真珠と真珠母
la perle et la nacre



(上) Jan Vermeer, "La dame au collier de perles", 1662/64, huile sur toile, 55 x 45 cm, Staatliche Museen, Berlin


 真珠は世界の諸民族において生命力と豊穣を象徴します。また高価さゆえに虚飾を象徴する一方で、キリスト教においては至高の価値である天国、救済、至福直観をも表します。

 本稿ではロマンス諸語において「真珠」を表す語を論じたあと、真珠が持つ象徴性を、さまざまな民族において広く共有される意味と、キリスト教における意味に分けて概観します。また真珠がグノーシス派において至高の知恵あるいは神との合一を表す例として、トマス行伝の「真珠の歌」を取り上げました。


【ロマンス諸語における「真珠」】

 ロマンス諸語において、「真珠」は次の語で表されます。

伊 perla  仏 perle  西 perla  葡 perola  ルーマニア語 perla  レトロマン語 perla

 これらの語はいずれも「真珠」を表す俗ラテン語ペルラ (PERLA) またはピルラ (PIRULA) に由来しますが、ペルラまたはピルラの語源には次のふたつの説があります。

・ラテン語ペルナ(PERNA 「大腿部」)に縮小辞 -ula が付いて、ペルヌラ (pernula* カキ類の貝の名前) になり、さらに変化して俗ラテン語ペルラ (PERLA) になったとする説。

・ラテン語ピルム(PIRUM 「洋梨」)に縮小辞 -ula が付いて、俗ラテン語ピルラ (PIRULA) になったとする説。


 「大腿部」や「洋梨」がペルラの語源と聞くと不審に思われる方もあるでしょう。養殖真珠を見慣れた現代人は、真珠は丸いものだと思っていますが、真球の真珠は本来たいへん稀少なものなのです。

 すなわち真珠は日本の御木本幸吉が十九世紀末から二十世紀初頭にかけて考案した養殖真珠によってこそ容易に手に入るようになったのであって、まったく天然に、人間の介入が一切無く、真珠が貝の中に見つかることはほとんどありません。どのような形状のものであれ、そもそも真珠が貝の中に見つかること自体、非常に珍しいことでした。ましてや全体が綺麗に真珠層に被われた真珠はさらに少なく、真球の真珠となると、王侯貴族でもない限り、一生の間に目にする事さえ叶わない稀少品でした。(註1)

 現在は死語となっていますが、ひと昔前には「貴石」「半貴石」という言葉があって、真珠は「貴石」、すなわち特に珍重されるべき宝石と考えられていました。養殖によっていくらでも採れる真珠が、ルビーやエメラルドに伍する「貴石」とされていたのは、真珠養殖が考案される以前、真珠が非常な貴重品であった時代の名残(なごり)です。


 それゆえ日本において真珠貝の養殖が行われるようになるよりも以前の時代、真珠はたいへん稀少でした。また稀に見つかる真珠も、そのほとんどはバロック真珠でした。下の写真は養殖のアコヤガイの中から見つかった無核の芥子(けし)パールです。養殖のアコヤガイはほとんどの場合一年で海から引き揚げてしまうので、この芥子(けし)パールのサイズは小さく、形状もそれほど歪(いびつ)ではありません。


 当店の商品。写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。


 しかしながら人の手を介さず、まったく天然に貝の中にできる真珠は、長期に亙って貝の中で成長し、細長い形になります。下の写真にある洋梨形の珠は養殖アコヤガイが産んだバロック・パールの逸品で、筆者(広川)が養殖業者に個人的に頼んで特に分けてもらったものです。現在の真珠養殖は核入れ後一年で貝を海から引き上げてしまいますが、この真珠が採れた時代は約三年をかけて真珠を育てていたので、ときにこのように最高の照り(艶)を持つバロック・パールが見つかりました。

 養殖あこや貝の中で比較的短期間で育ったものでありながら、「大腿部」や「洋梨」のような形をしたバロック・パールを見ると、養殖が行われるようになる以前、まったくの偶然が産み出す無核の真珠がどのようなものであったか、容易に想像できます。


(下) 洋梨に似たあこや貝バロック・パール。右上の真珠の長径 11.6ミリメートル。現在では入手不可能な逸品です。当店の商品。



(下) 大腿部に似たあこや貝バロック・パール。当店の商品です。




 古典ラテン語において「真珠」を指す語は「マルガリータ」(MARGARITA)で、古代ペルシア語に由来する古典ギリシア語「マルガリーテース」(μαργαρίτης)を写したものです。しかしながら「マルガリータ」は、やがてペルラ (PERLA)、ピルラ (PIRULA) に完全に置き換えられてしまいました。

