルカによる福音書」1章28節の内容は次の通りです。
ギリシア語 | ... | ラテン語 | ... | 日本語 | ||
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καὶ εἰσελθὼν πρὸς αὐτὴν εἶπεν, Χαῖρε, κεχαριτωμένη, ὁ κύριος μετὰ σοῦ. | Et ingressus ad eam dixit: "Ave, gratia plena, Dominus tecum ”. | 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」 |
紀元前3世紀から1世紀にかけて、旧約聖書がギリシア語に訳されました。ヘレニズム時代にはこの「七十人訳聖書」が広く用いられ、福音記者ルカも「七十人訳聖書」に通じていたと考えられています。しかるに「七十人訳聖書」の預言書には、次の記述が見られます。
七十人訳 | 新共同訳 | |||||
... | ... | |||||
ゼファニア書 3章14節 |
Χαῖρε σφόδρα, θύγατερ Σιών, κήρυσσε, θύγατερ ῾Ιερουσαλήμ· εὐφραίνου καὶ κατατέρπου ἐξ ὅλης τῆς καρδίας σου, θύγατερ ῾Ιερουσαλήμ. | 娘シオンよ、喜び叫べ。イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。 | ||||
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ゼカリア書 9章9節 |
Χαῖρε σφόδρα, θύγατερ Σιών· κήρυσσε, θύγατερ ῾Ιερουσαλήμ· ἰδοὺ ὁ βασιλεὺς σου ἔρχεταί σοι, δίκαιος καὶ σῴζων αὐτός, πραΰς καὶ ἐπιβεβηκὼς ἐπὶ ὑποζύγιον καὶ πῶλον νέον. | 娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って。 |
預言者ゼファニアとゼカリアは、それぞれの小預言書において、メシア(救い主)の出現を予告しています。上に引用した箇所の冒頭では「カイレ・スポドラ」(Χαῖρε
σφόδρα ギリシア語で「大いに喜べ」)という呼びかけが為され、新共同訳では「喜び叫べ」「大いに踊れ」と訳されています。「大いに喜ぶ」理由は、メシアが出現するからです。
旧約聖書の光に照らすと、「ルカによる福音書」1章28節の「カイレ Χαῖρε」(ラテン語では「アヴェ AVE」)は、これらの箇所における「カイレ」と同様に、メシアの出現を喜ぶ言葉であることがわかります。大天使ガブリエルはマリアに対して単に挨拶しているのではなく、救い主の生誕を予告して、「喜べ、恩寵を受けた女よ」(希 Χαῖρε, κεχαριτωμένη 羅 Ave, gratia plena)と言っています。
ガブリエルが発したマリアへの呼びかけ「カイレ」(Χαῖρε) は、新共同訳では「おめでとう」と訳されています。旧約聖書とギリシア語の知識、及びヘレニズム時代の歴史的背景に関する知識が無ければ、単なる挨拶、あるいはせいぜいマリア個人の「おめでた」(懐妊)を祝福する言葉として読み流してしまいそうになりますが、この一言には、イエズスこそが旧約の預言者たちが待ち望んだメシアであるという意味が籠められているのです。
メダイの商品説明に戻ります。
メダイユの制作方法には、「打刻」と「鋳造」の二通りがあります。「打刻」は貨幣のように大量の製造が必要である場合の方法で、19世紀フランスのブロンズ製メダイは、大抵の場合、打刻によって作られています。「打刻」はスクリュー・プレスを使って効率的に作業を進めることができますが、浮き彫りの立体性は得られません。
これに対して「鋳造」によるメダイユの場合、「打刻」のメダイユよりもいっそう芸術的完成度が高い鋳型を彫刻する必要があります。また融けた金属を鋳型に流し込み、冷えるのを待って取り出したメダイユは、やすりがけや彫金、薬品による表面処理等の工程を経て、ようやく完成に到ります。したがって「鋳造」によるメダイユ制作にはたいへんな手間がかかりますが、芸術的完成度が高い作品を制作することが可能です。
上の写真は二枚のメダイを重ねて撮影しました。楕円形のメダイはノートル=ダム・デュ・ピュイとノートル=ダム・ド・フランスのメダイ(27.1 x 19.0 mm 1860年代)で、メダイで、「打刻」により制作されています。その下の写真は本品で、「鋳造」により制作されています。いずれも19世紀中頃のフランスで制作されたブロンズ製メダイですが、二点を比較すると、上のメダイが純然たる信心具であるのに対して、本品はれっきとしたメダイユ芸術の作品であることがよくわかります。
本品はおよそ150年前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、突出部分もまったく磨滅しておらず、聖母子と聖人の表情、衣の襞、薔薇の花びら等の細部まで、制作当時のままの状態で残っています。保存状態は全体的にきわめて良好で、特筆すべき瑕疵(かし 欠点)は何ひとつありません。
夭折の彫刻家リュドヴィク・ペナンが制作したまま、後世の修整を入れずにこの芸術家独自の作風をよく伝えるメダイユであり、19世紀フランスの時代精神を後世に伝える美しい芸術作品です。