髑髏やトランジなど メメントー・モリー
Tête de Mort, Transis, MEMENTO MORI




(上) ハンス・バルドゥンク 「エヴァと蛇と死」 Hans Baldung, „Eva, die Schlange und der Tod“, um 1510 bis 1512, National Gallery of Canada, Ottawa


 メメントー・モリー(MEMENTO MORI) はラテン語の句で、多くの場合「死をおぼえよ」と訳されています(註1)。キリスト教では、この世の生の儚さを思い、永遠の生に心を向ける祈りや瞑想のことをメメントー・モリーと呼んでいます。美術分野においては、髑髏(どくろ)や散り行く花の図像、横たわる死者を表した彫刻、ローマのカプチン会聖堂にあるような人骨の装飾など、この世の生の儚さを象徴する表現を指して、メメントー・モリーと呼んでいます。メメントー・モリーと同じ意味で、メメントー・モルティス(MEMENTO MORTIS)、メメントー・モルテム(MEMENTO MORTEM) という表現も使われます(註2)。

 なおメメント・モリというカタカナ表記を見たことがありますが、ラテン語における母音の長短を考慮すると、メメントー・モリーが正しい表記です。原音に忠実でないカタカナ表記が十分に普及している場合、当ウェブサイトでは止むを得ず慣用に従っています。しかしながらメメント・モリという誤表記は、幸いにもそれほど普及していると思えません。したがって当ウェブサイトの表記はメメントー・モリーに統一いたします。


【古典古代におけるメメントー・モリー】

 共和政ローマ及び帝政ローマにおいて、戦闘に大きな勝利を収めた将軍は戦場で兵士たちの歓呼を受け、インペラートル(IMPERATOR) の称号を獲得しました。インペラートルとなった将軍は、配下の軍隊を率いてローマに凱旋し、ウィア・サクラ (VIA SACRA 「神聖なる道」 註3)を通ってユピテル神殿に参詣します。将軍は神殿で行われる儀式(トリウンフス TRIUMPHUS)によって、インペラートルよりも優れたウィル・トリウンファーリス(VIR TRIUMPHALIS) あるいはトリウンファートル(TRIUMPHATOR) となりました。ローマの軍人にとって、ウィル・トリウンファーリスの称号を得ることは最高の栄誉であり、生涯の目的でした。

 戦勝の将軍は、兵士たちの推挙を受けてインペラートルとなる際に、二本の月桂樹の枝で編んだ冠を贈られました。トリウンフスのために凱旋する際、将軍はこの月桂冠を被りましたが、これとは別に、将軍の頭上には奴隷によって金製の月桂冠(すなわち、月桂冠を象った金製の冠)が掲げられ、この奴隷によって、不死の神々と比べた人生の儚さを想起させる言葉が連呼されました。奴隷が掲げる金製の月桂冠は、ユピテル神殿でユピテルに奉献されました。

 このとき奴隷が連呼していた具体的な言葉は記録に残らず分かっていませんが、おそらく「メメントー・モリー」あるいは「レスピケ・テー、ホミネム・テー・メメントー」(RESPICE TE, HOMINEM TE MEMENTO 註4) といった類いの言葉であろうと考えられています。



【中世以降の西ヨーロッパにおけるメメントー・モリー】

 美術分野におけるメメントー・モリーの表現を、いくつかの類型に分けて示します。


・髑髏とともに描かれる聖人像

 マグダラのマリアアッシジの聖フランチェスコ、聖ジェラルド・マジェラをはじめとする幾人かの聖人は、髑髏がアトリビュートとなっています。これらの聖人は本格的な美術品においても信心具においても、髑髏を手に持ち、あるいは前に置いて、来世を思いつつ神に祈っています。


(下) Georges de La Tour, The Repentant Magdalen, 1635 - 1640, oil on canvas, 113 x 92.7 cm, National Gallery of Art, Washington D.C.




