1847年7月30日、教皇ピウス九世の小勅書により、「瀆神と主日不遵守の償い大信心会」(仏 l'Archiconfrérie Réparatrice des blasphèmes et de la profanation du Dimanche)が設立されました。本品はこの信心会設立を記念して制作されたもので、数あるアンティーク・ロザリオのなかでもとりわけ珍しい品物です。
(上) フランスの不信仰と破滅を嘆くラ・サレットの聖母 悔悛のガリアのカニヴェ (シャルル・ルタイユ 図版番号 408) Marie pleurant sur les ruines de la France, Charles Letaille, No. 408, 123 x 80 mm 1877年 当店の商品です。
「悔い改めよ。神の裁きは近づいている」というのは旧約聖書の時代から洗礼者ヨハネ、イエス・キリスト、使徒たちを経て紀元千年から宗教改革期へと受け継がれてきたメッセージですが、このメッセージが近代においてとりわけ力を持ったのが、十九世紀のフランスでした。この時代のフランスでは聖母の出現が相次ぎ、1846年に出現したラ・サレットの聖母は涙を流してフランスの不信仰を責めました。
跣足カルメル会トゥール修道院のマリ・ド・サン・ピエール・エ・ド・ラ・サント・ファミーユ修道女(Sœur Marie de Saint Pierre et de la Sainte Famille, 1816 - 1848 聖ペトロと聖家族のマリア、以下マリア修道女)は 1843年から 1848年までイエス・キリストとの交感(仏 communiations)を度たび経験していました。マリア修道女との交感のなかで、イエスはフランス国民が日々重ねている瀆神的な罵(ののし)りの罪、及び主日不遵守(しゅじつふじゅんしゅ 宗教上安息日と定められた日曜日に働くこと)の罪を非難し、これらの罪がもしも償われないならば、神の怒りが前代未聞の災厄となってフランスを襲うであろうと告げて、償いの信心会(仏
une archiconfrérie réparatrice)を設立するように命じました。マリア修道女は信心会設立を実現するためにカトリック教会上層部に粘り強く働きかけ、1847年7月30日、イエスが望み給うた償いの信心会が遂に設立されました。本品はこの信心会の設立記念ロザリオです。
通常のロザリオは十字架にコルプス(羅 CORPUS キリスト像)を取り付けたクルシフィクスで始まりますが、本品はコルプスを取り付けない十字架で始まります。十字架の各末端がパルメットまたはフルール・ド・リスのように三方に広がりますが、これはフランス製信心具の十字架に特有の形です。十字架の材質はブロンズで、ブロンズ製を示す三角形が縦木の最下部に刻印されています。交差部は両面とも八角形で、ここから放たれる眩い光が放射状の線刻で表現されています。
十字架の片面には、縦木に「ピウス九世 1847年7月30日」(仏 Pie IX, 30 juillet 1847)の文字、横木の向かって左側にクリストグラムと十字架の組み合わせ文字、右側にエム(M)とイー(I
ラテン語読み)の組み合わせ文字を配します。「ピウス九世 1847年7月30日」の句は、「瀆神と主日不遵守の償い大信心会」がこの日付の小勅書によって正式に認可されたことを示します。横木左側のイオタ・エータ・シグマはイエースース(希
Ἰησοῦς イエス)の最初の三文字です。右側のエム・イーはマリア・インマクラータ(羅 MARIA IMMMACULATA 汚れなきマリア、無原罪のマリア)の頭文字です。これら二か所の文字をひとつに組み合わせると「エム・イーと十字架」のモノグラムになり、これは不思議のメダイの裏面中央にあるものと同じです。
(上) Hans Memling, "Diptychon mit Johannes dem Taufer und der Heilige Veronika, rechter
Flügel", um 1470, Öl auf Holz, 32 × 24 cm, The National Gallery of Art,
Washington D. C.
