銀無垢の高級品 リュドヴィク・ペナン、ジャン=バティスト・ポンセ作 《神に全てを委ねたマリア ベルナデットの心眼が見た聖母》 光の中に立つ無原罪の御宿リのメダイ 直径 18.4 mm


突出部分を除く直径 18,4 mm

フランス  1900 - 30年代



 ピレネー山中に出現し給うた無原罪の御宿リ、ノートル=ダム・ド・ルルド(仏 Notre-Dame de Lourdes ルルドの聖母)を、初々しい少女の姿に仮託した美しいメダイ。両面の浮き彫りは高名なメダイユ彫刻家二名によります。





 本品は二十世紀前半のフランスで制作された品物で、最も高級な信心具の素材である銀を使用しています。純度八百パーミルの銀を示す「蟹」の検質印と、ブルターニュの銀細工工房のマークが、上部の環に刻印されています。一方の面には少女時代の聖母マリアの横顔を浮き彫りにし、執り成しを願うフランス語の祈りで囲んでいます。

  Notre-Dame de Lourdes, priez pour nous.  ルルドの聖母よ、われらのために祈りたまえ。


 神によって花嫁に選ばれた少女は、簡素な衣に純白の薄絹のヴェールを身に着け、視線をまっすぐ前方に向けています。マリアの横顔は清冽な美を湛えていますが、それは神の摂理に全てを委ねた野の百合(マタイ 6: 25 - 34、ルカ 12: 22 - 34)の美であり、受胎を告知するガブリエルに対して「お言葉通りこの身に成りますように」(ルカ 1: 38)と答えた信仰の形象化に他なりません。





 浮き彫りの最下部、メダイの縁に近いところに、リヨンの彫刻家ペナンとポンセの名前(PENIN, PONCET)が刻まれています。ペナンとはフランス・カトリック界を代表するメダユール(仏 médailleur メダイユ彫刻家)のひとり、リュドヴィク・ペナン(Ludovic Penin, 1830 - 1868)のことです。リュドヴィク・ペナンは教皇直属のメダユールに選ばれた優秀な芸術家でしたが、惜しくも三十代で夭折しました。





 リュドヴィク・ペナンのメダイユ彫刻は素朴な作風ですが、本品はリュドヴィク・ペナンの没後、同郷の芸術家ジャン=バティスト・ポンセ(Jean-Baptiste Poncet, 1827 - 1901)によって、原作が有する清冽な敬虔性を尊重しつつも、都会風、二十世紀風の洗練を加えられています。リュドヴィク・ペナンが年若くして没したのち、ジャン=バティスト・ポンセはペナンによる数多くの作品を美しいメダイとして復活させました。それらの作品にはペナンとポンセの名前が並んで刻まれています。





 ルルドの聖母はロザリオの聖母とも呼ばれます。ロザリオにおいては、受胎告知の際の天使祝詞が主な祈りの言葉となります。しっかりと目を見開いて前を見つめる少女マリアは、自らがエヴァの子孫でただ一人、無原罪の御宿リとして生まれてきたことの意味を神に問うているように見えます。静かに結んだ口元には、神の摂理に身を委ねる少女の激しい愛と無条件の信仰が表れています。





 メダイのもう一方の面には、マサビエルの岩場における聖母出現の場面が、浮き彫りで表されています。

 ルルドを貫流するポー川(le gave de Pau)の岸辺に、現地で話されるガスコーニュ語ビゴール方言でマサビエラ(massavielha 古い岩塊、の意)と呼ばれる高さ二十七メートルの岩場があります。この岩場は巨大な石灰岩の塊で、基部にポー川の浸食を受けて、高さ 3.80メートル、奥行 9.5メートル、幅 9.85メートルのグロット(仏 grotte 洞穴、岩に開いた大きな横穴)を生じています。洞穴に向かって立つと右上方に縦長の開口部があって、開口部の奥は下の洞穴に繋がっています。ベルナデット・スビルーが幻視した少女マリアは、この開口部に立っていました。若き聖母に指示されたベルナデットが、洞穴内の土を手で掘ったところ泉が湧き出して、多数の病人に奇跡的な治癒効果を発揮しました。


 ファビシュの聖母像


 ルルドのグロットの右上方、ベルナデットが聖母の姿を見た開口部には、聖母出現から六年が経った 1864年に、リヨンの高名な彫刻家ジョゼフ=ユーグ・ファビシュ(Joseph-Hugues Fabisch, 1812 - 1886)の手による聖母像が安置され、現在に至っています。ファビシュの聖母像は大理石製で、1853年 3月25日、十六回目の出現の際にベルナデットに名を問われ、「わたしは無原罪の御宿りです」と答えたときのマリアを表現しています。





 ファビシュは無原罪のマリアをロサ・ミスティカ、棘の無い神秘の薔薇として表現しており、聖母の両足の上には金色の薔薇の花が取り付けられています。ルルドの聖母は裸足で、茨の茂みに出現し給いました。茨(薔薇)の棘は罪を象徴します。したがって聖母が棘に傷つき給わないという事実は、聖母の罪の無さ、無原罪性を象徴的に表します。

 聖母の図像表現において、茨を踏む裸足は無原罪性を最も良く象徴する部位です。それゆえここに薔薇を咲かせたファビシュの聖母像は、神学的背景を巧みに可視化していると言えます。リュドヴィク・ペナンはファビシュの彫刻を写したわけではないので、本品メダイの聖母像には台座がありません。しかしながらペナンはファビシュの優れたアイデアを踏襲し、聖母の裸足の両足に二輪の薔薇を咲かせています。