 「マルガリータ」は女性名として西ヨーロッパの言葉に残りましたが、「真珠」というギリシア語の原意は忘れ去られました。マルガリータが「真珠」の意味のままロマンス語に入ったのはスペイン語のみです。スペイン語以外の言語では、マルガリータは女性の名前並びに花の名前となっています。


(下) アンティオキアの聖マルガリータ Francisco de Zurbarán, "St. Margarita", c. 1631, oil on canvas, 194 x 112 cm, The National Gallery, London





【生命力と豊穣の象徴としての真珠】

 真珠は世界の諸民族において共通する象徴的意味を有します。すなわち諸方の民族において、真珠は女性が持つ生殖能力の象徴であり、生命力、豊穣の象徴ともされます。また呪術的な強い力を有する薬とも見做されています。

 真珠が女性の生殖能力と関連付けられるのは、真珠の母貝である牡蠣(かき)の身が、女性器を連想させるからです。牡蠣が女性器であるとすれば、そこに宿る真珠は胎児、すなわち生殖力と新しい生命の象徴となります。牡蠣と女性器の類似性から、真珠は世界各地において生殖力の象徴、豊穣の象徴とされています。ギリシアでは真珠は愛と結婚の徴(しるし)とされましたが、これも豊穣をもたらす真珠の呪力に子孫繁栄を願ったからでしょう。

 生殖力、生命力との関連において、真珠は呪術的な力を持つ強力な媚薬、治療薬とも考えられました。ヨーロッパにおいてもインドや中国においても、真珠は薬として使われました。ときに真珠は遺体を腐敗から守り、あるいは来世に転生させる力を有するとも考えられました。ラオス人や北アメリカ原住民の間で、葬送儀礼における真珠の使用が報告されています。




(上) 青木繁 「大穴牟知命」 1905年 カンヴァスに油彩 ブリジストン美術館


 真珠と真珠母に直接の関係はありませんが、「古事記」上つ巻の大国主の段、稲羽の素兎に続く箇所に、大穴牟遲神(オオアナムチ 大国主)が兄たちによって猪に似せた焼石を抱かされ、殺される話が記録されています。大穴牟遲神の母はこれを嘆いて神産巣日之神に訴え、神産巣日之神はキサガヒヒメ(赤貝)とウムガヒヒメ(蛤)を遣わして、大穴牟遲神を蘇生させます。この物語も、女性器を想起させる貝の呪力に基づきます。


【聖書における真珠】

・旧約聖書 「ヨブ記」

 新共同訳聖書の「ヨブ記」28章18節には、真珠が出て来ます。

  さんごや水晶は言うに及ばず/真珠よりも知恵は得がたい。(「ヨブ記」28章18節 新共同訳)

 ただしここでそれぞれ「さんご」「真珠」と訳されている二つの語の意味は諸説あってはっきりとせず、後者は他の近代語訳において「ルビー」「宝石」等とも訳されています。「ヨブ記」28章18節は、七十人訳では次のようになっています。

  μετέωρα καὶ γαβὶς οὐ μνησθήσεται, καὶ ἕλκυσον σοφίαν ὑπὲρ τὰ ἐσώτατα

 「タ・エソータタ」(τὰ ἐσώτατα)の原意は「最も内奥にある物」で、ここでは「最も大切にされる物」、すなわち高価な宝石を指しています。要するにこの聖句においては、地上において最も貴重、高価なものとして、真珠をはじめとする宝石が引き合いに出されています。


・旧約聖書 「箴言」

 真珠は新共同訳の「箴言」にも三回出て来ますが、いずれの箇所でも最高の財産的価値を有するとして引き合いに出されています。ただしこれらの箇所において新共同訳が「真珠」と訳している語は、さんごを指している可能性もあります。

  いかに幸いなことか/知恵に到達した人、英知を獲得した人は。/知恵によって得るものは/銀によって得るものにまさり/彼女によって収穫するものは金にまさる。/真珠よりも貴く/どのような財宝も比べることはできない。(「箴言」 3章 13 - 15節 新共同訳)

  知恵は真珠にまさり/どのような財宝も比べることはできない。(「箴言」 8章 11節 新共同訳)

  有能な妻を見いだすのは誰か。真珠よりはるかに貴い妻を。(「箴言」 31章 10節 新共同訳)



