フランスの女性芸術家ジョゼット・エベール=コエファン (Josette Hébert-Coëffin, 1906 - 1973) による晩年の作品、「ラ・メダイユ・ミラキュルーズ」(la
médaille miraculeuse 不思議のメダイ)。ブロンズを鋳造した作品で、直径 67ミリメートル強、厚さ 6ミリメートル強、重量
133グラムという非常に大きなサイズです。本品はラ・モネ・ド・パリ(la Monnaie de Paris パリ造幣局)の箱に入っています。
一方の面にはマンドルラを伴った聖母マリアを浮き彫りにしています。「マンドルラ」(伊 mandorla)、「マンドルル」(仏 mandorle)は元々イタリア語で「アーモンド」のことですが、美術史ではロマネスクやゴシックの聖像表現に見られる紡錘形の大きな光背を指してこのように呼んでいます。マンドルラはあたかも原罪から守る繭のように聖母を包み、周囲の闇に向けて輝かしい光輝を発散しています。
無原罪の御宿りとして表された聖母は、地上界を象徴する球体上に立ち、両腕を斜め下に伸ばしています。罪びとを招いて抱き留めるかのように、聖母の掌は前に向けられています。指輪に嵌められた多数の宝石から、神の恩寵の光が地上に降り注いでいます。聖母に執り成しを願うフランス語の祈りが、浮き彫りを取り囲むように刻まれています。
Ô Marie conçue sans péché, priez pour nous qui avons recours à vous. 罪無くして宿り給えるマリアよ、御身に頼る我らのために祈り給え。
本品に浮き彫りにされた聖母は頭を右(向かって左)に傾げています。この傾きは聖母の立ち姿に活き活きとした生命を加え、にこやかで親しみやすい表情と共に、生身の聖母に見(まみ)えるような気持ちにさせてくれます。
(上) パリ司教座聖堂ノートル=ダムの平面図。身廊の中心軸を青で、内陣以東の中心軸を赤で示しています。
ところで受難像の類型には大きく分けて三つあり、そのうちのひとつ、「クリストゥス・パティエーンス」(CHRISTUS PATIENS ラテン語で「(死に)屈するキリスト」)の様式で描かれた受難のキリストは、頭を右(向かって左)に傾けた姿で表されるのが通例です。
ゴシック聖堂を上空から見ると十字架を象(かたど)っていることは良く知られていますが、パリ司教座聖堂ノートル=ダム(ノートル=ダム・ド・パリ)は、内陣以東(内陣、後陣、周歩廊)の中心軸が身廊の中心軸の延長線と重ならず、上の図が示すように、わずかに北にずれています。この特異なプランは、ノートル=ダム聖堂全体が「クリストゥス・パティエーンス」を象(かたど)っているからだと言われています。本品に浮き彫りにされた聖母も頭部を右に傾げていますが、これはパリのノートル=ダム(聖母)聖堂と同様に、聖母がわが子イエスの苦しみに自らを重ね合わせ、共に苦しみ給う様子を表しています。
もう一方の面には、「インマクラータ・マリア」(IMMACULATA MARIA ラテン語で「無原罪のマリア」)の "IM" と十字架を組み合わせたモノグラム(組み合わせ文字)を大きく表現し、下部にはイエスの聖心とマリアの聖心を浮き彫りにしています。二つの聖心は、向かって左がイエスの聖心、右がマリアの聖心です。マリアの聖心には悲しみの剣が突き立てられ、イエスの聖心は茨の冠に傷ついています。恩寵の光を放つモノグラムと聖心は、全キリスト教徒の象徴である十二の星に取り囲まれています。星の数が十二であるのは、使徒の数が十二であるからです。
(上) 聖母を幻視したカトリーヌ・ラブレのメダイ 縦 18.8 x 横 11.5 mm 1947 - 1950年代 当店の商品です。
本品は「不思議のメダイ」(仏 la médaille miraculeuse ラ・メダイユ・ミラキュルーズ)と呼ばれるもので、パリ、バック通りの愛徳姉妹会修道院において、カトリーヌ・ラブレ
(Ste. Catherine Labouré, 1806 - 1876) が幻視した聖母が意匠を示し給うたとされています。一般的な「不思議のメダイ」では、下の写真で示すように、二つの聖心は近接しても重なり合わずに並置して表されます。
(下) 不思議のメダイ 一般的な作例。
しかしながらジョゼット・エベール=コエファンの手による「不思議のメダイ」(本品)では、聖母の聖心はわが子を庇(かば)うかのようにイエスの聖心と重なり合い、血の涙を流しています。無原罪の聖母は、罪無くして十字架に架かるイエスにわが身と心を重ね合わせ、同じ苦しみを受けておられるのです。二つの聖心に表された母の愛と悲しみは、表(おもて)面で頭を右に傾げた聖母に重なり、聖母に捧げられたパリ司教座聖堂の北寄りにずれた内陣と後陣にも重なります。
ジョゼット・エベール=コエファン Josette Hébert-Coëffin 1950年頃
この面の最下部、メダイユの縁に近いところに、ジョゼット・エベール=コエファンのサイン (J. H. COËFFIN) があります。ジョゼット・エベール=コエファン (Josette Hébert-Coëffin, 1906 - 1973) はノルマンディー(北フランス)出身の才能豊かな女性芸術家で、丸彫り彫刻、メダイユ彫刻、陶芸と多岐に亙る分野で活躍しました。動物や子供、聖母子をテーマにした優しい作風の作品を数多く残しています。
メダイユの縁には 1969年の年号が打刻されており、このメダイユが芸術家ジョゼット・エベール=コエファンの到達点ともいえる最晩年の作品であることがわかります。年号の横にある刻印は「コルヌ・コーピアエ」(CORNU
COPIAE 豊穣の角)と「ブロンズ」(BRONZE) の文字です。コルヌ・コーピアエはモネ・ド・パリ(la Monnaie de Paris パリ造幣局)のミント・マーク(鋳造所を示すマーク)です。
本品はモネ・ド・パリの箱に入っています。箱にはまったく傷みが無く、たいへん綺麗な状態ですが、このメダイユが元々納められていたオリジナルの共箱です。メダイユを嵌め込むヴェルヴェットの台座は、箱に入れたまま立てることもできますし、箱から出して立てることもできます。
本品は五十年近く前に鋳造された真正のヴィンテージ品ですが、保存状態はきわめて良好です。箱に入っていたために、小キズさえもありません。ジョゼット・エベール=コエファンは生涯に数種類のメダイユを制作していますが、そのなかでおそらく最も手に入りにくいのが本品です。