アウェ・マリス・ステーッラ、アヴェ・マリス・ステッラ
AVE MARIS STELLA




(上) Virginie Demont-Breton (1859 - 1935), Stella Maris ou Les Naufrages, c. 1890


 アウェ、マリス・ステーッラ(アヴェ、マリス・ステッラ AVE MARIS STELLA)はラテン語で「めでたし、海の星よ」という意味で、聖務日課及び聖母マリアの小聖務日課において唱えられる祈りです。ラテン語の正しい発音は「アウェ、マリス・ステーッラ」ですが、わが国では「アヴェ、マリス・ステッラ」と表記されることが多いようですので、以下では後者の表記に従います。


【「海の星」という聖母の称号の由来】

 聖母の名マリアは、ヘブル語ではマリアムまたはミリアムといいます。ミラノのアンブロシウス (Ambrosius, 340 - 397)、ヒッポのアウグスティヌス (Augustinus Hipponensis, 354 - 430)、大グレゴリウス (Gregorius Magnus, 540 - 604) と並び、四大ラテン教父のひとりとされるストリドンのヒエロニムス (Hieronymus Stridonensis, c. 340 - 420) は、マリアム、ミリアムという名前をマル(ヘブル語で「星」の意)とヤム(ヘブル語で「海」の意)に分解し、「海の星」がこの名前の原意であると考えました。

 マリアム、ミリアムの原意は諸説あり、現在でも不明です。ヒエロニムスによる語源的解釈は実証的言語学による厳密な検証に耐えるものではありませんが、カトリックでは「海の星」が聖母マリアの呼称のひとつとして定着しています。


【「アヴェ、マリス・ステッラ」の内容】

 「アヴェ、マリス・ステッラ」の祈りは、ザンクト・ガレン修道院に伝わる九世紀の写本 ("De fide ad Gratianum contra perfidiam Arrianorum" Cod. 95 f. 2 下の写真) に見られます。この祈りの作者は不明で、ウェナンティウス・フォルトゥーナートゥス (Venantius Honorius Clementianus Fortunatus, c. 530 - c. 609) またはパウルス・ディアコヌス (Paulus Diacunus, 720 - 799) が候補に挙げられていますが、いずれも定説となるには至っていません。





 「アヴェ、マリス・ステッラ」の内容は次のとおりです。原文はラテン語で、日本語訳は筆者(広川)によります。

    AVE MARIS STELLA
DEI MATER ALMA
ATQUE SEMPER VIRGO
FELIX CAELI PORTA
  めでたし、海の星よ。
神を産み育てし母にして
永遠の処女
天つ国の幸いなる門よ。
     
    SUMENS ILLUD AVE
GABRIELIS ORE
FUNDA NOS IN PACE
MUTANS EVAE NOMEN
  かの言葉「アヴェ」
ガブリエルの口から与えられし御身よ、
エヴァという名をアヴェに変え、
平和のうちに我らを憩わせたまえ。(註1)
     
    SOLVE VINCLA REIS
PROFER LUMEN CAECIS
MALA NOSTRA PELLE
BONA CUNCTA POSCE.
  罪ある者どもの縛(いまし)めを解きたまえ。
めしいたる者に光をもたらしたまえ。
我らを罪より救いたまえ。
あらゆる善きものを見出したまえ。
     
    MONSTRA TE ESSE MATREM
SUMAT PER TE PRECES
QUI PRO NOBIS NATUS
TULIT ESSE TUUS
  御身の母なるを示したまえ。
御身を通し、神が祈りを聞きたまわんことを。
我らがために生まれたまいし御方、
御身が子たるを容(い)れたまえばなり。
     
    VIRGO SINGULARIS
INTER OMNES MITIS
NOS CULPIS SOLUTOS
MITES FAC ET CASTOS.
  おとめらのうちにて優しき
たぐいなきおとめよ。
罪より解き放たれたる我らをも
優しき者ども、汚れ無き者どもと為したまえ。
     
    VITAM PRAESTA PURAM
ITER PARA TUTUM
UT VIDENTES IESUM
SEMPER COLLAETEMUR
  清き生を授けたまえ。
安けき道をととのえたまえ。
イエズスにまみゆる我らの、
とわなる喜びのうちにあらんため。
     
    SIT LAUS DEO PATRI
SUMMO CRISTO DECUS
SPRITUI SANCTO HONOR
TRIBUS UNUS. AMEN.
  父なる神に賛美あれ。
至聖なるキリストに栄えあれ。
聖霊に誉れあれ。
(神は)三つにてひとつなり。アーメン。(註2)


【「アヴェ、マリス・ステッラ」とクレルヴォーの聖ベルナール】

 クレルヴォーの聖ベルナール (St. Bernard de Clairvaux, 1090 - 1153) は、「デー・ラウディブス・ウィルギニス・マトリス」 ("DE LAUDIBUS VIRGINIS MATRIS. HOMILIAE QUATUOR" 「おとめ(処女)にして母なる御方への称讃について 四つの説教」)を著しました。この書物の第二説教は「ルカによる福音書」 1章 26, 27節に関して論じており、マリアの御名の祝日(9月12日)の朝課に唱えられます。