・新約聖書 「マタイによる福音書」

 イエズス・キリストが語られたたとえ話には真珠が登場します。「マタイによる福音書」7章6節、及び13章45節から46節を、ギリシア語原文と新共同訳によって引用します。ギリシア語原文はネストレ=アーラント二十六版によります。


    マタイ 7:6  Μὴ δῶτε τὸ ἅγιον τοῖς κυσίν, μηδὲ βάλητε τοὺς μαργαρίτας ὑμῶν ἔμπροσθεν τῶν χοίρων, μήποτε καταπατήσουσιν αὐτοὺς ἐν τοῖς ποσὶν αὐτῶν καὶ στραφέντες ῥήξωσιν ὑμᾶς.  神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。
    .
    マタイ 13:45 - 46  45 Πάλιν ὁμοία ἐστὶν ἡ βασιλεία τῶν οὐρανῶν ἀνθρώπῳ ἐμπόρῳ ζητοῦντι καλοὺς μαργαρίτας: 46 εὑρὼν δὲ ἕνα πολύτιμον μαργαρίτην ἀπελθὼν πέπρακεν πάντα ὅσα εἶχεν καὶ ἠγόρασεν αὐτόν.  また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。



 旧約聖書において新共同訳が「真珠」と訳している語は、実際にはさんごや他の宝石を指している可能性がありましたが、新約聖書の「真珠」はギリシア語の「マルガリーテース」(μαργαρίτης) の訳であり、間違いなく真珠を指しています。

 13章45節のたとえ話において、商人が全財産を売り払って一個の真珠(「マルガリーテーン」 μαργαρίτην 単数対格形)を仕入れていることから、当時の「良い真珠」一個の値段は、現在の貨幣価値に換算すれば数千万円から数億円に相当したことが分かります。養殖真珠が出現する以前には、真珠はそれほどの貴重品であったのです。

 「フィロカリア」("φιλοκαλία") にも著作が収録されているギリシアの司教、フォーティケーのディアドコス (Άγιος Διάδοχος Φωτικής, c, 400 - c. 486) は、このたとえ話の「真珠」が至福直観を表すと解釈しています。至福直観とは天国において神にまみえることであり、人間の知性(被造的知性)に許された最高の幸福です。またアレクサンドリアのオリゲネス (Ὠριγένης, c. 184 – c. 253) は、このたとえ話の「真珠」がキリストを意味すると解釈しています(「マタイ福音書注解」 10巻9節)。


・新約聖書 「ヨハネの黙示録」

 「ヨハネの黙示録」に、真珠(マルガリーテース)は四回出て来ます。初めの三箇所では悪しき虚飾を象徴していますが、最後の箇所は栄光に満ちた新しきエルサレムの描写であり、十二の門がすべて巨大な真珠でできていると書かれています。

 「ヨハネの黙示録」において真珠が登場する四つの箇所を、ギリシア語原文と新共同訳によって引用します。ギリシア語原文はネストレ=アーラント二十六版によります。なお十八章の「彼女」とは地上の悪しき都「大バビロン」のことです。


