角(つの)
corne




(上) 「ゼウス=アモン」 紀元 120 - 160年頃 大理石 メトロポリタン美術館蔵


 「角」(つの)は、神の威光、力、強さを象徴します。本稿では古代ギリシア・ローマの神々(アポローン、ディオニュソース、ゼウス)の像に現れる角、及び旧約聖書における角を取り上げます。

古代ギリシア・ローマの神々の角


【羊の角を持つアポッローン・カルネイオス Ἀπόλλων Κάρνειος, APOLLO CARNEUS】

 ペロポンネソス(スパルタ、コリントなど、古代ギリシアにおけるドーリア人の居住地域)の貨幣には、頭に羊の角が生えたアポローンを打刻したものがあります。このアポローンは「アポッローン・カルネイオス」(Ἀπόλλων Κάρνειος) と呼ばれます。スパルタをはじめとするドーリア人のポリスでは、年に一度、「アポッローン・カルネイオス」の大祭である「カルネイア祭」(Κάρνεια) を挙行しました。


 カルネイア祭の起こりについて、確かなことは分かっていません。広く知られているのはパウサニアス(註1)による説明で、それによると、ドーリア人がカルネイア祭を創始したのは、恋人である美青年カルノスを殺されたアポローンの怒りを鎮めるためでした。(註2) 

 しかしながらパウサニアスによるとアポローンとカルノスは別人ですから、「アポッローン・カルネイオス」(すなわち「カルネイオスであるアポローン」)という名前は不自然です。またパウサニアスは、カルネイア祭で祭られるアポローンに角がある理由を説明していません。それゆえパウサニアスが伝える説は、「アポッローン・カルネイオス」と「カルネイア祭」に関する満足な説明とは言えないでしょう。


 説得力があるとして現在注目を集めているのは、言語学的アプローチに基づく説です。この説において、「アポッローン・カルネイオス」という神の名称、及び「カルネイア祭」という名称の由来となった語「カルノス」(κάρνος) は、アポローンの愛人の名ではなく、「雄羊」を意味する語であると解されます。

 シカゴ大学のジョナサン・M・ホール教授は、1997年の論文「古代ギリシアにおける民族的アイデンティティ」("Ethnic Identity in Greek Antiquity", 1997 註3)において、「『カルノス』は実際には『クリオス』(κριός 雄羊)と同義である可能性が示唆されている」と論じています。(註4)

 またドイツの宗教学者ヴァルター・ブルケルト (Walter Burkert, 1931 - ) は、1977年の著書「アルカイック期及び古典期のギリシア宗教」(„Griechische Religion der archaischen und klassischen Epoche“, Verlag W. Kohlhammer, Stuttgart, 1977) において、「カルネイオスへの奉献文を刻んだ古い碑がラコニアで出土したが、奉献文の上には一対の雄羊の角が彫られている。『カルノス』とは雄羊のことに他ならないとの説もある」と論じています。

 言語学に基づくこれらの説によると、「アポッローン・カルネイオス」(Ἀπόλλων Κάρνειος) とは「雄羊の角を持つアポローン」という意味に他なりません。古代ギリシアの神像におけるこのような「角」(κάρνον カルノン)は、神から発出する威光の表現と考えることができます。



【牡牛の角を持つディオニューソス Διόνυσος】

 葡萄の神ディオニューソス (Διόνυσος) にはさまざまな聖獣が関連付けられていますが、角が葡萄酒の杯となる牡牛も、この神の聖獣とされています。ギリシア宗教において聖獣が神々自身と分離されたのは古典期のことであり、それ以前には神々と聖獣は同一視されていたと考えられます。ギリシア宗教初期の名残として、ディオニューソスが牛の姿で表される場合や、額に一対の角を持つ神として表される場合があります。



