聖セシリア
SANCTA CÆCILIA, Santa Cecilia, Ste. Cécile, Saint Cecilia




(上) Guido Reni (1575 - 1642), Saint Cecilia, 1606, oil on canvas, 95.9 x 74.9 cm, The Norton Simon Foundation


 聖セシリアは音楽の守護聖人です。古代キリスト教時代の殉教者として最も崇敬されている一人で、早くも四世紀にはローマにおいて祝日が定められていました。

 聖女の名前はラテン語でサンクタ・カエキリア(SANCTA CÆCILIA)、イタリア語でサンタ・チェチリア(Santa Cecilia)、フランス語でサント・セシル(Sainte Cécile)、英語でセイント・セシリア(Saint Cecilia)、ドイツ語でザンクト・ツェツィーリア(Sankt Cäcilia)です。


【聖セシリアの殉教】

 五世紀中頃に起源を遡る聖セシリア殉教伝によると、セシリアはキリスト教徒である元老院議員の娘でしたが、異教徒である貴族の若者ワレリアヌス (VALERIANUS) に嫁ぎました。

 結婚の日、式を終えたふたりが部屋に退いたとき、セシリアはワレリアヌスに「私は天使と婚約していて天使が体を守っているから、私の純潔を汚してはなりません」と言います。ワレリアヌスが天使と会いたいと言ったので、セシリアはワレリアヌスをアッピア街道に遣わして教皇ウルバヌスに会わせ、ワレリアヌスは教皇から洗礼を受けます。キリスト教徒となったワレリアヌスがセシリアの許に戻ると天使が現れて、薔薇と百合の冠をふたりに授けました。


 Francesco Botticini (1446 - 1498), Santa Cecilia entre San Valeriano y San Tiburcio con una donante, Museo Thyssen-Bornemisza


 ワレリアヌスの兄弟ティブルティウス (TIBURTIUS) もまたキリスト教徒になり、ワレリアヌスとティブルティウスの兄弟は貧者に施しをしたり殉教者の遺体を手厚く葬ったりしました。当時はキリスト教信仰は禁じられていましたから、地方長官トゥルキウス・アルマキウスはこのふたりに死刑を言い渡しましたが、執行官のマクシムス (MAXIMUS) 自身もキリスト教徒となり、兄弟とともに殉教しました。

 地方長官は次にセシリアの捕縛を命じます。セシリアは捕らえられる前に自分の家が教会として使われるようにとの言葉を残しました。セシリアは自宅の浴室を過度に熱して殺されることとなりましたが、害を受けなかったので、その場で斬首されることになりました。しかし執行人が3回剣を振り下ろしても首が胴から離れなかったので、執行人は怖気づいて逃げてしまい、セシリアは3日の間血の海に横たわったのちに死にました。




(上) Stefano Maderno (1575 - 1636) , St. Cecilia, 1600, length 130cm, marble, Santa Cecilia in Travestere, Roma


 セシリアの遺体は教皇ウルバヌスによってカタコンベに埋葬されました。


【聖セシリア殉教の年代】

 上記の殉教者伝は史実とは考えられていませんが、セシリアをはじめ、ワレリアヌス、ティブルティウス、マクシムスはいずれも実在の殉教者であり、この四人の関係もある程度の史実を反映していると考えられます。

 セシリアの殉教がどの皇帝の治世に起こったかについては、マルクス・アウレリウス帝、コンモドゥス帝、ディオクレティアヌス帝、セウェルス帝、ユリアヌス帝などさまざまな説があり、はっきりとしたことはわかっていませんが、カタコンベにあるセシリアの墓の位置から判断すると、殉教の時期は二世紀の終わりから三世紀の中頃であると考えられています。


【音楽の守護聖人】

 聖セシリアの図像は、最も古い時代の作品においては他の殉教者と同様のポーズ、すなわち殉教者の冠を手にしているか、あるいは祈っている姿勢で描かれています。下に示したのはイタリア北東部ラヴェンナ(Ravenna エミリア=ロマーニャ州ラヴェンナ県)のサンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂にある六世紀のモザイク画ですが、左端の聖セシリアは姿勢も持ち物も他の殉教者と同じで、頭上に名前が書かれていなければそれと判別することはできません。





  しかしながら十四世紀になると、聖セシリアはオルガンと共に描かれるようになります。これは聖セシリアの祝日である11月22日の聖務日課(修道院で行われる定時の祈り)のうち、朝課(午前三時の祈り)の際に唱えられる次の一節に由来します。 日本語訳は筆者(広川)によります。
         
      CANTANTIBUS ORGANIS CAECILIA VIRGO IN CORDE SUO SOLI DOMINO DECANTABAT DICENS, FIAT, DOMINE, COR MEUM ET CORPUS MEUM IMMACULATUM, UT NON CONFUNDAR.     オルガンが鳴り響く中、おとめカエキリアは心の中で主にのみ向かって祈り、次のように言った。主よ。私の魂と体を汚れ無きものとしてください。私が恥を見ることが無いように。(広川訳)
         
