地中海文明における月桂樹のシンボリズム
la symbolique du laurier dans les civilisations méditerranéennes




(上) Willliam Adolphe Bouguereau, "Branche de Laurier", 1900, huile sur toile, 1555 x 700 mm, collection privée


 フランス語でローリエ (le laurier)、ドイツ語でロルベーア (der Lorbeer)、英語でローレル (laurel) と呼ばれる月桂樹(註1)は、クスノキやシナモンと同じクスノキ科です。クスノキ科に属する木には芳香を有する樹種が多くありますが、月桂樹もそのひとつで、葉に多量の精油を含みます。

 月桂樹は常緑樹ゆえに不死の象徴であり、勝利と栄光の象徴でもあるゆえに、古典古代以来さまざまな場面に登場し、その図像は多くの美術工芸品に採用されてきました。


【アポロンとダフネー】



(上) 「アポロンとダフネー」 アルノ・ブレーカー (Arno Breker, 1900 - 1991) による彫刻


 ギリシア語、ラテン語の樹木名は女性名詞ですが、これは樹木と同一視されるニンフを女性と考えたためでしょう。月桂樹を指すギリシア語は「ダフネー」(ἡ δάφνη) ですが、このダフネーもニンフの名前としてギリシア神話に登場します。


 ラテン詩人オウィディウス (Publius Ovidius Naso, 43 B.C. – c. 17 A.D.) の「メタモルフォーセース」(「変身」)第一巻 452 - 567行によると、フォエブス(Phoebus 註2)すなわちアポロンはダフネーに恋をして、逃げるダフネーを追いかけますが、追いつかれそうになったダフネーは樹木、すなわち月桂樹に姿を変えました。フォエブス(アポロン)はダフネーを自身の木とし、アポロンの図像、キタラ(楽器)、矢筒を、人間たちは以後永遠に月桂樹で飾るであろうと予言します。

 オウィディウスによるアポロンとダフネーの物語は数多くの絵画、彫刻、音楽作品を産み出しました。そのなかでもおそらく最も有名なのは、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ (Gian Lorenzo Bernini, 1598 - 1680) による大理石の彫像「アポロンとダフネー」(1625年)でしょう。

(下) Gian Lorenzo Bernini, "l'Apollo e Dafne", marmor, 243 cm, Museo e Galleria Borghese, Roma


 絵画作品としては、アントニオ・デル・ポッライオーロ (Antonio del Pollaiolo, c. 1431 - 1498)、ヴェロネーゼ (Paolo Caliari, dit Véronèse, 1528 - 1588)、ピーテル・パウル・ルーベンス (Peter Paul Rubens, 1577 - 1640)、ニコラ・プッサン (Nicolas Poussin, 1594 - 1665)、カルロ・マラッティ (Carlo Maratti, 1625 - 1713)、ジョヴァンニ・バティスタ・ティエポロ (Giovanni Battista Tiepolo, 1696 - 1770) 等、ルネサンス期からバロック期にかけての画家たちが盛んに題材に取り上げた他、ラファエル前派のジョン・ウィリアム・ウォーターハウス (John William Waterhouse, 1849 - 1917) も美しい作品を描いています。アントニオ・デル・ポッライオーロ、ティエポロ、ウォーターハウスの作品を下に示します。

(下) Antonio del Pollaiolo, "Apollo and Daphne", 1470's, oil on wood, 29.5 x 20 cm, the National Gallery, London



(下) Giovanni Battista Tiepolo, "Apollo et Daphne", 1744, huile sur toile, 96 x 79 cm, Musée du Louvre, Paris



(下) John William Waterhouse, "Apollo and Daphne", 1908




 音楽の分野では、世界最初のオペラ作曲家と考えられているヤコポ・ペリ (Jacopo Peri, 1561 - 1633) が、まさに最初に作ったオペラ「ダフネ」("Dafne", c. 1597) は、オウィディウスに取材しています。

 リヒャルト・シュトラウス (Richard Georg Strauss, 1864 - 1949) は親友シュテファン・ツヴァイク (Stefan Zweig, 1881 - 1942) 及びヨーゼフ・グレゴル (Joseph Gregor, 1888 - 1960) の台本により、1937年にオペラ「ダフネー」("Daphne" op. 82) を作曲しています。リヒャルト・シュトラウスの「ダフネー」は、1938年10月15日、ドレスデン国立歌劇場で、カール・ベームにより初演されました。


