一方の面にジャンヌ・ダルク (Jeanne d'Arc, c. 1412 - 1431) を、もう一方の面にオルレアン市章を、それぞれ浮き彫りにした直径 28ミリメートルの大型メダイ。ジャンヌはフランスにおいて最も人気がある聖人のひとりであり、数多くのメダイが制作されていますが、本品は信心具よりもむしろ本格的芸術品として作られた稀少な作品です。
本品に浮き彫りにされた少女ジャンヌは、甲冑を着、フランス語でバシネ(仏 bassinet)と呼ばれる十五世紀の兜を被っています。兜の面頬(めんほお)を上げたジャンヌの横顔は美しく整い、神の声のみに耳を澄ませてその命に従おうとする眼差しには、純粋な信仰が持つ強さが見て取れます。その一方でジャンヌのふっくらとした頬には思いがけない幼さが見えて、少女の運命を知る我々は心が傷みます。
ジャンヌが被るバシネの頂部からは、長髪のような房飾りが垂れています。筆者(広川)が知る限りでは、長髪のような房飾りは、十九世紀のフランスやアイルランドで竜騎兵の兜に付けられることがありました。十五世紀の兜にも、十九世紀のものと似た房飾りが使われたのでしょう。戦場では恐ろしげに見えるこのような房飾りも、いまはジャンヌが可憐な横顔を見せているせいで、少女らしいみどりの髪にしか見えません。
浮き彫りを囲むように、「ジャンヌ・ダルク」(JEANNE D'ARC)、四つの年号、メダイユ彫刻家ア・ジ・コルビエールの名前(A. J. CORBIERRE)が刻まれています。
四つの年号は、1412年がジャンヌの生年、1421年がジャンヌの没年です。1456年はジャンヌが没後に再審され、無罪となって名誉が回復された年です。またジャンヌは
1920年5月30日、教皇ベネディクトゥス十五世により、ヴァティカンのサン=ピエトロ聖堂で列聖されました。浮き彫りには後光が表されていませんが、1920年の年号が記されているゆえに、本品はジャンヌの列聖を記念して制作されたメダイユであると分かります。
聖人の列聖を記念する信心具のメダイでは、新聖人の名前に「聖」(羅 SANCTUS/SANCTA 仏 Saint/Sainte)の称号が付けられ、聖人像には後光が表現されます。しかしながら本品は「サント・ジャンヌ・ダルク」(Ste
Jeanne d'Arc)のように称号(Ste/Sainte)を付けず、ジャンヌの浮き彫りも後光を伴いません。これらの特徴は、本品がジャンヌの列聖を記念しつつも、信心具ではなく、純然たる美術品として制作されていることを示します。
ジャンヌ像の下部、メダイの縁に近い部分に、メダイユ彫刻家のサイン(A. J. CORBIERRE ア・ジェ・コルビエール)があります。
ア・ジ・コルビエール師(l'Abbé A. -J. Corbierre, 18__ - 19__)は二十世紀初め頃のフランスで活躍した彫刻家、メダイユ彫刻家、及びメダイユ研究家で、おそらくベネディクト会士です。研究者としては次の著書を出しています。
"Numismatique Bénédictine. Histoire scientifique et liturgique - des Croix et des Médailles de Saint Benoit", Rome, 1904
"Premier inventaire des lettres imprimées de dom Mabillon", 1907
"Prières liturgiques composées par Dom Jean Mabillon, publiées à l'occasion
de son deuxième centenaire", Paris, H. Oudin, 11 juillet 1907
"Pensées et conseils de Mgr d'Hulst", Paris : J. de Gigord , 1913
"Biographie, bibliographie et biobibliographie de Frédéric Ozanam", 1913
"Mgr A. Baudrillart, notice bibliographique, 1877 - 1918", 1918
上の写真はア・ジ・コルビエール師がパリ・カトリック大学(l'Institut Catholique de Paris)及びローマのサン・ジョアッキーノ・イン・プラーティ(la