    17:4 καὶ ἡ γυνὴ ἦν περιβεβλημένη πορφυροῦν καὶ κόκκινον, καὶ κεχρυσωμένη χρυσίῳ καὶ λίθῳ τιμίῳ καὶ μαργαρίταις, ἔχουσα ποτήριον χρυσοῦν ἐν τῇ χειρὶ αὐτῆς γέμον βδελυγμάτων καὶ τὰ ἀκάθαρτα τῆς πορνείας αὐτῆς,  女は紫と赤の衣を着て、金と宝石と真珠で身を飾り、忌まわしいものや、自分のみだらな行いの汚れで満ちた金の杯を手に持っていた。
    .
    18: 11 - 13 11 Καὶ οἱ ἔμποροι τῆς γῆς κλαίουσιν καὶ πενθοῦσιν ἐπ' αὐτήν, ὅτι τὸν γόμον αὐτῶν οὐδεὶς ἀγοράζει οὐκέτι, 12 γόμον χρυσοῦ καὶ ἀργύρου καὶ λίθου τιμίου καὶ μαργαριτῶν καὶ βυσσίνου καὶ πορφύρας καὶ σιρικοῦ καὶ κοκκίνου, καὶ πᾶν ξύλον θύϊνον καὶ πᾶν σκεῦος ἐλεφάντινον καὶ πᾶν σκεῦος ἐκ ξύλου τιμιωτάτου καὶ χαλκοῦ καὶ σιδήρου καὶ μαρμάρου, 13 καὶ κιννάμωμον καὶ ἄμωμον καὶ θυμιάματα καὶ μύρον καὶ λίβανον καὶ οἶνον καὶ ἔλαιον καὶ σεμίδαλιν καὶ σῖτον καὶ κτήνη καὶ πρόβατα, καὶ ἵππων καὶ ῥεδῶν καὶ σωμάτων, καὶ ψυχὰς ἀνθρώπων.  地上の商人たちは、彼女のために泣き悲しむ。もはやだれも彼らの商品を買う者がないからである。その商品とは、金、銀、宝石、真珠、麻の布、紫の布、絹地、赤い布、あらゆる香ばしい木と象牙細工、そして、高価な木材や、青銅、鉄、大理石などでできたあらゆる器、肉桂、香料、香、香油、乳香、ぶどう酒、オリーヴ油、麦粉、小麦、家畜、羊、馬、馬車、奴隷、人間である。
    .
    18: 15 - 18 15 οἱ ἔμποροι τούτων, οἱ πλουτήσαντες ἀπ' αὐτῆς, ἀπὸ μακρόθεν στήσονται διὰ τὸν φόβον τοῦ βασανισμοῦ αὐτῆς, κλαίοντες καὶ πενθοῦντες, 16 λέγοντες, Οὐαὶ οὐαί, ἡ πόλις ἡ μεγάλη, ἡ περιβεβλημένη βύσσινον καὶ πορφυροῦν καὶ κόκκινον, καὶ κεχρυσωμένη [ἐν] χρυσίῳ καὶ λίθῳ τιμίῳ καὶ μαργαρίτῃ, 17 ὅτι μιᾷ ὥρᾳ ἠρημώθη ὁ τοσοῦτος πλοῦτος. Καὶ πᾶς κυβερνήτης καὶ πᾶς ὁ ἐπὶ τόπον πλέων καὶ ναῦται καὶ ὅσοι τὴν θάλασσαν ἐργάζονται ἀπὸ μακρόθεν ἔστησαν 18 καὶ ἔκραζον βλέποντες τὸν καπνὸν τῆς πυρώσεως αὐτῆς λέγοντες, Τίς ὁμοία τῇ πόλει τῇ μεγάλῃ;  このような商品を扱って、彼女から富を得ていた商人たちは、彼女の苦しみを見て恐れ、遠くに立って、泣き悲しんで、こう言う。「不幸だ、不幸だ、大いなる都、/麻の布、また、紫の布や赤い布をまとい、/金と宝石と真珠の飾りを着けた都。あれほどの富が、ひとときの間に、/みな荒れ果ててしまうとは。」また、すべての船長、沿岸を航海するすべての者、船乗りたち、海で働いているすべての者たちは、遠くに立ち、彼女が焼かれる煙を見て、「これほど大きい都がほかにあっただろうか」と叫んだ。
    .
    21: 21 καὶ οἱ δώδεκα πυλῶνες δώδεκα μαργαρῖται, ἀνὰ εἷς ἕκαστος τῶν πυλώνων ἦν ἐξ ἑνὸς μαργαρίτου. καὶ ἡ πλατεῖα τῆς πόλεως χρυσίον καθαρὸν ὡς ὕαλος διαυγής.  また、十二の門は十二の真珠であって、どの門もそれぞれ一個の真珠でできていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。



【グノーシス派における真珠】

 「トマス行伝」(「使徒ユダ・トマス行伝」)はグノーシス派及びマニ教徒に好んで読まれた新約外典文書で、三世紀までに成立したと考えられ、ギリシア語の写本群とシリア語の写本群に加えて、ラテン語、エチオピア語、アルメニア語による多数の写本が残っています。「トマス行伝」は大きく二つの部分に分けることができ、第一部は第一行伝から第六行伝、第二部は第七行伝から第十三行伝で構成されます。

 トマス行伝の思想的性格については諸説あり、グノーシス文書であるという解釈、シリアのヘレニズム・キリスト教文書であるという解釈、第一部の思想と第二部の思想を分けて考えるべきであるという説があります。


 この外典文書のうち、第七行伝の108から 113は、インドで投獄された使徒トマスが牢で歌った「真珠の歌」となっています。この部分に関して、諸説は一致してグノーシス文書であるとしています。

 「真珠の歌」はインドあるいはペルシアにおいてもともとグノーシス主義と無関係に伝承されていた英雄説話を、グノーシス主義的解釈に基づいて再構成したものと考えられています。「真珠の歌」では、東方の王子が竜の守る真珠を求めてエジプトに渡り、真珠を奪って帰還します。