【勝利と栄光を象徴する月桂樹】

 上記の故事ゆえに、月桂樹はアポロンを象徴するもののひとつです。

 ギリシア中心部、パルナッソス山の南西にあるデルフォイ (Δελφοί) はアポロンの神託所として知られます。ここはもともと地母神ガイア (Γαῖα) の聖地であり、ガイアの子である大蛇ピュトーン (Πύθων) によって守られていましたが、アポロンはピュトーンを殺して聖地デルフォイを奪いました。

 デルフォイでは四年に一度、「ピュティア大祭」(τα Πύθια) という全ギリシア規模の祭礼があり、音楽と芸術の神であるアポロンを讃えて、アポロンへの讃歌の詩、アウロスとキタラの演奏、演劇、舞踊、美術、陸上競技、戦車競技が幾日にもわたって繰り広げられました。各競技の優勝者たちにはその栄誉をたたえて、月桂樹の小枝の冠が与えられました。




(上) ジョルジュ・デュプレ作 ブロンズ製メダイユ 「メディタシオン」(1899/1900年) 女性像「自由」の背景に、フォルム・ローマーヌムが見えています。当店の商品


 共和政ローマ及び帝政ローマにおいて、戦闘に大きな勝利を収めた将軍は戦場で兵士たちの歓呼を受け、「インペラートル」(IMPERATOR) の称号を獲得しました。「インペラートル」となった将軍は、配下の軍隊を率いてローマに凱旋し、ウィア・サクラ (VIA SACRA 「神聖なる道」 註3)を通ってユピテル神殿に参詣します。将軍は神殿で行われる儀式(トリウンフス TRIUMPHUS)によって、「インペラートル」よりも優れた「ウィル・トリウンファーリス」(VIR TRIUMPHALIS) あるいは「トリウンファートル」(TRIUMPHATOR) となりました。ローマの軍人にとって、「ウィル・トリウンファーリス」の称号を得ることは最高の栄誉であり、生涯の目的でした。

 戦勝の将軍は、兵士たちの推挙を受けて「インペラートル」となる際に、二本の月桂樹の枝で編んだ冠を贈られました。「トリウンフス」のために凱旋する際、将軍はこの月桂冠を被りましたが、これとは別に、将軍の頭上には奴隷によって金製の月桂冠(すなわち、月桂冠を象った金製の冠)が掲げられ、この奴隷によって、不死の神々と比べた人生の儚さを想起させる言葉(註4)が連呼されました。奴隷が掲げる金製の月桂冠は、ユピテル神殿でユピテルに奉献されました。



【図像におけるオリーヴと月桂樹の判別】

 月桂樹 (Laurus nobilis) とオリーヴ (Olea europaea) は共に象徴性に富む植物で、いずれも多数の絵画や彫刻に描かれてきました。

 植物分類学上、両者はまったく異なり、オリーヴはゴマノハグサ目モクセイ科 (Oleaceae)、月桂樹はクスノキ目クスノキ科 (Lauraceae) に属します。しかしながらオリーヴと月桂樹は多くの場合同じような樹高で、どちらも遠眼には同じような大きさと形に見える葉、多数集合して咲く小さな花を付け、同じような大きさと形の黒っぽい実を実らせます。それゆえ美術作品に描き込まれた木がオリーヴであるのか月桂樹であるのか、一見して分かりづらい場合がよくあります。

 オリーヴと月桂樹の判別ですが、樹木の実物を比較すると葉の色が異なります。オリーヴの葉は他の樹種と比べるとかなり青みがかっており、また裏側が白っぽいのが特徴です。月桂樹の葉も多少青味がかってはいますが、オリーヴほどではありません。また月桂樹の葉は表裏ともほぼ同じ色です。




(上) 神戸教会(日本基督教団神戸教会)の前に植わっている月桂樹。ちなみに神戸教会はわが国で最古のプロテスタント教会のひとつです。バロック音楽の演奏に適した素晴らしい音の辻オルガンがあって、筆者は弾かせていただいたことがあります。

(下) オリーヴの大木。青味がかった緑色は周囲の樹木と明らかに異なっています。この木は1879年頃にフランスから移植された日本で最初のオリーヴで、神戸市の湊川神社にあります。