 「第二説教」第17節において、聖ベルナールは「イエスを産んでも処女であり続けるマリア」を、「自身の明るさを減ずることなく光を放ち続ける星」にたとえ、マリアは「ヤコブから出る星」(「民数記」24章 17節)である、と述べています。さらに光は「精神を照らして熱し、諸徳を保護するとともに悪徳を融かす」ゆえに、海の星という称号は聖母にこの上なくふさわしいとも述べています。

 「第二説教」第17節を全訳して示します。日本語訳は筆者(広川)によります。訳文中のおとめ(Virgo 処女)とは聖母マリアのこと、御子(Filius)とはイエスを指します。ラテン語原文の意味を余すところなく正確に日本語に移すとともに、こなれた日本語となるようにも心がけ、文意を通じやすくするために訳語を補いました。補った訳語はブラケット [ ] で示しました。


     In fine autem versus, Et nomen, inquit, Virginis Maria. Loquamur pauca et super hoc nomine, quod interpretatum maris stella dicitur, et matri Virgini valde convenienter aptatur.    さて最後に、[ルカは]「おとめの名はマリア[であった]」、と言っている。この名についても少し論じよう。[この名は]「海の星」の意味であるといわれるが、おとめにして母なる御方に、この名は大いにふさわしく適合しているのである。
     Ipsa namque aptissime sideri comparatur; quia, sicut sine sui corruptione sidus suum emittit radium, sic absque sui laesione virgo parturit filium. Nec sideri radius suam minuit claritatem, nec Virgini Filius suam integritatem.    すなわちおとめにして母なる御方が星々に譬えられるのは、たいへんふさわしいことである。なぜならば星は光を放っても、自身が朽ちることはないが、それと同じように、おとめは自身[の処女性]を害すること無く御子を生むからである。また星が放つ光が星の明るさを減じることはないが、それと同じように、御子がおとめの完全[なる処女]性を減じることはないのである。
     Ipsa est igitur nobilis illa stella ex Jacob orta, cujus radius universum orbem illuminat, cujus splendor et praefulget in supernis, et inferos penetrat: terras etiam perlustrans, et calefaciens magis mentes quam corpora, fovet virtutes, excoquit vitia. Ipsa, inquam, est praeclara et eximia stella, super hoc mare magnum et spatiosum necessario sublevata, micans meritis, illustrans exemplis.    おとめにして母なる御方は、それゆえ、ヤコブから出るかの高貴な星(註3)である。この星が発する光は全世界を照らし、その輝きは天においてきらめくだけでなく下界をも貫き、これに加えて、身体よりも精神をいっそう照らして熱し、諸徳を保護し、悪徳を融かす。私は言うが、おとめにして母なる御方は、非常に明るい特別な星であり、この大いなる海と大気の上方に昇って、数々の功徳に輝き、数々の模範によって照らすのである。
     .O quisquis te intelligis in hujus saeculi profluvio magis inter procellas et tempestates fluctuare, quam per terram ambulare; ne avertas oculos a fulgore hujus sideris, si non vis obrui procellis.    この世の荒波の中で、自らが地を歩むより、むしろ嵐と風雨の間をたゆたっていることを理解している者は誰でも、嵐に押しつぶされたくなければ、この星の輝きから目を逸らせてはならぬ。
     Si insurgant venti tentationum, si incurras scopulos tribulationum, respice stellam, voca Mariam. Si jactaris superbiae undis, si ambitionis, si detractionis, si aemulationis; respice stellam, voca Mariam. Si iracundia, aut avaritia, aut carnis illecebra naviculam concusserit mentis, respice ad Mariam. Si criminum immanitate turbatus, conscientiae foeditate confusus, judicii horrore perterritus, barathro incipias absorberi tristitiae, desperationis abysso; cogita Mariam. In periculis, in angustiis, in rebus dubiis, Mariam cogita, Mariam invoca.    誘惑の暴風に立ち向かうときも、艱難の岩にぶつかるときも、かの星を見てマリアに呼ばわれ。高慢、野心、誹謗、嫉妬の波にさらわれそうになれば、かの星を見てマリアに呼ばわれ。怒り、貪欲、肉の誘惑が小舟のごとき精神を翻弄するとき、マリアに目を向けよ。罪の大きさに不安になり、醜い心に狼狽し、裁きの恐怖におののき、悲しみの深み、絶望の淵に引き込まれそうになるならば、マリアを思え。危険に遭うとき、苦しむとき、どうしてよいか分からないとき、マリアを思い、マリアに援けを求めよ。
     Non recedat ab ore, non recedat a corde; et ut impetres ejus orationis suffragium, non deseras conversationis exemplum.    [汝の]口から[マリアが]姿を消さぬようにせよ。[汝の]心から[マリアが]姿を消さぬようにせよ。[汝のために捧げてくださる]マリアの[執り成しの]祈りを裏切ることがなきように、ふさわしい者たちと交われ(註4)。
     Ipsam sequens non devias: ipsam rogans non desperas: ipsam cogitans non erras. Ipsa tenente non corruis; ipsa protegente non metuis; ipsa duce non fatigaris; ipsa propitia pervenis: et sic in temetipso experiris quam merito dictum sit, Et nomen Virginis Maria.    マリアに従うならば、道を誤ることはない。マリアに祈るならば、絶望することはない。マリアを思うならば、道に迷うことはない。マリアが支え給うならば、汝が滅びることはない。マリアが守り給うならば、汝が恐れることはない。マリアが導き手であれば、汝は疲れることがない。マリアは恵み深くあり給うゆえ、汝は[天の御国に]至る。いかなる意味で「おとめの名はマリア[であった]」と言われているのかを、汝はこのようにして、汝自身のうちに経験的に知るのである(註5)。
     Sed jam modice pausandum est, ne et nos in transitu claritatem tanti luminis intueamur. Ut enim verbis apostolicis utar, Bonum est nos hic esse (Matth. XVII, 4): et libet dulciter contemplari in silentio, quod laboriosa non sufficit explicare locutio. Interim autem ex devota scintillantis sideris contemplatione, ferventior reparabitur in his quae secuuntur, disputatio.    しかし、これほどの光の明るさが去ってしまうのを我々が目にすることにならないように、いまは少し休むべきである。というのは、「われわれがここにいるのは幸福なことです」(マタイ 17: 4)という使徒ペトロの言葉をわたしは使うが、沈黙のうちに甘美なる観想を行うのは望ましいことであるから。言葉を尽くしても、そのことを説明するのに十分ではないのだ。しかしながらその一方で、敬虔な心できらめく星を観想すれば、その観想から生じる諸々の帰結において、議論はいっそう活き活きとした力を取り戻すであろう。