(下) Francisco de Zurbaran, St. Francis kneeling, 1635 - 39, oil on canvas, National Gallery, London




(下) 聖ジェラルド・マジェラのメダイ





・ダンス・マカーブル(danse macabre 死の舞踏)を描いた図像

 ダンス・マカーブル(仏 la danse macabre)、トーテンタンツ(独 der Totentanz)とは、死神があらゆる身分の人々を容赦なく連れ去り、あるいは大鎌で刈り取る様子を描いた15, 16世紀頃の図像です。ダンス・マカーブルは北ヨーロッパを中心とする各地において、修道院や墓地の壁画、写本の挿絵、版画などに盛んに描かれました。壁画として確認できるのは、パリのサン・チノサン修道院墓地のものが最初の事例です。この作品は現地において失われましたが、写本の挿絵に記録が残っています。下の写真はフランス中南部ラ・シェーズ・=デュ(La Chaise-Dieu オーヴェルニュ地域圏オート=ロワール県)のベネディクト会修道院 (l'abbaye de la Chaise-Dieu) の壁画で、15世紀中頃の作品です。





 ハンス・ホルバイン(息子)(Hans Holbein der Jüngere, 1467/68 - 1543) は北方ルネサンスの重要な画家のひとりであり、「ダルムシュタットの聖母子」をはじめとする美しい作品の作者として知られています。ホルバインはトーテンタンツをテーマにした小品のシリーズを描いており、これは版画となって広く流布しました。16世紀当時、リヨンでは出版業が盛んでしたが、ホルバインが描いた「トーテンタンツ」のウッド・エングレーヴィング 四十一葉を掲載した最初の本は 1538年にリヨンで出版され、1562年までに十一回の版を重ねています。


(下) Hans Holbein der Jüngere, „Totentanz ; die Vertreibung aus dem Paradies“




 下の写真はピーター・ブリューゲル(父)(Pieter Bruegel de Oude, 1520 - 1569) による油彩板絵「死の勝利」("de triomf van de dood", 1562) で、あらゆる身分の人々が日常生活を送るなか、死が襲いかかる様子を描いています。ブリューゲルはこの作品にダンス・マカーブルの表現を採り入れています。


(下) Pieter Brueghel el Viejo, "El triunfo de la Muerte", 1562, Óleo sobre tabla, 117 x 162 cm, el Museo del Prado




・トランジ

 中世からルネサンス期に作られた王侯貴族や高位聖職者の墓には、腐乱してゆく遺体を写実的に表現したトランジ(仏 transi)と呼ばれる彫刻がしばしば見られます。墓碑の彫刻には、眠っているように見える盛装の横臥像ジザン(gisant) がありますが、トランジに表された遺体はジザンの場合と違って、身分にふさわしい服装を身に着けず、裸であり、また死後に時間が経過した状態を写して、遺体であることが明らかな姿に作られています。トランジは見る者に強烈な印象を与えるメメントー・モリーの一類型であり、どれほど高貴な身分の人にも死は平等に訪れること、死ねば身分の差など無くなることを如実にわからせます。

 下の写真は国王ルイ12世と王妃アンヌ・ド・ブルターニュのトランジで、サン・ドニ聖堂にあります。このトランジはまだ正視しやすいほうですが、国王と王妃はともに裸であり、庶民の遺体と変わりはありません。国王の腹には何匹ものウジが這っています。





・骨で埋め尽くした礼拝堂

 ヨーロッパ各地には、壁や天井、祭壇を人骨で埋め尽くした礼拝堂がみられます。ローマにあるカプチン会の聖堂、サンタ・マリア・デッラ・コンチェツィオーネ教会(Santa Maria della Concezione dei Cappuccini 御宿りのサンタ・マリア教会)のクリプト(地下礼拝堂)は、最もよく知られた例のひとつです。





・砂時計や散り行く花などを描いた絵(ヴァニタース)

 以上はいずれも死神や髑髏、遺体の図像、ときには人骨そのものによって、「メメントー・モリー」の教訓を表していますが、このような直接的表現以外にも、象徴的意味を有する静物を髑髏とともに描き、いわば詩的な表現によって、メメントー・モリーの思想を表す作例が見られます。一見したところ通常の静物画のようにも見えるこれらの作品は、ヴァニタース(VANITAS ラテン語で「虚栄」「虚しさ」の意)と呼ばれています。

