たいへん精緻な彫刻を施したブロンズ製メダイ。グスマンの聖ドミニコ (St. Domingo de Guzman, 1170 - 1221) をテーマに、リヨンのメダイユ彫刻家リュドヴィク・ペナン (Ludovic Penin, 1830 - 1868) が制作した鋳型を使用し、1870年代から
1890年代頃にブロンズを使って鋳造された作品です。
一方の面には、ドミニコ会の白い修道衣と黒いマントをまとい、右手に百合、左手にドミニコ会会則を持つ聖ドミニコの全身像を浮き彫りにしています。聖人像を囲む帯状のマンドーラ(紡錘形の光背)には、執り成しを願う祈りの言葉がラテン語で刻まれています。
SANCTE DOMINICE, ORA PRO NOBIS. 聖ドミニコよ、我らのために祈りたまえ。
百合は「高い徳性」と「神による選び」を象徴します。
12世紀の西ヨーロッパでは、信仰が形骸化して教会が霊的活力を失っていました。多くの心ある人々は教会内部に留まらず、清貧の生活を送りつつ福音を述べ伝える「使徒的生活」を送ろうとしました。ワルド派やカタリ派はカトリック教会への帰一を拒み、模範的生活によって多くの人々を惹きつけていました。事態を重く見たカトリック教会は、綱紀粛正のための「グレゴリウス改革」に全力で取り組み、使徒的生活を送りつつカトリック教会に留まる人々に修道会の認可を与えました。
ちょうどこの時代に活躍したのが、グスマンの聖ドミニコやアッシジの聖フランチェスコです。ドミニコやフランチェスコは、馥郁とした百合の香気のような徳を以て使徒的生活を実践し、キリスト教史に大きな足跡を刻みました。このメダイユにおいて聖人が右手に持つ百合は、神に選ばれた「12世紀の使徒」とも呼ぶべき聖ドミニコの聖性を象徴しています。
聖人の頭上には、星が輝いています。よく知られた聖ドミニコ伝によると、新生児ドミニコが洗礼を受ける際、その額に星が輝くのを、代母が目にしました。それゆえ聖ドミニコの図像では、額あるいは頭上に星が描かれることが多くあります。本品の浮き彫りにおいても、リュドヴィク・ペナンは輝く星を聖人の頭上に配しています。
彫刻家リュドヴィク・ペナンは、マンドーラ(紡錘形)の下部に台を作って聖人像を立たせ、ゴシック風の枠で取り巻いています。壁龕(へきがん)状の空間、正方形とカロリロブ(四つ葉型)を組み合わせた枠は、いずれも聖堂建築を思わせ、メダイをじっと見つめていると、あたかも聖ドミニコに捧げた礼拝堂で、小祭壇の前に立っているかのような錯覚に見舞われます。
マンドーラと外側の枠の間には、向かって左側にナツメヤシの葉、右側に薔薇が浮き彫りにされています。ナツメヤシの葉は勝利の象徴、薔薇は愛の象徴であるとともに聖母の象徴でもあります。
本品の直径は 18.4ミリメートルで、一円硬貨よりも小さなサイズです。上の写真は実物の面積を六十倍に拡大しています。定規のひと目盛は 1ミリメートルです。聖ドミニコの顔には表情があり、手には一本一本の指が丁寧に刻まれていますが、サイズはいずれも
1ミリメートルほどです。八重の薔薇は生花のように活き活きと咲き、すべての葉には鋸歯状の縁と多数の脈管が造形されていますが、各部のサイズはやはり
1ミリメートルほどに過ぎません。19世紀フランスのメダイユ彫刻家の技量は、われわれの想像を絶します。
もう一方の面には、十字架、盾形の紋章、王冠を重ねて浮き彫りにしています。中央の盾には、カルメル山を背景に、上部に六芒星、中ほどに「三輪の百合」と「ナツメヤシの葉」、下部に「燃える松明(たいまつ)を咥える犬」と「グロブス・クルーキゲル」(世界球 頂部に十字架を立てた球体)を刻みます。「燃える松明(たいまつ)を咥える犬」は聖ドミニコの象徴です。
犬の左右にメダイユ彫刻家リュドヴィク・ペナン (Ludovic Penin, 1830 - 1868)、及びジャン=バティスト・ポンセ (Jean-Baptiste Poncet, 1827 - 1901) のサインがあります。ペナンと同郷の芸術家であるポンセは、早逝したペナンが残した数多くの作品に手を加え、新しい生命を吹き込んで世に送り出しました。
ただし聖ドミニコのメダイに関していえば、リュドヴィク・ペナンが存命中の 1850 - 60年代に、リュドヴィク・ペナン単独の署名 (L. PENIN
À LYON) を入れて、全く同じ意匠の作品が鋳造されています。古い時期の作品と同じ意匠であるにもかかわらず、本品にポンセの署名が加わっているのは不思議にも思えますが、これはおそらくペナンの意匠をそのまま使用して、サイズが異なる鋳型をポンセが新しく制作したためでしょう。
上の写真は実物の面積を六十倍に拡大しています。定規のひと目盛は 1ミリメートルです。百合の花、犬、グロブス・クルーキゲル、王冠のアカンサス装飾等の細部まで、1
ないし2ミリメートルの極小サイズにかかわらず、大型彫刻と同等の丁寧さで制作されています。ロザリオの珠もすべて綺麗な半球形に整えられています。
十字架の四つの末端は、聖母を象徴するフルール・ド・リス(百合の花)になっています。十字架の腕木からは五連のシャプレ(数珠、ロザリオ)が掛かっています。
12世紀から13世紀前半、フランス南西部のラングドック地方はカタリ派の勢力圏でした。聖ドミニコはこの地方に滞在し、1206年、プルイユ(Prouille オクシタニー地域圏オード県)に修道院を創設して、カタリ派をカトリック教会に帰一させるべく奮闘しましたが、思わしい成果はなかなか得られませんでした。15世紀まで遡れる伝承によると、1208年、プルイユにおいて「ロザリオの聖母」が聖ドミニコに出現し、聖人にロザリオを授けました。強力な祈りの武器とも言うべきロザリオを与えられた聖ドミニコと同志たちは、このとき以降、カタリ派の改宗に成果を上げはじめました。
(下・参考画像) Lorenzo Lotto, "Madonna de Rosario e Santi", 1539, olio su tela, 384 x 264 cm, Pinacoteca Comunale ''Donatello Stefanucci'', Cingoli
メダイの周囲には、連続する点でミル打ちを模した帯があり、「マラキ書」 2章 6節の言葉がラテン語で刻まれています。
LEX VERITATIS FUIT IN ORE EJUS. 彼の口には正しい教えがあった。
「マラキ書」のこの聖句は、原文では「彼の口に正しい律法(トーラー)があった」となっています。この聖句は、聖人が単に「正しいことを語った」という意味で引用されているのではなくて、聖ドミニコが新約の「愛の律法」を体現して生きた使徒であることを言っています。「レゲンダ・アウレア」の著者であるジェノヴァ司教ヤコブス・デ・ウォラギネ (Jacobus de Voragine, c. 1230 - 1298) は、聖ドミニコに関する説教において「マラキ書」のこの聖句を引用し、「ドミニクスは真理のうちに学び、真理を抱擁したゆえに、彼のうちには真理の法があったのだ」(ipse habuit
legem veritatis, quia in illa studuit et eam amplexatus fuit) と語っています。
本品は百年以上前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い年代にもかかわらず、鋳造当時のままの驚くべき保存状態です。突出部分にも磨滅は無く、本品の特徴である精緻な浮き彫りは全く損なわれていません。