フランスのメダイユ彫刻家アドルフ・ラヴェ (Adolphe Lavée, + 1904) による,たいへん立派なサイズのブロンズ製メダイ。5センチメートル近い長径、5ミリメートルの厚み、21グラムの重量があり、手に取ると心地よい重みを感じます。21グラムの重量は、百円硬貨四枚分強、五百円硬貨三枚分に相当します。
一方の面にはイエズス・キリストの横顔を浮き彫りで表しています。イエズスは長衣に緋色または紫色のマントを掛け、茨の冠を被った受難の姿ですが、慈愛に満ちた穏やかな表情は、あたかも帝王のような威厳に満ちています。浮き彫りは大きく立体的で、丸彫り像のような趣(おもむき)、生身のイエズスを眼前に見るかのような迫真性があります。メダイ下端に彫刻家アドルフ・ラヴェのサイン
(A. Lavée) を刻み、イエズス像を取り巻くように、祈りの言葉をフランス語で記しています。
Jésus notre époux, ayez pitié de nous. われらの浄配たるイエズスよ、われらを憐れみたまえ。
「教会」(エクレーシア ἐκκλησία)はキリスト教徒全体を集合的に意味する言葉ですが、教会(すなわちキリスト教徒)とイエズス・キリストの間の愛に基づく強い結びつきは婚姻に喩えられ、教会は「キリストの花嫁」である、とされます。教会の半分は男性信徒が占めるわけですが、ギリシア語の「エクレーシア」、ラテン語の「エクレシア」は女性名詞であることから、キリストと教会の「神秘的結婚」の観念が生じました。使徒パウロは「ローマの信徒への手紙」7章1節から6節、「コリントの信徒への手紙 二」7章2節等の箇所において、キリストと教会の結びつきを婚姻に喩えています。「ヨハネによる福音書」3章29節によると、洗礼者ヨハネはキリストを花婿に喩えています。使徒ヨハネは「ヨハネの黙示録」21章2節及び9節において、「新しいエルサレム」を「夫のために着飾った花嫁」「子羊の妻である花嫁」として描いています。
(上) Fra Bartolommeo, The Mystic Marriage of St. Catherine of Siena, with
Eight Angels, 1511, oil on panel, Louvre, Paris
アレクサンドリアの聖カタリナ、シエナの聖カタリナ、アビラの聖テレサ、聖マリア=マッダレーナ・パッツィ、リジューの聖テレーズ等、古来多くの聖女がキリストとの神秘的結婚を経験しました。跣足カルメル会を創設したスペインの神秘思想家、十字架の聖ヨハネ (San Juan
de la Cruz, 1542 - 1591) は、1578年の詩「エル・カンティコ・エスピリトゥアル」("El Cántico espiritual" 「霊の賛歌」)において、夫であるキリストと、妻である魂(キリスト者の魂)を対話させています。したがってこのメダイに刻まれた「われらの浄配(配偶者)」という言葉は、「教会の浄配(配偶者)」という意味であり、教会から見た「夫」イエズス・キリストを指しています。
もう一方の面にはキリストと同様の立体的な浮き彫りによって聖母の横顔を表し、メダイ下端に彫刻家アドルフ・ラヴェのサイン (A. Lavée)、聖母の周囲に祈りの言葉を刻んでいます。
Marie notre Mère, priez pour nous. われらの御母マリアよ、われらのために祈りたまえ。
聖母はキリストの母であり、神学的には「テオトコス」(Θεοτόκος, DEI GENITRIX)、「神の母」(Μήτηρ Θεοῦ, MATER
DEI) と呼ばれます。「受難のテオトコス」をはじめとするビザンティンのイコンによく見られる"MP ΘY" は「メーテール・テウゥ」(MHTHP ΘEOY, Μήτηρ
Θεοῦ) の略記です。一方、このメダイが制作された19世紀後半のフランスでは、「われらの御母」としてのマリアが強調されました。普仏戦争(1870年)の直後にマルティノ
(F. Martineau) が作った歌「オ・マリ、オ・メール・シェリ」("O Marie, ô Mère
chérie" 「マリアよ、愛する御母よ」)は端的な例です。
19世紀後半のフランスで、「われらの御母」としてのマリアが強調されたのは、マリアの地位に関する神学上の新説が現れたせいでは無論なくて、普仏戦争の敗戦とコミューンの混乱を背景に信仰心が高まった当時のフランス社会の精神状況によるものです。したがって一方の面に「われらの浄配キリスト」、もう一方の面に「われらの御母マリア」を大きく浮き彫りにし、いわば聖家族のうちに加わりたいという願いを形象化したこのメダイは、「19世紀後半のフランス」という制作の「時と所」を非常に強く反映した作例であるといえます。
メダイユの制作方法には打刻と鋳造の二通りがあり、本品は「鋳造」によって制作されています。フランスのメダイユ芸術の源流となったのは、ルネサンス期のイタリアの画家ピサネッロ (Pisanello, Antonio di Puccio Pisano, c. 1395 - c. 1455) の美術メダイユです。古代以来の貨幣はほとんどが打刻によって作られたのに対し、ピサネッロのメダイユは鋳造されていました。アンシアン・レジーム期のフランスでは、王侯のための宣伝としてメダイユが量産されたため、再び打刻が大勢を占めるようになりましたが、革命後に実権を握ったナポレオンはメダイユ芸術を愛好し、鋳造による本格的なメダイユ芸術を再興しました。
このような経緯により、19世紀の美術メダイユは鋳造による立派な作品が多く制作されました。一方で、わが国で「メダイ」と呼ばれる「信心具としてのメダイユ」は、19世紀においては打刻によるものがほとんどでした。打刻は効率的な方法であるゆえに貨幣等の量産に適しますが、浮き彫りの立体性は劣ります。また厚みのある作品や大きな作品を作れず、本格的な美術メダイユの制作には適しません。
本品は「信心具としてのメダイユ」としての側面を有しつつも、高名なメダイユ彫刻家アドルフ・ラヴェによる美術品レベルの作品で、ブロンズを鋳造して制作されています。上の写真は、19世紀フランスにおいて最もよく見られるタイプの打刻式メダイを、本品と重ね合わせたものです。本品の上に載せた「不思議のメダイ」はリュドヴィク・ペナンとジャン・バティスト・ポンセによる作品で、サイズは 21.5 x 13.4ミリメートル、厚さ 1.2ミリメートル、重量
1.1グラムです。これに対して本品は、突出部分を含むサイズが 47.6 x 32.4ミリメートル、最大の厚さが 5ミリメートル、重量が 21.0グラムという立派なサイズです。これは単に物理的なサイズが大きいというだけではなく、信仰心の篤さが形となって現れたものと考えるべきでしょう。
商品写真は実物の面積をおよそ17倍に拡大しており、アドルフ・ラヴェによる浮き彫りが、細部に至るまでたいへん優れた出来栄えであることがよく分かります。イエズスの横顔は慈愛に満ちつつも皇帝のように威風堂々とし、聖母も少女の姿ではなく頼りがいある「母」の姿に表されています。数あるメダイのなかでもとりわけ大きなサイズ、立体的で優れた浮き彫りが相俟(あいま)って、あたかも眼前におられるキリストと聖母が、メダイを持つ人を守ってくれるかのように感じます。
アンティークの聖品といえども、あたかも生命を持つかのように、手に取る者にこのように感じさせる迫力があるメダイには、そうたびたび出会えるものではありません。できることなら私の手許に置いておきたい気持ちさえいたします。