 ヴァニタースにおいて髑髏とともに描かれるのは、形ある物の儚さや時間の経過を連想させる物品、あるいは現世の虚栄を示す物品です。前者の例としては、砂時計、消えかかったランプ、散り行く花、傷んでゆく果物、不安定で落下しそうなガラス器などが挙げられます。後者の例としては、金銭や高価な品々、宝飾品などが挙げられます。




(上) Caravaggio, "Canestro di frutta", c. 1599, olio su tela, 46 x 64.5 cm, Pinacoteca Ambrosiana, Milano


 上の作品はカラヴァッジョ (Michelangelo Merisi da Caravaggio, 1571 - 1610) が 16世紀末頃に描いたヴァニタースです。この時代には絵画の画題に価値の優劣があって、最も高尚とされたのは宗教画であり、最も価値が低いとされたのは静物画でした。それにもかかわらずカラヴァッジョは花や果物を描きましたが、カラヴァッジョにとって、それらの静物画は宗教画に他なりませんでした。上の作品に描かれた美味な果実は地上に生きる人間の味覚を楽しませますが、感覚が与える快楽は堕落の源です。「創世記」 3章 6, 7節はエヴァが原罪を犯した場面を次のように記録しています。

     6    女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。
     7    二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。




(上) Caravaggio, "The Supper at Emmaus", 1601, Oil and tempera on canvas, 141 x 196.2 cm, The National Gallery, London


 カラヴァッジョが描く果物は、一見したところ瑞々しそうに見えますが、よく見ると虫に食われ、梨、桃、葡萄の葉は早くも枯れています。果物もすぐに傷んでしまうでしょう。またこれらの果物を入れた籠は、テーブルの縁からはみ出して、いまにも落ちそうです。カラヴァッジョは 1601年の作品「エマオでの食事」においても果物籠を描いていますが、この作品においても籠は食卓から落ちそうな位置に置かれています。感覚を喜ばせる果物は地上の生の象徴であり、これが落ちそうな位置にあることは、生の儚さを表しています。キリストの象徴であるパンと葡萄酒は、果物籠とは違って安定したところに置かれています。




(上) Jan Brueghel l'Ancien, "Bouquet de fleurs avec bijoux, pièces et coquilles", 1606, Huile sur cuivre, 65 × 45 cm, Pinacoteca Ambrosiana, Milan


 植物との関連で言えば、美しい花もメメントー・モリーのひとつです。ヤン・ブリューゲル(父)(Jan Brueghel l'Ancien, 1568 - 1625) は花を描いた数々の絵で知られます。上に示した作品は、カラヴァッジョの「果物籠」と同じく、ミラノのピナコテカ・アンブロジアに収蔵されている銅板油彩で、束の間の美と香(かぐわ)しさで感覚を魅了する花々に加え、短命で美しい蝶、虚栄の象徴であるジュエリーと金貨、軟体動物が死んで遺した貝殻を描いています。ヤン・ブリューゲルによるこの作品の注文主は、ミラノ大司教フェデリコ・ボッローメオ師 (Msgr. Federico Borromeo, 1564 - 1631) です。ボッローメオ師はカラヴァッジョの「果物籠」の持ち主でもありました。





 上の作品はフランドルの画家アドリアン・ファン・ユトレヒト (Adriaen van Utrecht, 1599 -1652) による 1643年頃の油彩 (67 x 86 cm) で、ヴァニタースの典型です。画面左に描かれた花の種類に関して見ると、薔薇は地上の愛と性の快楽を司るアフロディーテー(ウェヌス)の花であるゆえに、七つの罪のひとつである淫乱を象徴します。ケシはアヘンの原料作物であり、怠惰を象徴します。チューリップは17世紀のオランダでは投機の対象であり、貪欲を象徴します。しかもこれらの花々の美は柄の間しか持続せず、いずれも近い将来に萎みます。「イザヤ書」四十章三節から九節には次のように書かれています。新共同訳により引用します。(註5)

     3    呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。
     4    谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。
     5    主の栄光がこうして現れるのを、肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される
     6    呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。
     7    草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい
     8    草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。


