第二次世界大戦を挟み、1930 - 50年代頃のフランスで制作された「シャプレ・デ・ミシオン」(chapelet des missions 宣教の数珠、ロザリオ)。クルシフィクスとクールは、フランスの優れたメダイユ彫刻家フィルマン・ピエール・ラセール(Firmin
Pierre Lasserre, 1870 - 1943)の作品です。五色のガラス製ビーズは、五つの大陸を表します。
すっきりとしたシルエットの十字架は、縦木と横木の端が緩やかな曲線を描いて広がり、台形となった各末端には、ミアンダー(雷文)状の鈎形と、楔(くさび)状の三角形が見られます。また後に見るように、クール(仏
cœur センター・メダル)のシルエットも幾何学的です。本品の意匠が有するこのような特徴は、アール・デコ様式の強い影響によります。
コルプス(キリスト像)は一見したところ別作したものを溶接しているように見えますが、高倍率のルーペで観察しても十字架との間に隙間は無く、クルシフィクス全体が一体成型されていることがわかります。一体成型のクルシフィクスにおいて、本品ほど精密な彫塑性・立体性を有するコルプスを、筆者(広川)は見たことがありません。本品のクルシフィクスとクールは、数あるフランス製シャプレの中でも出色の出来栄えです。
本品のコルプスは人体の正しい比例に基づいて彫刻され、顔立ちと表情、髪、手の指、足の指 腰布の襞など、あらゆる細部まで手を抜かず、非常に細密かつ丁寧に制作されています。下の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。キリストの頭部は直径二ミリメートルの円内に収まりますが、目鼻口のみならず、茨の冠や乱れた髪も巧みに表現されています。
キリストの頭上に薔薇の花が線刻されています。野生種において五枚の花びらを有する薔薇は、イエス・キリストの五つの傷、すなわち釘による両手両足の傷と、槍による脇腹の傷を象徴します。しかるにこれらの傷、すなわち救い主の受難は、神の愛の極点に他なりません。したがって薔薇はキリスト教において、神の愛の象徴ともなりました。
通常のコルプス(キリスト像)には頭部に聖性を表す円光がありますが、本品ではこれが薔薇に置き換わっています。聖性の円光を薔薇に置き換えた表現は、キリストの聖性あるいは神性が、愛によってこそ卓越的に表現されることを示します。
十字架上にて苦痛の表情を浮かべる本品のキリスト像は、美術史においてクリストゥス・ドレーンス(羅 CHRISTUS DOLENS)、すなわち苦しむ救い主と呼ばれる型に属します。上の拡大写真を見ると、キリストは釘付けられた右手の人差し指を伸ばしておられます。右手の人差し指を伸ばすのは、祝福の仕草です。すなわち本品のキリストは、驚くべきことに、死に瀕して釘で留められた右手の人差し指を伸ばし、ご自分を十字架に付けた罪びとたちを祝福しておられるのです。
死の苦しみの只中にあっても罪びとに祝福を与えるキリストの愛、神の愛は、人智を絶します。世の罪を贖(あがな)うために自らをアグヌス・デイ(神の子羊)とし、十字架に架かり給うた救い主の御姿は、「苦悶の表情」と「香しい薔薇」という異常な組み合わせにより、見る者に強い衝撃を与えます。
シャプレ(ロザリオ)のセンター・メダルを、フランス語でクール(cœur)と呼びます。クールは心臓、ハートのことです。本品シャプレのセンター・メダルは疑似八角形の輪郭を有し、直線の多用がアール・デコ様式の特徴を示しますが、上辺に曲線を取り入れた意匠は、クールの名前通り、心臓の形を想起させます。
ロザリオのクールは玄義と玄義の境目に位置し、円環を為す祈りの通過点となっています。すなわちロザリオのクールは、循環器系における心臓と、奇しくも同じ位置にあります。血液循環を発見したウィリアム・ハーヴェイは、心臓を単なるポンプとは考えず、血液に活力を吹き込む生命の座、ミクロコスモスにおける太陽と考えていました。それと同様に本品においても、環状部分の要(かなめ)に位置するクール(心臓)は、ロザリオの祈りに生命を吹き込んでいます。