【羊の角を持つゼウス=アモン、またはユピテル=アモン】

 「アモン」または「アンモン」(Ammon) はエジプト中王朝以来太陽神ラーと習合し、古代エジプトの最高神と崇められた神です。

 ヌビア(ナイル川上流)の王国クシュは、紀元前1500年頃、エジプト第18王朝のトトメス1世によって征服されましたが、このときエジプトの最高神アモンとクシュの最高神が習合しました。クシュの最高神は雄羊の頭部を有する姿で表されていたため、この時から、雄羊の角を持つアモン像が作られるようになりました。


(下) 紀元二世紀後半に制作されたゼウス=アモン像。大英博物館蔵。




 ゼウス=アモン、またはユピテル=アモンとは、羊の角を持つエジプトの最高神アモンが、キリシア・ローマの最高神と習合したもので、ギリシア風のゼウスあるいはローマ風のユピテルの頭部に、アモンの角が生えた図像で表されます。

 ゼウス=アモンの像は、紀元前6世紀末以降にキュレーネー (Κυρήνη) で鋳造・打刻された貨幣に現れます。アレクサンドロス大王 (Ἀλέξανδρος ὁ Μέγας, c. 356 - 323 B.C.) は頭部に角を付けた自らの肖像を貨幣に打刻させましたが、この貨幣の図像はキュレーネーで作られたゼウス=アモンの貨幣に影響を受けたものと考えられます。角があるアレクサンドロスの貨幣は、マケドニアにおいてはデメトリウス1世(Δημήτριος ο Πολιορκητής, 337 - 283 B.C. アンティゴノス朝第2代のマケドニア王)の即位まで、小アジアにおいてはマグネシアの戦い (190 B.C.) まで作られ続け、古代世界に広く流通しました。


(下) ゼウス=アモンとしてのアレクサンドロス大王。紀元前 287年から 281年頃にトラキア(ギリシア北東部)で制作されたテトラドラクマ(四ドラクマ)貨に打刻された像。




 ローマにおいてユピテル=アモンが最も熱心に崇拝されたのは、北アフリカ属州のレプティス・マグナ (Leptis Magna) に生まれた皇帝、セプティミウス・セウェルス (Septimius Severus, 145 - 193 - 211 A. D.) の時代です。ユピテル=アモンの像はローマの貨幣にも打刻されました。



旧約聖書における角


【旧約聖書において「力」を象徴する角】

 旧約聖書においても、「角」は「力」を象徴します。「詩編」132編 17節では、神が御心に適(かな)う人間に与え給う力が、「角」によって象徴されています。

 ダビデのために一つの角をそこに芽生えさせる。わたしが油を注いだ者のために一つの灯を備える。(「詩編」132編 17節 新共同訳)


 「角」が力を持つ者の「驕慢」(きょうまん おごり高ぶり、傲慢)を表す場合もあります。「エレミヤ書」 48章 25節、「詩編」 75編 5 - 6節には、それぞれ次のように書かれています。

 モアブの角は砕かれ/腕は折られた、と主は言われる。(「エレミヤ書」 48章 25節 新共同訳)

 わたしは驕る者たちに、驕るなと言おう。逆らう者に言おう、角をそびやかすなと。
 お前たちの角を高くそびやかすな。胸を張って断言するな。(「詩編」 75編 5 - 6節 新共同訳)



 「詩編」において「角」が「神の力」を象徴する例としては、18編 3節を挙げることができます。

 主よ、わたしの力よ、わたしはあなたを慕う。
 主はわたしの岩、砦、逃れ場
 わたしの神、大岩、避けどころ
 わたしの盾、救いの角、砦の塔。(「詩編」 18編 2 - 3節 新共同訳)



 新約聖書においても次のような表現が見られます。

 ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、我らのために救いの角を、
 僕ダビデの家から起こされた。(「ルカによる福音書」 1章 68 - 69節 新共同訳)


 これは祭司ザカリア(洗礼者ヨハネの父)がヨハネの割礼の際に聖霊に満たされて行った預言の冒頭部分で、ここでいう「救いの角」とは「力ある救い主(メシア)」を意味します。なお「救いの角」という言葉は「サムエル記」下 22章 3節にも出てきます。