 絵の右端に見えるオウムガイの殻は、殻の本来の持ち主である軟体動物が死後に遺した遺物であり、人間の髑髏と同様の象徴的意味を有します。その後ろにあるのはオイル・ランプで、束の間しか燃え続けません。オイルランプの向かって左隣にあるのは砂時計、その隣にあるのは儚く壊れやすいガラス器です。ガラス器はふたつとも非常に薄い高価な品で、とりわけ一方のガラス器は口の部分に鍍金してあり、虚栄をよく象徴しています。指揮棒は束の間しか持続しない音楽を連想させて人生の儚さを思わせます。指揮棒の下の鏡、貴金属や真珠のジュエリー、金銭が虚栄の象徴であることは言うまでもありません。御木本幸吉翁が養殖真珠を作る以前、真珠はこの上なく貴重で高価な宝石でした。「ヨハネの黙示録」十七章及び十八章において、真珠は地上の悪しき都「大バビロン」を象徴する淫婦の身を飾っています。鏡の上には人間の由来と原罪の呪いを思い出させる土(「創世記」二章及び三章)が置かれています。中央手前に描かれた時計は、人生の残り時間が減る様子を示すという時計の機能に加え、当時の時計は普通の人が手にできない非常に高価なものであった点、落下すれば容易に壊れる点でも、虚栄と儚さを象徴します。




(上) Raffaello, "L'Estasi di santa Cecilia", c. 1514, olio su tavola trasportata su tela, 236 x 149 cm, Pinacoteca Nazionale, Bologna


 時代が前後しますが、楽器をメメントー・モリーとして描いた有名な作品として、ラファエロ (Raffaello Sanzio, 1483 – 1520) による「聖セシリアの脱魂」を示します。ラファエロはこの作品においてさまざまな楽器を描いていますが、それらはいずれも完全な状態ではありません。この作品に描かれた諸々の楽器は音楽のように束の間しか持続しない生、ならびに死とともに消失する感覚的喜びを象徴しています。ラファエロは楽器を壊れた状態に描くことで地上の生の儚さを強調し、ここに描かれている聖人たち、すなわち向かって左から右に、使徒パウロ、使徒ヨハネ、聖セシリア、アウグスティヌス、マグダラのマリアのエクスタシス(ἔκστασις 脱魂、恍惚)を強く印象付ける作品に仕上げています。

 中央に立つ聖セシリアの手に、ラファエロは携帯用オルガンを持たせています。ラファエロがさまざまな楽器から携帯用オルガンを選んで聖セシリアに持たせた理由は、この聖女に関連する聖務日課の祈りにオルガンが登場することに加え、美術表現において諸々の楽器を代表するのが携帯用オルガンであるという事情によります。携帯用オルガンは音楽を擬人化した女性像「ムシカ」(MUSICA) のアトリビュートとして、写本挿絵などに最もよく描かれる楽器です。ラファエロはセシリアに持たせた携帯用オルガンによって、すべての音楽を視覚的に表しています。


【時計とメメントー・モリー】

 上の静物画にも描き込まれている時計は、人生の残り時間が減ってゆく様子を示す装置です。それゆえ時計は髑髏と共にヴァニタースに描かれましたが、それとともに、時計そのものの意匠にも、髑髏や死神など、死を連想させる造形が採り入れられることがありました。

 携帯可能な最初の機械式時計は、クリスティアン・ホイヘンス (Christiaan Huygens, 1629 - 1695) が 1675年に制作した懐中時計です。これはひげぜんまいの等時性を利用した天符式時計であり、その後に製作されたすべての機械式時計は、現代の製品に至るまで、ホイヘンスが考案したひげぜんまいの天符で調速を行っています。

 ところでヨーロッパで発明された最も古い型の機械式時計は、棒天符とヴァージ式脱進機(verge escapement 冠型脱進機)を使用したクロックで、13世紀には既に作られていました。ホイヘンスは棒天符をひげぜんまいの天符に置き換えて、傾けても止まらない懐中時計を作ったわけですが、脱進機はヴァージ式でした。1695年にはシリンダー脱進機が発明されて、フランスではこの方式が採用されましたが、イギリスでは19世紀半ばまでヴァージ式脱進機が使われ続けました。