「創世記」の冒頭によると、神は天地創造に六日を費やし、一日を安息(休息)に当て給いました。これに因んでユダヤ・キリスト教では、七をひとつの周期と考えます。したがって七の次の数である八は、新しい周期の始まりを象徴します。本品のクールは八角形ですから、ロザリオの祈りがクールを通過するたびに新しい玄義が始まる様子が、クールの形態によっても分かりやすく可視化されています。
本品のクールはスカプラリオのメダイとなっており、一面にカルメルの聖母を、もう一面にサクレ=クール(仏 le Sacré-Cœur 聖心)のキリストを浮き彫りにしています。
幼子イエスを膝に乗せたカルメルの聖母は、強い光輝を発する大きな冠を被っています。聖母子を取り囲む雲は、聖母と幼子が天上に昇った後も地上の罪びとに目を向けて、スカプラリオに象徴される愛と救いを差し出しておられること、すなわち神の愛の永遠性、不変性を表しています。
もう一方の面には、左手で聖心を示しつつ、右手を挙げて罪びとたちを祝福するキリストの姿が刻まれています。茨に取り囲まれ、十字架を突き立てられて、脇の槍傷から血を流す聖心は、人知を絶する愛の炎を噴き上げ、強烈な光輝を発して燃えています。
拡大写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。いずれの面の浮き彫りも精密さのオーダーは数十分の一ミリメートルであり、驚くべき技術を誇るフランス製メダイユ彫刻の一例となっています。
本品のクルシフィクス及びクールは、メダイユ彫刻家フィルマン・ピエール・ラセール(Firmin Pierre Lasserre, 1870 -
1943)の作品です。フィルマン・ピエール・ラセールは、1870年6月6日、ピレネーの西端近くの小村バロート=カミュ(Barraute-Camu アキテーヌ地域圏ピレネー=アトランティック県)に生まれました。画家、彫刻家でもあったメダイユ彫刻家エメ・ミレ(Aimé
Millet, 1819 - 1891)、及び画家アルベール・ブレオテ(Albert Bréauté, 1853 - 1939)に師事し、1921年のサロン展で銅メダル、1923年のサロン展で銀メダル、1927年のサロン展で金メダルを受賞しました。またレジオン・ドヌール章シュヴァリエを贈られています。
当店の消費
当店の商品
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フィルマン・ピエール・ラセールの作風は、たいへん優しく嫋(たお)やかな雰囲気を特徴とします。上の写真の商品はいずれも販売済みで、現在在庫していませんが、本品と同様の温かさは写真からも感じ取っていただけます。
本品をはじめとするシャプレ・デ・ミシオン(仏 chapelet des missions 宣教のシャプレ)は、五色のピーズを特徴とします。本品のビーズは直径約五ミリメ-トルのガラス製で、緑はアフリカの森林と草原を、青は太平洋の島々を取り囲む海を、白は教皇の聖座があるヨーロッパを、赤は南北アメリカの宣教師を迎えた試みの火を、黄色は太陽が昇る東方、アジアの朝を象徴します。ビーズはすべて揃っており、特筆すべき破損や欠損はありません。ガラスの透明度は高く、きらきらと輝いています。ひとつひとつのビーズは手作業で研磨されており、手間をかけた丁寧な作業に驚かされます。
この「宣教のロザリオ」は数十年前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い年代に関わらず保存状態は良好です。特筆すべき問題は何もありません。わが国をはじめ世界各地で働く宣教師や修道者のための祈りにも、通常の「シャプレ・ド・ラ・ヴィエルジュ」と同様にロザリオの祈りにも、お使いいただけます。