【「神の力」を表す祭壇の角】

 「出エジプト記」 27章1 - 8節では、全燔祭(ぜんはんさい ホロコースト)の祭壇に関する規定が次のように述べられています。

1 アカシヤ材で祭壇を造りなさい。縦五アンマ、横五アンマの正方形、高さは三アンマとする。2 祭壇の四隅にそれぞれ角を作り、祭壇から生えているように作り、全体を青銅で覆う。3 灰を取る壺、十能、鉢、肉刺し、火皿などの祭具はすべて青銅で作る。4 祭壇の下部には青銅の網目作りの格子を付ける。その網の四隅に青銅の環四個を取り付ける。5 網目格子は祭壇の半ばの高さにある、張り出した棚の下の部分に付ける。6 祭壇を担ぐためにアカシヤ材の棒を作り、それを青銅で覆う。7 祭壇を担ぐためにアカシヤ材の棒を作り、それを青銅で覆う。8 祭壇は板で造り、中を空洞にする。山であなたに示されたとおりに造りなさい。(「出エジプト記」 27章1 - 8節 新共同訳)


 上に引用した部分のうち、27章2節には「祭壇の角(つの)」という言葉が出てきます。この「角」は祭壇のなかで最も神聖な部分で、神の力を表します。全燔祭の祭壇の角は「出エジプト記」 38章2節にも言及されています。全燔祭の祭壇の角はアジール(避難所)として機能し、これをつかんだ者は神の力に保護されます。(列王記 上 1章 49 - 53節 註5)

 なお「出エジプト記」 30章1 - 10節には香を焚く祭壇について述べられていますが、この祭壇にも角があったことがわかります(「出エジプト記」 30章10節、他に「出エジプト記」 37章25, 26節、「レビ記」 4章 7節)。


 下の写真はテル=アヴィヴ大学のヨハナン・アハロニ教授 (Prof. Yohanan Aharoni, 1919 - 1976) の発掘チームがテル・ベエル・シェヴァ (Tel Be'er Sheva) で発見した紀元前8世紀頃の祭壇で、四隅に聖書の記述のような角があります。





【「モーセの角」に見る「神の力」と「神の光」の重層性】

 モーセはシナイ山で十戒が記された二枚の石板を神から授かりましたが、山から下りると民が黄金の牛を作って礼拝していたので、モーセは激しく怒って、手に持っていた石板を投げつけ、山のふもとで砕きました。(「出エジプト記」19章から32章) その後神はモーセに命じて再び二枚の石板を切らせてシナイ山に登らせ、十戒を板に書き記し給いました。:(同書 34章) モーセがシナイ山を下ると、モーセの顔の肌は光を放っていました。(同書 34:章 29, 30, 35節)

 「出エジプト記」 34章 29節から35節を、新共同訳により引用します。

 29 モーセがシナイ山を下ったとき、その手には二枚の掟の板があった。モーセは、山から下ったとき、自分が神と語っている間に、自分の顔の肌が光を放っているのを知らなかった。30 アロンとイスラエルの人々がすべてモーセを見ると、なんと、彼の顔の肌は光を放っていた。彼らは恐れて近づけなかったが、31 モーセが呼びかけると、アロンと共同体の代表者は全員彼のもとに戻って来たので、モーセは彼らに語った。32 その後、イスラエルの人々が皆、近づいて来たので、彼はシナイ山で主が彼に語られたことをことごとく彼らに命じた。33 モーセはそれを語り終わったとき、自分の顔に覆いを掛けた。34 モーセは、主の御前に行って主と語るときはいつでも、出て来るまで覆いをはずしていた。彼は出て来ると、命じられたことをイスラエルの人々に語った。35 イスラエルの人々がモーセの顔を見ると、モーセの顔の肌は光を放っていた。モーセは、再び御前に行って主と語るまで顔に覆いを掛けた。(「出エジプト記」 34章 29節から35節 新共同訳)


