(下) 額装例





フランソワ=テオドール・リュイエール作 「少女マリアに白百合を授ける聖アンナ」 信仰深き母の鑑、聖アンナのカニヴェ (ボナミ #44)

Le plus précieux des dons, Bonamy, pl. 44


121 x 77 mm

フランス  19世紀中頃



 聖母マリアの母である聖アンナを、少女マリアとともに描いたカニヴェ。ポワチエの版元、ボナミ (Bonamy, édituer pontifical, 23, rue de Carmélite, Poitiers) による作品です。ボナミが刷ったカニヴェの点数は多くありませんが、いずれの作品もアンティーク版画として高い芸術性を誇り、この作品も例外ではありません。

 聖母マリアの父母、聖母が出生したいきさつ、聖母の幼時に関する記述は、正典福音書に見出せません。これらをテーマにした美術作品は、2世紀末頃に成立した新約外典「ヤコブ原福音書」("protoevangelium Jacobi") に基づいています。また聖アンナ伝は「レゲンダ・アウレア」("Legenda Aurea") にも収録されています。






 本品の表(おもて)面は、金色の枠で囲んだ内側に、金属版インタリオ(凹版)により、聖母マリアの母である聖アンナと、少女時代のマリアを描いた聖画が刷られています。ふたりの聖女は瑞々しい草に覆われた町はずれの野原にいます。聖アンナは足を台に置いて小高い土盛りに腰を下ろし、右手に持った白百合を、娘のマリアに手渡そうとしています。聖アンナの左手は娘の背中に添えられています。


 純潔の象徴である白百合は、本品の裏面に書かれた内容とよく調和しています。また裏面と切り離してこの聖画のみを考えるならば、町はずれの野原にいる少女マリアは、「雅歌」 2章 1節の「リーリウム・コンヴァッリウム」(LILIUM CONVALLIUM 谷間の百合、野の百合)を思い起こさせます。「雅歌」 2章 2節の聖句、「おとめたちの中にいるわたしの恋人は、茨の中に咲きいでたゆりの花」に基づき、百合は神に選ばれた花嫁マリアの象徴とされます。

 「雅歌」 2章 1節から 6節をノヴァ・ヴルガタと新共同訳により引用します。2節は若者の歌、それ以外は乙女の歌です。


      NOVA VULGATA  .... 新共同訳 
    1.  Ego flos campi
et lilium convallium.
  わたしはシャロンのばら、
野のゆり。
         .  
    2. Sicut lilium inter spinas,
sic amica mea inter filias.
おとめたちの中にいるわたしの恋人は
茨の中に咲きいでたゆりの花。
         .  
    3. Sicut malus inter ligna silvarum,
sic dilectus meus inter filios.
Sub umbra illius, quem desideraveram, sedi,
et fructus eius dulcis gutturi meo.
  若者たちの中にいるわたしの恋しい人は
森の中に立つりんごの木。
わたしはその木陰を慕って座り
甘い実を口にふくみました。
    4. Introduxit me in cellam vinariam,
et vexillum eius super me est caritas.
  その人はわたしを宴の家に伴い
わたしの上に愛の旗を掲げてくれました。
    5. Fulcite me uvarum placentis,
stipate me malis,
quia amore langueo.
  ぶどうのお菓子でわたしを養い
りんごで力づけてください。
わたしは恋に病んでいますから。
    6. Laeva eius sub capite meo,
et dextera illius amplexatur me.
  あの人が左の腕をわたしの頭の下に伸べ
右の腕でわたしを抱いてくださればよいのに。


 さらに「野の百合」は、「マタイによる福音書」 6章 25節から 34節、及び「ルカによる福音書」 12章 22節から 34節に記録されているイエズスのたとえ話を思い起こさせます。イエズスはこのたとえ話において、神の摂理への信頼、信仰を説くために、栄華を極めたソロモン王の装いにも勝る「白百合」の美しさを引き合いに出しておられます。それゆえ白百合は神への深い信頼、確固たる信仰をも象徴します。


(下) マタイによる福音書 6章 26 - 30節 「神は空の鳥を養い、野の花を装わせ給う」 12 x 7 cm 石版画にエンボス ロワール、プラディーヌ修道院 1940年代中頃 当店の商品です。




 このカニヴェにおいて、アンナのマントの留め金は、フランス語で「トリロブ」(trilobe) あるいは「トレフル」(trèfle) と呼ばれるクローバー形です。フランスにおける聖アンナ崇敬の中心地、サンタンヌ・ドーレがあるブルターニュ地方は、本来ケルト文化圏に属し、フランスよりもウェールズやアイルランドと近い関係にあります。クローバーはアイルランドの聖者、聖パトリックが三位一体の象徴としたことで知られています。