 「真珠の歌」において、真珠は「智恵」を表すと考えられます。智恵と言ってもこの場合はグノーシス主義の思想的文脈における智恵、すなわち「人間の魂はその本質において神と一致する」という認識のことであり、正統的キリスト教思想とは明らかに相容れない「智恵」ですが、既に述べた「マタイによる福音書」13章45節から46節の「真珠」を、「至福直観」の象徴と考えるフォーティケーのディアドコスの解釈と、一定の共通点を見い出すことができます。


【補遺 クルシフィクスとシャプレにおける真珠母(しんじゅも)の象徴性】

 真珠がキリストの象徴であり、あるいはキリストの属性である「生命」「智慧」の象徴であるとすれば、真珠を生み出す真珠貝あるいは真珠母(しんじゅも マザー・オヴ・パール)は聖母の象徴に他なりません。マリアは受胎告知を受け容れて救い主を生み、罪びとに救いをもたらしたゆえに、真珠を「救い」や「神の恩寵」の象徴と考えても、真珠母は「恩寵の器」マリアの象徴であることになります。これに加え、真珠母はその白さによって無原罪の御宿りを象徴します。

 それゆえマリアに祈るシャプレ(数珠、ロザリオ)のビーズには真珠母が使われることがあります。下の写真は上から順に「初聖体のブレスレット型シャプレ」「十二の星のクーロンヌ」「七つの悲しみの聖母のシャプレ」です。いずれも聖母への祈りに使われる数珠で、ビーズは真珠母でできています。


(下) 初聖体のブレスレット型シャプレ chapelet bracelet de première communion 全長 23.5 cm フランス 十九世紀後半から二十世紀初頭 当店の販売済み商品



(下) 十二の星のクーロンヌ  couronne de douze étoiles 全長 20 cm フランス 十九世紀後半 当店の販売済み商品



(下) 七つの悲しみの聖母のシャプレ chapelet de Notre-Dame des sept douleurs 全長 52 cm おそらくイタリア製 20世紀中頃 当店の販売済み商品




 クルシフィクスの十字架に真珠母が使用される場合もあります。このようなクルシフィクスにおいては、「ピエタ」の図像と同様に、真珠母に象徴される聖母が受難のキリストをいわば抱いている姿と解釈できます。真珠母でできた十字架は、イエスへの愛ゆえにともに受難する聖母の悲しみを表すとともに、十字架上のわが子を抱きしめる聖母の愛をも表しています。

 聖母はキリスト者の鑑(かがみ 手本)でもあります。したがって十字架に真珠母を使用したクルシフィクスは、これも「ピエタ」の図像や、ルーベンスがアントウェルペン司教座聖堂の三翼祭壇画中央パネルに描いた「十字架降架」の板絵と同様に、キリストを心に受け容れる「信仰」をも象徴的に表しています。

 十九世紀のフランスでは、洗礼式や初聖体のように人生の節目となる重要な機会に、十字架に真珠母を使用した美しいクルシフィクスが購入されました。洗礼式も初聖体もキリストを受け容れて信仰を持つ儀式であり、「キリストの受容」を象徴する真珠母製十字架のクルシフィクスがこのような機会に身に着けられたことは偶然ではありません。


(下) 十九世紀フランスのクルシフィクス 真珠母と800シルバー製 十字架部分の縦横のサイズ 74.4 x 51.2 mm コルプスを含む最大の厚さ 7.1 mm  当店の商品




(下) 十九世紀フランスのシャプレ・ド・ラ・ヴィエルジュ(聖母のロザリオ) 真珠母と800シルバー製 全長 58 cm 当店の商品




註1 二十五年間に亙って東洋を巡ったあと、1292年にヴェネツィアに帰還したマルコ・ポーロは、同年、ジェノヴァとの戦争で捕虜になり、東洋での冒険を獄中の人々に語りました。これを獄中の仲間が書きとめたのが「東方見聞録」で、東洋諸国の驚倒すべき豊かさを大げさに記述しています。東洋諸国の想像を絶する富は、マルコの旅行記において、黄金、香辛料、絹、ルビー、エメラルド、ダイヤモンドとともに、真珠によって表現されています。

 なおこの旅行記において、ジパングあるいはチパング(日本国)は真珠と黄金の国です。「東方見聞録」には日本人が死者の口に真珠を含ませて埋葬するとの記述がありますが、遺体の開口部に真珠を入れる葬送儀礼は、ラオス人や北アメリカ原住民の間で実際に行われていました。このような儀礼は真珠の有する再生の呪力(本文において後述)に関わります。



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