稀少品 アルマン・オーギュスト・カケ作 《ルルドの聖母よ、われらのために祈り給え》 第二帝政期のブロンズ製大型メダイ 直径 32.7 mm


突出部分を除く直径 32.7 mm

重量 14.4 g


フランス  1864年頃



 最初期に属するルルドの聖母のメダイ。ルルドでは、1864年4月、ジョゼフ=ユーグ・ファビシュの聖母像がマサビエルの岩場に安置されました。本品はそれと同時期に制作された作品と思われます。

 本品の浮き彫りを制作したのは、フランス皇帝ナポレオン三世のメダユール・オフィシエル(仏 médailleur officiel 公式のメダイユ彫刻家)であったアルマン・オーギュスト・カケ(Armand Auguste Caqué, 1795 - 1881)です。素材はブロンズで、32ミリメートルを超える直径があります。十四・四グラムの重量は五百円硬貨二枚分強に相当し、手に取ると心地良い重みを感じます。





 メダイの表(おもて)面には、右腕にロザリオを掛けた聖母の立ち姿が浮き彫りにされています。1853年 3月25日、十六回目の出現の際、少女ベルナデットが四回繰り返して聖母に名前を問うと、聖母は目を天に向け、両手を胸の前で組んで、「わたしは無原罪の御宿りです」と答えました。本品に表されているのは、このときの聖母の姿です。ノートル=ダム・ド・ルルド(ルルドの聖母)に執り成しを願う祈りが、イール=ド=フランスのフランス語(標準フランス語)で刻まれています。

  Notre-Dame de Lourdes, priez pour nous.  ルルドの聖母よ、我らのために祈りたまえ。


 ルルドの岩のくぼみには、ベルナデットに答えて名乗り給うたときの聖母の様子が、カッラーラ産の着色大理石像となって安置されています。本品には標準フランス語が刻まれていますが、ルルドの聖母が実際に話し給うたのは、ベルナデットに解することのできる田舎の言葉(ガスコーニュ語ビゴール方言)でした。ルルドの現地にある大理石像の足下には、「わたしは無原罪の御宿りです」(Que soy era Immaculada Concepciou.)という聖母の言葉が、ビゴール方言で表示されています。この表示は 1913年に付加されたものです。




(上) 小さな聖母像が安置されたマサビエルの岩場。1863年に撮影された写真。


 マサビエルの岩場にあるルルドの聖母像は、聖母出現から六年が経った 1864年に、リヨンの高名な彫刻家ジョゼフ=ユーグ・ファビシュ(Joseph-Hugues Fabisch, 1812 - 1886)が制作したものです。

 1863年7月、ド・ラクール姉妹(Marie-Elfride et Marie-Sabine de Lacour)という二人の女性が、リヨンからルルドを訪れました。ド・ラクール姉妹は自分たちの財産を慈善のために使おうと考えており、ルルドの岩場に小さな聖母像が置かれているのを目にして、ここに立派な像を寄進しようと考えました。姉妹はジョゼフ=ユーグ・ファビシュに像の制作を依頼することにしました。ジョゼフ=ユーグ・ファビシュは偉人の胸像や多数の聖人像、祭壇彫刻の作者です。バジリク・ノートル=ダム・ド・フルヴィエールの鐘楼に立つ金色の聖母像も、ファビシュの作品です。


 ファビシュは九月十七日にベルナデットと面会して聖母に会ったときの様子を聞き取り、翌日からスケッチに取り掛かりました。九月二十日にはベルナデットとともに岩場に出向き、聖母出現の窪みに厚紙のスケッチを立てて印象を確かめています。ファビシュはリヨンに戻って試作品を制作し、十一月になって完成した試作品の写真をド・ラクール姉妹とルルドの司祭に送ると、すぐに大理石像の制作に取り掛かりました。

 翌年三月三十日、ファビシュは完成した大理石像とともにルルドを訪れました。ところがベルナデットはファビシュの像を見て「こんなのじゃない」と言います。後になってファビシュはこのときのことを振り返り、「私の芸術家人生で最大の悲しみであった」と述懐しています。しかしながらベルナデットの否定的な反応は公には伏せられ、この五日後の四月四日、大理石の聖母像は十万人以上が参加する行列に運ばれて、マサビエルの岩場に安置されました。