 少女マリアは母に寄り添いつつ右手を伸ばして白百合を受け取り、アンナの顔をまっすぐに見て、母の教えに耳を傾けています。マリアはヨハネの黙示録12章1節にある「十二個の星の冠」を被っています。また左手を胸に当てていますが、左手と胸の間に挟んだ衣の裾の襞が、ちょうどへブル文字のメム (mem)、すなわちミリアム(マリア)の "M" の形になっています。





 人物像は髪の部分がオー・フォルト(エッチング)ですが、それ以外の大部分はグラヴュール(エングレーヴィング)で製作されています。背景はオー・フォルトによります。カニヴェは画面が小さいため、いずれの技法も非常に細密な描写となっています。上の写真において、定規のひと目盛は1ミリメートルです。インタリオの溝は1ミリメートルあたり 4~5本前後、スティプル(点)は1平方ミリメートルあたり20個以上に及ぶことが分かります。特にグラヴュールによるふたりの聖女の描写は素晴らしく、あたかも生身のアンナとマリアを眼前に見るかのような迫真性を感じさせます。





 聖画下端の向かって左側にポワチエの版元ボナミの社名 (Bonamy, Éditeur à Poitiers)、左側に版画家フランソワ=テオドール・リュイエールの名前 (Th. Ruhierre) が刻まれています。版画家の名前がカニヴェに明記されるのは珍しく、本品は私が知る数少ない例のひとつです。本品がボナミ社の誇る名品として、名手リュイエールを起用して製作された特別なカニヴェであることがわかります。

 フランソワ=テオドール・リュイエール (François Théodore Ruhierre, 1808 - 1884) はフランスの高名な版画家(エングレーヴァー)で、「ジェローム・ボナパルトとフリーデリケ・カタリーナ・フォン・ヴュルテンベルクの結婚」("Mariage du Prince Jérôme et de la Princesse Frédérique Catherine de Wurtemberg") は、リュイエールによるグラヴュールの名品として、ニューヨークのメトロポリタン美術館に収蔵されています。

 版画家リュイエールの名前に添えられた "sculp." は、ラテン語「スクルプシット」(SCULPSIT 「彫った」)の略記です。この動詞が辞書の見出しに載っている形(直説法能動相現在・一人称単数)は "SCULPO" で、"SCULPSIT" は直説法能動相完了・三人称単数形です。


 聖画の上と下には次の言葉がフランス語で刻まれています。

  Le plus précieux des dons  様々な賜物のうちで最も貴いもの

  Vous êtes, ô sainte Anne, véritablement bienheureuse, et le fruit de vos entrailles est béni. (Saint Jean Damascène)

    聖アンナよ。御身はまことに幸いなり。その胎の実は祝されたり。(ヨハネス・ダマスケヌス)

  Sa fille d'Israël grandira comme un lys. (Osée, 14. 16)  その子、イスラエルの娘は、百合のように生(お)い育つであろう。(ホセア 14:16)



 ヨハネス・ダマスケヌス (Johannes Damascenus, c. 676 - 749) はその名の通りダマスクス(シリア)出身の聖人で、高い学識によって知られています。ホセア書の引用とされている聖句は、現行の聖書には見られません。異本からの引用かもしれません。