 1146年、クレルヴォーの聖ベルナールがシュパイエル司教座聖堂にある聖母像の前で「アヴェ、マリス・ステッラ」を繰り返し歌って聖母を讃えていると、聖母が胸を押して聖ベルナールの開いた口に乳を飛ばしたといわれています。この伝説において、聖母の乳はその甘さにより、聖ベルナールの弁舌の巧みさをも象徴しています。


(下) Alfonso Cano (1601 - 67), Vision of St. Bernard, 1650, Museo del Prado, Madrid





註1 原罪の元となった人祖の妻の名エヴァ(EVA) をひっくり返すと、受胎告知の際にガブリエルが発した言葉のラテン語訳アヴェ(AVE) になります。アヴェは本来間投詞で「ごきげんよう」「こんにちは」等とも訳されますが、ヘブル文学の延長線上にある新約聖書の用語としては、メシアの出現を予告する深い意味を有します。詳しい説明は受胎告知の解説ページをご覧ください。


註2 最終スタンザを "Sit laus Deo Patri, (sit) decus Summo Christo, (sit) honor Spiritui Sancto. Tribus Unus (est Deus). Amen." と解釈して訳しました。

 ラテン語は純然たる屈折語であるゆえに、近代語に比べて語順はかなり自由です。最終スタンザを "Sit laus Deo Patri (et) Summo Christo, (sit) decus Spiritui Sancto. (Sit) honor unus Tribus (Personae Dei/Divinae). Amen." と解釈することも可能で、その場合は「父なる神と至聖なるキリストに賛美あれ。聖霊に栄えあれ。三位に誉れあれ。アーメン。」という意味になります。


註3  「民数記」 22章から 24章には、預言者バラムがイスラエル民族を祝福した出来事が記録されています。預言者バラム (Balaam) は、イスラエル民族を呪うために、モアブ人の王バラクに招聘されたのですが、バラクに依頼された呪詛の言葉の代わりに、主なる神の示し給う内容を預言して、モアブ人の敵であるイスラエル民族を祝福しました。24章 17節から 19節を、新共同訳で引用します。

     わたしには彼が見える。しかし、今はいない。彼を仰いでいる。しかし、間近にではない。ひとつの星がヤコブから進み出る。ひとつの笏がイスラエルから立ち上がり、モアブのこめかみを打ち砕き、シェトのすべての子らの頭の頂を砕く。
     エドムはその継ぐべき地となり、敵対するセイルは継ぐべき地となり、イスラエルは力を示す。
     ヤコブから支配する者が出て、残ったものを町から絶やす。

 ここでバラムが「ひとつのがヤコブから進み出る」と語るのは、直接的にはモアブとエドムを征服したダヴィデを指します。しかしながらこの預言は、ダヴィデの子孫からメシア(救世主)が出ることをも語っていると考えられています。聖ベルナールはこの説教において、星をマリアに当てはめて考えています。


註4 ut impetres ejus orationis suffragium, non deseras conversationis exemplum.  直訳 マリアの祈りをあなたが完成できるように、社交の模範を放棄してはならない。


註5 experior v. dep. 経験によって知る




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