 ファビシュの聖母像


 ファビシュは優れた彫刻家であり、リヨン高等美術学校の教授でもありました。ファビシュが自信を以て制作した作品がベルナデットの気に入らなかったのは一見したところ不思議にも思えますが、これは仕方のないことでした。筆者(広川)はジュエリー制作の注文も承っていますが、お客様から満足がいただけずに困った経験があります。「尊敬する先輩が身に着けていたジュエリーと同様のものを作って欲しい」というご依頼でしたが、私はそのジュエリーの実物も写真も見ていません。絵と言葉で説明されて、苦労の末に指示通りの物を作っても、注文主は「まったく違う」と言って満足しません。しかしながら実物見本がある場合はともかく、注文主の頭の中に漠然とあるイメージと同じものを、他人が作れるわけがないのです。

 ファビシュの聖母像に関しても、これと同じことが言えます。ファビシュはベルナデットの頭にあるイメージを具象化しようとしたわけですが、ベルナデットは心眼で聖母を幻視したのであって、聖母は現実に(レアリテルに、物体として)ルルドに出現したわけではありません。ベルナデットがマサビエルの岩場で聖母を幻視している間、周囲には何百人もの見物人が集まりましたが、ベルナデット以外の人に聖母は見えませんでした。さらに、ベルナデットは自分が見ている物が聖母であるとは思わず、かといって何を見ているのかもわからずに、出現物を「あれ」と呼んでいました。ベルナデットはカトリックとして育ちましたから、ルルドの聖母が聖画や聖像で見るような姿をはっきりと顕わしていれば、自分が聖母の出現を目撃していると分かったはずです。しかしながら岩場に幻視した「あれ」は明瞭な輪郭を持たず、ベルナデット自身さえ、その正体を知らなかったのです。




(上) Notre-Dame de Grâce, vers 1340, tempera sur panneau de cèdre, 35,7 × 25,7 cm, Cathédrale Notre-Dame de Grâce, Cambrai


 ファビシュには最も美しい聖母像を作ろうという意気込みがありました。作るべき像のイメージを話し合う際、ファビシュは数々の複製画をベルナデットに見せて、意見を聞いています。この事実からも、ファビシュが伝統に沿って表現された聖母像を前提としていたことがわかります。

 ちなみにこのときベルナデットは、カンブレ司教座聖堂ノートル=ダム・ド・グラスにある「憐みの聖母」(Notre-Dame de Grâce)のイコンに目を留め、自分が見た聖母とは違うが、僅かに似たところがあると言いました。しかしながらどの点がどう似ているのかということはベルナデットにしかわからなかったし、言葉にして説明するのは不可能だったでしょう。


 このような事情を背景に制作されたファビシュの像は、ベルナデットが抱くイメージとは当然のことながら異なっていて、彼女からは評価されませんでした。しかしながら筆者(広川)は、ベルナデットから評価されなかったからと言って、ファビシュの功績が無に帰するとは思いません。

 ベルナデットの心眼が捉えた聖母の姿を大理石像に写すことは、どれほど優れた芸術家の手によっても、その芸術家がベルナデットとは別人である限り、原理的に不可能です。ルルドの聖母像に限らず、宗教美術全般についても同様のことが言えます。不可視なるものを可視化することは、そもそも不可能なのです。しかるにカトリック教会はそのことを踏まえつつ、宗教美術の振興に力を入れています。この姿勢の背景になっているのは、キリスト教の神は「哲学者の神」ではなく、罪びとを救うために三次元のこの世界に、現実に(レアリテルに、すなわち骨肉を備えた人物として)降誕し給うた神である、という信念です。それゆえファビシュはマサビエルに安置した大理石像に続き、四年後の 1868年には、ルルドのバシリカに安置される無原罪の御宿リ像も制作しています。

 ファビシュを始め、ベルナデットではない人が、ベルナデットの心眼を通して、ベルナデットが見たのと同じ聖母に見(まみ)えることはできません。ファビシュの像はファビシュの心眼が見た聖母です。その像を見る人も、各自の心眼により、ファビシュの像を通して、それぞれの聖母を見ればよいのです。





 本品に浮き彫りにされた聖母は四角い台座の上に立っていて、生身の聖母を写したというよりも、むしろ聖母像を写したように見えます。本品に浮き彫りにされた聖母は、おそらくマサビエルの岩場に立つ聖母像をイメージしているのでしょう。