 表(おもて)面最下部にある "No. 44" は、「図版番号44」(planche numéro 44) の意味です。






 カニヴェの裏面には祈りの言葉がフランス語で書かれています。内容は次の通りです。


    PRIÈRE À SAINTE ANNE.   聖アンナへの祈り
       
     O vous qui avez mérité la grâce de donner au monde la Mère du Rédempteur, glorieuse sainte Anne, daignez agréer notre amour, nos prières et nos vœux! Mère de l'Immaculée! non, jamais fleur plus belle ne s'épanouit sur la tige de Jacob! Jamis fruit plus délicieux ne fut cueilli sur le rameau de Jessé!    救い主の御母を世に与うる恩寵を受くるに値したる御身、貴き聖アンナよ。我らの愛と祈りと願いを、畏(かしこ)くも嘉(よみ)し給え。無原罪の御宿りの御母よ。これよりも美しき花がヤコブの家系に咲き出でたことは、かつて一度もありませんでした。これよりも佳き味の果実がエッサイの枝から収穫されたことも、ありませんでした。
     Mère heureuse entre toutes les mères! les femmes d'Israël ont envié votre bonheur, et les siecles futures ne cesseront de vous louer et de vous bénir. Oui, vous êtes bienheureuse, car votre sein fécond a produit le chef d'œuvre de la création, l'objet des complaisances de l'adorable Trinité, la Vierge immaculée, tout à la fois flle de Père, Mère du Fils et Epouse du Saint-Esprit!    すべての母のうちの幸いなる御母よ。イスラエルの女たちは御身の幸せを羨みました。来るべき世々も永遠に御身を讃え、御身を祝福することでしょう。御身はまことに幸いなるかな。御身の豊穣なる胎が産みしは、神の造り給える最も善きもの、貴き三位一体に愛されしもの、罪無きおとめ、父なる神の娘にして子なる神の御母、聖霊なる神の浄配なれば。
     Aussi avec quel soins jaloux vous avez élevé cette sainte Enfant! Comme vous avez bien cultivé ce beau lis! Ah! vous êtes véritablement le modèle de toutes les mères chrétiennes. Comme vous, elles ont une mission sacrée à remplir: et si l'Eglise compte aujourd'hui de si nombreuses défaillances dans la foi, c'est que éducation religieuse fait défaut; les mères ne sont plus à la hauteur de leur vocation. Ces belles vertus de vigilance et de discrétion, de douceur et de piété, de tendresse et de force, hélas! elles ne les ont plus: elles élèvent des corps, mais elles ne forment points des âmes.    御身はまた、如何なる熱心な心遣いを以って、聖なる御娘を育て給うたことか。この美しき百合を、御身は如何によく教え給うたことか。まことに御身こそはキリスト教徒の母たちの鑑(かがみ)です。キリスト教徒の母たちは、御身と同様に、果たすべき聖なる使命を有しています。かくも多数の人々の間に、今日の教会が信仰無き態度を見出すならば、それは宗教教育が充分でないせいです。母たちがその役目をかつてのように立派に果たしていないからです。備えを怠らずに思慮を働かせ、優しく信仰深く、愛情と強さを併せ持つという美徳を、悲しむべきことに、母たちはもはや失ってしまいました。母たちは子供の身体を育てますが、魂は全く育てていません。
     O très chaste épouse, illustre sainte Anne, obtenez pour toutes ces mères chrétiennes les grâces dont elles ont besoin au sein de leurs familles. Apprenez-leur le secret d'élever leurs enfants dans l'innocence, et faites épanouir dans tous nos cœurs ce beau lis de chasteté, afin qu'après avoir embaumé la terre de ses délicieuses senteurs, il devienne au ciel notre plus belle parure. Ainsi soit-il.    まことに貞潔なる浄配、名高き聖女アンナよ。キリスト教徒の母たちが家庭の中で必要とする恩寵を、この母たちのために与え給え。子供を無垢に育てる秘訣を、この母たちに教え給え。貞潔というこの美しき百合を、我らすべての心のうちに咲かせ給え。この百合が芳(かぐわ)しき香りを地上に漂わせ、天国においては我々の身を最も美しく飾る花となりますように。アーメン。
         
    No. 44

BONAMY, éditeur pontifical, 23, rue de Carmérites, Poitiers.
  図版番号 44

教皇庁御用達 ボナミ社 ポワチエ、カルメリット通 23番地




 カニヴェに取り上げられるテーマと図像表現、裏面に書かれる祈りの内容は、多くの場合、そのカニヴェが製作された時代ならではのものです。本品の裏面に記された祈り、すなわち社会にはびこり始めた不信心を嘆き、聖アンナが母親たちを導くように求める祈りの内容は、本品が製作された19世紀半ばという時代の精神状況、社会状況と、それに対して当時のカトリック教会が抱いた強い危機感を色濃く反映しています。

 19世紀半ばは、急激に影響力を強めた近代思想によって、カトリックの伝統的価値観が脅かされた時代でした。教皇ピウス9世が 1864年12月8日に出した回勅「クアンタ・クーラ」("QUANTA CURA") に含まれる「誤謬表」(SYLLABUS ERRORUM) は、自然主義、合理主義、汎神論、高等批評、社会主義、共産主義、信教の自由など、あらゆる近代思想を批判し、「異端」として断罪するものでした。近代思想がカトリック教会に与えた脅威が、この「誤謬表」に良く現れています。

 当時のカトリック教会は、日々家庭において子供たちに接する母親たちこそが、信仰深き美風を再興する要(かなめ)であると考え、フランスの行く末を担う子供たちが有害な近代主義に染まらないためには、まず母親たちが信心深い家庭環境を作り、子供たちを正しく導くことが肝要であると考えました。神への揺るぎない信仰によってマリアを育てた強く優しい母、聖アンナは、19世紀フランスのカトリック教会にとって、まさにすべての家庭における母のあるべき姿、すべての母親たちが見習うべき手本であったのです。


 このカニヴェは製作からおよそ150年以上も経つ真正のアンティーク品ですが、それほどまでに古いとは信じがたいほど綺麗な状態です。レース状の部分にも破損は無く、稀少な完品です。美しい芸術作品としても、稀少なアンティーク品としても、19世紀半ばという時代を色濃く反映する社会史・精神史的資料としても、価値ある逸品です。





カニヴェのみの価格 19,500円 (税込、額装別) 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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