  この言葉はもともと「詩篇」119篇80節を敷衍(ふえん)したものです。「詩篇」119篇80節をヴルガタ訳により引用します。日本語は新共同訳によります。
         
      FIAT COR MEUM IMMACULATUM IN JUSTIFICATIONIBUS TUIS, UT NON CONFUNDAR.     わたしの心があなたの掟に照らして無垢でありますように。そうすればわたしは恥じることがないでしょう。(新共同訳)
         
         
  ところで上に引用した聖務日課の冒頭にある "CANTANTIBUS ORGANIS" は、ラテン語文法で「絶対的奪格」(ablativus absolutus) と呼ばれるもので、近代語の分詞構文にあたり、たとえば英訳すると "organs singing" あるいは "with the organs singing" の意味です。したがってオルガンを演奏しているのが聖セシリアとは限らないのですが、視覚に訴える美術が文字よりも格段に有力であった中世において、誤解に基づく作品がいったん制作されると、聖セシリアが音楽の守護聖人になるのは、半ば必然の成り行きでした。
         
  下に示したのは中世のものではありませんが、バロックの画家カルロ・ドルチ (Carlo Dolci, 1616 - 1686) による有名な作品で、セシリア自身がオルガンを弾いています。オルガンの傍らには、高い香気によって徳と純潔を表す百合が描かれています。この作品はドレスデンのアルテ・マイスター絵画館 (Gemäldegalerie Alte Meister) に収蔵されています。


(下) Carlo Dolci, Cäcilia an der Orgel, 1671, Öl auf Leinwand, 96,5 x 81 cm, Gemäldegalerie, Dresden




 カルロ・ドルチによる別の作品でも、セシリアはオルガンを弾いています。下に示したのはサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館のものです。

(下) Carlo Dolci, St. Cecilia at the Organ, 1670, oil on canvas, 126 x 99.5 cm, Hermitage Museum. St. Petersburg





 下に示したラファエロ (Raffaello Sanzio, 1483 – 1520) の作品では、聖セシリアは携帯用オルガンを手にしており、聖女の足下にも多数の楽器が置かれています(註1)。ただし描かれている楽器をよく見ると、どれも完全な状態ではありません。楽器は死を象徴するもの(メメントー・モリー)のひとつです。ラファエロはそもそもメメントー・モリーのひとつである楽器を壊れた状態に描くことで、地上の生の儚さをいっそう強調しています。ラファエロはこの作品において「エクスタシス」(ἔκστασις 脱魂状態)を図像化しています。ここに描かれている聖人たち、すなわち向かって左から右に、使徒パウロ、使徒ヨハネ、セシリア、アウグスティヌス、マグダラのマリアの魂は、地上の感覚的な喜びを超越し、天上から響くハルモニアにのみ耳を傾けているのです。


(下) Raffaello, "L'Estasi di santa Cecilia", c. 1514, olio su tavola trasportata su tela, 236 x 149 cm, Pinacoteca Nazionale, Bologna




 1584年、ローマに音楽大学 (Accademia Nazionale di Santa Cecilia 聖チェチーリア音楽院) ができたときもその守護聖人とされたことで、聖セシリアと音楽との関係はいっそう深くなりました。

 聖セシリアの祝日は十一月二十二日です。



註1 紀元前三世紀のアレクサンドリアで、発明家クテシビオス (Κτησίβιος, fl. 285 - 222 BC) が水力で送るオルガン「ヒュドラウリス」(ὕδραυλις) を作りました。「ヒュドラウリス」は古典ギリシア語で「水」を表す「ヒュドール」(ὕδωρ) と、「笛」を表す「アウロス」(αὐλός) の合成語で、水で鳴る笛、という意味です。ヒュドラウリスは古代ローマに引き継がれ、セシリアの時代には「ヒュドラウルス」(HYDRAULUS) として知られていました。

 しかしながらラファエロがこの作品に描いている楽器はいずれも中世ヨーロッパのものです。セシリアが手に持っている携帯用オルガン(伊 organo portativo, organetto 仏 orgue portatif)は、単旋律の聖歌を奏でる小さなオルガンで、鍵盤の反対側にふいごが付いており、奏者はこれを動かしながら演奏します。携帯用オルガンは、音楽を擬人化した女性像「ムシカ」(MUSICA) のアトリビュートとして、写本挿絵などに最もよく見られる楽器です。ラファエロがセシリアに持たせた携帯用オルガンは、地上の音楽全てを象徴しています。




(上) 多色刷り石版による小聖画 110 x 59 mm (額のサイズ 縦 149 x 横 111 mm 厚さ 14 mm) イタリア 1982年頃 当店の商品です。


 なお携帯用オルガンが象徴する音楽は地上のものとは限らず、携帯用オルガンを持つ奏楽天使の図像もよく見られます。上の作品はフラ・アンジェリコによる奏楽天使で、フィレンツェのサン・マルコ美術館に収蔵されています。



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