chiesa San Gioacchino in Prati 聖ヨアキム教会)のために制作したジャンヌ・ダルク像です。この写真はフランスの古い絵はがきによります。
メダイユ彫刻家としてのア・ジ・コルビエール師は、キリスト、ノートル=ダム・ド・フランス、アンティオキアの聖マルガリータ、オセールの聖ジェルマン、聖イシドロ、ジャンヌ・ダルク、リジューの聖テレーズ、ピウス十一世など、キリスト教関係者の横顔のメダイを多数制作しています。円形メダイの上部を突出させず、メダイ自体に孔を開けて金属製の環を通す意匠は、ア・ジ・コルビエール師の特徴的な作風です。
メダイ裏面には、中心にオルレアン市章を浮き彫りにし、その周囲に古典的意匠の装飾を配しています。「オルレアン市」(VILLE D'ORLÉANS)の文字が上部に刻まれています。
オルレアンの市章は、「下部が赤地に三輪の銀の百合、上部が青地に三輪の金のフルール・ド・リス」(De gueules, à trois cailloux en cœur de lys d'argent, deux et un, au chef d'azur, chargé de trois fleurs de lys d'or)です。本品の浮き彫りでは、都市を象徴する市壁(城壁)を様式化し、あたかも王冠のように市章の上に置いています。
オルレアンは 1428年から1429年にかけてイングランド側の攻囲を受けて持ちこたえ、遂にジャンヌ・ダルクによって解放されました。ジャンヌが初陣を飾ったオルレアンの戦いは、アルマニャック派の勝利とシャルル七世の戴冠に繋がる重要な出来事でした。市章の上、あるいは都市を擬人化した女性像の頭上に市壁の冠が描かれるのはオルレアンに限ったことではありませんが、本品に彫られたオルレアンの市壁は、ジャンヌの活躍を強く連想させる意匠となっています。
市章の両横には、向かって右側に月桂樹を、向かって左側にシェーヌを浮き彫りにしています。
月桂樹は古代ギリシア以来勝利と栄光の象徴です。共和政ローマ及び帝政ローマにおいて、戦闘に大きな勝利を収めた将軍は戦場で兵士たちの歓呼を受け、「インペラートル」(IMPERATOR)
の称号を獲得しました。その際、将軍は二本の月桂樹の枝で編んだ冠を贈られました。ローマに凱旋する際、将軍はこの月桂冠を被りましたが、これとは別に将軍の頭上には、ユピテル神殿に奉献される金製の月桂冠(すなわち、月桂冠を象った金製の冠)が掲げられました。またアウグストゥス宮殿入り口にも、シェーヌでできたコロナ・キーウィカとともに、月桂樹が植えられていました。
オウィディウス (Publius Ovidius Naso, 43 B.C. – c. 17 A.D.) は「メタモルフォーセース」(変身)第一巻において、フォエブス(Phoebus)すなわちアポロンから逃げるダフネーが、月桂樹に姿を変える物語を謳っています。戦勝の将軍が贈られる「インペラートル」の月桂冠、及びアウグストゥス宮殿入り口にある月桂樹とコロナ・キーウィカについて、「メタモルフォーセース」第一巻
555行から 567行で言及しています。該当箇所の原テキストを、日本語訳を付して示します。オウィディウスの作品は韻文ですが、筆者(広川)の和訳はラテン語の意味を正確に伝えることを主眼としたため、韻文になっていません。文意が伝わり易くするために補った語句は、ブラケット
[ ] で示しました。
555 | conplexusque suis ramos ut membra lacertis oscula dat ligno ; refugit tamen oscula lignum. Cui deus «at, quoniam coniunx mea non potes esse, arbor eris certe» dixit «mea ! semper habebunt te coma, te citharae, te nostrae, laure, pharetrae ; |
[娘の]腕[を抱くか]のように、枝を腕のなかに抱いた[フォエブス]は、 木に接吻を浴びせるが、木は接吻を拒む。 神は木に対して言う。「さて、きみはわたしの妻にはなれないが、 それでも、わたしの木になるのだ。 月桂樹よ。きみはこれからずっとわたしの髪に飾られ、キタラに飾られ、箙(えびら 矢筒)の飾りともなる。 |
