精緻な浮き彫り彫刻による美しいメダイ。グスマンの聖ドミニコ (St. Domingo de Guzman, 1170 - 1221) をテーマに、リヨンのメダイユ彫刻家リュドヴィク・ペナン(Ludovic Penin, 1830 - 1868)が制作した作品です。
一方の面には、ドミニコ会の白い修道衣と黒いマントをまとい、書見台に向かう聖ドミニコを浮き彫りにしています。聖人は大型本を書見台に立て掛けて、右手の指先で文字をなぞりつつ、左手を胸に当てて祈っています。聖人のまなざしは書物ではなく、むしろ受難し給う主のクルシフィクスに注がれています。ドミニコに執り成しを願うラテン語の祈りが、聖人を取り囲むように刻まれています。
SANCTE DOMINICE, ORA PRO NOBIS. 聖ドミニコよ、我らのために祈りたまえ。
ドミニコは学究肌の人でしたが、神学を研究していた 1199年にスペインに大飢饉が起こると、貴重品である羊皮紙の写本までもすべて売り払い、飢えに苦しむ貧者たちへの喜捨に充てました。学究の徒であるドミニコが本を手放したことに友人たちが驚くと、ドミニコは「人々が飢え死にしつつあるときに、死んだ動物の皮から学べと私に言うのか」と答えました。
それゆえ本品の浮き彫りにおいて、本を前にして主を見上げるドミニコの姿は、知よりも愛に生きる聖人の魂を表しています。あるいはこの本がドミニコ会の会則であるとすれば、右手で文字を押さえつつ左手を胸に当てる聖人の仕草は、ドミニコ会の会則が主イエス・キリストと貧者への愛を文字に書き記したものに他ならないことを示しています。
上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。聖人の顔や手は二ミリメートル前後の極小サイズですが、大型の浮彫彫刻に比べても遜色のない正確さで彫られているばかりか、聖人の表情と全身の姿からは、深い愛と篤い信仰が溢れています。
メダイユ彫刻家リュドヴィク・ペナン (Ludovic Penin, 1830 - 1868)、及びジャン=バティスト・ポンセ (Jean-Baptiste Poncet, 1827 - 1901) のサインが、書見台の下に刻まれています。ペナンと同郷の芸術家であるポンセは、早逝したペナンが残した数多くの作品に手を加え、新しい生命を吹き込んで世に送り出しました。本品もそのような作品の一つです。
もう一方の面には、末端がフルール・ド・リスとなった十字架、盾形の紋章、王冠を重ねて浮き彫りにしています。中央の盾には、カルメル山を背景に、上部に六芒星、中ほどに「三輪の百合」と「ナツメヤシの葉」、下部に「燃える松明(たいまつ)を咥(くわ)える犬」とグロブス・クルーキゲル(世界球 頂部に十字架を立てた球体)を刻みます。これらの意匠を取り囲むように、次の言葉がラテン語で刻まれています。
LEX VERITATIS FUIT IN ORE EJUS. 彼の口には正しい教えがあった。
これは「マラキ書」二章六節の引用で、原文では「彼の口に正しい律法(トーラー)があった」となっています。「マラキ書」二章六節がここに引用されているのは、聖人が単に「正しいことを語った」という意味ではなくて、聖ドミニコが新約の「愛の律法」を体現して生きた使徒であることを言っています。「レゲンダ・アウレア」の著者であるジェノヴァ司教ヤコブス・デ・ウォラギネ (Jacobus de Voragine, c. 1230 - 1298) は、聖ドミニコに関する説教において「マラキ書」のこの聖句を引用し、「ドミニクスは真理のうちに学び、真理を抱擁したゆえに、彼のうちには真理の法があったのだ」(ipse habuit
legem veritatis, quia in illa studuit et eam amplexatus fuit) と語っています。
十二世紀の西ヨーロッパでは、信仰が形骸化して教会が霊的活力を失っていました。多くの心ある人々は教会内部に留まらず、清貧の生活を送りつつ福音を述べ伝える「使徒的生活」を送ろうとしました。ワルド派やカタリ派はカトリック教会への帰一を拒み、模範的生活によって多くの人々を惹きつけていました。事態を重く見たカトリック教会は、綱紀粛正のための「グレゴリウス改革」に全力で取り組み、使徒的生活を送りつつカトリック教会に留まる人々に修道会の認可を与えました。
ちょうどこの時代に活躍したのが、グスマンの聖ドミニコやアッシジの聖フランチェスコです。ドミニコやフランチェスコは、馥郁とした百合の香気のような徳を以て使徒的生活を実践し、キリスト教史に大きな足跡を刻みました。この面は最下部に「燃える松明を咥える犬」が刻まれ、聖徒ドミニコの激しく能動的な愛を象徴しています。
上の写真に写っている定規のひと目盛は、一ミリメートルです。百合の花、犬、グロブス・クルーキゲル、王冠のアカンサス装飾等の細部まで、一ないし二ミリメートルの極小サイズにかかわらず、大型彫刻と同等の丁寧さで制作されています。
(上・参考画像) Lorenzo Lotto, "Madonna de Rosario e Santi", 1539, olio su tela, 384 x 264 cm, Pinacoteca Comunale ''Donatello Stefanucci'', Cingoli
メダイのこの面に刻まれた十字架の四つの末端は、聖母を象徴するフルール・ド・リス(百合の花)になっており、腕木からは五連のシャプレ(数珠、ロザリオ)が掛かっています。
十二世紀から十三世紀前半、フランス南西部のラングドック地方はカタリ派の勢力圏でした。聖ドミニコはこの地方に滞在し、1206年、プルイユ(Prouille オクシタニー地域圏オード県)に修道院を創設して、カタリ派をカトリック教会に帰一させるべく奮闘しましたが、思わしい成果はなかなか得られませんでした。十五世紀まで遡れる伝承によると、1208年、プルイユにおいて「ロザリオの聖母」が聖ドミニコに出現し、聖人にロザリオを授けました。強力な祈りの武器とも言うべきロザリオを与えられた聖ドミニコと同志たちは、このとき以降、カタリ派の改宗に成果を上げはじめました。
本品は八十年ないし九十年前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い年代にもかかわらず、保存状態は良好です。突出部分に磨滅が見られますが、精緻な浮き彫りは細部までよく残っています。
アンティーク品に特有のめっきの剥がれや変色を、「古色」(パティナ)と呼びます。古色はアンティーク品の製作者が意図したものではないので、瑕疵(かし 欠点)と考える人もいます。しかしながらアンティークの世界において、古色は品物が長い歳月をかけて獲得したアンティーク特有の美と考えられて評価されます。本品の場合も突出部分が摩滅して丸みを帯びるとともに、もともとの銀色にブロンズの温かみが加わり、真正のアンティーク品ならではの美しい古色となっています。