悔悛のガリアの重厚なメダイ 《ヴェロニカの布と、共贖のマーテル・ドローローサ 38.6 x 29.2 mm》 真鍮の摩滅によるアケイロポイエートン フランス第二帝政期頃 十九世紀中頃ないし後半


突出部分を含む縦横のサイズ 38.6 x 29.2 mm  最大の厚み 2.3 mm  重量 9.0 g



 一方の面にヴェロニカの布を、もう一方の面に悲しみの聖母を浮き彫りにした重厚なメダイ。いまから百数十年前、第二帝政期(1852 - 1870年)または第三共和政初期頃のフランスで制作された品物です。百円硬貨二枚分に近い重量があり、手に取ると心地よい重みを感じます。





 一方の面には、マーテル・ドローローサ(羅 MATER DOLOROSA 悲しみの聖母)が浮き彫りにされています。聖母はウィンプル(頭巾)を被り、粗末な縄のベルトを身に着けた修道女の姿で表されています。聖母に執り成しを求めるラテン語の祈りが、浮き彫りを囲むように打刻されています。

  VIRGO SEPTEM DOLORUM, ORA PRO NOBIS.   七つの悲しみの童貞(おとめ)よ、我らのために祈りたまえ。





 古代の教父たちは聖母の優れた信仰を強調し、救済の経綸を完全に理解していたマリアは、イエスの受難に際しても悲しまなかったと考えました。

 イエスは金曜日に十字架上で亡くなり、日曜日に復活しました。十二使徒をはじめ大勢いた弟子たちのほとんどは、官憲を恐れ、イエスを十字架につけよと叫んだ群衆を恐れて、この間どこかの建物内に隠れていました。いっぽう聖母は弟子たちとは違って、イエスの勝利と復活を揺るぎなく信じ、悲しみも恐れも抱かなかったと、古代教会の教父たちは考えました。古代以来、金曜日と日曜日に挟まれた土曜日がマリアの日とされるのは、マリアの卓越した信仰がこの日に現れたと考えられたからです。





 しかしながらいくら信仰深いとはいえ、生身の人間であり心優しい女性であったマリアは、十字架上に刑死する息子を見て、死ぬほどの悲しみを味わったと考えるのが人情でしょう。

 教父時代にはキリストの受難にも動じなかったとされていた聖母は、中世の受難劇において、恐ろしい苦しみと悲しみを味わう母として描かれるようになります。十二世紀の修道院において聖母の五つの悲しみが観想され、1240年頃にはフィレンツェにマリアのしもべ会が設立されました。同じ十三世紀には、ヤコポーネ・ダ・トーディ(Jacopone da Todi, c. 1230 - 1306)がスターバト・マーテル(羅 "STABAT MATER")を作詩しています。十四世紀初頭にはイエスの遺体を抱いて離さないピエタの聖母像が表現されるようになりました。

 聖母の悲しみの数は十四世紀初頭に七つとなって定着しました。本品の浮き彫りに表された七本の剣は、聖母の七つの悲しみを可視化ています。生命と愛の座である心臓は、信仰すなわち神に向かう愛の座でもあります。その心臓を刺し貫く剣は聖母の生命と信仰に止めを刺すかのように見えますが、聖母は天を仰ぎつつ両手を組んで祈り、恐ろしい試練に耐えています。





 十四世紀に七つの悲しみを伴って表されるようになった聖母は、十字架の下に立ってキリストと共に苦しんだゆえに、十五世紀になると共贖者(羅 CORREDEMPTRIX)、すなわちキリストと受難を分かち合い、力を併せて救世を実現した方と考えられるようになりました。マリアを共贖者と見做すのは主にフランシスコ会の思想で、ドミニコ会はこれに抵抗しました。しかしドミニコ会はマリアが悲しまなかったと考えたわけではありません。トマス・アクィナスの師で、トマスと同じくドミニコ会士であったアルベルトゥス・マグヌス(Albertus Magnus, + 1280)は、預言者シメオンの言う「剣」(ルカ 2: 35)をマリアの悲しみの意に解し、キリストが受け給うた肉体の傷に対置しました。

  聖母の悲しみは、イエスの受難において極点に達しました。アルマ・クリスティーのうち、受難を最もよく象徴するのは十字架ですが、本品メダイのもう片面に彫られているヴェロニカの布も、よく知られたアルマ・クリスティーのひとつです。すなわち本品は受難し給うキリスト、及びイエスと共に悲しみ苦しみ給う聖母マリアのメダイにほかならず、キリストの聖顔と背中合わせに彫られた聖母は、共贖者としてのマリアの姿にほかなりません。





 メダイのもう一方の面にはヴェロニカの布(きぬ)と、その四隅に三本ずつの釘が浮き彫りにされ、周囲の上半を取り巻くように次の言葉がフランス語で打刻されています。

  Regardez la face de Votre Christ.  汝が救い主の御顔を拝すべし。(あなたの救い主の御顔を拝しなさい。)


 三本の釘は救い主の右手、左手、両足を貫いたもので、イエスが被る茨の冠とともに受難を象徴します。釘の数は一組三本のみのはずですが、本品浮き彫りでは合わせて四組十二本が布の四隅に彫られ、神の子羊が担い給うた苦しみを強調しています。