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560 | tu ducibus Latiis aderis, cum laeta Triumphum uox canet et uisent longas Capitolia pompas ; postibus Augustis eadem fidissima custos ante fores stabis mediamque tuebere quercum, utque meum intonsis caput est iuuenale capillis, |
喜びの声が勝利を[讃えて] 歌い、七つの丘が[勝利を祝う]長い行列を目にするとき、きみはラティウム(ローマ)の将軍たちに伴いなさい。 アウグストゥス宮殿の入り口に立つ二本の側柱の、いとも忠実なる守り手にも[なり]、 扉の前に立ちなさい。[扉の]中ほどにはシェーヌ[の冠]が見えるはずだ。 わたしの頭が髪が抜けずに[永遠に]若いのと同様に、 |
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565 | tu quoque perpetuos semper gere frondis honores !» Finierat Paean : Factis modo laurea ramis adnuit utque caput uisa est agitasse cacumen. |
きみもまた、[常緑の]葉によって、永遠の美を常に保ちなさい。」 パエアーンは[語るのを]終えた。月桂樹がたったいまできたばかりの枝で うなずき、その頂を人間の頭のように動かしたのが見えた。 |
したがって本品に彫られた月桂樹の枝は、ローマ時代におけると同様に、勝利と栄光を表します。ただしその勝利と栄光はジャンヌにではなく、神とイエスとマリアに帰されるべきものです。
ローマに凱旋する将軍に附き従って、その頭上に金の月桂冠を掲げるのは奴隷の役割でしたが、この奴隷は「メメントー・モリー」(MEMENTO MORI)、あるいはこれに類する言葉を叫ぶならわしでした。キリスト教の場合は古代ローマの「メメントー・モリー」どころではなく、人間は神に比べればむしろ非存在に近いとさえ考えられています。「イエズス、マリア」の旗を掲げて戦ったジャンヌは、自分の才覚により戦功を立てたとは考えていませんでした。したがって本品に彫られた月桂樹は、ジャンヌが神に帰した勝利と栄光の象徴であることがわかります。
いっぽう喬木(きょうぼく 背が高い木)であるゆえにしばしば落雷に遭うシェーヌは、古来あらゆる民族において天上の最高神の神木とされ、「力」「不死」「崇高さ」といった属性を象徴してきました。旧約聖書においてもシェーヌは天地を繋ぎ、神と人を結ぶ軸として機能します(「創世記」12章6節から7節、「創世記」13章18節)。シェーヌは神の「力」と「義」、さらに神との「平和」の象徴でもあります(「ヨシュア記」24章25節から27節)。
シェーヌが「力強さ」「堅固さ」を象徴するのは、材が堅いゆえでもあります。シェーヌはラテン語で「ローブル」(ROBUR) といいますが、この語はギリシア語の動詞「ローンニューミ」(ῥώννυμι 強める)と同根です。ラテン語「ローブル」はナラやカシといった堅い木を指すほか、比喩的用法としては物理的ならびに精神的な「堅固さ」「強さ」「力」をも表します。さらに古代ローマにおいて、シェーヌはコロナ・キーウィカ(CORONA CIVICA 市民の冠)の材料となりました。
したがって本品裏面に彫られたシェーヌは、神と繋がったジャンヌの強さ、あるいは信仰に裏付けられたジャンヌの強さを表します。これに加えてシェーヌは、コロナ・キーウィカを思い起こさせることにより、第一次世界大戦で荒廃したフランスの団結と相互扶助、そこから生まれる希望をも指し示しています。
本品はおよそ百年あるいはそれ以上前にフランスで制作された真正のアンティーク美術品ですが、保存状態は極めて良好です。丁寧且つ細密なジャンヌの浮き彫りは、その立体性と大きなサイズが相俟って、生身のラ・ピュセル(la
Pucelle ジャンヌのこと)を眼前に見る錯覚さえ覚えさせます。