伝承によると、十字架を担いでゴルゴタへの道をたどるイエスに、聖女ヴェロニカが布を差し出しました。イエスがその布で汗を拭いたところ、イエスの聖顔が奇蹟によって布に転写されました。この聖遺物はギリシア語でマンディリオン(希
Μανδύλιον)、ラテン語でスーダーリウム(羅 SUDARIUM 汗拭き、ハンカチ)またはウェロニカエ・ウェールム(羅 VERONICÆ
VELUM ヴェロニカの布)と呼ばれ、ヴァティカンのサン・ピエトロのバシリカをはじめ、数か所の聖堂や修道院に伝えられています。
イエスを十字架で苦しめたことへの償いと贖罪の業を行う信心において、「聖顔」への信心は大きな意味を持ちます。マリア修道女はキリストから瀆神的な罵りの罪を償うように命じられたのでしたが、これは十九世紀のフランス人が日々口にしていた罵りの言葉が、受難し給う救い主の聖顔に投げつけられた罵りと同一であるとの考えに基づきます。マリア修道女はイエスとの度重なる交感によって、信心会の償いが主の聖顔に向かうべきことを示されました。
聖顔に関して同時期に起こった出来事としては、1849年1月6日、主のご公現の祝日に、ヴァティカンのサン・ピエトロ聖堂でヴェロニカの布が公開されたとき、拝観に集まった大勢の信徒たちの目の前で、布に転写された救い主の聖顔が突然鮮明度を増し、しかも立体的に浮き出て、救い主の顔を完全に再現するという奇跡が起こりました。マリア修道女と同じくトゥールに住んでいたレオン・パパン・デュポンは、やはりマリア修道女と同じく聖顔への信心を広めるために努力し、聖顔の使徒(仏
l'apôtre de la Sainte Face)と呼ばれています。
(上) 1849年1月6日に奇跡を起こしたヴェロニカの布の複製。レオン・パパン・デュポン宅に掛けられていた小聖画。
本品十字架の交差部は八角形で、イエスの聖顔(仏 la Sainte Face)が転写されたマンディリオンあるいはスーダーリウム、別名「ヴェロニカの布(きぬ)」が浮き彫りにされています。八はユダヤ・キリスト教における完全数七の次に来る数であり、新たな始まり、新生を意味します。八角形は洗礼堂の平面プランの形であり、新しく与えられる永遠の生命の象徴です。したがってイエスの顔を八角形で囲む意匠は、あたかも罪びとが洗礼によって救いと永遠の生命を得るように、罪深きフランスが聖顔への償いによって救いを得るであろうことを示しています。
ところでイエス・キリストが受難し給うたのは三十三歳の頃でした。上に示した二例のうち、ハンス・メムリンクが描くキリストの顔は若々しく、三十三歳ぐらいに見えますが、ヴァティカンで奇跡を起こしたヴェロニカの布はキリストの顔が随分と老成していて三十三歳には見えません。キリスト教美術の歴史において、最初期のキリスト像はカタコンベに描かれた三世紀のフレスコ画です。この時期のイエスはひげが無い短髪の若者で、同時期のアレクサドリアでも同様のキリスト像が描かれています。この後、小アジアではキリスト像が長髪になり、四世紀後半のイタリア及び東方において、キリスト像はひげを持つようになります。近代のキリスト像はこの傾向をさらに推し進め、キリストは精神の偉大さを反映して、実年齢よりもずっと年上に見える姿となります。ヴァティカンにあるヴェロニカの布はこの傾向が顕著に現れた作例といえます。
(上) 「ヴェロニカの布(きぬ)」 全体及び部分 "SUDARIUM" ou "Le Linge de Sainte Véronique", 1649, 43.3 x 31.7 cm platemark
翻って本品十字架に彫られたイエスの顔は若々しく、救い主の姿が実際に布に転写されたならばこのような顔立ちであろうと思われます。このイエスの顔は十七世紀の有名なグラヴール(仏
graveur エングレーヴァー)クロード・メラン(Claude Mellan, 1598 - 1688)が 1649年に制作した版画に基づきます。クロード・メランの「ヴェロニカの布」は輪郭線やクロスハッチを一切使わず、渦を描くたった一本の線でヴェロニカの布全体を描出しており、版画史上に残る驚くべき作品です。
本品十字架のもう一方の面には、ラテン語で「主の聖名(みな)は讃えられよ」(羅 SIT NOMEN DOMINI BENEDICTUM.)と書かれています。八角形の交差部には中央に三角形があり、アルシコンフレリ・レパラトリス(仏
Archiconfrérie Réparatrice 償いの大信心会)の文字に囲まれています。
「主の聖名(みな)は讃えられよ」は「ヨブ記」一章二十一節にある聖句、「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」からの引用で、無条件の信仰を表します。「ヨブ記」1章において神はサタンに義人ヨブを試すことを許し、ヨブは息子と娘の全員と、すべての財産を失いますが、それでも神に対する信仰は揺るぎませんでした。「ヨブ記」一章のうち、本品に引用されている箇所の前後のテキストを、ラテン語と日本語(新共同訳)で下に示します。