 マサビエル(岩場)のグロットに立つ聖母は、右腕にロザリオを掛け、胸の前に両手を合わせて、目を天に向けています。これは 1858年3月25日、聖母が十六回目に出現し給うたときの様子です。この日ベルナデットが四度続けて名を問うと、聖母は田舎の言葉(ガスコーニュ語ビゴール方言)で「わたしは無原罪の御宿りです」(Que soy era Immaculada Concepciou.)と答え給いました。本品において、この言葉は標準フランス語(イール=ド=フランス方言)に直され、メダイを取り巻くように刻まれています。

  Je suis l'Immaculée Conception.  わたしは無原罪の御宿りです。


 浮き彫りの下部、メダイの縁に近いところに、ペナンとポンセのイニシアル(PP)が刻まれています。





 本品はこの面を内向き(衣服に接する向き)にして、ペンダントとして着用されていたと思われ、突出部分であるペルナデット・スビルー像、及び聖母像が滑らかに摩滅しています。アンティークメダイに見られる突出部分の摩滅は、本品のメダユールであるペナンとポンセが恐らく想定しなかったであろう美的効果を本品にもたらしています。

 ベル・エポック期頃までのフランスのメダイユ彫刻は、古典的写実性を旨とします。しかしながら細部まで克明に描写された美術作品が鑑賞者に示されるとき、鑑賞者の精神と作品の間には相互作用が成立せず、前者は後者をただ受動的に受け入れざるを得ません。美術作品の鑑賞者から見れば、細部まで描写済みの作品は、鑑賞者との交流を拒み、鑑賞者とは無関係に自存する外界です。それは他者によって固定された「生命の無い所与(データ)」にすぎません。生命の無い所与は「観察」の対象にはなり得ますが、「鑑賞」の対象とはなりません。なぜなら「鑑賞」が成立するためには、鑑賞者の精神が美術作品のうちに入り込み、いわば生命の共振が起こらなければならないのに、生命の無い所与は生きて働く精神に合わせて形を変えることができないからです。

 これに対して意図的な作風によるにせよ、摩滅や経年変化に拠るにせよ、細部がぼかされた美術作品は、鑑賞者の精神がそのうちに入り込む余地を残しています。鑑賞者の想像力が自らの力で作品の細部を補い、完成するとき、鑑賞者と作品の間には、あたかも他の人物との間におけると同様に、人格的関係が成立します。本品においても、メダイを鑑賞者する人の心眼は、摩滅して見えなくなった細部を自発的に補い、ペナンとポンセが作った後で時が摩滅させた作品を、彫刻家とともに再び完成させるのです。アンティーク品に見られる突出部分の摩滅は、そのような心眼の能力と働きを、鑑賞者から自然に引き出します。ここに鑑賞者と作品の人格的関係が成立します。





 突出部分の摩滅がもたらしたもう一つの効果は、聖母出現の出来事を描写する本品メダイの浮き彫り彫刻が、細部の消失により、却って歴史的忠実性を手に入れていることです。

 ルルドの聖母に見(まみ)えたベルナデット・スビルーは、心眼で聖母を幻視したのであって、聖母は現実に(レアリテルに、物体として)ルルドに出現したわけではありません。ベルナデットがマサビエルの岩場で聖母を幻視している間、周囲には何百人もの見物人が集まりましたが、ベルナデット以外の人に聖母は見えませんでした。さらに、ベルナデットは自分が見ている物が聖母であるとは思わず、かといって何を見ているのかもわからずに、出現物を「あれ」(aquello)と呼んでいました。ベルナデットはカトリックとして育ちましたから、ルルドの聖母が聖画や聖像で見るような姿をはっきりと顕わしていれば、自分が聖母の出現を目撃していると分かったはずです。しかしながら岩場に幻視した「あれ」は明瞭な輪郭を持たず、ベルナデット自身さえ、その正体を知らなかったのです。

 筆者(広川)は不可視の幻視を分かりやすく形象化する聖画像に、美術品としての充分な存在意義を認めます。しかしながらベルナデットの「あれ」をメダイユ彫刻として再現するのであれば、ともすればキッチュ(俗悪)とも見られかねない細密描写によるよりも、滑らかに摩滅し、光に包まれた聖母像による方が、ベルナデットの心眼が捉えた「あれ」の描写に一層近く、相応しいでしょう。このような理由に基づき、本品は長い時を経てアンティーク品になることで、より一層優れた精神性、すなわち不可視の宗教的事象までも再現しうる優れた描写性を備えるようになった、と筆者は考えます。





 上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。





 本品はいずれの面の浮き彫りもたいへん美しく、ルルドの聖母を刻んだ数あるメダイのなかでも、美術工芸品の水準に達する作品のひとつです。歳若きマリアの信仰という目に見えない価値を、少女の表情のうちに可視化した浮き彫りは、リュドヴィク・ペナンとジャン=バティスト・ポンセが有する優れた芸術的感覚、及び職人的技量の賚(たまもの)です。

 本品は八十年ないし百年ほど前にフランスで制作された真正のアンティーク品です。昔のフランス、特に第一次世界大戦前のフランスにおいて、銀無垢製品は極めて高価で、普通の人にはなかなか手に入れられませんでした。高名なメダイユ彫刻家による銀無垢メダイの本品には、最高のメダイこそ聖母に相応しいと考えた当時の人の、真摯な信仰心が籠められています。突出部分の摩滅は本品により深い精神性を与えており、レプリカでは決して備わらない歴史性を帯びたアンティークならではの一品となっています。





本体価格 18,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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