二十世紀中頃に制作された「七つの悲しみの聖母のシャプレ」(chapelet de Notre-Dame des sept douleurs)。シャプレ(仏
chapelet)とは数珠(じゅず)、すなわち祈りの回数を数える道具のことです。イタリア語等で「ロザリオ」(伊 rosario 薔薇の花環)と呼ばれる物と同じ信心具を指して、フランスではこのように呼んでいます。
「七つの悲しみの聖母のシャプレ」は、托鉢修道会のひとつである「聖母のしもべ会」(仏 l'Ordre des servites de Marie 羅
ORDO SERVORUM BEATÆ VIRGINIS MARIÆ)で使用されます。本品はフランスにあった品物ですが、イタリア製かもしれません。
「七つの悲しみの聖母のシャプレ(ロザリオ)」は大きな楕円形メダイユで始まり、環状部分には週(連)と週の間にひと回り小さな楕円形のメダイユを配します。本品もこの様式に従って作られています。ビーズは素朴な白木で、祈る指先にしっくりと馴染みます。
最初のメダイユの片面には、七本の剣で心臓を刺し貫かれたマーテル・ドローローサ(MATER DOLOROSA 悲しみの御母、悲しみの聖母)の姿を、立体的な浮き彫りによって表しています。信仰深いマリアの心臓は剣に刺し貫かれながらも、神とイエスに対する愛の炎を噴き上げています。
聖母を取り囲む縁の模様は、フルール・ド・リス(仏 fleur de lys 百合の花)を変形したものです。百合は聖母の象徴であるゆえに、フルール・ド・リスもまた聖母を象徴します。
もう一方の面には聖母の七つの悲しみのうちでも最大の悲しみ、すなわち十字架におけるイエス・キリストの受難が刻まれています。
十字架の下には三人のマリアが集まり、為すすべも無く嘆いています。聖母マリアはサロメとも呼ばれる姉妹マリアとともに十字架のもとに立ち、愛しい息子イエスを見上げています。マグダラのマリアは十字架に取りすがっています。
イエスの十字架にマグダラのマリアが縋りつくのは、伝統的な図像表現です。またキリスト教の伝統的図像において聖母をはじめとする聖女たちはヴェールで髪を隠しますが、マグダラのマリアだけは例外で、頭部にヴェールを被らず艶やかで豊かな長髪を見せ、性的魅力を強調する姿で表されます。
本品に表された十字架は、縦木の上端に横長の楕円が付いています。この意匠はフランスのビジュ・レジオノと共通しています。
環状部分の小メダイユは、片面にマーテル・ドローローサを刻みます。マーテル・ドローローサの図柄はすべての小メダイユに共通しています。小メダイユのもう一方の面には、メダイユごとに異なる聖母の悲しみの場面を浮き彫りにしています。本品に刻まれた悲しみの場面は、下表の通りです。
浮き彫りにされた場面 | 図像表現の出典 | 本品における描写 | ||||||
1 | .. | 幼子イエスに関するシメオンの預言 | .. | ルカによる福音書 2章34 - 35節 | 向かって右に立つシメオンが左腕に幼子を抱き、預言を語っている。シメオンの前に立つマリアは両手を胸の高さに挙げ、戸惑いつつ悲しんでいる。 | |||
2 | エジプトへの逃避 | マタイによる福音書 2章13 - 15節 | 聖母子は馬かロバに乗っている。ヨセフはその傍らを歩いている。 | |||||
3 | 三日のあいだ少年イエスとはぐれたこと | ルカによる福音書 2章43 - 45節 | ヨセフとマリアはエルサレム市中に戻り、ヨセフが人々に尋ねてイエスを探している。マリアはその傍らで心配そうに立っている。 | |||||
4 | 十字架を背負って歩くイエスと出会ったこと | ルカによる福音書 23章27節 | 十字架を引きずって歩くイエスの前方にマリアがいる。マリアは両腕を開いて胸の高さに挙げ、耐えがたい悲しみに苛まれている。 | |||||
5 | イエスの十字架のもとに立ったこと | ヨハネによる福音書 19章25 - 27節 | マリアとその姉妹サロメは、互いを支え合って立っている。マグダラのマリアは十字架に取りすがっている。 | |||||
6 | 十字架から降ろしたイエスの遺体を抱きとめたこと | マタイによる福音書 27章57 - 58節 | イエスの遺体が十字架から完全に降ろされないうちに、マリアはイエスを抱きしめている。 | |||||
7 | イエスの遺体を埋葬したこと | ヨハネによる福音書 19章40節 | マリアは両側からイエスの弟子に支えられている。手前で香油の容器を抱えているのは、マグダラのマリアであろう。 |
本品のビーズはおそらく黄楊(つげ)製で、ニスを塗っていないので明るい色です。ビーズの長径は八ミリメートル、短径は七ミリメートルで、爪繰りやすいサイズです。塗装を施さない白木のままのビーズは触れたときに温かみがあり、指先によくなじみます。ビーズはすべて揃っており、欠損はありません。上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。
本品は数十年以上前に制作された真正のアンティーク品(ヴィンテージ品)ですが、保存状態は良好です。チェーンの強度にも問題はありません。十九世紀のシャプレに比べると本品の年代は新しく、ビーズの色も明るいですが、白木のビーズはロザリオの最も古い形ですし、最初のメダイにも厚みと重量があって、重厚な趣きの信心具に仕上がっています。