 メダイユ彫刻など、色の違いが判別の手掛かりにならない作品の場合は、葉の付き方が区別の手掛かりになります。オリーヴの葉は「二列対生」、すなわち小枝の同じ高さに左右一組になって付くのが基本です。これに対して月桂樹の葉は「互生」で、一枚ずつ異なる高さのところに付きます。ただし実際の樹木では月桂樹であっても対生している部分、オリーヴであっても互生している部分があるので、注意が必要です。




(上) 互生する月桂樹の葉

(下) 二列対生するオリーヴの葉




 オリーヴと月桂樹は共通点が多いですし、相違点についても美術作品において正確かつ明確に表現されているとは限りません。したがって絵画や彫刻においてオリーヴと月桂樹を正しく判別するには、多角的な鑑賞眼が必要です。両者が持つ象徴的意味は大きく重なっていますが、同一作品に描かれている他の事物や、その作品が制作された経緯、作品が表現しようとしている事柄などを総合的に考え合わせれば、オリーヴと月桂樹は多くの場合正しく判別することが可能です。




註1 クスノキ科ゲッケイジュ属 (Laurus) には三種が属しますが、地中海沿岸に見られる月桂樹はラウルス・ノービリス(和名ゲッケイジュ)です。ゲッケイジュの学名「ラウルス・ノービリス」(Laurus nobilis) は、ラテン語で「貴き月桂樹」の意味です。(LAURUS, -i aut -us, fem.)

 ちなみに聖母の家で有名なロレト(Loreto イタリア、マルケ州)は、ラテン語名を「ラウレートゥム」 LAURETUM)といいますが、この地名はかつて当地に月桂樹の丘があったことに由来します。


註2 ラテン語「フォエブス」(Phoebus) はギリシア語「ポイボス(またはフォイボス)」(ὁ Φοίβος) を写したもので、「光輝を放てる」という意味です。ドイツ語で考えると分かり易いので併記しますと、ギリシア語「パイノメノン φαινόμενον」(die Erscheinung 直訳 "der Schein")の元の動詞「パイノー」(φαίνω scheinen 「現れる」)は「パオー」(φάω) を語根としますが、「ポイボス」の語根もやはり「パオー」です。すなわち「ポイボス」は実体から光輝が発出するさま、天体のように光り輝くさまを表します。

 「ポイボス」は太陽神アポロンのエピセット(別名)です。「アポッローン・ポイボス」(Ἀπόλλων Φοίβος 「光り輝くアポロン」)という形でもよく使われます。


註3 「ウィア・サクラ」(VIA SACRA 「神聖なる道」)は、コロッセウムに発してフォルム・ローマーヌムを東から西に縦断し、タブラリウムの横からカピトーリウムの丘に登ってユピテル神殿 (AEDES JOVIS OPTIMI MAXIMI CAPITOLINI) に至ります。


註4 奴隷が叫んでいた具体的な言葉は記録に残らず分かっていませんが、おそらく「死をおぼえよ」(MEMENTO MORI メメントー・モリー)あるいは「汝自身をよく見よ。汝が人間に過ぎぬことを忘れるな」(RESPICE TE, HOMINEM TE MEMENTO) といった類いの言葉であろうと考えられています。

 「メメントー」(MEMENTO) は、不完全動詞「メーミニー」(MEMINI, -ISSE 「おぼえている」「忘れずにいる」)の命令形(命令法未来能動相三人称複数 「人々は今後も憶えていよ、皆は忘れることが無きようにせよ」)。「モリー」は形式所相動詞「モリオル」(MORIOR, MORI, MORTUUS SUM 「死ぬ」)の不定詞(不定法現在形 「死ぬこと」)。「メメントー・モリー」は、「自分が(いつかは)死ぬということを、誰も忘れることがないようにせよ」の意。

 "HOMINEM TE MEMENTO" は "HOMINEM TE ESSE MEMENTO" の意。すなわち "TE" は省略されている "ESSE" の対格主語、"HOMINEM" は "TE" と同格の属詞(attribut 英文法で言う「補語」)。「汝が人間であるということを忘れるな」、すなわち「不死の神ではなく、死すべき人間に過ぎないことを忘れるな」の意。




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