透かし細工が美しい聖母マリアのアンティーク・メダイ。小さいながらも銀無垢の高級品です。
メダイの中央部、直径十ミリメートル弱の円形部分には、布目模様の彫金を背景に、聖母マリアの立ち姿が浮き彫りにされています。被造的世界を象徴する球体の上に立つマリアの姿は、無原罪の御宿りを表す図像表現の伝統的様式に拠ります。本品の浮き彫りは球体の直径が二ミリメートルで弱と非常に小さく、また突出部分が幾分磨滅しているために、マリアに踏み付けられているはずの蛇の姿がはっきりと確認できません。しかしながら本品においてはマリアの足下にある薔薇も、象徴的図像表現において蛇と同じ役割を果たしています。すなわち薔薇の棘は原罪の呪いを表しますが、マリアは薔薇の上に素足で立ち、傷つくことがありません。これはマリアが罪の支配を受けない無原罪の御宿りであることを表しているのです。
本品のマリアは胸の前に手を合わせ、天を仰いで立っています。これは 1858年3月25日、十六度目の出現の際に、少女ベルナデットに名前を問われて、「わたしは無原罪の御宿りです」(Je suis l'Immaculée Conception.) と答えたルルドの聖母(ノートル=ダム・ド・ルルド)の姿です。
本品においてマリアの両脇に彫られた薔薇には棘がありません。これを彫刻が小さいために棘を省略した便宜的表現と考えれば、薔薇は罪の呪いを表し、その上に傷つくことなく立つマリアは無原罪の御宿りを表すと解釈できます。しかしながらマリアの両脇の薔薇に棘が無いのが意図的表現であるとすれば、これらの薔薇はロサ・ミスティカ、すなわち棘が無い「神秘の薔薇」を表していることになります。棘だらけの藪から花芽を伸ばして傷の無い花を咲かせる薔薇、とりわけ棘を持たないロサ・ミスティカは、エヴァの子孫でありながら原罪を受け継がないマリアの象徴であり、さらには原罪によって人間に死をもたらしたエヴァと対置される新しきエヴァ、すなわち救い主を生むことで永遠の命をもたらしたマリアを象徴します。
(上) Domenico Ghirlandaio, "Madonna della Misericordia", c. 1473, la chiesa di Ognissanti, Firenze
寛衣を着たマリアは罪人を庇う大きなマントを羽織るマドンナ・デッラ・ミゼリコルディア(伊 Madonna della Misericordia 憐れみの聖母)であり、慈母の眼差しを地上に向けています。上の写真はドメニコ・ギルランダイヨがフィレンツェのオニッサンティ教会身廊にマドンナ・デッラ・ミゼリコルディアを描いた
1472年頃のフレスコ画で、聖母が立つ台には「ミセリコルディアー・ドミニー・プレーナ・エスト・テッラ」(羅 MISERICORDIA DOMINI
PLENA EST TERRA 地は主の憐れみに満ちている)と書かれています。右から二人目の少年はアメリゴ・ヴェスプッチです。
本品は聖母を浮き彫りにした直径十ミリメートルの小メダイを、六輪の薔薇が取り囲む透かし細工の意匠となっています。薔薇に囲まれて六角形の縁取りの中に立つ聖母は、「雅歌」二章二節の「茨の中に咲きいでたゆりの花」を表します。「雅歌」二章一節から六節を、ノヴァ・ヴルガタと新共同訳により引用します。二節は若者の歌、それ以外は乙女の歌です。
NOVA VULGATA | 新共同訳 | |||
1. | Ego flos campi et lilium convallium. |
わたしはシャロンのばら、 野のゆり。 |
||
2. | Sicut lilium inter spinas, sic amica mea inter filias. |
おとめたちの中にいるわたしの恋人は 茨の中に咲きいでたゆりの花。 |
||
3. | Sicut malus inter ligna silvarum, sic dilectus meus inter filios. Sub umbra illius, quem desideraveram, sedi, et fructus eius dulcis gutturi meo. |
若者たちの中にいるわたしの恋しい人は 森の中に立つりんごの木。 わたしはその木陰を慕って座り 甘い実を口にふくみました。 |
||
4. | Introduxit me in cellam vinariam, et vexillum eius super me est caritas. |
その人はわたしを宴の家に伴い わたしの上に愛の旗を掲げてくれました。 |
||
5. | Fulcite me uvarum placentis, stipate me malis, quia amore langueo. |
ぶどうのお菓子でわたしを養い りんごで力づけてください。 わたしは恋に病んでいますから。 |
||
6. | Laeva eius sub capite meo, et dextera illius amplexatur me. |
あの人が左の腕をわたしの頭の下に伸べ 右の腕でわたしを抱いてくださればよいのに。 |
聖母マリアの花である百合が、純潔を象徴することは良く知られています。これに加えて百合は、すべてを神に委ねる信仰、神の摂理への信頼をも象徴します。
本品を縁取る薔薇は、六輪です。古代ギリシア以来、「六」は完全数であることが知られており、ヒッポのアングスティヌスをはじめとする教父たちも、聖書に現れる「六」を、この数が有する「完全数」の特性に基づいて解釈しています。その伝統に拠るならば、本品で聖母を囲む六輪の薔薇は、原罪によって失われた世界の完全性を回復する新しきエヴァ、無原罪の御宿りなるマリアに託された「恩寵の器」としての属性を表すと解釈できます。
裏面にはフランス語で「ノートル=ダム・ド・ルルド巡礼記念」(Souvenir de Notre-Dame de Lourdes)の文字が刻まれています。フランスにおいて純度八百パーミル(800/1000)の銀を表す「蟹」のポワンソン(貴金属の検質印、ホールマーク)が、上部の環に刻印されています。
銀は信心具に使われる最も高級な素材です。百年以上前のフランスは貧富の差が極めて大きかったので、銀は専らめっきに使用されました。めっきではない「銀無垢製品」は高価で、ほとんど作られませんでした。しかるに本品は小さ目のサイズではあっても銀無垢製品であり、ルルドの聖母に最上のものを捧げたいという当時の人の信仰心が、「薔薇と白百合の聖母のメダイ」という美しい形を取って顕れています。
本品は百年以上前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い年代にもかかわらず保存状態は極めて良好です。突出部分の磨滅は軽微で、制作時の状態を全体的によく留めています。上の写真は男性店主の手に載せて撮影しています。女性が実物をご覧になれば、もう一回り大きなサイズに感じられます。