20節 | tunc surrexit Iob et scidit tunicam suam et tonso capite corruens in terram adoravit | ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して言った。 | ||||
21節 | et dixit nudus egressus sum de utero matris meae et nudus revertar illuc Dominus dedit Dominus abstulit sit nomen Domini benedictum | 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」 | ||||
22節 | in omnibus his non peccavit Iob neque stultum quid contra Deum locutus est | このような時にも、ヨブは神を非難することなく、罪を犯さなかった。 |
イエスは 1844年2月2日にマリア修道女と交感し給うた際、創設されるべき償いの信心会の会員が「主の聖名は讃えられよ」と刻んだ十字架を身に着けるように、また瀆神的な罵りを耳にしたらこの言葉を唱えるように命じ給いました。マリア修道女が亡くなる際に最後に口にした言葉も、「主の聖名は讃えられよ」であったと伝えられます。
交差部の三角形は三位一体を象徴します。三角形の内部に刻まれた四つのヘブル文字は神の名を表すテトラグランマトン(希 Τετραγράμματον)です。モーセの十戒の第二戒には「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない」(「出エジプト記」二十章七節 新共同訳)とあり、ヘブル語の聖書ではこの戒めを守るために、母音記号を付さないテトラグランマトンで神の名を表記します。
したがってテトラグランマトンは神を象徴するとともに、「主の名をみだりに唱えてはならない」とするモーセの第二戒の象徴でもあります。アルシコンフレリ・レパラトリス(仏
Archiconfrérie Réparatrice)の文字がテトラグランマトンを囲む本品の意匠は、「瀆神と主日不遵守の償い大信心会」がイエスや神の名を引き合いに出す罵りを瀆神の大罪と考え、これを償うために祈る団体であることを示しています。
シャプレ(ロザリオ)のセンター・メダルを、フランス語でクール(仏 cœur 心臓、ハート)と呼びます。本品のクールは真鍮製で、文字通りに心臓を模(かたど)ります。クールの表裏には極めて細密な浮き彫りを打刻し、不思議のメダイとしています。すなわちクールの片面には蛇を踏んで球体上に立つ無原罪の御宿りを、「罪なくして宿リ給えるマリアよ。御身に頼る我らのために祈り給え」(仏 Ô Marie conçue sans péché, priez pour nous qui avons recours à vous.)というフランス語の祈りで囲んでいます。本品クールのように小さなサイズの場合、祈りの文句は短縮されるのが普通ですが、本品では小さな文字で全文が書かれています。クールの裏面中央にはエム・イー(M I)と十字架のモノグラムがありますが、これは本品十字架の横木にある二つのモノグラムを組み合わせたものに相当します。
心臓を模りつつ無原罪の御宿リの姿をとどめた本品のクールは、無原罪の心臓(羅 IMMACULATUM COR)すなわち聖母の汚れなき御心を象徴します。心臓は「愛の座」です。現代においても、クール(心臓形、ハート形)は愛の象徴とされています。愛する人の左手薬指に指輪を嵌めるのは、心臓と左手薬指を繋ぐ「ウェーナ・アモーリス」(羅
VENA AMORIS 愛の血管)を縛って、愛を逃がさないためです。それゆえ聖母の汚れなき御心は、神とキリストに向かう混じりけの無い愛を表します。また聖母はキリスト者の鑑(かがみ 手本)ですから、本品のクールは聖母の執り成しと援けによって神とキリストに向かう信徒の愛をも表しています。
五連のロザリオを使う天使祝詞の呼びかけ、アヴェ・マリア(羅 AVE MARIA)、カイレ・マリア(希 Χαῖρε Μαρία)は、メシアの誕生を予告し喜ぶ言葉です。この祈りはクール(心臓)を通って環状部分を循環します。クールから始まった祈りは、途中何度もクールを通り、最後はクールに戻ります。これは血液の循環と同じであり、祈りが信仰を活かす血液であることを示しています。