 1710年製


 ヴァージ(verge) とは天符のスピンドル(軸)のことで、レバー式脱進機でいえば天真とアンクルの棹を兼ねています。ヴァージには、レバー式脱進機でいえばアンクルの爪に相当する二枚の小板(パレット)が取り付けられており、このパレットが、レバー式脱進機のガンギ車に相当する冠型歯車と噛み合って調速を行います。ヴァージ式脱進機においては、天符(上の写真の a)と冠型歯車(b)が互いに垂直な位置関係となりますから、ムーヴメントの厚さも必然的に大きくなります。

 さらにこの時代の懐中時計は主ぜんまいが巻き戻るにつれて起こるトルクの減衰を補うために、香箱の横に配置した円錐滑車(fusée フュゼー c)をチェーンで駆動し、これを介することによって、輪列に伝わる力を一定に保つ仕組みでした。フュゼー式ムーヴメントの香箱とフュゼーはたいへん背が高い部品で、ムーヴメントが厚くなる原因となっていました。

 以上二つの原因、すなわち天符が冠型歯車に対して垂直に取り付けられていることと、香箱とフュゼーが背が高いことにより、ヴァージ・フュゼー式ムーヴメントは必然的に分厚くなりました。ヴァージ・フュゼー式ムーヴメントをケースに入れると懐中時計は球形に近くなり、英語でターニップ(turnip 蕪)、ドイツ語でカルトフェル(独 eine Kartoffel じゃがいも)とも俗称されました。このような時計の形状を活かして、頭蓋内にムーヴメントを納めた髑髏型携帯用時計が数多く制作されました。またクロックにおいては、骸骨や死神の彫刻を添えたものや、死神のオートマトン付きの時計もありました。





 上の写真はアメリカにあったエルジン時計会社のトレードマーク、ファーザー・タイム(英 Father Time 時の神)です。ファーザー・タイムとともに描かれる砂時計と大鎌は、ヨーロッパの伝統的図像表現における死神のアトリビュート(持ち物)と共通しています。





 上の写真は現代の安価なクォーツ式時計ですが、テンプス・エダクス・レールム(羅 TEMPUS EDAX RERUM 時は全てを滅ぼす)というラテン語の銘が文字盤に書かれています。テンプス・エダクス・レールムを直訳すると、時はあらゆる事物を貪(むさぼ)る、という意味です。この格言はオウィディウス「メタモルフォーセース」第十五巻 234行に由来します。原テキストの該当箇所と日本語訳を下に示します。日本語訳は筆者(広川)によります。

  TEMPUS EDAX RERUM, TACITISQUE SENESCIMUS ANNIS.  時があらゆる事物を貪り、黙って過ぎゆく年月に、我らは老いてゆく。


【シャプレに取り付けられるメメントー・モリー】

 カトリックのシャプレ(数珠、ロザリオ)には獣骨を彫って作った髑髏が取り付けられることがあり、この髑髏もメメントー・モリーと呼ばれます。シャプレのメメントー・モリーは単純な髑髏である場合もありますし、片面がキリストの顔、もう片面が髑髏になっている場合もあります。

 後者のメメントー・モリーの典型において、キリストは頭に茨の冠を被っています。反対側の髑髏は眼窩から蛇が這い出て、自分の尾に噛み付いています。この髑髏はアダムの骨であり、髑髏にまとわりつく蛇ウロボロス(οὐροβόρος ギリシア語で「尾 を食物とする者」の意)は、原罪の限りない連鎖を象徴しています。「創世記」 3:15 において、神は蛇に向かって次のように言っています。

  お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に / わたしは敵意を置く。/ 彼はお前の頭を砕き、/ お前は彼のかかとを砕く。(新共同訳)


 それゆえ、受難のキリストと髑髏が表裏一体となったメメントー・モリーは、死に対するキリストの勝利を表します。これがシャプレに付けられることは、天使祝詞(アヴェ・マリア)において誕生を予告されたイエスが、蛇の頭を砕き、死に打ち勝って永遠の生をもたらすメシア(キリスト)であることを示しています。