 上に引用した 29, 30, 35節で「光」と訳されているヘブル語は、祭壇の「角」と訳されているのと同じ言葉で、ヒエロニムスのウルガタ(ラテン語訳)では、「モーセの顔に角が生えていた」という解釈(訳)になっています。(註6) 「出エジプト記」 34章 29節から35節を、ヒエロニムスのウルガタにより引用します。日本語訳は、筆者(広川)がヒエロニムスのウルガタから訳しました。文意を通りやすくするために補った語は、ブラケット [ ] で示しました。下線は筆者によります。

    29 cumque descenderet Moses de monte Sinai tenebat duas tabulas testimonii et ignorabat quod cornuta esset facies sua ex consortio sermonis Dei .. そしてモーセはシナイ山から下りるとき、契約の板を二枚持っていたのだが、神と共に語らったことにより、自分の顔に角が生えていることに気付かなかった。 
    30 videntes autem Aaron et filii Israhel cornutam Mosi faciem timuerunt prope accedere   しかしモーセの角が生えた顔を見て、アロンとイスラエルの子らは、傍に寄ることを恐れた。
    31 vocatique ab eo reversi sunt tam Aaron quam principes synagogae et postquam locutus est   アロンと共同体の代表者たちはモーセに呼ばれて戻り、そののち[モーセは]話をした。
    32 venerunt ad eum etiam omnes filii Israhel quibus praecepit cuncta quae audierat a Domino in monte Sinai   イスラエルの子ら全員がモーセのところにやって来て、[モーセは]彼らに、シナイ山で主から聞いたすべての事を教え示した。
    33 impletisque sermonibus posuit velamen super faciem suam   そして話が済むと、[モーセは]自らの顔をヴェールで被った。
    34 quod ingressus ad Dominum et loquens cum eo auferebat donec exiret et tunc loquebatur ad filios Israhel omnia quae sibi fuerant imperata   主の許に入って話をするとき、[モーセは]出て来るまで[ヴェールを]取っており、自らに対して命じられたすべてのことをイスラエルの子らに向かって語った。
    35 qui videbant faciem egredientis Mosi esse cornutam sed operiebat rursus ille faciem suam si quando loquebatur ad eos   彼らは、[神の許から]出て来たモーセの顔に角が生えているのを見た。彼(モーセ)は彼らに話をする場合には、自らの顔を再び隠した。
    Exodi capitis XXXIV versi 29 - 35, ex Hieronymi BIBLIA VULGATA)   (「出エジプト記」 34章 29節から35節 新共同訳)



 ローマのサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ (San Pietro in Vincoli) 聖堂にはミケランジェロのモーセ像があり、教皇ユリウス2世の墓碑彫刻の一部を為しています。ミケランジェロによるこのモーセ像は、額に角が生えています。これはルネサンス期の聖書がヒエロニムスのウルガタであったためです。


(下) Michelangelo, "Mosè", c. 1513 - 1515, ritoccata nel 1542, marmo, 235 cm, Basilica di San Pietro in Vincoli




 ヘブル語の「光」と「角」が同じ言葉であるということは、旧約聖書において、「光」と「角」がいずれも「神の力」を象徴することを意味します。このことがよくわかる他の用例として、「ハバクク書」3章を挙げることができます。(註7)



註1 パウサニアス (Παυσανίας, c. 110 - 180 A. D.) は二世紀の地理学者で、「ギリシア案内記」("Ελλάδος περιήγησις") 全十巻の著者として知られています。


註2 ペロポンネソス半島南西部、イオニア海に面したアカルナニアの巫者(ふしゃ)カルノス (Κάρνος) はゼウス (Ζεύς) とエウローペー (Εὐρώπη) の息子で、アポローン (Ἀπόλλων) に巫術の手ほどきを受け、アポローンの恋人でもあった美青年でした。ドーリア人がアカルナニアに侵入した際、カルノスはドーリア人のひとりであるヒッポテース (Ἱππότης) に槍で殺され、怒ったアポローンは、ドーリア人の軍勢に疫病を送りました。パウサニアスによると、このときドーリア人たちはアポローンの怒りを鎮めるためにヒッポテースを追放し、「カルネイア祭」を挙行しました。


註3 "Ethnic Identity in Greek Antiquity"., Cambridge University Press (1997). Paperback edition, 2000. Electronic edition, 2002. Recipient of the American Philological Association’s 1999 Charles J. Goodwin Award for Merit.