 ヴェロニカの布と呼ばれる聖遺物はあちこちの教会に安置されており、本品の浮き彫りがどの教会の聖遺物をモデルに制作されたのかは不明です。

 筆者(広川)が考えるに、本品のマトリクス(打刻の母型)を彫ったメダユール(メダイユ彫刻家)は、敢えてどの聖遺物にも倣わずに浮き彫りを制作しています。その理由は特定の聖遺物との同定を避けることで、数多いヴェロニカの布が共通して示す信仰の本質を、本品に投影するためでしょう。

 本品は特定の巡礼地を主題にしたメダイではないので、特定の教会が安置する聖遺物を模る必要がありません。ヴェロニカの布とマーテル・ドローローサが表裏となっている本品は、聖母子が共に被り給うた痛みと苦しみを主題にしています。その痛みと苦しみは、本来であれば全ての人が身に受けるべきものであって、特定の場所を訪れる巡礼者にのみ関わる事ではありません。それゆえ本品に彫られたヴェロニカの布は特定の聖遺物に同定される必要がないし、どの聖遺物を模ったのかわからないほうが、却って救いの普遍性に相応しいといえます。





 本品に彫られた救い主の御顔に似た作品を敢えて挙げるならば、クロード・メランの版画に似ています。クロード・メラン(Claude Mellan, 1598 - 1688)はフランスのグラヴール(版画家)で、1649年に制作したライン・エングレーヴィング「ヴェロニカの布」(SUDARIUM ou Le Linge de Sainte Véronique, 1649, 43.3 x 31.7 cm platemark)はよく知られています。

 本品メダイに彫られた救い主の二つに分かれた顎鬚や、太い棘がある茨の冠は、クロード・メランの作品にそっくりです。クロード・メランの作品は特定の聖遺物の再現(模写)ではないので、救いの普遍性を可視化している点で、本品浮き彫りの典拠とするに適しています。ただし本品のメダユール(彫刻家)がクロード・メランに倣ったかどうか、実際のところは不明です。





 ヴェロニカの布に転写された救い主の顔は、本品においてもともと細部まで作り込まれていませんし、浮き彫りの突出部分が摩滅することで、さらに不鮮明になっています。これはきわめて古い物と主張される聖遺物の状態によく合致しています。

 中世まで遡ることが可能な伝承によると、ヴェロニカの布(きぬ)は人工物(絵画)ではなく、キリストが布で顔を拭った際に、その顔が超自然的に布に転写されたものです。それゆえヴェロニカの布はギリシア語でアケイロポイエートン(希 ἀχειροποίητον)、人の手で作られたのではない物と呼ばれます。

 本品メダイの浮き彫りは彫刻家の手による作品であって、奇蹟で生じた物品ではありません。しかしながら歳月を経るに従って本品が摩滅し、その過程で獲得した唯一無二の歴史性は、人の手によって与えられたものではありません。その意味で、本品が有するアンティーク品としての重厚さは、アケイロポイエートンであるといえます。細部が摩滅し不鮮明になる過程で、図らずも本品は古き聖遺物にいっそう近似していきました。本品が有するこの近似性もまた、人の手によらざるアケイロポイエートンと呼ぶことができましょう。




(上) 聖務日課書を持つリジューの聖テレーズ。向かって右のページにヴェロニカの布が刷られています。


 イエスを十字架で苦しめたことを償おうとする信心において、聖顔(仏 la Sainte Face)は大きな意味を持ちます。

 本品は第二帝政期(1852 - 1870年)の前後にフランスで制作された品物です。第二帝政期はカトリック教会が力を盛り返した保守的な時代でした。第二帝政が始まる直前の 1849年1月6日、主のご公現の祝日に、サン・ピエトロ聖堂でこの聖遺物が公開されたとき、拝観に集まった大勢の信徒たちの目の前で、ヴェロニカの布に転写された救い主の聖顔が突然鮮明度を増し、しかも立体的に浮き出て、救い主の顔を完全に再現するという奇跡が起こりました。

 1864年9月18日、聖心の信仰で知られるマルグリット=マリがローマで列福され、1867年8月には第九十八書簡が公開されました。1871年、普仏戦争の敗戦後に起きたコミューンの混乱を経て、フランスの政体は第三共和政に変わりましたが、悔悛のガリア(羅 Gallia pœnitens/pænitens)の思想は信仰深い人々の心に訴求し続け、聖顔と聖心の信心はますます力を持ちました。

 上の写真は聖務日課書を持つリジューの聖テレーズで、1897年6月7日に撮影されました。テレーズは聖務日課書(修道者用の祈祷書)の挿絵を示しており、左側のページには聖心を示す幼子イエス像、右側のページにはヴェロニカの布が見えます。聖務日課書に載っているヴェロニカの布はヴァティカンの聖遺物で、本品メダイに彫られた聖顔とは意匠が異なりますが、聖顔の聖テレーズ(仏 Ste. Thérèse de la Sainte Face)と名乗った聖女が聖心と聖顔を示す写真は、本品メダイが制作された当時、フランスのカトリック界を支配していた精神的雰囲気を分かりやすく示しています。





 上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりも一まわり大きなサイズに感じられます。











 本品は百数十年前のフランスで制作された古い品物ですが、マーテル・ドローローサの浮き彫りは突出部分まで良く残っています。ヴェロニカの布に見られる不鮮明な部分は、メダイユ彫刻家が意図した意匠によるものか、制作者が意図しない摩滅によるものか、いずれであるか不明ですが、制作者が意図しない摩滅によるとすれば、伝承されるヴェロニカの布と同様に、本品はアケイロポイエートン(希 ἀχειροποίητον 人の手で作られたのではない物)である、といえます。





本体価格 22,000円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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