 下の写真は 19世紀中頃のフランスで制作されたカニヴェ(ダンテル・メカニーク)で、愛徳姉妹会の修道女を描いています。修道女が爪繰るシャプレには、クルシフィクスのすぐ上に、獣骨で彫ったメメントー・モリーが付いています。


(下) 「イエスを愛するはわが喜びのすべて。貧者に仕うるはわが幸いのすべて」 愛徳姉妹会のカニヴェ "Dieu et les pauvres", Bouasse Lebel, No. 641, 105 x 67 mm 当店の商品です。





註1 メメントー(MEMENTO) はラテン語の不完全動詞メーミニー(MEMINI, -ISSE おぼえている、忘れずにいる)の命令形、詳しくは命令法未来能動相三人称複数という形で、「人々は今後も憶えていよ、皆は忘れることが無きようにせよ」という意味です。モリーはラテン語の形式所相動詞モリオル(MORIOR, MORI, MORTUUS SUM 死ぬ)の不定詞、詳しくは不定法現在形という形で、「死ぬこと」という意味です。したがってメメントー・モリーを詳しく正確に訳すならば、「自分が(いつかは)死ぬということを、誰も忘れることがないようにせよ」という意味になります。

註2 メーミニーの補語(complément 英文法で言う目的語)となる名詞は、属格または対格に置かれます。さらに一般化して言うと、インド=ヨーロッパ語において、知る、憶える、思い出す、忘れる、憐れむ等、心的はたらきを表す動詞は、属格を支配する場合が多くあります。インド=ヨーロッパ語の属格には、心的はたらきが及ぶ範囲を無限定的に表すという機能があるのです。

 ラテン語で死を表す名詞はモルス(主格 MORS)です。メメントー・モルティスの場合は動詞の補語が属格 (MORTIS)に、メメントー・モルテムの場合は対格 (MORTEM) になっています。ラテン語としてはどちらも正しい表現です。

註3 ウィア・サクラ(VIA SACRA 神聖なる道)は、コロッセウムに発してフォルム・ローマーヌムを東から西に縦断し、タブラリウムの横からカピトーリウムの丘に登ってユピテル神殿 (AEDES JOVIS OPTIMI MAXIMI CAPITOLINI) に至ります。

註4 「レスピケ・テー、ホミネム・テー・メメントー」(RESPICE TE, HOMINEM TE MEMENTO) は、ラテン語で「汝自身をよく見よ。汝が人間に過ぎぬことを忘れるな」という意味です。

 この句の後半「ホミネム・テー・メメントー」(HOMINEM TE MEMENTO) は、"HOMINEM TE ESSE MEMENTO" の意。すなわち "TE" は省略されている "ESSE" の対格主語、"HOMINEM" は "TE" と同格の属詞(attribut 英文法で言「補」)。「汝が人間であるということを忘れるな」、すなわち「不死の神ではなく、死すべき人間に過ぎないことを忘れるな」という意味です。

註5  「イザヤ書」四十章六節は、「ペトロの手紙 一」一章二十四、二十五節に引用されています。二十三節から二十五節を新共同訳により引用します。

     23    あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。
     24    こう言われているからです。「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。
     25    しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。

 なお西洋のメメントー・モリーとは意味合いが異なりますが、古い時代の我が国においても、花はもともと死者や神霊への供え物でした。一茶は「手向くるや むしりたがりし赤い花」という句を詠んでいます。子供が生前に摘みたくても摘ませてもらえなかった赤い花を、その子の墓前にいま供えている、という意味です。朝日新聞社から 1931年に出版された「明治大正史 IV 世相編」において、柳田国男は江戸時代初期の「吾妻廻り」(あづまめぐり)という本を引用し、当時の江戸で椿の花を飾るのが流行していたことに田舎の人が驚く様子を紹介しています。田舎の人が驚いたのは、当時の保守的な人々にとって、椿に限らず花は供え花であって、単なる装飾に使うものではなかったからです。



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