人間の「魂」(ψυχή, ANIMA, âme, soul)と「霊」(πνεῦμα, SPIRITUS, esprit, spirit)は分けて考えられます。これら二つのうち、宗教心を司るのは「霊」であると考えられています。しかるに神と繋がる「霊の座」とは、心臓に他なりません。「詩篇」五十一篇十九節、及び「エゼキエル書」三十六章二十六節において、心臓は「霊」と同一視されています。
シオンは世界の心臓であり、エルサレム神殿はシオンの心臓と呼ばれていましたが、神のいます至聖所こそがエルサレム神殿の心臓でした。キリスト教の聖堂建築においても、十字架形平面プランを有する聖堂において、主祭壇の位置は受難するキリストの心臓がある場所と一致します。これらの事からも、心臓が宗教心、信仰を司る「霊の座」と見做されたことがわかります。
さらに心臓は、より根本的な「魂の座」あるいは「生命の座」でもあります。血液循環の発見者として名高いウィリアム・ハーヴェイは、1628年の著作「諸々の動物における心臓の動きと血液に関する解剖学的考察」("Exercitatio anatomica de motu cordis et sanguinis in animalibus")において、心臓をマクロコスモスにおける太陽に喩え、「生命の基礎、すべてのものの作出者」(fundamentum vitae author
omnium)と呼んでいます。
要するに本品はクール(センター・メダル)を文字通り心臓形に作ることによって、神とキリストへの愛こそが霊の糧(かて)、魂の糧、生命の糧であることを視覚的に表現しています。救い主への不正を償おうとする信心会の精神も、突き詰めて言えば神とキリストへの愛に他なりません。したがって心臓を模った本品のクールは、「瀆神と主日不遵守の償い大信心会」のロザリオに如何にも相応しいということができます。
本品のビーズは黄楊(つげ)製です。ハーイデース(希 Ἅιδης)の聖樹である黄楊は不死の象徴であり、フランスでは「枝の主日」に使われて、救世主を迎える喜びを表します。本品のビーズはひとつひとつ手作業で作られているために、形と大きさが不揃いです。ひとつひとつ手作りされて同じものが無く、それぞれに個性を持った黄楊のビーズが一つのロザリオにまとまり、一炷の祈りとなって天に立ち昇る様子は、ミスティクム・コルプス・クリスティ(羅
MYSTICUM CORPUS CHRISTI キリストの神秘体)なる公教会の在り方を可視化しているようにも思えます。
黄楊は磨けば美しい光沢が出る材です。本品も数知れぬ祈りの爪繰りによって表面が滑らかになり、自然な艶が出ています。ビーズの色は現在では明るくなっていますが、元々は同時代のほとんどのロザリオと同じく、黒のビーズであったと思われます。
フランスを始め十九世紀のヨーロッパでは、ほとんどの人が日々黒い衣服を着ていました。十九世紀は子供を始めとする死亡率がまだまだ高く、人付き合いの範囲も広いうえに緊密であったので、信心深い老婦人などは喪服で過ごすことがほとんど習慣化していました。シャプレ(ロザリオ)のビーズに関しても、身に着ける服の色と同じく、最も多い色は黒でした。黒いビーズは必ずしも喪を表してはいませんが、黒はいわば道徳的な色であり、ほぼ全てのシャプレ(ロザリオ)が黒のビーズを有しました。とりわけ本品はフランスの罪の痛悔、及び救い主に対する償いを主題にしていますから、痛悔の色である黒は本品に相応しい色といえます。
上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。男女ともに使いやすい大きめのサイズですが、珠が木製であるゆえに軽量で、楽に持ち運べます。ひとつひとつ手作りされた不揃いの珠と金属部分の古色が、百七十年以上前に作られたアンティーク品ならではの風格を有します。
本品はたいへん古い時代の品物であるにもかかわらず、たいへん美しい保存状態です。木材は年月が経つと乾燥が進んで収縮し、必ず割れてしまいます。これは家具、ロザリオの珠、額縁、仏像など、あらゆる種類の木製品に起こることで避けようがありませんが、昔の人はロザリオの糸や鎖が切れれば繋ぎ直し、珠が割れれば代わりの珠を入れて、一つの信心具を大切に使い続けました。本品も環状部分にあるべき四十九個のビーズのうち、二個が割れて失われていますが、逸失した珠を補うにしても補わないにしても、いずれの場合も本品は歴史性を帯びているゆえに、正統的なアンティーク品であるといえます。チェーンの強度は問題は無く、十字架にも破損はありません。本品は美しいパティナ(古色)に被われた真正のアンティーク工芸品であり、実用可能な信心具、十九世紀フランス精神史の実物資料でもあります。
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