註4 It has, however, been suggested that karnos may in fact be a synonym for the word krios, which means "ram". (op. cit. p. 39)


註5 このすぐ後、「列王記 上」 2章28節から36節では、祭壇の角を掴んだヨアブがソロモンの命によって打ち殺されていますが、これはヨアブが故意に人を殺した故に、神による保護を受けられなかったためです。「出エジプト記」 21章12 - 14節には次のように書かれています。

 人を打って死なせた者は必ず死刑に処せられる。ただし、故意にではなく、偶然、彼の手に神が渡された場合は、わたしはあなたのために一つの場所を定める。彼はそこに逃れることができる。しかし、人が故意に隣人を殺そうとして暴力を振るうならば、あなたは彼をわたしの祭壇のもとからでも連れ出して、処刑することができる。(「出エジプト記」 21章12 - 14節 新共同訳)


註6 ただし1979年に完成し、現代の標準的なラテン語訳聖書と見做されているノワ・ウルガタ ("NOVA VULGATA") は、このヘブル語を「光」の意味に解して、現代諸語訳と同様の文意に訳しています。「出エジプト記」 34章 29節から35節を、ノワ・ウルガタにより引用します。

 29 Cumque descenderet Moyses de monte Sinai, tenebat duas tabulas testimonii et ignorabat quod resplenderet cutis faciei suae ex consortio sermonis Domini. 30 Videntes autem Aaron et filii Israel resplendere cutem faciei Moysi, timuerunt prope accedere; 31 vocatique ab eo reversi sunt tam Aaron quam principes synagogae. Et postquam locutus est ad eos, 32 venerunt ad eum etiam omnes filii Israel; quibus praecepit cuncta, quae audierat a Domino in monte Sinai. 33 Impletisque sermonibus, posuit velamen super faciem suam, 34 quod ingressus ad Dominum et loquens cum eo auferebat, donec exiret; et tunc loquebatur ad filios Israel omnia, quae sibi fuerant imperata. 35 Qui videbant cutem faciei Moysi resplendere, sed operiebat ille rursus faciem suam, donec ingressus loqueretur cum eo. (Exodi caput XXXIV versi 29 - 35, ex NOVA VULGATA)

 上の引用箇所で、29節は「(モーセは)自分の顔の肌が神と共に語らったことにより輝いているのを知らなかった」(ignorabat quod resplenderet cutis faciei suae ex consortio sermonis Domini)、30節は「アロンとイスラエルの子らはモーセの顔の肌が輝くのを見て、近くに寄るのを恐れた」(Videntes autem Aaron et filii Israel resplendere cutem faciei Moysi, timuerunt prope accedere)、35節は「(イスラエルの子らは)モーセの顔の肌が光り輝くのを見た」(Qui videbant cutem faciei Moysi resplendere) とラテン語訳されています。


註7 「ハバクク書」3章3節から6節は、カナン、メソポタミアの神話と同様の表現形式により、また「出エジプト記」や「詩編」にも見られる伝統的な表現を使って、神を「武器を光らせて進む勇士」として描いています。3 - 4節には次の記述があります。

 神はテマンから
 聖なる方はパランの山から来られる。〔セラ
 その威厳は天を覆い
 威光は地に満ちる。

 威光の輝きは日の光のようであり
 そのきらめきは御手から射し出でる。
 御力はその中に隠されている。   (「ハバクク書」 3章 3 - 4節 新共同訳)


 上の引用部分うち、4節 2行目の「きらめき」は、「出エジプト記」 34:章 29, 30, 35節で「光」(「角」)と訳されているのと同じ言葉です。そして「きらめきが差し出でる御手」に「御力」が隠されている、とハバククは語っています。すなわち「ハバクク書」のこの箇所において、「きらめき」あるいは「光」は、「角」と同様に、神の力を表しているのです。




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