 マサビエルの岩場に立つ聖母像は左右の足に金の薔薇を咲かせていますが、本品の聖母の足に薔薇は咲いていません。またファビシュは聖母像の顔をわずかに上向きにし、天を仰ぐ姿勢を執らせました。ベルナデットは聖母の眼差しが上向きであったと言いましたが、顔全体を上に向けたとは言いませんでしたから、聖母像の顔を上向き加減に作ったのはファビシュ独自の美的判断によります。ベルナデットがファビシュの聖母像を気に入らなかったのは、一つにはこのためかもしれません。これに対して本品の聖母の顔は、やや下向き加減に彫られています。このため聖母は洞窟の下にいるベルナデット、及び周囲に集まった人々に眼差しを注いでいるように見えます。マサビエルの岩場の高所に安置する像としては、こちらの方が良かったかもしれません。





 マサビエルの岩場に安置された大理石像には、台座の右端に「ファビシュ」(FABISCH)と署名されています。一方、本品の聖母像には、台座の左端に「カケ」(CAQUÉ)の署名があります。

 ルルドに聖母が出現したとき、フランスはナポレオン三世を元首とする帝国でした。アルマン・オーギュスト・カケ(Armand Auguste Caqué, 1795 - 1881)は帝国のメダユール・オフィシエル(仏 médailleur officiel 公式のメダイユ彫刻家)で、歴代のフランス国王や皇帝、その親族など、要人の浮き彫り像を多く制作しています。カケの作品に宗教的モチーフのものは非常に珍しく、筆者(広川)がこれまでに目にしたのは本品が唯一の例です。





 メダイの裏面には、マサビエルの洞窟を訪れる人々が浮き彫りにされています。岩場の高所にある洞窟の入り口には、ファビシュの聖母像が置かれています。浮き彫りの周囲には、「ルルドの洞窟における聖母出現 1858年」(L'Apparition de la Sainte Vierge dans la Grotto de Lourdes, 1858)とフランス語で書かれています。





 本品には「1858年」の文字がありますが、これは聖母出現の年であって、本品の制作年ではありません。本品が制作されたのは、1864年頃と考えられます。

 第二帝政時代のフランスは、ローマ問題に手を焼いていました。当時のローマ教皇領は縮小に次ぐ縮小を重ね、遂にローマを残すのみとなりつつも、第二共和政時代から続くフランス軍の進駐により、イタリア王国からの独立を辛うじて保っていました。第二帝政政府、あるいはナポレオン三世はローマから手を引きたがっていましたが、ローマからフランス軍を撤退させると、国内のカトリック勢力の反発を招く可能性がありました。一方ルルドでは聖母出現の岩場に人が近づけないように障壁が設置されていましたが、聖母出現を信じる信仰深い人々は障壁の撤去を望んでいました。それゆえ教皇への軍事的援助を中止しても、その代わりにルルドの障壁を撤去すれば、カトリック勢力からの反発を和らげることができる見込みがありました。

 このような状況の下、ルルドの岩場を塞ぐ障壁は撤去されました。洞窟の入り口に小さな聖母像が置かれ、1864年にそれがファビシュの大理石像に置き換わったのは、既に見た通りです。ローマ問題に関しては、ファビシュの像がマサビエルに安置されたのと同じ 1864年に、イタリア王国がフランス帝国に対してヴァティカンの主権尊重を確約し、フランスはローマから軍を引き上げることができました。

 本品が制作されたのは、このような時代でした。ナポレオン三世のメダユール・オフィシエル(公式メダイユ彫刻家)であるアルマン・オーギュスト・カケによって本品が制作されたという事実は、カトリック寄りに傾斜した第二帝政期フランス政府の姿勢を反映しています。





 本品は第一帝政期のメダイユにも似て古典主義的な雰囲気の作品ですが、裏面の浮き彫りには十九世紀後半にふさわしい自然主義的描写が見られます。ごつごつした岩のテクスチャは実際の三次元的凹凸を伴い、メダイの大きなサイズと相俟って、マサビエルのグロットを眼前に見るかのような臨場感を有します。





 上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。聖地に集まる人々は後姿しか見せていませんが、服装の襞や髪の流れまで再現されています。一人ひとりの体は幅一ミリメートルほどの極小サイズですが、どの人も手を抜かずに彫られています。





 本品は百五十年以上前に制作された真正のアンティーク品ですが、古い品物であるにもかかわらず、極めて良好な保存状態です。アルマン・オーギュスト・カケが宗教をテーマに制作したメダイは非常に珍しく、筆者自身も本品以外の作例を見たことがありません。本品は美しい浮彫が芸術的価値を有するとともに、カケの作品であるという事実により、フランス第二帝政の内政と外交に関する貴重な実物資料ともなっています。





32,800円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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